「ウエスト・サイド・ストーリー」
2021年・アメリカ 157分
製作:20世紀スタジオ=アンブリン
配給:ディズニー
原題:West Side Story
監督:スティーブン・スピルバーグ
原作:アーサー・ローレンツ
脚本:トニー・クシュナー
作詞:スティーブン・ソンドハイム
音楽:レナード・バーンスタイン
オリジナル振付:ジェローム・ロビンス
振付:ジャスティン・ペック
撮影:ヤヌス・カミンスキー
製作:スティーブン・スピルバーグ、クリスティ・マコスコ・クリーガー、ケビン・マックコラム
製作総指揮:リタ・モレノ、ダニエル・ルピ、アダム・ソムナー、トニー・クシュナー
1961年公開の傑作ミュージカル「ウエスト・サイド物語」の60年ぶりの再映画化。監督は「レディ・プレイヤー1」のスティーブン・スピルバーグ。主演は「ベイビー・ドライバー」のアンセル・エルゴートとオーディションで約3万人の中から選ばれた新星レイチェル・ゼグラー。また前作でアニータを演じたリタ・モレノが出演している点にも注目。第94回アカデミー賞では作品、監督賞ほか計7部門にノミネートされた。
(物語)1950年代のニューヨーク、マンハッタンのウエスト・サイド。そこには夢や成功、そして自由を求める多くの移民たちが暮らしていた。しかし差別や貧困など、社会への不満を抱く若者たちは次第に同胞の仲間たちと集団をを結成し、日々喧嘩や抗争に明け暮れていた。そんなある日、チーム“ジェッツ”の元リーダーであるトニー(アンセル・エルゴート)は、敵対する“シャークス”のリーダー・ベルナルド(デヴィッド・アルヴァレス)の妹マリア(レイチェル・ゼグラー)と出会い、瞬く間に惹かれ合う。やがて二人の禁断の恋は、多くの人々の運命を変えて行く…。
1961年公開の「ウエスト・サイド物語」(以下「旧作」と呼ぶ)を最初に観た時は衝撃だった。レナード・バーンスタイン作曲の美しいメロディ、恋に喧嘩に、躍動する若者たちの青春ラブ・ストーリー自体も素敵だったが、何よりダイナミックかつ優雅なダンスシーンに驚嘆した。俯瞰や仰角撮影、パンを多用したカメラワークも素晴らしいし、音楽とシンクロしたフィンガースナップ(指パッチン)がまたカッコいい。そして悲劇的結末には号泣、観終わってもしばらく立ち上がれなかった。
以後、リバイバル公開の都度、何度も観た。70mm版に、シネラマOS劇場の閉館上映、午前十時の映画祭等々、それも上映期間中2度、3度と繰り返して観て、劇場だけでも15回以上は観ている。テレビで放映されても観て、DVDも入手して年に数回観て、と合わせて50回以上は観ている。映像もセリフもほとんど頭に入っている。私にとって生涯のベスト作品である。同じように思っている人も大勢いるだろう(なお当ブログでも以前に旧作の作品評をアップしているので参照されたし)。
ちなみに2009年にキネマ旬報が発表した「外国映画オールタイム・ベスト」では2位にランクされている。
そんな、映画史に残る大傑作をスピルバーグ監督がリメイクすると聞いて、複雑な気持ちになった。スピルバーグ監督はデビュー作以来の大ファンで、全作劇場でリアルタイムで観て来たので観ない訳には行かないが、“映画史に残る名作は絶対リメイクすべきではない”と個人的には思っているので、あの感動がぶち壊されはしないかとの不安もあり、観たくないという気持ちも一方である。
そんな期待と不安が入り混じった中で、結局見る事にした。なお大画面で観たかったので、奮発してIMAX上映で鑑賞。
(以下ネタバレあり)
さすがスピルバーグ、映像もダンスシーンも、旧作に劣らないくらい見事なものだった。新しい解釈を加えつつも、旧作へのオマージュ(同じアングルなど)も随所に見られ、旧作ファンなら思い出してジーンとなるかも知れない。
良かった点をいくつか挙げる。
ナンバー「アメリカ」の群舞シーンが、旧作では夜のビルの屋上で、ややせまっ苦しい場所だった(それでも女性たちの踊りは素晴らしかったが)のに比べて、本作では白昼の大通りの真ん中で、より多くの若者たちが踊りまくるシーンにアップグレードされ、空間的にも広がった上、カメラも縦横に動き回り、旧作よりも華麗さ、解放感、躍動感が増していて圧巻だった。
中でも、アニータを演じたアリアナ・デボーズの歌と踊りが群を抜いて素晴らしい。旧作のリタ・モレノも良かったが、ほとんど遜色ない。
その他のダンスシーンも素晴らしく、旧作を何度も観ている私でも圧倒された。ウエスト・サイドの裏町にそびえ立つアパート群も旧作そのまんまに再現、観ている間中、旧作を思い出してウルウルして来た。スピルバーグの旧作に寄せるリスペクト愛は半端なものではない。
そして何と言っても、旧作でそのアニータを演じ、アカデミー助演女優賞に輝いたリタ・モレノが、ドクの店のオーナー、ヴァレンティナ役で出演していたのには感動した。90歳とは思えないくらいシャキッとしていて、予想以上に出番も多かった。さらに終盤で「サムホェア」を歌うシーンでは、もう涙が溢れて来た。この方がスクリーンの中で元気に動いていてくれるだけでも、料金の元を取った気分である。
旧作ではドクの店のオーナーは白人男性で、だからジェット団の溜り場になっていた。本作ではドクは既に亡くなっていて、未亡人となったプエルトリコ出身のヴァレンティナが後を継いで切り盛りしている(店の中に亡くなる前のドクとヴァレンティナが並んで写っている写真が置かれている)。
これによって、ヴァレンティナがトニーやジェット団の連中だけでなく、プエルトリコ系の人たちとも交流があり、両者の溝を埋める役割も果たしている。だからラストで、トニー殺害の罪で警察に逮捕されるチノの傍に優しく寄り添っている、旧作にないシーンが生きて来るのである。
で、ここからは不満だった点を述べる。
1.フィンガースナップが物足りない
旧作では冒頭、上空からウエスト・サイドのバスケットコートにカメラがズームした瞬間、リフ(ラス・タンブリン)たちジェット団の面々がパチッ、パチッとフィンガースナップを始めるシーンにゾクゾクッとした。電気が走ったようだった。さらにシャーク団のリーダー、ベルナルドもフィンガースナップを始めると、一人、また一人と仲間が増え、華麗なダンスへと繋がる流れにもシビれた。フィンガースナップは終盤の「クール」でも効果的に使われ、まさに“ウエスト・サイド物語と言えばフィンガースナップ”なのである。本作でも一応出て来るが、あまり印象に残っていない。もっと効果的に出し惜しみせず使って欲しかった。
2.あの有名な高く足を上げるシーンがない
これも「ウエスト・サイド物語」のいろんなポスター、スチール写真に使われている、ベルナルドと仲間たちがフィンガースナップと軽快なステップで登場し、やがて片足を高々と上げて踊り出すあの有名なダンス(右)がない。
あの振付があまりに有名すぎるので、使うのを遠慮したのかも知れないが、ファンとしてはあれがあってこそ「ウエスト・サイド」という思いがある。使わないのであれば、あれに匹敵する、いや、さらに高度なハイテクニックの斬新な振付を考案して欲しかった。
3.俳優が地味
旧作では、ベルナルドを演じたジョージ・チャキリスがカッコ良かった。殺されて途中で消えてしまったのにも関わらず、人気では一番で、ポスターでもパンフレット(右)でも常に真ん中で主役級の扱いを受け、アカデミー賞でも助演男優賞を受賞した。リフを演じたラス・タンブリンがまたカッコいい。踊りながらバク転宙返りするアクロバット的ダンスが見事で惚れ惚れする。それぞれにオーラが充満していた。
ジェット団のリフの腹心であるアイスを演じたタッカー・スミスも渋い好演で、終盤では死んだリフに代わるジェット団のリーダーとして存在感を見せる。後述するが彼が歌う「クール」のダンス・シーンは終盤の白眉である。
トニーを演じたリチャード・ベイマー、マリアを演じたナタリー・ウッドも堂々たる名演で、勿論アニータ役のリタ・モレノも素晴らしく、どの役者も輝いていた。
それに比べて、本作のベルナルド役デヴィッド・アルヴァレスも、リフ役のマイク・ファイストも、正直地味で華がない。観終わっても顔が思い浮かばない。アイスに至っては最後までどこにいたのか判らない。トニー役のアンセル・エルゴートもやや線が細いし、マリア役レイチェル・ゼグラーは子供っぽい感じが最後まで拭えなかった。及第点はアニータ役のアリアナ・デボーズくらいだろう。
もっとスターとしての輝き、強烈な印象、オーラを持った役者を使って欲しかった。
4.「クール」の登場シーンに失望
旧作では圧倒された「クール」が、旧作とは異なり決闘の前に、なんとトニーが歌っていたのにはひどく失望。
実はブロードウェイの舞台版では「クール」は本作と同様、前半の決闘シーンの前に歌われ、逆に「クラプキ巡査どの」は決闘後の後半に登場しているのだが、映画ではコミカルで明るい「クラプキ巡査どの」が凄惨な事件後には不似合いなのでこれを前半に持って来て、逆に「熱くなるな、冷静になれ」と歌う「クール」はむしろ団長を殺され、ナーヴァスになっているジェット団の仲間たちをアイスが抑える後半にふさわしいとプロデューサーや脚本家が考え、入れ替えたのだそうだ。これは私はその通り、大正解だと思う。
スピルバーグ自身が、「映画版のリメイクではなく、舞台版の映画化だ」とインタビューで答えているように、本作のミュージカル・ナンバーの配置は舞台版を踏襲している。それは分からなくもないが、私は前述のように、「クール」は絶対、旧作の配置が正しいと思っている。あのガレージ内で、タッカー・スミス扮するアイスが「クール」を歌い出し、やがてフィンガースナップから一糸乱れぬ大群舞へと展開するダンス・シーンには興奮した。旧作中でも最高のナンバーであり、映画史に残る名シーンだと私は思っている。マイケル・ジャクソンが「BAD」でオマージュを捧げているのも当然である(ついでにマイケルの「ビート・イット」も決闘シーンのオマージュ)。
本作の「クール」はそんなわけでとてもガッカリした。本作最大の減点である。
旧作には上に挙げた以外にも、数え上げたらキリがないくらい素晴らしいシーンがいくつもある。冒頭の、ヘリによる空撮シーンも、マンハッタンの上空から高速道路のインターチェンジ、国連ビルやエンパイア・ステート・ビルをはじめとする高層の摩天楼群を写し撮って繫栄するアメリカを象徴し、やがて徐々に低層のみすぼらしいウエスト・サイド地区へと移動する。当時既にあった貧富の格差を、ドキュメンタルな映像だけで強調していたのが素晴らしい。
トニーとマリアが初めて出会う体育館のシーンで、二人の周囲にボカシを入れて、二人が近づくとダンスする周囲の人たちが闇に溶け込み、いつの間にか二人だけしかこの世に存在しないかのように見える演出効果も秀逸。
ソウル・バスがデザインした、冒頭の序曲シーンと、エンドクレジットも洒落ていて楽しい。
当時、ミュージカルと言えば、MGMミュージカルや「王様と私」、「南太平洋」といったブロードウェイ・ミュージカルの映画化が主流だったが、いずれも他愛ないラブ・ロマンスやゴージャスな歌と踊りで、出て来る人物はリッチだったり高貴な家柄だったり、最後はみんな幸せになるハッピー・エンドが定番だった。
そこに登場した「ウエスト・サイド物語」は、主人公たちは喧嘩や盗みをする不良ばかりで、殺人シーンやアニータのレイプ未遂などお堅い人たちが眉を顰めたくなるシーンがあり、最後は悲劇で終わるという、ミュージカルの常識を打ち破った革命的な作品だった。本作の登場で、陽気なMGMミュージカルは息の根を止められてしまった(注)。
テーマ的にも、貧困、人種差別、移民問題、格差社会と、現代においてもなお続く社会的な問題を提起し、ラストには“憎しみの連鎖は断ち切らなければならない”という深いテーマも内在するという、実に考えさせられる、奥の深い作品だった。旧作が時代を超えて、今もなお多くの人に愛されている理由もそこにある。
だからスピルバーグが、トランプ大統領によって白人優位の差別、移民排除が打ち出され、分断を生んでしまった混沌の時代に、もう一度旧作が訴えたテーマを人々に伝えようと本作を企画し作り上げた思いは十分理解出来る。よく分かるのだ。
それでも、旧作が登場した時の強烈なインパクトに比べたら、本作はどうしても弱い。旧作ファンからしたら、今更と言う気持ちも拭いきれない。本作の素晴らしさを認めた上で、“それでも、旧作は映画史に残る永遠の名作である事に疑いはない”と感じざるを得ないのである。
なお旧作が撮影されたのが、当時実際にリンカーン・センター建設の為に再開発が進んでいる時期で、撮影終了後、ロケされた地区は取り壊されている。本作冒頭の、再開発により建物の取り壊しが行われ、瓦礫の山となっているシーンは、舞台となっている時代がそんな時期であった事を強調したい為に入れたのだろうが、あまり意味はないように思える。やはり旧作の冒頭空撮シーンの素晴らしさには及ばない。
まだまだ言いたい事はあるが、この辺にしておこう。
とにかく、旧作を観ていない人には、是非旧作をDVDやブルーレイでもいいから観て欲しいと強く言っておきたい。旧作権利会社(MGMかな?)には、この際是非旧作を大劇場でリバイバル公開して欲しい (IMAX希望。なにしろ旧作は当時の大画面、70mmカメラで撮影、上映されたのだし)。旧作をそれも大画面で観ないままでいる人がいるなんて、本当にもったいないと思うからである。
採点するなら、本作は100点満点中、88点くらいの出来だが、旧作は120点を付けたい。そのくらいの差はある。でももし旧作を観ていなかったら、本作には満点を与えただろう。なんとも複雑な気分である。(採点=★★★★☆)
(注)
旧作が公開された1961年と言えば、日本では黒澤明監督「用心棒」が公開された年で、そのリアルで斬新な殺陣によって、それまで映画界の王道を走っていた東映の中村錦之助や市川右太衛門らが主役の陽性・明朗なチャンバラ時代劇は一気に衰退に向かったと言われている。
つまりは日本とアメリカでほぼ同時期に、“明るく能天気だった娯楽映画の一ジャンル(時代劇とミュージカル)が、たった1本の革命的な作品の登場で一気に衰退の道を辿る”という同じような事が起きたわけである。偶然とは言え興味深い。
(付記)
旧作の興行がまた凄いことになっていた。当時は今と違って、洋画はまず東京、大阪その他の大都市の1館だけの上映で、これを「ロードショー」と言った。そのロードショーが終わってやっと全国の一般封切館で上映される事となる。
旧作はまず東京・丸の内ピカデリーで封切られて、これがなんと1961年12月23日から翌々年の5月17日まで、511日にわたるロングラン上映となった。その為地方上映は遅れに遅れて、私が住む田舎ではなんと1964年になってようやく公開された。今では考えられない事である。ロードショー上映日数、興行収入、いずれも当時の最高記録で、この記録は以後10年以上も破られなかった。何から何まで凄い作品だった事が分かるだろう。
| 固定リンク
コメント
ご無沙汰です。99%いいんですけどねー。旧作を最大限オマージュしつつ、最新の映像・撮影技術を駆使し、ダンス・歌もパワーアップしてる。そこにいかにも現代的なリアルさを絶妙に入れ込んで、でも旧作は当時珍しいアンハッピーミュージカルなので、もうラストはどうするんだろうというくらいにドキドキしながら堪能してたのですが、エンディングのあっけなさ、淡白さは何なんでしょう。駆け寄って泣きながら歌うにしても何の余韻もない。触らないで、と言いながらあっさり皆にトニーを担がせる。マリア役の女優は歌上手いし、いいなと思いながら見てたけど、このラストだけやたらと幼く見える。このエンディングだけ、決定的に圧倒的に旧作に及ばない、スピルバーグとしたことが、と思ったのは私だけではないと思うのですが・・・。でも、リタ・モレノ!!90歳超えてあの歌声!アニータが嘘をつかざるを得なくなる場面の新旧競演は泣けました。あと、昨年同じ中米移民を扱った「イン・ザ・ハイツ 」というミュージカル映画があったのですが、個人的には文句のつけようのない大傑作でしたよ。ウエストサイド物語も含め、ミュージカル映画への大オマージュ作品でした。
投稿: オサムシ | 2022年2月17日 (木) 21:03
◆オサムシさん、お久しぶりです。
私もオサムシさんと同感です。
何より、旧作ではトニーを殺されたマリアが銃を男たちに向け、「みんなが彼を殺したのよ、銃ではなく、憎しみで!」と叫びます。憎み合う事のむなしさが鮮明に浮かび上がる名シーンでした。マリアを演じたナタリー・ウッド、このセリフで男たちを平伏させてしまう貫禄がありました。その点でもレイチェル・ゼグラー、ナタリーには貫禄負けですね。
本作は記憶違いでなければ、このセリフがなかったように思います。なぜカットしたんでしょうね。
「イン・ザ・ハイツ」私も観てますが、どうしても「ウエスト・サイド物語」の影がチラついて個人的にはのめり込めませんでした。
投稿: Kei(管理人 ) | 2022年2月17日 (木) 21:46
私はすごい感動しました。
物語がどうかとか、アレンジがどうか、とかではなく、スピルバーグが「ウエスト・サイド・物語」を使って自分の作家性を剥き出しにしてきた。
どっからどう見てもスピルバーグの映画になってる。これは積み上げた個性を持つ大ベテランにしかできないと思いました。
表現方法って時代とともに変化する、その教科書みたいな映画と思いました。映画は物語じゃないことをまざまざと思い知らされました。
まあ、いまさらスピルバーグがこの題材でオスカー取る可能性は低そうだから、たぶん「パワー・オブ・ザ・ドッグ」なんでしょうけど。
投稿: タニプロ | 2022年2月21日 (月) 20:46
◆タニプロさん
キネ旬最新号で本作の特集やってますが、映画評論家でも意見が割れてますね。私は佐藤友紀さんの意見に近いです。「クール」は旧作が絶対にいいと、私とまったく同じこと言ってくれてるので我が意を得たりです。映画史に残る名作はリメイクやっちゃいけないとまで言ってますね。まあスピルバーグだからこそ、そうした声があるのを承知で、無謀な事に挑戦して、これだけの作品に仕上げられたのだと思いますし、その点は評価したいですね。
オスカー作品賞は、出来るなら「ドライブ・マイ・カー」に獲って欲しいですね。しかし一昨年韓国(「パラサイト」)、昨年中国出身(「ノマドランド」)とアジア系受賞が続いたのでさすがに3年連続は難しいでしょうが。
投稿: Kei(管理人 ) | 2022年2月23日 (水) 15:25