「ゴヤの名画と優しい泥棒」
2020年・イギリス 95分
製作:Neon Films=パテ
配給:ハピネットファントム・スタジオ
原題:The Duke
監督:ロジャー・ミッシェル
脚本:リチャード・ビーン、クライブ・コールマン
撮影:マイク・エリー
製作:ニッキー・ベンサム
製作総指揮:キャメロン・マクラッケン、ジェニー・ボーガーズ、アンドレア・スカルソ、ヒューゴ・ヘッペル、ピーター・スカーフ、クリストファー・バントン
1961年にイギリスで実際に起きたゴヤの名画盗難事件の知られざる真相を描いたヒューマン・ドラマ。監督は「ノッティングヒルの恋人」のロジャー・ミッシェル。主演は「アイリス」のジム・ブロードベント、「クィーン」のヘレン・ミレン。その他「ダンケルク」のフィオン・ホワイトヘッド、「ダウントン・アビー」のマシュー・グードなど。
(物語)1961年、世界屈指の美術館ロンドン・ナショナル・ギャラリーから、ゴヤの名画「ウェリントン公爵」が盗まれるという事件が発生する。警察当局は国際的な犯罪集団の仕業だと推測するが、実は犯人はごく普通の60歳のタクシー運転手、ケンプトン・バントン(ジム・ブロードベント)だった。彼は妻と息子と小さなアパートで年金暮らしをする偏屈な老人で、公共放送(BBC)が貧しい高齢者からも受信料を徴求している事に腹を立て、盗んだ絵画の身代金で受信料を肩代わりしようと企てたのだった。だが、事件にはもう一つの隠された真相があった…。
60歳の老人が警戒厳重な美術館から、14万ポンドの値打ちのあるゴヤの名画「ウェリントン公爵」を盗み出し、イギリス公共放送に高齢者の受信料を無料にせよと要求するという、なんとも人を食ったお話だが、これがすべて実話だというからびっくりする。
この老人、ケンプトン・バントンのキャラクターが何ともユニーク。偏屈で曲がった事が嫌いな性格の為、勤務先の上司ともよく衝突する。タクシー運転手の仕事もクビになり、次に勤めたパン工場でも責任者が有色人種の従業員を「パキ(スタン)野郎」と差別的な言葉で罵るので毅然と抗議し、こちらもクビになってしまう。それまでは毎日不良品のパンを持ち帰って妻に渡していたが、クビになった事を妻に言えず、パン屋で買ったパンにわざと傷を付けてもらって持ち帰る有り様。他人には強気だが、妻には頭が上がらないという、不器用で困った性格である。
また、公共放送BBCが老人や生活困窮者からも受信料を徴求している事にも我慢がならない。なんとBBCは電波探知機搭載の車を巡回させて、受信料を払っていない世帯を摘発して回っている。
それに腹を立てたケンプトンはBBC職員がやって来ると、テレビから受信コイルの一部を抜き取って、「この通りBBCは映らないから受信料は払わない」と言う。そんな事で受信料が免除になるわけがなく、この作戦はあえなく失敗し逮捕されてしまう。日本でもNHKの受信料払わないという政党立ち上げた人がいたな(笑)。
ケンプトンはそれでもへこたれず、次男ジャッキー(フィオン・ホワイトヘッド)と一緒に街角に立って「年金老人に無料テレビを!」という看板を掲げて世間に訴える。しかし誰も見向きもしてくれない。こうしたケンプトンの行動は、舞台がイギリスという事もあって、常にイギリス下層社会で必死に生きる庶民を描き続けているケン・ローチ監督作品を思わせたりもする。
ケンプトンはまた、時間を見つけては戯曲を書いている。この事も後の伏線になっている。
といった具合に、事件の前にこうした前フリを用意して、ケンプトンという人物のキャラクターをユーモアを交えて描く脚本がなかなか面白い。
ケンプトンを演じたジム・ブロードベンが飄々たる好演。また妻ドロシーを演じたヘレン・ミレンも、困った亭主にも長年連れ添い、家政婦の仕事で家計を支えるしっかり者の妻を絶妙の名演。イギリス女王に元スパイ(「RED」)から家政婦まで、役柄の広さには敬服する。
(以下ネタバレあり)
そんなある日、ロンドン・ナショナル・ギャラリーからゴヤの名画「ウェリントン公爵」が盗まれる事件が発生する。
その名画はなんとケンプトンの部屋に隠されていた。ケンプトンは次男ジャッキーの協力を得て、クローゼットの奥に目隠し用ボードを設置してそこにゴヤの画を隠し、「画を返して欲しければ年金受給者のBBC受信料を無料にせよ」と政府に要求する。しかし政府は簡単には要求を呑まない。膠着した日々がしばらく続く。
ここまででちょっと疑問に思ったのが、警戒厳重な美術館に忍び込んで名画を盗むという、ルパン三世みたいな(笑)泥棒作業が60歳の老人に可能なのか、また60年前でも高価な名画を保管している美術館のセキュリティ防犯対策はしっかりしているだろうに、どうやってセキュリティをかい潜ったのかとか。
実は終盤でこれらの疑問が見事解明されている。カンのいい方ならピンと来るだろうが。
ところがマズい事に、長男の恋人がクローゼット裏に隠した名画を見つけてしまい、ケンプトンを脅迫する事態となり、妻にも名画泥棒の事が知られてしまう。
これで観念したケンプトンは、名画を持ってナショナル・ギャラリーに返しに行き、名画窃盗犯として裁判にかけられる。
この終盤の裁判シーンがこの映画最高の見どころ。ケンプトンは検事の質問に対し、弁舌爽やかにジョークと皮肉を交え、飄々と無罪を主張する。このやりとりがなんとも笑える。裁判長も12人の陪審員たちも苦笑し、時には吹き出してしまう有り様。
ケンプトンが戯曲を書いていた事がここで生きて来る。それこそ、まるで舞台の上で名優が一人芝居を演じているかのように、ケンプトンは朗々と流れるようなリズムで語り、聴衆をケムに撒くのである。ジム・ブロードベント、絶妙の名演。
このケンプトンの名調子に陪審員たちもすっかり魅了され、またケンプトン側の弁護士も巧みに無罪の理由を組み立てて行ったおかげで、陪審員の評決は、額縁の窃盗だけ有罪、画の窃盗については自ら返却して来た事も加味して“無罪”だった。結局、ケンプトンは額縁窃盗罪で3ヶ月服役という軽い処分で済む事となった。
60年前とは言え、何とも粋な判決である。これは一般市民の話し合いで評決が下される陪審員制度が定着している事も幸いしたのだろう。それにしても信じられない実話だ。
バントン夫妻には、事故で娘を失った辛い過去があったのだが、裁判を通して二人の絆は強まり、やがて娘を亡くした喪失感も克服して行く事となる。
そしてもう一つ、隠された事件の真相が明らかになるラストにも驚かされる。
(以下完全ネタバレに付き隠します。映画を観た方のみドラッグ反転してください)
実は、名画を盗んだ真犯人はケンプトンではなく、次男のジャッキーだった。父の受信料無料化の訴えに共感したジャッキーは、その願いを叶えて上げようと自分一人でギャラリーに忍び込んだのである。朝の掃除の為、掃除婦が入館する際に警報が解除される時を狙って梯子を二階のトイレの窓に立てかけ侵入したのである。
これで先ほどの疑問もすべて腑に落ちた。
ジャッキーは真実を隠している事で良心の呵責に耐えられなくなり、数年後に自首するのだが、事件が解決し判決も確定した後で、今さら真犯人が現れても混乱するだけだと考えた検察側はジャッキーの自首を無かった事にして、真実は闇に葬られる。エンディングで、この事実は2012年に情報開示請求でようやく明らかになったとの字幕が出る。
(↑ネタバレここまで)
なんともユーモラスで、笑えてほっこりさせて、ちょっと感動もさせられる不思議な味わいの良作だった。これが(最後の真相も含めて)すべて実話だというのだから驚かされる。
ラストに、「2000年に75歳以上の老人はBBCの受信料が無料になった」との字幕が出る。ケンプトンの願いも叶えられたわけだ。NHKもやって欲しいね。
ロジャー・ミッシェル監督の演出は才気煥発、冒頭をはじめ、画面をいくつも分割するシーン(スプリットスクリーンと呼ぶ)は、これも洒落た泥棒映画だったスティーヴ・マックィーン主演「華麗なる賭け」を思い出させる。
なお、ロジャー・ミッシェル監督は昨年9月、65歳と言う若さで亡くなっている。本作は遺作という事になる。最期にこんな楽しい秀作を作り上げてくれた事を感謝したい。 (採点=★★★★☆)
(付記)
イギリスには、“洒落た泥棒映画”という伝統があって、代表作が1956年の「マダムと泥棒」(アレクサンダー・マッケンドリック監督)。後にコーエン兄弟監督が「レディ・キラーズ」としてリメイクしているくらいの名作である。その他「マダムと泥棒」にも出演しているピーター・セラーズ主演で「泥棒株式会社」という映画もイギリスで作られている。続編も作られた。
ちなみに、「マダムと泥棒」を作ったスタジオがロンドンにあるイーリング・スタジオ。ここで作られた洒落たコメディは後に“イーリング・コメディ”と呼ばれた。
なお、ロジャー・ミッシェル監督の代表作「ノッティングヒルの恋人」も、実はこのイーリング・スタジオの作品である。不思議な縁があるのである。
(さらに、お楽しみはココからだ)
バントン夫妻は揃って映画好きで、ケンプトンが妻に「ウエスト・サイド物語」が上映中なので見に行かないかと誘うシーンがある。これも1961年作品なので時期的には一致する。
ちょうどスピルバーグ監督による「ウエスト・サイド・ストーリー」が公開されている絶妙のタイミングで、ニンマリさせられる。
そして事件解決後、二人でショーン・コネリー主演の「007/ドクター・ノオ」をビデオで見ているシーンがあるのだが、この中でドクター・ノオに捕まったボンドがノオの要塞内を案内される際に、あの「ウェリントン公爵」の画が置かれていてボンドが驚くシーンがあり、ここを見て二人が笑い合う。
この映画が作られたのは1962年だが、この当時はまだ「ウェリントン公爵」は行方不明のままでイギリス国民の関心は高い時期だった。だから「007」のプロデューサーか監督が洒落のめして“「ウェリントン公爵」はドクター・ノオが盗んだ”事にしたのだろう。なかなかやってくれる。これもいかにもイギリス的なユーモアである。
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