「線は、僕を描く」
(物語)大学生の青山霜介(横浜流星)はアルバイト先の絵画展設営現場で、白と黒だけで表現された水墨画に目を奪われる。イベントの後、霜介は水墨画界の巨匠・篠田湖山(三浦友和)に「弟子にならないか」と声をかけられ驚く。とりあえずは生徒として水墨画を学び始めた霜介は、筆で描かれる線のみで繊細かつ迫力のある絵が生み出される水墨画の世界に次第に魅了されて行く。湖山の孫である篠田千瑛(清原果耶)や、湖山の身の回りの世話をする西濱(江口洋介)らと共に生活しながら水墨画に打ち込む霜介。そうするうちに、喪失感を抱え止まっていた彼の時間が動き出す…。
小泉監督は、2006年公開の長編デビュー作「タイヨウのうた」(若干25歳!)以来のお気に入り監督で、監督作は「ちはやふる
-結び-」以来4年ぶりとなるので、待ち焦がれていた。
本作のテーマは、水墨画。珍しい題材である。砥上裕將氏による原作は第59回メフィスト賞、2019年TBS「王様のブランチ」BOOK大賞をそれぞれ受賞した他、2020年の本屋大賞でも第3位に入賞する等、高い評価を得ている。
この原作を、「ちはやふる」三部作を大ヒットさせた北島直明プロデューサーが、再び小泉徳宏監督と組んで映画化したのが本作である。
今回も「ちはやふる」の百人一首カルタと同様、日本古来の伝統芸を題材に取り上げている。
もっとも、あちらが記憶力と運動神経、瞬発力が要求される競技であり、スポーツに近い部活青春映画の王道エンタメであったのに対し、こちらの水墨画はかなり地味な、エンタメ要素の薄いアートの世界である。だから「ちはやふる」の感動を期待してはいけない。
こんな渋い、地味な伝統芸術を題材にして、それを若者を主人公にして面白い作品になるのか、ちょっと不安になったのは確かである。
…だが、観終わって感動した。「ちはやふる」とはまた違った切り口で、優れた楽しめる作品になっていた。小泉徳宏監督、さすがである。
(以下ネタバレあり)
冒頭いきなり、横浜流星扮する主人公・霜介のアップから始まる。何かをじっと見つめ、やがて涙を流す。その視線の先にあるのは、どこかの寺で開催の絵画展会場に設置された、椿の花の水墨画である。作者の名前は千瑛とある。
よほど見事な水墨画に感動したのかと思ってしまうが、実は別の理由があった事が後に判る。
霜介は親友の古前巧(細田佳央太)から、いいアルバイトがあると誘われ、この展示会の設営を手伝う事になったという訳だ。搬入の指揮を執るのは西濱という、なかなかテキパキとよく動く男。気さくな西濱と霜介は親しくなる。
休憩時間に、弁当を食べていいと言われ、食堂でアルバイト分とされた弁当を選んでいると、そこに現れた老人が、手を汚してしまった霜介にハンカチを貸してくれたり、来客用の豪華な弁当を渡してくれたりする。後でこの老人が、水墨画の巨匠・篠田湖山だった事を霜介は知る。
こうした描写の積み重ねで、西濱や篠田湖山等の人物像や性格を簡潔かつ的確に観客に伝える演出は、さすが小泉監督、うまい。
やがて、巨大な白紙の衝立に対しての、湖山の水墨画作成の実演が始まるのだが、この作画シークェンスが圧巻である。
墨をつけた太い筆を素早く走らせ、真っ白な紙に画が描かれて行く。カメラは縦横に動き回り、湖山がまたたく間に画を完成させて行く姿を、短いカットの積み重ねでダイナミックに捉える。また湖山に扮する三浦友和自身が本当に水墨画を描いて行くカットも交えており、その見事な筆さばきに圧倒される。音楽もアップテンポで(担当は「ちはやふる」と同じ横山克)、観ているこちらも心が躍る。「ちはやふる」の競技カルタ・シーンのテンポいいカメラワークを彷彿とさせる見事な演出だ。さすが小泉監督!。
画が完成し、その全体像が映し出されるシーンでは感動し、思わず涙がこぼれてしまった。
地味で静かな佇まいの画という水墨画のイメージは覆され、「ちはやふる」の競技カルタと同様、観客はその躍動感溢れる水墨画の世界に一気に没入させられる。
その後湖山は、舞台下手で見ていた霜介に「弟子にならないか」と声をかけ、誘われるままに霜介は湖山の弟子として水墨画の世界に飛び込んで行く事となる。
湖山の家では、その孫娘で湖山の内弟子である篠田千瑛も水墨画を描いている。冒頭、霜介が見ていた椿の水墨画もこの千瑛が描いたものだ。
千瑛の水墨画は、写真のように精密な出来で美しいが、湖山からは何かが足りないと指摘され、壁にぶち当たっている。そんな心境だから、突然弟子となった霜介を最初は快く思わず、冷たく当る。
それでも霜介は何度も修練を積み重ね、次第に上達して行く。部屋中に貼られた無数の習作画は実際に横浜流星自身が描いたものである。聞けば流星をはじめ、水墨画を描く出演者たちはみな著名な水墨画家の指導の下、猛特訓を受けたそうだ。どうりで三浦友和の筆さばきがうまいはずだ。
流星に至っては1年以上もかけて猛練習したそうだ。その成果は見事に画面に現れている。
霜介が水墨画を描くシーンでは、カメラが紙の裏側に回るカットもあり、これまた「ちはやふる」にも登場した演出テクニックでニヤリとさせられる。
千瑛に魅了された親友の古前と川岸が、大学内に水墨画サークルを作り、千瑛を講師として呼ぶシークェンスは、物語の中ではやや浮いていて蛇足とも思えるが、素人大学生たちの型に嵌まらない伸び伸びとした習作画を見て、千瑛がこれまでの自分の画法を見直そうとする契機になるわけだから、やはり必要なエピソードではないかと思う。
そしてもう一つ、圧巻のシーンが中盤に登場する。
(以下は未見の方は読まないように。読みたい方はドラッグ反転してください)
評論家や外国からの来客も集めた湖山の発表会で、肝心の湖山が現れず、発表会が中止になりかけた時に、突然西濱が代役として舞台に立ち、筆を執って画を描き始める。
これがまた、冒頭の湖山の実演シーンに勝るとも劣らぬ見事なパフォーマンスで、巨大な竜を描いて行く。こちらも実際に江口洋介が描いているカットもある。
最後に竜の眼を入れ、朱色の手形をバンと塗りつける所まで、実にカッコいい。江口洋介、場をさらう儲け役だ。
実は西濱は、 西濱湖峰という水墨画界では有名な画家だったのだ。それまでは庭仕事をしたり、料理をしたりと、我々観客も西濱は湖山の雇われ雑役夫かとばかり思っていたはずだ。この意表を突く展開にはまんまと騙された。小泉監督も人が悪い(笑)。でも楽しい。観た方は人に言わないように。
湖山は実は会場に来る途中倒れていたのだ。一命は取りとめるものの、右手は不自由になる。おそらくは湖山も自分の体調不安は前々から感じてはいたのだろう。
霜介を弟子にしたのは、自分の後継者を探していて、霜介にそれを求めたのかも知れない。
そして明らかになるのは、霜介の家族の身に起きた不幸である。豪雨水害で家族は霜介を残して皆亡くなってしまった。家を出る時、親と大喧嘩して「行って来ます」すら言わずに飛び出してしまった。それがずっと心残りとなって自身を責めている。
霜介が時々どことなく暗い表情を見せるのはそのせいである。
冒頭、椿の水墨画を見て霜介が涙ぐんでいたのは、画に感動した事もあるだろうが、災害に遭う前、自宅の庭に植えられていた椿の木を思い出したからである(この椿の木は霜介の回想の中で何度か登場する)。妹の名も“椿”である。その姿を、湖山は見ていたのだ。
心に重いトラウマを抱えていた霜介は、水墨画に打ち込む事で、いつまでも過去に囚われていた自身を振り捨て、前に向かって歩みだすのだ。
千瑛に思いを打ち明けた霜介は、それまで行く事を拒絶していた故郷に、千瑛と二人で行く事を決意する。
夜行バスに乗り、家族の命日の朝、かつて自宅があった場所に辿り着く霜介。もう過去は振り返らないと霜介は心に決める。朝の太陽が美しい。ここは感動的な名シーンである。
つまりこの物語は、家族を失った霜介が、水墨画との出会いを経て、いろんな人とも絆を深め合い、人間的にも成長して行く、喪失と再生の物語であったのだ。その意味で、この映画は生きる意味、人生の重みを問いかける、優れた人間ドラマの秀作たりえているのである。
ちょっと昨年の「ドライブ・マイ・カー」の同じようなシーン(悠介とみさきが、土砂崩れで倒壊したみさきの実家を訪れるシーン)を思い出した。あの作品もまた、喪失と再生の物語であった。
霜介と千瑛の心の交流をサラリと流して、恋心に発展するようなシーンがないのもそれでいい。その後の二人は観客が想像すればいいのである。
エンドロールも最後まで観るように。クレジットの背後でさまざまな水墨画が出来上がる様子が動く絵で描かれていてこれも見ものである。
原作者の砥上裕將氏は、本人も水墨画家だそうで、水墨画に関するさまざまなディテールにリアリティが感じられるのも納得だ。
題名の「線は、僕を描く」、この意味も映画を観れば判る。一人ひとり違う、筆で描かれる線が、作画家自身の心をも描き出すという事である。なかなか深いタイトルである。
いいセリフも多い。西濱が語る「人は何かになろうとするのではなくて、何かに変わっていくもの」は名言だろう。
細かい所をつつけば色々あるが(例えば霜介の家族の描写が物足りないとか)、そんな些末な事はどうでもいい。終わってみて、ズッシリと心に響けばそれでいい。私は感銘を受けた。何より水墨画が如何にして描かれるかを精緻かつダイナミックに描いた名シーンだけでも観る値打ちがある。古典的アートがエンタメ、青春ドラマとも融合した、奇跡のような作品とも言えるだろう。
本作を観て、水墨画をやってみたいと思う人が増えるかも知れない。それも素敵な事だ。
「ちはやふる」も良かったけれど、本作はさらに進化した、小泉監督の最高作と言えるだろう。本年度マイ・ベストに挙げたい秀作である。 (採点=★★★★★)
(付記)
千瑛を演じた清原果耶がいいが、実は清原、一昨年の「宇宙でいちばん明るい屋根」でも水墨画家を目指す少女を演じていた。水墨画づいている。偶然なのか、それともこの映画を観て小泉監督か北島プロデューサーがキャスティングしたのだろうか。
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コメント
大変ご無沙汰しております。
その後お加減如何でしょうか?
家族二人が横浜流星と清原果耶、
各々のファンで神配役と予告の時点で
かなり盛り上がり、私も交えて
家族全員で鑑賞してきました。
再生と成長を描きつつ、光や音楽に
画面構成など目を見張る演出に
とにかく惹かれましたね。
親子で美術は好きで水墨画はの奥深さも
知る機会になりました。
子供も来春進学で新天地に行く為、
恐らく家族鑑賞は本作最後かもしれません。
思い出残る作品に出会えましたネ。
投稿: ぱたた | 2022年11月 4日 (金) 16:07
◆ぱたたさん
家族で映画鑑賞とはいいですね。我が家も子供が小さい時はよく映画に連れて行きましたが、小学校高学年頃からは誘っても誰も一緒に付いて来てくれませんでした(苦笑)。
最後の家族鑑賞に、素敵な秀作映画に出会えて良かったですね。きっといつまでも心に残り続けると思いますよ。
投稿: Kei(管理人 ) | 2022年11月 5日 (土) 21:55
良い映画でした。ほとんど内容を知らずに見ましたので、もっと軽い話かと思ってました。水墨画の魅力を上手く伝えていました。役者も上手く、横山流星、清原果耶はまた成長したような気がします。
投稿: 自称歴史家 | 2022年11月 6日 (日) 13:09
◆自称歴史家さん
本作は仰るように、予備知識を入れずに見るのが正解ですね。まさに水墨画を描く前の状態のように、心を「白紙」にして見るべきでしょう(笑)。
投稿: Kei(管理人 ) | 2022年11月16日 (水) 22:07