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2022年3月27日 (日)

「金の糸」

Goldenthread 2019年/ジョージア・フランス合作   91分
製作:3003 Film Production
配給:ムヴィオラ
原題:Okros dzapi (英題:The Golden Thread)
監督:ラナ・ゴゴベリゼ
脚本:ラナ・ゴゴベリゼ
撮影:ゴガ・デブダリアニ
製作:サロメ・アレクシ

ジョージアの首都トビリシの街の片隅を舞台に、3人の老人たちの生きざまを見つめた人間ドラマ。監督はジョージア映画界を代表する女性監督ラナ・ゴゴベリゼ。主演は「ロビンソナーダ」などの監督を務めたナナ・ジョルジャゼ。

(物語)トビリシの旧市街の片隅にある古い家で、娘夫婦と暮らす作家のエレネ(ナナ・ジョルジャゼ)は79歳の誕生日を迎えたが、家族の誰もが忘れていた。そんな時、娘は夫の母ミランダ(グランダ・ガブニア)にアルツハイマーの症状が出始めたので、この家に引っ越させて一緒に暮らすという。そのミランダは実はソビエト時代に政府の高官だった女性で、エレネは快く思っていない。そこに、エレネのかつての恋人アルチル(ズラ・キプシゼ)から60年ぶりに電話がかかって来て…。

珍しいジョージア映画。ジョージア(かつてはグルジアと呼ばれていた)では昔から映画が多く作られていたが、1922年にソビエト連邦に加盟し、以後政権批判的な映画は検閲によって公開不能となったりした歴史がある。1989年のソ連崩壊によって独立国家となり、内戦等の混乱もあったが現在は一応平穏な状態にあるようだ。

ジョージア映画は我が国ではごく僅かしか輸入されず、それも映画祭などで上映されたきりの作品も多く、本作のように一般の劇場で公開されるケースは極めて稀である。私自身もジョージア映画を観るのは多分初めてではないかと思う。

本作の監督、ラナ・ゴゴベリゼはジョージア映画界を代表する女性監督で、彼女の母、ヌツァ・ゴゴベリゼはジョージア最初の女性監督だそうだ。だが1937年の大粛清によって夫は処刑され、ヌツァは収容所に10年流刑されるという過酷な運命に晒された。

本作を観る際には、こうしたジョージア国家の歴史、ゴゴベリゼ監督の両親を襲ったそんな悲劇等も知っておいた方がいいだろう。

(以下ネタバレあり)

主人公エレネは作家で、79歳になる今もパソコンに向かい文筆作業を続けている。娘夫婦と同居しているが、誕生日なのに家族の誰も祝ってくれない。そんな時、娘婿の母ミランダにアルツハイマーの症状が出始め、ボヤ騒ぎを起こしたりするので一人にしておけず、この家に引き取る事になる。

ミランダはソビエト時代に政府の高官だった。その為か、エレネはどうもミランダと気が合わない。二人の老人の奇妙な同居生活が始まる。

また、ある日エレネの携帯に1本の着信が入る。その相手はなんと、かつて若い頃に愛し合った事もあるアルチルだった。家族が忘れていたエレネの誕生日を祝う電話だった。60年ぶりに元気な声を聞いたエレネとアルチルは、その後も何度か電話を通して話し合う(と言ってもエレネは足が悪くて外出出来ず、アルチルも車椅子生活の為、二人が顔を合わす事はないのだが)。二人は、家の前の道路でタンゴを踊った事もあり、その光景が回想として現在の姿にオーバーラップするシーンは印象的である。

物語はこうしてコミュニケーションを取り合う事になったエレネ、アルチル、それにミランダを加えた、3人の老人の日常を淡々と描いて行く。

エレネは、若い頃に自分が書いた小説がソ連当局により発禁処分になり、その後20年間も作品を発表出来なかったという苦い過去がある。ところがある日ミランダは、その発禁処分の決定を下したのが自分だと告白する。運命の皮肉と言うか、その後二人の息子、娘が結婚し縁戚関係になろうとは思ってもみなかっただろう。
これによって、エレネはますますミランダと距離を置くようになる。とは言っても同じ家に同居している親戚同士である為、顔を合わさない訳にも行かない。二人の間に気まずい空気が流れる。

映画ではその他にも多彩な人物が登場するが、本筋にはあまり関係して来ない。しかしそれぞれに、エレネの人生と微妙に絡まり合って来る。例えばエレネの部屋の中庭を隔てた向かいにある家では、若い夫婦が喧嘩し、夫が家を飛び出したりするが、これはもしかしたらエレネとアルチルの若い頃の姿を投影しているのかも知れない。その他にも、中庭にいる老人と二階の居住者との取留めのない会話が何度も登場したりする。

そんな風に、映画はまだ執筆活動に意欲を燃やすエレネの日常を中心に据えてはいるものの、大きな事件が起こる事もなく進むので、人によっては退屈するかも知れないが、慣れて来るとそのゆったりした空気感が何とも言えず魅力的である。

そして軸となっている、3人の老人のそれぞれに異なる生き方、人生についても考えさせられる。

ミランダはソ連時代には権力を振りかざし、人々の自由を奪い統制して来た全体主義国家の象徴的存在である。しかしソ連は崩壊し、今はアルツイマーを患い、惨めな存在になり下がっている。一方でソ連時代に発禁処分に会い、自由な創作活動が出来なかったエレネは老境に至ってもますます旺盛な作家活動を続け、またかつての恋人アルチルとの恋も再燃しそうで、もしかしたら今が人生で一番輝いている時なのかも知れない。
ラスト間際で、白い服を纏い、杖をつきながらではあるが優雅に踊っているようにも見えるシーンが印象的だ。

これは、ソ連=今のロシアと、ジョージアという2つの国家の置かれている状況の暗喩なのかも知れない。
スターリン時代、粛清と言論統制で恐怖政治を強いていたソ連はその後崩壊し、ソ連から独立したジョージアは対照的に自由社会の仲間入りを果たし、人々は幸せに暮らしている。

もうあんな、暗黒の時代は二度と来て欲しくないというゴゴベリゼ監督の願望も、本作に込められているのかも知れない。監督の両親の過酷な運命を知ればなおの事だ。

Goldenthread3そしてもう一つの重要なテーマ、題名にもなっている「金の糸」。これは作中にも出て来る、日本の伝統工芸である“金継(きんつぎ)”を示している。金継とは、割れた陶磁器を漆で接着し、その上に金箔を装飾するという修復方法である。金継した陶磁器はアートとして珍重される事もあるという(右)。

“一度割れた物でも、修復する事は可能だし、むしろ割れる前よりも美しく見える場合もある”というこの金継は、まさに本作における、60年という空白期間を経ても、愛は修復する事が出来るというエレネとアルチルの恋の行方を象徴している。

エレネとミランダの、一見修復しようもないような人間関係だって、もしかしたら修復出来るかも知れない。終盤に至って、認知症で心が壊れて行くミランダに、エレネが少しづつ心を近づけているようにも見える。

対立している国家だって、戦争で修復不能に陥った国家間だって、いつかは修復出来る時が来るかも知れない。本作にはそうしたゴゴベリゼ監督の思いも込められているような気がする。
本作が作られたのは3年前。ロシアが戦争を仕掛けるとは予想も出来なかった頃だ。その作品の我が国公開が丁度ロシアのウクライナ侵攻が始まった直後であるとは何とも不思議な偶然ではある。

ロシアの無差別爆撃で破壊され尽くしたかに見えるウクライナの映像を見るのは辛いし心が痛むが、それでも戦争が終われば荒廃したウクライナの土地も、きっと修復される時が来るだろう。そう祈らずにはいられない。

そう思うと、この映画を観ている時、ふと涙が出て来てしまった。今の時代にこそ観るべき、そして観た後もいろいろと考えさせられる、これは珠玉の秀作である。 
(採点=★★★★☆

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Goldenthread2それにしてもゴゴベリゼ監督がこの映画を撮ったのは91歳!の時。そして93歳になった現在でも創作意欲は衰えず、「次は母ヌツァ・ゴゴベリゼについての映画を撮る予定です」と言っているそうだ。これも是非観たい。ゴゴベリゼ監督の他の作品も機会があれば観たいと思う。

 

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