「ナイトメア・アリー」
2021年・アメリカ 150分
製作:サーチライト・ピクチャーズ
配給:ディズニー
原題:Nightmare Alley
監督:ギレルモ・デル・トロ
原作:ウィリアム・リンゼイ・グレシャム
脚本:ギレルモ・デル・トロ、 キム・モーガン
撮影:ダン・ローストセン
製作:ギレルモ・デル・トロ、 J・マイルズ・デイル、 ブラッドリー・クーパー
1946年に出版されたウィリアム・リンゼイ・グレシャム原作のノワール小説「ナイトメア・アリー 悪夢小路」の二度目の映画化作品。監督は「シェイプ・オブ・ウォーター」のギレルモ・デル・トロ。主演は「アメリカン・スナイパー」のブラッドリー・クーパー。共演は「ブルージャスミン」のケイト・ブランシェット、「ヘレディタリー/継承」のトニ・コレット、「ライトハウス」のウィレム・デフォー、「キャロル」でもブランシェットと共演したルーニー・マーラ、その他デル・トロ作品常連のリチャード・ジェンキンス、ロン・パールマンと豪華キャストが揃った。第94回アカデミー賞で作品賞・撮影賞・美術賞・衣装デザイン賞にノミネートされた。
(物語)ショービジネスでの成功を夢みる野心家のスタン(ブラッドリー・クーパー)は、ある町で人間か獣か正体不明な生き物を出し物にする怪しげなカーニバルの一座とめぐり合う。その一座に入り、読心術の技を学んだスタンは、やがて一座の女芸人モリー(ルーニー・マーラ)と愛し合うようになり、二人で一座を離れ独立する。2年後、スタンは読心術と頭の回転の速さを武器にショービジネスの世界を駆け上がり、モリーを助手に都会の高級ホテルにあるステージの看板を張るまでになる。しかしある日、ショーの客として現れた心理学博士のリリス・リッター(ケイト・ブランシェット)と知り合い、スタンはリリスと手を組むが、その先には思いがけない闇が待ち受けていた…。
「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー賞の作品賞ほか4部門を受賞したギレルモ・デル・トロ監督の4年ぶりの新作である。本作も作品賞他で本年のアカデミー賞に絡んでいる(残念ながら受賞は逃した)。
これまでは常に怪物、怪獣、異形のモンスターを登場させて来たデル・トロ監督作としては珍しく、そのようなモンスターは出て来ない。原作もノワール小説とされ、1947年にはエドマンド・グールディング監督により一度映画化されている(邦題「悪魔の往く町」。我が国では劇場未公開)。本作はリメイクという事になる。
私はこの映画「悪魔の往く町」を2年前にシネ・ヌーヴォで催された「フィルム・ノワール特集」で観ている(作品批評はこちら)。まさにフィルム・ノワール的な味わいの佳作だった。主演は名優タイロン・パワー。ちょうどデル・トロ監督がこれを再映画化中だとニュースになっていた頃である。
で、本作だが、怪獣こそ出て来ないものの、主人公スタンが紛れ込むカーニバルの一座である「見世物小屋」のおどろおどろしい出し物は、鶏を生きたまま食い殺す獣人(ギーク)だとか蜘蛛女だとかホルマリン漬けの胎児だとか、まさしくデル・トロが偏愛する異形のモンスター・ワールドそのものである。
とりわけホルマリン漬けの胎児、中でも生みの親を噛み殺したという触れ込みの、頭の異様に大きな胎児は強烈な印象を残し、これはラストにも再登場する上に、エンドロールのバックにもこの胎児の超ドアップをカメラが舐めるように映し出す。後で述べるが、“親殺し”がこの作品の隠れたテーマでもあるようだ。
デル・トロ監督へのインタビューによると、実はデル・トロはグレシャムの原作に大きな影響を受け、監督デビューする前からいつか映画化したいと思っていたそうだ。そう考えると、原作に登場する見世物小屋に蠢く異形の怪物・怪人たちこそ、デル・トロ作品の原点だと言えるかも知れない。
(以下ネタバレあり)
冒頭、スタンが死体を床下に投げ込み、家に火を付けて出て行くシーンがある。
この死体はスタンの父親で、後半にはスタンが父を凍死させて死なせる描写が回想で登場する。この“父親殺し”が前述の母を噛み殺したという胎児とテーマ的にリンクしている。
宛てのない旅の途中、バスを降り立った町でスタンはカーニバルの出し物、見世物小屋に入り込み、座長のクレム(ウィレム・デフォー)に拾われる形で小屋のスタッフとして働く事となる。
そのきっかけとなるのが、逃げ出した獣人をスタンが見つけた事なのだが、この獣人は元は普通の人間だったのが、食い詰めてとことん落ちぶれ、ほとんど廃人になる手前で、生きる為には見世物になるしかなかった、人生の敗残者である事が分かって来る。これは本作の重要なポイントである。
やがてスタンは小屋の出し物の一つ、ジーナ(トニ・コレット)の読心術のショーを手伝うようになる。読心術と言っても、客から集めた心の悩みを書いたカードを巧みにすり替え、相方のピート(デヴィッド・ストラザーン)がその内容をジーナに床下のガラス越しに伝えるという、まあ一種の手品的トリックである。
ただピートは、言葉の端や持ち物等、ちょっとしたヒントから相手の心の内面を読み当てる、まさに読心術的な技術も会得しており、その研究をまとめたノートを持っている。
スタンは、ピートから読心術のノウハウを教わり、次第に人の心を読めるようになって行く。
その能力を発揮するシーンがある。一座の出し物を取り締まろうとやって来た警察官に近づいたスタンは、靴底の減り具合やちょっとした手掛かりから、見事その警察官の心の悩みを解読し、追い返す事に成功する。まるでシャーロック・ホームズ並みの観察眼だ(笑)。
ピートはやがて酒に溺れ、読心術ショーでも失敗するようになっていた。スタンは酒を欲しがるピートにメタノールを渡し、これが原因でピートは死ぬ。
ジーナは、ピートに代わってスタンを相方にする。だがスタンの心はいつしか一座の人気者、モリーの方に移っていた。スタンは、ピートの読心術ノートもこっそり入手していた。
やがてスタンは、ピートのノートを武器に、モリーと二人で読心術で身を立てようと決断し、カーニバルから去って行く。
2年後、スタンはモリーを助手にして、読心術を武器に都会のショービジネス界で成功を収め、高級ホテルで読心術ショーを行うまでになっていた。ある日、ショーの客として現れた心理学博士のリリス・リッター(ケイト・ブランシェット)から、本当に心を読めるならバッグの中身を当ててみよとの挑戦を受け、見事拳銃が入っている事を言い当てる。これも鋭い観察眼によるものである。
これがきっかけでリリスと親しくなったスタンは、リリスが持つ顧客データを読心術ショーに利用しようと考える。リリスは簡単に渡そうとはしないが、スタンは顧客データを収めた部屋の鍵を、リリスの隙をついて巧みに複製し、その中から数人の、亡くなった人にもう一度会いたいと願望するセレブをピックアップし、高額の報酬と引き換えに禁断の降霊術を行おうとするのである。
読心術程度なら、一つのショー、一種の手品みたいなものと言える。だが降霊術となると、死者を悼む人の心につけ込み、弄ぶ悪質な詐欺である。だがそこまでスタンを“悪夢の小路”(ナイトメア・アリー)に追い込んだのは実はリリスなのである。心理学者だけあって、スタンの心の弱みを巧みに突いて彼を心理的に追い込んで行く。
リリスを演じたケイト・ブランシェットが、男を破滅に追いやるファム・ファタールを快演。真っ赤な口紅、フロンドの髪と、1940~50年代にアメリカで盛んに作られたフィルム・ノワールに登場する悪女そのものである。
スタンが読心術を会得していながら、リリスの心を読めなかったとは、まことに皮肉である。
スタンは、亡くなったドリーという女に会いたいと願うグリンドル判事の望みを聞き入れ、モリーに偽のドリーに扮してグリンドルの前に現れるようにとまで命じる。
渋々スタンの要望を受け入れたモリーだが、グリンドルを前にしたモリーは良心が咎め、泣きながら正体をバラしてしまう。そして騙されていた事を知って逆上するグリンドルをスタンは、ボディガード共々殺してしまう。
警察に追われ、救いを求めに駆け込んだリリスにも冷たくあしらわれ、スタンは各地を転々と逃げ回り、奈落への道を転がり落ちて行くのである。
そしてラストシーン、冒頭ではスタンの野望の出発点となった見世物小屋が、ラストでは奈落の底の到達点となる。運命とは皮肉である。
この時、スタンが見せる、何とも言えない、笑っているようにも見える表情が印象的である。
ギリシア悲劇に、オイディプス王の物語がある。ピエール・パオロ・パゾリーニ監督の傑作「アポロンの地獄」として映画化もされている。父を殺し、自分が王となり頂点を極めるが、やがて破滅して行くというストーリーで、“父を殺し、多くの父親的存在をも殺して高みへと上って行くが、やがて破滅に至り地獄に落ちる”スタンはまさにオイディプスそのものである。
元の映画化作品では描かれなかった“父殺し”を意識的に取り入れているのは、本作をギリシア悲劇的“因果応報の物語”とするデル・トロ監督の狙いがあっての事だろう。
なお前回の映画化「悪魔の往く町」のラストでは、獣人となったスタンとモリーが再会するシーンが加えられていた(原作にはない)が、これは当時のヘイズ・コードと呼ばれる内規で、救いのないままで終わる結末は自主規制されていた為である。
こんな安易なハッピー・エンドをデル・トロ監督が採用しなかったのは、前記の狙いから言って当然の事だろう。
これまではB級SF、ホラー的題材(怪物、幽霊、怪獣、半魚人等)を取り上げる事が多かったデル・トロ監督だが、本作ではノワール小説を原作に、人間の底知れぬ欲望の果てに行き着く壮大な悲劇のドラマを描き、新境地を開いたと言えるだろう。しかし“欲望に駆られた人間こそが怪物なのだ”というテーマは、やはりデル・トロ的世界ではある。
次回監督作はなんとディズニー映画でもお馴染み「ピノッキオ」。コマ撮り人形アニメで、今年12月にNetflixで配信するそうだ。当然一筋縄で行くわけがない。どんな映画になるか楽しみである。
(採点=★★★★☆)
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コメント
見事なノワールを堪能した。クーパー、マーラ、ブランシェットなど出演者も魅力的だった。クーパーは悲劇が似合う。たまには、特攻野郎Aチームみたいな役も見てみたい。
投稿: 自称歴史家 | 2022年4月 6日 (水) 07:39
面白かったです。
ギレルモ・デル・トロ監督にしては珍しく超自然的描写はありません。
1946年に発表された原作に忠実だったんですね。
前半のカーニバルの怪しいムード、後半のノワール的展開が面白かったです。
主人公のブラッドリー・クーパー始め、ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ、トニ・コレットといった俳優陣は好演しています。
常連のロン・パールマンももちらん出ています。
ボディガード役で良く見るコワモテ俳優が出ていてホルト・マッキャラニーという人でした。
最近では「キャッシュトラック」に重要な役で出演していました。
メアリー・スティーンバージェン久々に見ました。さすがに老けましたね。
ちょっと2時間半は長いですが、なかなか面白かったです。
投稿: きさ | 2022年4月 7日 (木) 11:54
◆自称歴史家さん
ブラッドリー・クーパー、日本で注目され始めた頃はハチャメチャ・コメディ「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」(2009)とか、お書きの「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」(2010)とかの軽いコメディやアクションによく出てたのですが、最近はシブい演技派俳優として悲劇的な作品が増えて来ましたね。私もたまには軽いアクションも見てみたいです。個人的には「ハングオーバー」新作希望。
◆きささん
あのボディガード役の俳優、最近よく見かけますが、本作の紹介記事にはどれにも名前がなかったので誰かなと思ってました。ホルト・マッキャラニーというのですか。覚えておきましょう。ありがとうございました。
投稿: Kei(管理人 ) | 2022年4月17日 (日) 11:49