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2022年3月20日 (日)

「余命10年」

Yomei10nen 2022年・日本    125分
製作:ROBOT
配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:藤井道人
原作:小坂流加
脚本:岡田惠和、渡邉真子
音楽:RADWIMPS
撮影:今村圭佑

不治の病に冒された女性の懸命に生きる姿を描いた、小坂流加の同名恋愛小説の映画化。監督は「ヤクザと家族 The Family」の藤井道人。主演は「糸」の小松菜奈と「今夜、ロマンス劇場で」の坂口健太郎。共演は山田裕貴、奈緒、黒木華、松重豊、リリー・フランキーなど。

(物語)数万人に1人という不治の病に冒され、余命10年を宣告された20歳の高林茉莉(小松菜奈)は、生きることに執着しないよう、恋はしないと心に決めていた。ところがある日、地元の同窓会で寡黙な真部和人(坂口健太郎)と再会する。和人は生きることに迷い、自分の居場所を見失っていた。二人の距離は少しずつ縮まっていき、茉莉の残された時間が大きく動き出す…。

難病で余命わずかと宣告された主人公とその恋人の物語…と聞いただけで、またかとうんざりする。これまで無数と言っていいほど作られて来たパターンで、日本では1964年の吉永小百合と浜田光夫主演の「愛と死をみつめて」がその嚆矢かつ代表作だろうか。この映画は空前の大ヒット、社会現象にもなったほどだ。最近でも「余命1ヶ月の花嫁」(2009)がある。洋画では大ヒットした「ある愛の詩」(1970)もある。

よって当初は観るつもりはなかったのだが、監督がファンである藤井道人と知って、この監督ならヘンな作品にはならないだろうと観る事にした。

(以下ネタバレあり)

観て正解だった。これまでの難病ものとは幾分毛色が変わっていて、しかも重要なテーマを内包している。

これまでのそのジャンルの作品は、発病が判ってから病状がどんどん進み、やがて入院して寝たきりになるパターンがほとんど。恋人が傍に寄り添っても何もしてやれない。だから物語が進むに連れ、どんどんと陰々滅々とした気分になり、観ててシンドい。

本作の場合は、主人公茉莉(まつり)は、「10年以上は生きられない」と告知されてはいるが、一応退院して普通の生活は送る事が出来る。
だから同窓会にも出られるし、病気の事も家族以外には黙っている。同窓会でも近況を聞かれて、普通に働いているように返答する。

10年という余命は、健康な人から見れば短いが、余命宣告された当人にとっては長い。その間ずっと、死の恐怖と闘い続けなければいけないからだ。

恋人が出来ても、いずれ死別する時が来るのだから、恋はしないと心に決めている。この先、何をしていいか、自分が生きている事に意味はあるのか、答えを見つけられずにいる。

一方、同窓会で知り合った和人は、親との確執を抱え、仕事も解雇され、生きているのが嫌になって投身自殺を図ったりもする。

この二人の人生に対する気持ちがまったく対照的であるのが面白い。茉莉は難病で、生きたくとも生きられないのに対し、和人は健康なのに生きる意欲を失って死のうとしている。

この二人が出会い、互いに心の交流を深める事で、それぞれの人生に大きな転機を迎える事となる。

和人は茉莉と出会い、彼女を愛するようになって生きる意味を見出し、友人の世話で焼き鳥屋に勤める事となり、やがては独立して店を持つまでになる。

茉莉も、和人に会うまでは「恋はしない」と決め、ただ死ぬ日を待つだけの人生だったのが、和人と出会い、恋を知って、初めて生きる事の大切さを感じ取る。
友人の出版社に勤める沙苗(奈緒)に勧められて、自分の生きて来た証しを残す為、これまでの人生をベースにした小説を書こうと思い立つ。

原作では同人誌で漫画を描いている茉莉だが、映画ではこれを小説執筆に変えているのが大正解。

小説は、創作物であり、出版されれば多くの人の目に触れ、感動を呼び起こす事もある。自分がこの世に間違いなく存在した証しでもある。

これで思い起こされるのが、黒澤明監督の名作「生きる」である。
主人公渡辺勘治(志村喬)は胃ガンにより余命僅かである事を知り、残された人生をどう生きるか悩みに悩んだあげく、勤務先の少女に「何か作れば」と言われた事をきっかけに思い立ち、小さな公園作りに奔走し、完成した公園で夜ブランコに乗って、やがて安らかに死んで行く。

この主人公も、“残された余命をどうやって生きるか”を考え抜いた末に、彼が導き出した答は、自分が生きていた証しとして公園を作る事だった。

“自分が死んだ後も、この世に残り続ける物を、生きた証として作る”という「生きる」の主人公の思いは、本作と共通する。これは人間にとっても、永遠のテーマと言えるだろう。その意味でも私は本作にいたく感動した。

藤井演出は、感傷的になりそうな場面を引っ張らずにサラッと流す等、無理に泣かせようというシーンを極力排除しているのがいい。葬儀シーンもあっさりカットしている。

それでいて、終盤、彼女がもっと生きていたなら実現したであろう、もう一つの未来の幻想シーン、これにはやられた。それまで泣けるシーンを避けて来た反動もあってドッと泣けた。多分多くの観客が涙腺決壊した事だろう。心憎い演出である。

普通の難病もの、余命ものとは明らかに一線を画する、“生きる事の大切さ、かけがえのなさ”を訴え、“短かろうと長かろうと、人はその人生を懸命に生きるべきである”というテーマを前面に押し出した、これは素晴らしい、人間ドラマの秀作である。

それにしても藤井監督、「デイアンドナイト」はノワール・サスペンス、「新聞記者」は時事社会派もの、「宇宙でいちばん明るい屋根」はメルヘンチックなファンタジー、「ヤクザと家族 The Family」はヤクザもの、本作で難病ものと、1作ごとにまったく異なるジャンルを手掛けて、いずれも水準以上の秀作になっているのが凄い。次はどんなジャンルに挑戦するのか、今から楽しみである。 
(採点=★★★★☆

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コメント

 映画「余命10年」で僕が物足りないと思って居た所が映画「桜のような僕の恋人」では描かれていました。
「余命・・」は当事者は苦しんで頑張った、家族は時には厳しく、優しかったと言うところは描いていたと思います。僕が観たかったのは当事者の切なさ、叫び出したくなるような理不尽な思いです。そこからしか僕は励ましを受けとることは出来ないと思います。「余命・・」は藤井道人監督の主人公の遺族に納得してもらえる作品にしたいという優しさが裏目に出てしまい、綺麗事の映画にしてしまったように感じました。涙脆い僕が泣かない映画でした。

投稿: 広い世界は | 2022年5月19日 (木) 17:58

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