田中絹代“監督”特集
大阪・九条の名画座、シネ・ヌーヴォで本年5月に開催された「田中絹代~女優として監督として」と題する特集上映に行って来た(期間:5月14日~27日)。
開催されて2ヶ月半くらいになるが、まとめて書こうと思いながらいろいろと身の回りが忙しくてなかなかアップ出来なかった。
やっと余裕が出来て来たので、少し遅くなったが上映作品の感想を書く事とする。
田中絹代と言えば、戦前から活躍していた、昭和を代表する名女優である。「愛染かつら」等の一世を風靡したメロドラマから、戦後は小津安二郎(「風の中の牝鶏」「宗像姉妹」「彼岸花」)、溝口健二(「西鶴一代女」「雨月物語」「山椒太夫」)、成瀬巳喜男(「おかあさん」「流れる」他)、木下惠介(「楢山節考」)、市川崑(「おとうと」)と名匠、巨匠の映画史に残る名作に出演し、没後は毎日映画コンクールの一部門「田中絹代賞」に名を遺すなど、女優としての活躍ぶりは目を瞠るものがある。まさに大女優と言っていいだろう。
だが意外と知られていないのが、田中絹代は映画監督としてもかなりの作品を撮っている点である。私自身、上記の田中絹代出演作品は全部観ているが、監督作品は実は1本も観ていなかった。
ただ、田中絹代監督作品はテレビでも(有料チャンネルは除いて)、名画座でもほとんど放映、上映されていない事もあるのだが。
今回の特集では、田中絹代が監督した6作品のうち、5作品がまとめて上映され、うち4本を今回観る事が出来た。
1953年・新東宝
製作:永島一朗
監督:田中絹代
原作:丹羽文雄
脚本:木下惠介
撮影:鈴木博
音楽: 斎藤一郎
助監督:石井輝男
第1回監督作である。脚本を木下惠介が書いた他、小津安二郎、成瀬巳喜男などの名匠がスタッフ選定等に全面的に協力した。
物語は、戦後復員した礼吉(森雅之)が、行方の知れない最愛の人道子(久我美子)を探すが見つからず、生活の為に戦友山路(宇野重吉)の世話で、戦後駐留した米兵の相手をした女たち(いわゆるパンパン)がアメリカに帰った米兵宛てに出す英文による恋文の代筆業をする傍ら、道子の行方を探す。だがある日、その恋文代筆を依頼に来た女の一人が探し求めた道子だった事を知って礼吉は衝撃を受け、道子への愛と憎しみに悶え苦しむというお話。
実は道子はパンパンをやっていた訳ではなく、親切な米士官と生活を共にしていただけなのだが、礼吉の怒りと誤解は解けず、悲しんだ道子は半ば自殺のように車に飛び込んでしまう。その事を知らされた礼吉はやっと道子は自分にとってかけがえのない人だと思い知り、道子の命が助かるよう祈りながら病院に向かう所で物語は終わる。
戦後まだ8年、戦争の深い傷跡と男と女の愛を描いてなかなか印象深い作品に仕上がっている。パンパンに身を落とした女たちに寄せる憐憫の情はさすが女性監督らしい目線である。
面白いのは、銀座、渋谷、新宿駅等の当時の東京の風景をロケーションで丹念に撮影している点で、田中監督は特にロケーションにこだわっているようである。これらは当時の東京を知る貴重な資料だと言える。明治神宮の森で礼吉と道子が会うシーンではスモークを焚いた、幻想的な映像になっている。
そして見どころは田中の第1回監督作への御祝儀で多くの著名俳優が賛助出演しているシーンで、久保菜穂子、月丘夢路、沢村貞子、香川京子、夏川静江、中北千枝子といった女優たちが短いながらも出演、さらにほんの通行人みたいな役で笠智衆がワンカット出演したり、おまけで木下惠介監督が写真屋の役で登場するなど、まあ賑やかな事。田中絹代が多くの俳優、監督に愛されている証拠でもある。
監督デビュー作としてはまずまずの成功作と言えるだろう。
(採点=★★★☆)
1955年・日活
企画:日本映画監督協会
製作:児井英生
監督:田中絹代
脚本:斎藤良輔、小津安二郎
撮影:峰重義
音楽:斎藤高順
助監督:斉藤武市
監督2作目。元々は小津安二郎が監督するつもりで斎藤良輔と共同で脚本を書いたが実現せず、田中絹代に譲ったものである。
冒頭、おおっと唸るのは、奈良の寺や街並み、奈良公園の鹿、そして屋内など、人物がいない風景描写を積み重ねるショットで、明らかに小津監督作品からの影響が見て取れる。音楽も小津作品常連の斎藤高順で、これまた小津作品を思わせる曲調。
物語は、戦争で奈良へ疎開したまま、そこに住みついた浅井家の三人の姉妹の結婚話を巡ってちょっとした騒動が巻き起こるというもので、前作とは打って変わって、コミカルなタッチの作品に仕上がっている。
長女千鶴(山根寿子)はしとやかな戦争未亡人、次女の綾子(杉葉子)はおっとり型、そして三女の節子(北原三枝)が行動的でやんちゃ型と性格の描き分けが面白い。
三姉妹の父・茂吉を演じているのが笠智衆で、娘たちに良い嫁ぎ先が見つかるよう気をもむ辺りも小津作品「晩春」を思わせる。
千鶴の亡夫の弟で、失職したまま寺での間借り生活をしている昌二(安井昌二)と節子は恋仲なのだが、節子が何でも気軽に昌二に相談するシーンや二人の会話ぶりはまるで兄妹のようである。
ある日、昌二の旧友の電気技師・雨宮(三島耕)が東京から出張して来てしばらく奈良に泊まる事になるのだが、雨宮が綾子の少女時代をよく覚えている事を知った節子は、昌二と共謀してなんとか雨宮と綾子を結びつけようとあの手この手の策を講じる。
この作戦がなんともユーモラスで笑える。二人にそれぞれ偽の電話をかけて同じ場所に呼び出し、無理やり会わせようとする。その二人を昌二と節子が物陰に隠れながら尾行し、見つかりそうになってアタフタするシーンには大笑い。
綾子に成りすました賄い婆やの米や(田中絹代)に節子が口伝で偽の電話の内容を伝えるシーンで、米やがつい関西弁となるのでその都度節子がダメ出しする辺りも可笑しい。田中絹代のトボけた演技が見られるのもお楽しみ。
そうした節子たちの奮闘もあって、やっと雨宮と綾子の間に愛が生まれる。夜の公園で二人が月を眺め合うシーンが印象的。
さて次は昌二と節子の恋の行方となるが、欲のない昌二がせっかく決まった就職を、母を抱え生活に困っている友人に譲ってしまった事で二人は大喧嘩となる。他人の事より自分たちの生活が大事と思う節子には昌二の心が理解出来ない。
まあ何やかやあって、最後は昌二の新しい仕事も決まり、今度は昌二と節子たちの方が周りの人たちのお膳立てでヨリを戻す結果となる。ついでに千鶴の再婚話もまとまって、三姉妹とも目出度く結婚が成就するハッピーエンドで映画は終わる。
監督業も2作目となって、田中演出は肩の力が抜けて緩急自在、いろいろ遊ぶ余裕すら窺え、4作観た中では一番楽しめる作品になっている。
出演者では節子を演じた北原三枝が溌溂とした快演。役名をそのまま芸名にした新人安井昌二も、映画デビュー作とは思えないほど軽妙な名演技を見せる。
なお女中役で小田切みきが出演しているが、本作での共演のおかげか小田切と安井は後に結婚、娘・四方晴美が生まれたのはご承知の通り。
ちなみに本作は2021年のカンヌ映画祭で上映されて絶賛を浴び、以後欧米各国で田中絹代監督作品の特集上映が行われる等、近年再評価が高まっている。 (採点=★★★★☆)
1955年・日活
製作:児井英生、 坂上静翁
監督:田中絹代
原作:若月彰、中城ふみ子
脚本:田中澄江
撮影:藤岡粂信
音楽:斎藤高順
監督3作目。これは乳癌で早逝した女性歌人・中城ふみ子の短い生涯を描いた実話もので、原作を読んだ田中絹代が映画化を積極的に望み実現した企画である。
中城ふみ子の歌集「乳房喪失」と、彼女の死後に新聞記者・若月彰によって書かれた評伝「乳房よ永遠なれ:薄幸の歌人中城ふみ子」がベースとなっている。二人をモデルにした下城ふみ子と大月章を月丘夢路と葉山良二がそれぞれ演じている。
ふみ子は夫・安西茂(織本順吉)の横暴な性格に耐え切れず、夫と別れて二児を抱え実家に戻る。友人の夫の歌人・森卓(森雅之)の誘いもあって北海タイムスの記者・山上(安部徹)の家で催される短歌の集いに参加し、勧められるままに詠んだ短歌が評価され、少しづつ歌人として認められて行くようになる。しかし長男の元夫への親権譲渡、恩人森の急死、ふみ子の乳癌による入院、手術による乳房切除、と悲しい出来事が続く中で、ふみ子は気丈に振る舞いながら短歌を詠み続け、歌人としても有名になって行く。しかし病魔は遂にふみ子の命を奪って行く。
という、いわゆる実話難病ものだが、さすが女性監督、田中の演出は男優位の社会的風潮の中で、悲劇に見舞われながらも積極的に生き、愛を求め、自立して行く女性像をくっきりと描き切っている。女の命、乳房が切り取られる悲しみもきちんと女性目線から描かれている。
田中監督自身、「女の立場から女を描いてみたい」と語っている。その意図は十分に作品に反映されていると言っていいだろう。
ふみ子を演じた月丘夢路が鬼気迫る熱演。彼女の恋人となる新聞記者・葉山良二も好演。ふみ子の夫を演じた織本順吉、若い(笑)。
原作・脚本・監督・主演がすべて女性という点も含めて、これはまさに田中監督の言う「女性の立場から描かれた女性映画」の秀作と言えるだろう。(採点=★★★★)
1961年・東京映画
配給:東宝
製作:永島一朗、椎野英之
監督:田中絹代
原作:梁雅子
脚色:田中澄江
撮影:中井朝一
音楽:林光
最後は、これまた題名通り、女性たちをメインにした女性映画。原作・脚色・監督・主演がすべて女性と言う点でも前作と共通する。
昭和33年の売春防止法施行により職を失った、夜の女たちのその後の人生を描いた作品である。
こうした“赤線廃止後の女性たち”を描いた作品は、その後にも多く作られているが、ユニークなのは「白菊婦人寮」という更生施設がメインに置かれている点。
この施設に収容された女性たちが、一般社会に順応しようと努力を重ねる姿が丹念に描かれている。
主人公邦子(原知佐子)は、模範生として食料品店に就職するが、ふとした事から過去を知られ、主人の妻から壮絶な差別、苛めを受けてまた施設に舞い戻ってしまう。次の職場では前の勤め先での経験に凝りて過去を打ち明けたら、今度は職場の女工たちが体を売っていて、反抗した事からリンチを受けてしまう。三度目の職場・バラ園では園芸技師の早川(夏木陽介)が彼女の前身を知りながら、彼女を愛してくれ、結婚の約束までするが、早川の郷里の母に、体を売っていたような女とは結婚させられないと反対され、またしても夢は打ち砕かれてしまう。
…という、世間の風の冷たさに絶望しながらも、それでも懸命に生きる女性の姿を田中監督は愛情と厳しさに満ちた視点で描いている。
面白いのは、邦子を迫害するのも多くが女性である点で、決して男=悪、女=善、というような単純な描き方はしていない。最初の勤め先の食料品店でも、亭主は温厚なのに妻(中北千枝子)がネチネチと苛めるし、二番目の職場でも、女工たちの方が体を売っていて、邦子の方が真面目という、外から見た目とは逆の事が起きている。そして彼女と結婚しようとする早川の意志を挫くのも彼の母親なのだ。
女性監督だからと言って、女に甘い訳ではない、むしろ女性監督だからこそ、女性の身勝手さ、汚さ、甘えの構造にも鋭い視線を向けて冷徹に見据える事が出来るのだろう。まあこれは脚本の田中澄江の力も大きいとも言えるのだが。
出演者では、やはり邦子を演じた原知佐子がいい。その他淡島千景、香川京子、沢村貞子、千石規子、春川ますみといった名だたる名優たちが豪華共演しているのも見どころ。
しかし中でも出色は亀寿という名の最年長元売春婦を演じた浪花千栄子。おさげ髪姿で、寮の同房者にレズを強要したり、奇矯な行動をしたりの怪演ぶりで強烈な印象を残す。田中絹代監督のキャスティングに応えたとは言え、よくまあこんな浪花のイメージぶち壊すような役柄を演じたものだ。エラい。
ラスト、邦子はやっとある仕事を見つけ、安住の地を得るのだが、ここはそれまでの過酷な物語の流れに比べ、ちょっと甘い気がする。でも観客としてはホッとさせられたので、まあいいか。
(採点=★★★☆)
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今でこそ女性映画監督は西川美和、河瀬直美、タナダユキ、安藤桃子とベストテン級の監督が次々登場しているが、田中絹代が監督するまでは女性映画監督はほとんどいなかった。戦前に女性映画監督第1号と言われた坂根田鶴子がいるくらいである。
そんな男性優位社会の中で、映画女優として活躍する一方で、果敢に映画監督に挑戦し、見事な成果を上げて女性映画監督の道を切り拓いた田中絹代の功績は賞賛に値する。“本格的な劇映画分野の女性監督第1号”とも言われている。
監督業と並行しながら多くの映画にも出演し、この間に「山椒太夫」(1954)、「異母兄弟」(1957・家城巳代治監督)、「楢山節考」(1958)、「彼岸花」(1958)、「おとうと」(1960)等の名作に出演し、存在感を示している。まさに二刀流だ(笑)。
監督作は計6本、残念ながら1962年の「お吟さま」を最後に、以後監督作品はない。もっと監督業を続けて欲しかったが、女優としても引く手あまたの中で、ハードな監督業を継続するのは並大抵の事ではなかっただろう。そんな中で、よく6本も作れたと思う。凄い事だ。
田中絹代監督作品は、海外でも再評価の気運が高まっているという。是非我が国でも、テレビ、劇場も含めてもっと大規模な形で、映画監督・田中絹代の再評価を行っていただく事を期待したい。
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