「夜明けまでバス停で」
2022年・日本 91分
制作:G・カンパニー
配給:渋谷プロダクション
監督:高橋伴明
脚本:梶原阿貴
撮影監督:小川真司
音楽:吉川清之
製作:人見剛史、 小林未生和、 長尾和宏、 高橋惠子
エグゼクティブプロデューサー:鈴木祐介
バス停で寝泊まりしていたホームレスの女性が暴漢に殴り殺された実話をベースに、現代社会が抱える諸問題に斬り込んだ社会派ドラマ。監督は「痛くない死に方」の高橋伴明。主演は「欲望」の板谷由夏。共演は「花と雨」の大西礼芳、「もっと超越した所で。」の三浦貴大、「月はどっちに出ている」のルビー・モレノ、「痛くない死に方」の柄本佑。その他片岡礼子、柄本明、根岸季衣、下元史朗といったベテラン俳優が顔を揃えている。
(物語)北林三知子(板谷)は、昼間はアトリエで自作のアクセサリーを売りながら、夜は焼き鳥店で住み込みのパートとして働いていたが、突然のコロナ禍により仕事と住処を同時に失ってしまう。新しい仕事もなくファミレスや漫画喫茶も閉まっており、ホームレスを余儀なくされる。途方に暮れる三知子の目の前には、暗闇の中そこだけ少し明るくポツリと佇むバス停があった。誰にも弱みを見せられない三知子はそこを仮の宿とする。貯金も底を尽きかけたある日、三知子は公園で古参のホームレス・バクダン(柄本明)と出会う…。
コロナ禍の2020年11月に、東京・幡ヶ谷のバス停で寝泊まりしていたホームレスの女性が暴漢に殴り殺されるという事件はショッキングだった。
この事件に衝撃を受け、創作意欲をかき立てられた作家の一人が本作の脚本家・梶原阿貴。「何かを届けたい」という純粋な衝動から、特に映画化の当てもなく本作の脚本を書き上げたのだが、たまたま板谷由夏主演で高橋伴明が監督する企画が動いており、梶原にその脚本のオファーがあったという幸運に恵まれて、本作が映画化されるに至ったという訳である。
高橋伴明監督は、これまでいくつか実話に基づく作品(「TATTOO<刺青>あり」や「光の雨」等)を手掛けているが、いずれも加害者側に近い視点の問題作だった。
近年では「丘を越えて」、「禅 ZEN」、「道 白磁の人」等のソフトかつ風格のある作品や、「痛くない死に方」といった社会派作品もあり、老境に至って心境が変化して来たのかなと思っていた。
ところが本作、コロナ禍により生活困窮者となった人々に寄り添った、前作に続く社会派作品…と思わせておいて、終盤に予想外の展開が待ち受けており、一筋縄で行かない異色作になっている。さすがは高橋伴明だ。
(以下ネタバレあり)
冒頭いきなり、深夜のバス停で寝ている女性に男が近づき、大きな石を入れたポリ袋を女性に振りかざす所でストップモーション、タイトルが入る。
現実に起きたあのショッキングな事件を再現しているわけで、映画もその悲劇に向かって突き進む…と誰もが思うだろう。
物語はそこから約半年前の2020年2月頃に戻る。
主人公、北林三知子は、昼はアトリエで作った自作のアクセサリーを売り、夜は焼き鳥店で住み込みのパートとして働いており、収入はまずまずである。だが別れた夫の借金を背負って返済に追われていたり、兄からは母親の介護費用分担を要求されたりで生活は豊かではない。
性格的には自我を通すタイプで、人の面倒見はいいが言いたい事も言うので、仕事仲間の一人からは煙たがられていたりもする。この性格が後々まで響く事となる。
その他の登場人物も簡潔に紹介される。焼き鳥店のマネージャー・大河原(三浦貴大)は意地が悪く、アジア人労働者のマリア(ルビー・モレノ)が孫の為に持ち帰ろうとした客の食べ残しを目ざとく見つけ、容赦なくゴミ箱に捨てる。パワハラ、セクハラもお構いなしのクズ男だ。一方で店長の寺島千晴(大西礼芳)は従業員に親切だが、オーナー一族であるマネージャーには逆らえない。
ルビー・モレノ、久しぶりに見た。「月はどっちに出ている」での好演が懐かしい。「ワタシ、日本に来て30年よ、ジャパゆきさんよ!」と怒りを露わにするシーンは見ものである。
三浦貴大、先ごろ観た「もっと超越した所へ。」に続いて、またもクズ男を演じているのがおかしい(笑)。
そして2020年4月、新型コロナ蔓延による緊急事態宣言が出された事で、彼女が勤める焼き鳥店は時短によるシフト変更で、特にパートは勤務時間が大幅に縮小され、収入も激減する。
遂にはある日突然、予告もなく勤務先の店が休業し、三知子たちパートはクビ、住み込みだからアパートも出て行かざるを得なくなり、三知子は職も住処も失い路頭に迷う事となる。
必死に就職先を探し、ようやく介護施設の仕事も決まったのも束の間、そこもコロナのクラスター感染によって閉鎖され採用中止、三知子は重いキャリーケースを引き摺りながら街を彷徨う事となる。
現実に、こうやって職を失い、三知子のようにホームレスになってしまう非正規雇用者も大勢いるだろうなと実感させられる。
同年秋に総理大臣になった菅首相がテレビで「自助、共助、公助。そして絆」と語るシーンが何とも空々しい。
笑えるのが、あの「アベノマスク」を浮浪者が40円の値札を付けて打っているシーン。まったく役に立たないマスクを税金使ってバラまいた元首相への当てつけだ。同時にしたたかな底辺生活者のバイタリティも感じさせ、この辺りは高橋監督らしい痛烈な権力批判・世相風刺が込められている。
生活に困れば、生活保護その他の支援策はあるのだが、前述のように自我が強く、他人や制度に頼る事を良しとしない三知子はバス停で寝泊まりするホームレス生活を続けて行く。
他方、ネットで「ホームレスは生産性がない。生きてても社会の為にならない」と煽るユーチューバー(柄本佑)の存在も不気味だ。それを見てホームレスに敵意を抱く男がいる。冒頭シーンの襲撃者(松浦祐也)だ。
SNSでこうした社会的弱者への攻撃、人種差別、偏見が助長される現代社会の風潮にも作者たちは異議を唱えているのだ。
コロナ禍を描いた映画は、石井裕也監督の「茜色に焼かれる」、のん監督・主演の「Ribbon」などいくつかあるが、これほど痛烈に政治への不信、社会への怒りをぶつけた作品は珍しい。
貯金も底を尽き、食うのに困った三知子はとうとう飲食店のゴミ箱を漁り、残飯を口に入れる。しかし店員に見つかり逃げ出す。貧すれば鈍する。
だが物語はここから大きく転調する。道で倒れた三知子を助けたのが老ホームレスの、通称バクダン(柄本明)。
やがては同じように公園でホームレス生活を続けている派手婆(根岸季衣)、センセイ(下元史朗)とも三知子は親しくなる。
バクダンは元過激派学生崩れと思われ、三里塚成田空港建設反対行動に参加した事などを三知子に語る。
やはり全共闘世代である高橋監督(1949年生まれ)、自身も含めてあの時代を総括し切れないままに今日まで生きて来た、いわゆる団塊世代の無念さ、忸怩たる思いをバクダンという男に仮託しているかのようである。
バクダン語る、深作欣二監督「仁義なき戦い・頂上作戦」のラストシーンの文太が語る名セリフ「一年半と七年か。間尺に合わん仕事したのう」も、「仁義-」ファンには懐かしい。
こうして、ホームレスたちと交流を深めて行くうち、三知子はバクダンに「爆弾は今でも作れますか」と問う。
彼女は言う。「一度くらいちゃんと逆らってみたいんです」。社会の歪みの中で、「自己責任」という言葉に押し流され、抵抗もせず生きて来た三知子はここで初めて、「底が抜けた日本社会」への反逆を意識し始めるのだ。
ここから後は、“実話に基づく社会派ドラマ”という枠を大きく逸脱し、一種の寓話的コメディ・ファンタジーに物語は変貌を遂げるのである。
多分60歳以上の人でないと解らないだろう、爆弾製造教本「腹腹時計」まで登場するのには笑った。それも何度もコピーしたのか文字が擦れている。
今の時代、ネットを検索すればいくらでもそうした教材は入手出来るのに(あの〇上容疑者もそうやって作った)、わざわざアナクロな昔の教本が出て来る事自体ナンセンスである。
そうして出来上がった爆弾がどうなったかは映画を観てのお楽しみ。このシークェンスでは場内で笑い声が起きていた事からも、物語がコメディに振れていることが分かる。バクダンを演じた柄本明の人を食った快演が見ものである。
多分「腹腹時計を持ち出し、テロを奨励するような内容は不謹慎だ」とかの声も出るだろうが、これはあくまでフィクション。社会の最底辺まで堕ちた女性が、そこから時代に対して抵抗、反撃を試みしぶとく這い上がろうとする痛快エンタメとして楽しめばいいのである。
一方で、営業を再開した焼き鳥屋の店長・千晴が、マネージャー・大河原が三知子たちに支給されるはずの退職金を着服していた事実を知り、証拠を集めて大河原を追い詰めて行くプロセスも痛快だし笑える。こちらもまた女性による反逆と言えるだろう。
(以下重要ネタバレを含むので注意)
ラストは、冒頭の、男が石を持ってバス停で寝ている三知子に近づくシーン、ここで悲劇が起きる…と思わせておいて、あっと驚く結末が用意される。
何が起きたかはここでは書かない。ただよく考えれば、実際の事件で殺されたのは64歳の老人と言っていい年齢だったのに対し、三知子は40歳代半ば。しかもその女性がバス停で寝泊まりするようになったのはコロナ禍より2年も前から。…つまりはこの映画は実際の事件にヒントを得てはいるが、設定はまったく別のフィクションである事が最初から示されていたわけである。だから事件とは違う、別のホッとする結末となったのも当然である。
そして、それぞれに反逆(三知子の方は未遂だが)を実践した二人の女性が再会し、一種の連帯を示す所で物語は終わる。
バクダンたち全共闘活動家が当時掲げていた有名なスローガンに「連帯を求めて孤立を恐れず」がある。このラストも、そのスローガンを思い起こさせる。さすがは高橋監督だ。
この後も、エンドロール中にもさらなる驚愕の展開が待っているので、最後まで席を立たないように。繰り返すが、この映画はあくまでフィクションであり一種の寓話である事を頭に入れておくように。(しかし予告編、思い切りネタバレしてる)
いやあ参った。こんな映画だったとは予想外だった。タイトルや作品紹介からは想像も出来なかった。
コロナ禍で、社会的弱者がさらに痛めつけられる現状をリアルに描き、政治の貧困・無策を鋭く追及すると同時に、この国に蔓延するさまざまな差別、偏見、蔑視にも批判の眼を向け、後半に至って笑い、風刺、抵抗と反逆へと転化する、これは何とも型破りの、しかしまさに高橋伴明監督らしい(最近のではなく初期の頃の)異色エンタティンメントの快作であった。団塊世代の映画ファンには特に心に刺さるだろう。
役者はみな快演。特に主演の板谷由夏にとっては代表作となるだろう。
脚本の梶原阿貴についても一言。元々は女優で、「櫻の園」(1990)で俳優デビューし、近作では「ふがいない僕は空を見た」(2012)、「お盆の弟」(2015)等があるが、2007年頃からはテレビアニメの脚本を書くようになり、2019年の「WALKING MAN」から本格的に劇場映画の脚本家として始動した。今後も意欲的な脚本を発表していただく事を期待したい。
(採点=★★★★☆)
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コメント
ラスト近くは、良い意味で予想を裏切る展開でした。後味が良かったので、エンドロールのアレは少し驚きました。監督の反骨精神は健在。
投稿: 自称歴史家 | 2022年11月16日 (水) 14:34