「死刑にいたる病」
(物語)鬱屈した日々を送る大学生・ 筧井雅也(岡田健史)のもとに、世間を震撼させた連続殺人事件の犯人・ 榛村大和(阿部サダヲ)から1通の手紙が届く。24件の殺人容疑で逮捕され、そのうちの9件の事件で立件・起訴、死刑判決を受けた榛村は、犯行当時、雅也の地元でパン屋を営んでおり、中学生だった雅也もよく店を訪れていた。手紙の中で、榛村は自身の罪を認めたものの、最後の事件は冤罪だと訴え、犯人が他にいることを証明して欲しいと雅也に依頼する。そんな榛村の願いを聞き入れ、雅也は事件を独自に調べ始めるが…。
白石和彌監督は、長編デビュー2作目の「凶悪」(2013)を観て感動し、一遍にファンになった。以後も優れた作品を連発し、今や日本映画界のエースになった感がある。どの作品もハズレがない。
その白石監督の新作が本作。サイコキラーが主人公のサスペンスというだけでも白石監督らしいチョイスである。期待して観に行った。
(以下ネタバレあり)
出だしは悪くない。ある大学生の元に24件の殺人容疑で逮捕され、死刑判決を受けた男・榛村から手紙が来て、最後の事件は冤罪だ、真犯人を探して欲しいと大学生の雅也に依頼する。雅也は独自に真犯人探しに動き始める。
いかにも謎解き探偵ミステリー・タッチの出だしに最初はワクワクした。誰もが思いつくように、これはジョナサン・デミ監督の傑作サスペンス「羊たちの沈黙」を巧みになぞっている。
逮捕されている連続殺人鬼ハンニバル・レクター博士と、彼と対峙する若きFBI訓練生クラリスの関係(クラリスがレクターに遠隔で操られている)が、本作の榛村と雅也にうまく応用されている。これは面白くなるのでは、と思った。
…のだが、観ているうちにいろんな疑問が起きて来て期待感が萎んで行き、終盤に至って、こりゃダメだ、と思うようになった。期待外れである。
まず雅也のキャラクター設定が疑問。目指す大学に入れず、三流大学に入って鬱屈した日々を送っており、陰気で人付き合いもなく友人もいない。
そんな若者が、猟奇連続殺人犯から1通の手紙が来て、刑務所の犯人に会いに行ったりするだろうか。普通の人間なら気味悪くて破り捨てるか、無視するだろう。何故榛村に会う気になったのか、その理由付けが曖昧。
さらに榛村から、起訴された中に冤罪事件があるから調べて欲しいなんて依頼を受けて、なんで引き受けるのか、その理由も不明。「なんで俺がそんな事しなくちゃいけない!」と怒り出すのが普通だろう。
榛村が雅也に依頼した理由は後で徐々に判って来るのだが、雅也がそんな突飛な依頼を引き受けない、無視する可能性の方が遥かに高い。だいたい二人の関係は単に雅也が榛村のパン屋によく行っていたというだけなのだから。ここは雅也が引き受けるだろうと榛村が確信した理由を設けておくべき。
そして依頼を受けた雅也が、榛村の弁護士の所に行き、事件の資料をスマホで写し取ったり、勝手に弁護士事務所の名刺を作って関係者に接触したりと、当初の雅也の性格とはまるで異なる積極的な行動ぶりには面食らった。それならせめて雅也のキャラを、「屍人荘の殺人」の主人公たちのようにミステリー好きの好奇心旺盛な大学生くらいに設定しておけばよかったのでは。
榛村の弁護士が、法曹関係者でも警察関係者でもなく、榛村の身内でもない一般人の雅也に事件資料を見せたり、写真に撮らせたりする事も常識ではあり得ないだろう。
その他でもツッ込みどころがいっぱい。
栃木県の小さな町で20人以上もの同年齢の行方不明者が出れば大騒ぎになったり、警察が県警本部まで動員して大々的な捜査を行うだろうとか。榛村がパン屋を経営してるのなら、多数の若い男女に映画館その他で接触するような時間などとても取れないだろうとか(後片付けだけで深夜になる)。
榛村が冤罪だという 根津かおる殺害容疑も、単に 金山一輝(岩田剛典)という男が「現場近くで榛村を見た」という証言だけというのはおかしい。ちゃんと殺人を裏付ける証拠がなければ立件・起訴なんて出来ないだろう。被害者が24人いて、起訴されたのが最後の根津かおるを除いて8人だけなのは、他の16人に対する裏付けが出来なかったわけだから。
後半になって、次々とどんでん返しが起きるのはミステリーの常道だが、「なんでわざわざそんな回りくどい事を」みたいなのがあって素直にのめり込めない。ラストのどんでん返しなんてとって付けたよう。
結局これは、原作が悪いのか、脚色に当って原作にある重要な箇所をカットしたせいなのか、登場人物の行動心理に説得力が欠けたり、「なんで?」と思うシーンが多かったりでガッカリの出来だった。脚本が秀作「そこのみにて光輝く」の高田亮だから余計ガッカリだ。
無論、いくつか良い所もある。榛村に扮する阿部サダヲが、人の良さそうな表情の裏に、底知れぬ狂気を秘めているサイコキラーを絶妙の巧演。ほとんどまばたきしない虚ろな眼はゾッとさせられる。
雅也に扮する岡田健史もなかなかの好演。榛村と接するうちにいつの間にか榛村の術中に嵌まり、内面に秘めた凶暴性が徐々に現れて来る辺りは出色である。
榛村と雅也が、面会室のアクリル板越しに対決するシーンの演出も素晴らしい。アクリル板に反射する顔と向こう側の顔がオーバーラップするシーンや、一方の手がアクリル板をすり抜けて触れ合うシュールなカットは絶妙。これらは雅也が榛村にいつの間にか操られていた事を示す名シーンと言えよう。
ただ、アクリル板越しに両者の顔がオーバーラップする描写は、黒澤明監督「天国と地獄」以来、いろんな映画で既に使われている手法ではある。是枝裕和監督「三度目の殺人」や最近の「マイスモールランド」でも効果的に使われていた。
そして思い出したのだが、白石監督の出世作「凶悪」も、主人公の元に死刑囚から手紙が来て、死刑囚の依頼に応じて主人公が調査に動き出すというのが物語の発端で、これ、本作の出だしとそっくりである。それで白石監督が「これはオレの映画だ」と思って監督する気になったのかも知れない。逆に原作者が「凶悪」を観て本作のヒントにしたのかも知れないが。
そう思えば、グロい犯行描写も含めて、いかにも白石監督らしい作品とは言えるだろう。
というわけで、少々辛口の評価になったが、これは白石監督に寄せる期待感が大きい故の反動で、並みの日本映画と比べれば、まずまず良く出来た方の作品ではある。少々の難点に眼を瞑れば十分楽しめる作品に仕上がっている。 (採点=★★★☆)
(付記1)
1点、疑問に思うシーンがある。何度も出て来る面会室のアクリル板に、通常の面会室には必ずある、会話する為の小さな穴が開いた丸い小窓がどのシーンにも設置されていない。これがないと声が聞き取れずアクリル板越しに会話が出来ないはず。アクリル板に顔が反射するシーンが多いので、演出効果上邪魔だと取っ払わせたのかも知れないが、これはリアリティがなさ過ぎる。最低限のリアリティは守るべきだろう。
(付記2)
観終わってから、もう1作思い出した映画がある。
アガサ・クリスティ原作、ビリー・ワイルダー監督の「情婦」である。
主人公の弁護士(チャールズ・ロートン)が、殺人の罪で起訴された男(タイロン・パワー)に、事件は冤罪だから調べてくれと依頼され、
(以下未見の方の為に隠す)
弁護士の努力で見事裁判で冤罪を立証するが、裁判終了後に、実はやっぱりこの男が犯人だった事が判明し、さらにもう一度どんでん返しがあって…
…という展開で、冤罪を晴らしてくれと依頼された人物が調査を開始し、一度は冤罪だと判明したのが実は、というどんでん返しに、ラストにさらにどんでん返しがあって、という物語構成が本作とそっくりだ。
原作者、多分この名作にインスパイアされているフシが窺える。「羊たちの沈黙」といい、原作者、洋画ミステリー・ファンなのかも知れない。
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コメント
この作品の感想は2021年日本映画のベストテンに書きましたので、よろしければそちらを読んで下さい。ケイ様の感想はそうですかと思います。僕は感想は例え短くても映画の見所が語れていればそれで良いとお思います。面会室のアクリル版越しは違和感が有りました。ちゃちなのと、撮影出来るようになってるなと思いました。同級生の加納灯里が雅也にあなただったら理解してくれると榛村に言われたから近づいたと言う場面が有るが、その意味がよく理解できなかった。根津かおるの殺害場面は流石に白石演出だが、彼女の足の皮膚が破れ筋肉が露出しており、見るに耐えられなかった。根津かおる役は佐藤玲で僕の好きな映画「曇天街」の笠松将とW主演の人です。
投稿: 広い世界は | 2022年5月23日 (月) 17:53
加納灯里の件は理解できました。映画に描かれていました。榛村と交流していたのと、灯里は榛村の犠牲に成る予定の人でした。榛村の殺人は只の殺人ではなくて快楽殺人ですので、加害者被害者に成る資格が必要です。榛村はそれを考えて被害者を選んでいます。灯里はその資格を満たしている人です。つまり、「わたしだったら、好きな人の体の一部を持っていたい気持ちが分かる」そう言う女の子です。雅也(岡田健史)の彼女になったのは偶然では有りません。必然です。映画では雅也(岡田健史)は榛村の子ではないことになっていますが、色んな理由から榛村の子だと僕は思います。雅也が一番怖い存在になっていくでしょう。雅也が榛村のDNAを受け継いで殺人鬼になる。
投稿: 広い世界は | 2022年6月 2日 (木) 10:28
「流浪の月」面白かったです。役者陣良かったです。プロフェショナルな仕事をしています。特に驚いたのは横浜流星の演技は素晴らしいです。
投稿: 広い世界は | 2022年6月 3日 (金) 13:36