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2022年10月23日 (日)

「もっと超越した所へ。」

Mottochouetsusitatokorohe 2022年・日本   119分
製作:カルチュア・エンタテインメント
配給:ハピネットファントム・スタジオ
監督:山岸聖太
原作:根本宗子
脚本:根本宗子
撮影:ナカムラユーキ
音楽:王舟
製作:中西一雄、小西啓介、石井毅、久保田修
プロデューサー:近藤多聞、遠藤里紗

4組のカップルの恋愛模様を描くちょっと変わった味わいの人間ドラマ。劇団・月刊「根本宗子」を主宰する気鋭の劇作家・根本宗子が脚本・演出を手がけた2015年上演の同名舞台を、根本自ら映画用に脚本を改稿して映画化。監督は「傷だらけの悪魔」の山岸聖太。出演は「旅のおわり世界のはじまり」の前田敦子、「Sexy Zone」の菊池風磨、「生きてるだけで、愛。」の趣里、「スマホを落としただけなのに」の千葉雄大、「サマーフィルムにのって」の伊藤万理華、ロックバンド「OKAMOTO’S」のオカモトレイジ、「いとみち」の黒川芽以、「大綱引の恋」の三浦貴大。

(物語)2020年。衣装デザイナー・真知子(前田敦子)はバンドマン志望の怜人(菊池風磨)と、元子役のバラエティタレント・鈴(趣里)はかわいい顔をしてるがオネエ男の富(千葉雄大)と、金髪ギャル・美和(伊藤万理華)はハイテンションなフリーター・泰造(オカモトレイジ)と、そして風俗嬢・七瀬(黒川芽以)は元子役で今は売れない俳優の慎太郎(三浦貴大)と、それぞれ付き合っており、彼女たちはクズ男に不満を感じつつも、それなりに幸せな日々を過ごしていた。だが彼女たちに甘えた男たちは増長し、遂にある日、女たちの怒りが爆発する…。

変わった題名の映画である。哲学的とも言える。題名だけではどんな映画か分からない。舞台劇の映画化だそうだが、その原作・脚本を書いた根本宗子なる人物は、自分で劇団・月刊「根本宗子」を主宰し、岸田國士戯曲賞の最終候補に4度も選出されたという気鋭の劇作家だそうで、本作も2015年に下北沢のザ・スズナリで上演され人気を博したという。

劇団名に自分の名前を付けるのも(しかも「月刊」(笑))変わっている。出演者も個性的な顔ぶれが揃っているし、ちょっと興味が沸いて観る事にした。

(以下ネタバレあり)

物語は2020年の1月から始まる。4人の女たちの日常描写が描かれるが、共通しているのはいずれも出だしに“米”が絡んでいる。スーパーで重い米を買った真知子はバンドマン志望の怜人に米を家まで運んで貰う。鈴は大きなガラス瓶にお米を移し替えている。美和はパックのご飯を温めているし、七瀬はラップに包んだおにぎりを仕事の合間に食べている。
この“米”は物語の最後にも生きて来る。

4人の間に交流はなさそうで、4つの別々の物語が並行して描かれる。面白いのは、女たちはいずれも手に仕事を持ち、自宅があり、物語は女たちの居住する住まい(風俗嬢の七瀬のみ仕事場の個室)からほとんど出る事なく進行して行く。これは元が舞台劇という事もあるのだろう。

一方で男たちはいずれも、ちゃんとした仕事に付いておらず、かついずれも女たちの家(部屋)に転がり込んだり、入り浸っている。怜人はバンドマンを目指しているものの、ライブ配信で僅かな収入を得ているだけだし、富は金持ちの父親の会社で働いているし、泰造はフリーターだし、慎太郎は映画のエキストラ役でかろうじて糊口をしのいでいる。
揃いも揃ってダメなクズ男ばかりである。女たちがしっかりしているのとは対照的である。これは作者が女性という事もあるのだろうが。

脚本がよく出来ていると思えるのは、8人の登場人物たちの性格、考え方、価値観等が丁寧に描き分けられている点で、そこから次第に男と女の考え方のズレが綻びとなって、修復できない所まで行き、やがては破局を迎えるに至る、その流れが自然で無理がない。よほど脚本を練りに練っている事が窺える。

ちょっとした言葉の行き違い、男の甘え、見栄などが会話の端々からつい漏れて来る、その呼吸が実に見事である。

特に秀逸なのが三浦貴大演じる慎太郎のキャラクターで、子役の時に売れて以来、大人になっても自分は俳優としての資質があると思い込んでおり、現実にはエキストラ役しか回って来ないのに、いつか見返してやるという妙なプライドが邪魔して、それが七瀬に対する強がりとして現れている。
それでも七瀬はそんな慎太郎を励まし、彼がエキストラで出ている映画を見て喜んでいるのだが、それを聞いた慎太郎はバカにされていると誤解し怒る。本当にクズだ。

映画は時間が進んで3月14日のホワイトデーとなるが、この頃には新型コロナウイルスが蔓延していて、みんなマスクをしている。物語とはあまり関係がないのだが、時の変わり目ごとに画面に映し出されるデジタル置時計の表示(2020年3月)上、これは仕方ないだろう。

その後、このデジタル時計が急速に逆回転して、時制は2年前の2018年に戻るのだが、この時には4組のカップルの組み合わせが現在とはみんな入れ違っているのが面白い。
組み合わせが異なっても、やはり4組8人の顔ぶれが同じというのは現実にはあり得ないのだが(この世界に人間はこの8人しかいないのか(笑))、これはこの物語が、現実を超越したファンタジーである事を示唆しているのだろう。それはラストに判明する。ここで、今まで関係がなさそうに思えた4組が、実はいろいろと繋がっていた事が判明する辺りもうまい。
また、“時計の逆回転”がラストのオチの伏線にもなっている。

2年前にも、この男女4組は破局している。だから一旦別れて、今のカップルになっている。また破局するのは時間の問題だと観客も薄々感づく仕掛けだ。

時間は現在に戻って、感情の行き違いは益々顕著となり、女たちは男のダメさに愛想をつかし、ほとんど同時期に「出て行って!」と怒鳴る事となる。

面白いのは、美和が泰造のバッグを外に放り出したカットの直後、もう一人の男がカバンをドサッと降ろすカットに繋がる編集のタイミングで、岡本喜八監督作品でお馴染みのジャンプカットを思わせる。
その後、4人の男たちが部屋を出て行くシーンで、画面が縦に4分割され、4人が同じようなアングルと動きとなるのも面白い。山岸聖太監督、なかなかやってくれる。

男を追い出して一人になった女たちは、ふと追い出した事を後悔し始める。クズ男には違いないけれど、浮気した訳でもないし、金をせびる事もしないし、揉めても暴力をふるった事もない。ダメな所もあるけれど、いい所も探せばあるだろう。そもそも完璧な人間なんてこの世にいるわけがない。自分にだって悪い所はあるかも知れない…。

一人だけで生きて行くのは味気ない。ダメな困った男でも、傍にいてくれれば心強い時もある。
これは、我々だって思い当たる事である。人はやはり、孤独では生きて行けないのである。“重いお米”がここで生きて来る辺りも秀逸。

ここからラストまでの15分は、驚天動地のサプライズな展開となる。ネタバレになるのでここでは書けない。さすが、元が舞台劇だけの事はある。まさに超越した展開である。

このラストには違和感を感じる人もいるかも知れない。それまでリアルな物語進行だっただけに、なんだこれはと思った人も多いだろう。
だが私には面白かった。上に書いたように、巧みに仕込まれたファンタジー的伏線がここで生きて来るのである。

このラスト、ちょっと深作欣二監督の「蒲田行進曲」のエンディングを思い出した。ハッピーエンドで終わったその直後…。ちなみにこの作品もつかこうへいの舞台劇の映画化作品である。根本宗子さん、もしかしたらこの作品にヒントを得たのかも。


観終わって、いい気持ちになれた。人間って、面倒でややこしいけれど、それでも愛おしい存在である。優しい気持ちになって許し合えば、幸せな人生を送れるかも知れない。素敵な人間賛歌の物語である。

偶然だけれど、先日観た「四畳半タイムマシンブルース」舞台劇の映画化で、やはり時間を逆…ここまでにしておこう。この2本がほぼ同時期に公開されたのも、不思議な縁と言えよう。

8人の俳優がそれぞれ役柄を自分のものにして巧演。特に菊池風磨、オカモトレイジは本職の役者でもないのに自然な演技で物語に溶け込んでいたのは山岸監督の演技指導による所が大きいのかも知れない。

山岸聖太監督、今まで知らなかったけれど、なかなかケレン味のある演出で楽しませてくれる。本作は根本宗子の脚本による所が大きいとは思うので、真価は次回作で問われるだろう。今後が楽しみである。 (採点=★★★★☆

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