2022年を振り返る/追悼特集
今年も押しつまりましたね。いかがお過ごしでしょうか。
さて今年も、毎年恒例の、この1年間に亡くなられた映画人の方々の追悼特集を行います。今年はいろいろと忙しい事が続いたので、主だった方以外は簡単に紹介するに留めます。
ではまず、海外の映画俳優の方々から。
1月6日 シドニー・ポワチエ氏 享年94歳
黒人俳優として、常にその先頭を走って来た名優ですね。映画デビューは1950年。その5年後、「暴力教室」の不良少年役で注目され、58年の「手錠のままの脱獄」では英国アカデミー賞外国男優賞受賞、63年の「野のユリ」で黒人として初めての米アカデミー主演男優賞を受賞と快進撃を続けます。この方の凄いのは、単に演技のうまさだけでなく、当時のアメリカの、黒人の置かれた状況をテーマとした問題作に多く出演した事です。「手錠のままの脱獄」では手錠で繋がれた白人と最初は反撥しあいながら、やがて二人の間に固い友情が生まれたり、67年の「夜の大捜査線」では人種偏見の根強い南部で、蔑視の目を向けられ乍らも鋭い捜査能力で犯人逮捕に協力し、黒人に良い感情を持っていなかった警察署長が別れ際には尊敬の眼差しを見せるまでになるという具合に、アメリカの黒人差別意識に鋭い批判の目を向けた作品に進んで出演しました。そして同年の「招かれざる客」ではなんと、白人女性と結婚する黒人男性役を演じます。こうした意欲作にチャレンジ出来たのは、本人の実力と共に、「手錠のまま-」「招かれざる客」を監督した社会派の名匠スタンリー・クレイマーに起用された点も大きいでしょう。ポワチエが先頭を走って来たからこそ、その後に続々と黒人俳優が活躍する映画が作られる素地となったと言えるでしょうね。72年には監督業にも進出します。その後も活躍を続け、92年には“黒人俳優の道を切り拓いた”という理由で。AFI生涯功労賞を受賞した他、2002年にはアカデミー賞名誉賞も受賞しています。本当に素晴らしい名優でしたね。
1月17日 イヴェット・ミミューさん 享年80歳 アメリカの女優。雑誌のカバー・ガールを経て1959年、「肉体の遺産」で映画初出演。同年のSF映画「タイムマシン/80万年後の世界へ」でヒロインを演じ、60年の「ボーイ・ハント」では主演の女子大生4人組の一人を演じます。ラブロマンスものですが、なんと男にレイプされるというショッキングな役柄。その後もアクションもの、ファンタジーもの等いろんな映画で助演するも、いま一つパッとしませんでした。ところが77年に公開された「ジャクソン・ジェイル」(マイケル・ミラー監督)というB級クライム・バイオレンス映画に主演し、これが意外な拾い物でした。製作はあのB級映画の帝王ロジャー・コーマン!。またまたミミューはレイプされる役です(笑)。一人旅である田舎町にやって来た彼女が、身ぐるみ剥され、暴力に晒され、濡れ衣で留置所に入れられ、当直保安官助手にはレイプされるといった具合に、次々と理不尽な暴力に晒されます。しかし彼女は隙を見て保安官助手を殺し、隣の房にいた男コーリーと一緒に脱獄し逃亡するが、二人は警察に追われ…と、息もつかせぬ展開にハラハラさせられる異色作です。イヴェット・ミミューの代表作と言えるでしょう。コーリー役を演じたのが、まだ若くシワもない(笑)トミー・リー・ジョーンズというのも見逃せない。これが好評で、2年後には同じ監督、同じミミュー主演でTVムービー「犯されて…」としてリメイクされています。その後はディズニー製作のSF「ブラックホール」に出演したくらいで、いつの間にか映画界から消えてしまいました。キュートで可愛らしい女優だったのに、残念ですね。
1月19日 ハーディ・クリューガー氏 享年93歳
ドイツの俳優で、第二次大戦を舞台にした戦争映画に多く出演していますが、代表作は何と言ってもフランス映画「シベールの日曜日」(1962)ですね。戦争で記憶を失った男(クリューガー)と少女シベールとの無垢な交流を描いた秀作です。セルジュ・ブールギニョン監督の演出も瑞々しく、悲しい結末には泣かされました。この作品はアカデミー賞外国語映画賞も受賞しました。あと、ロバート・アルドリッチ監督のサバイバル・ムービー「飛べ!フェニックス」も印象的な好演でしたね。出演作は数多いですが、やはり「シベールの日曜日」1本で映画ファンの心に残り続ける俳優と言えましょう。
1月19日 ギャスパー・ウリエル氏 享年37歳
フランスの俳優で、12歳の頃からテレビなどで俳優の経験を積み、2001年の「ジェヴォーダンの獣」で映画デビューを果たします。2004年にはジャン=ピエール・ジュネ監督「ロング・エンゲージメント」でセザール賞新人男優賞を受賞、2007年の「ハンニバル・ライジング」では若き日のハンニバル・レクターを快演と、着実に実力派俳優の道を歩みます。2014年にはファッション・デザイナー、イヴ・サンローランの最も輝き、最も堕落した10年間を描いた「SAINT LAURENT サンローラン」でサンローラン役を熱演した他、2016年の「たかが世界の終わり」(グザヴィエ・ドラン監督)でも実在の人物を演じてセザール賞主演男優賞に輝く等、フランスで最も注目される名優となりました。まだまだこれからという時、今年1月にスキー事故の為に37歳の若さで帰らぬ人となりました。フランス映画界にとっても大きな損失と言えましょう。惜しいですね。
2月2日 モニカ・ヴィッティさん 享年90歳
イタリアの女優で、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「情事」(60)を皮切りに、「夜」(61)、「太陽はひとりぼっち」(62)、「赤い砂漠」(64)とアントニオーニ監督作品に立て続けに主演、一躍有名になりました。“アンニュイ”と表現される物憂げな表情は彼女の独壇場と言えるでしょう。かと思うと、66年のアメリカ映画「唇からナイフ」(ジョセフ・ロージー監督)では人気コミック原作の女スパイ、モデスティ・ブレーズ役や、68年の「結婚大追跡」など、コミカルな役柄も演じたりで、欧米を股にかけ幅広く活躍しました。イタリアのゴールデン・グローブ賞を7度も受賞しており、イタリアを代表する名優と言えるでしょう。

2月24日 サリー・ケラーマンさん 享年84歳
この方は何と言っても、あのロバート・アルトマン監督の傑作戦争コメディ「M☆A☆S☆H マッシュ」で演じた“熱い唇”と仇名された少佐役ですね。悪戯兵士たちにさんざん揶揄われ、シャワーを浴びてる時にテントを巻き上げられてヘアヌードを曝されてしまいます。この役があまりに強烈だったので、他の出演作品がどうしても思い浮かびません(笑)。アルトマン監督作品には他にも「バード★シット」、「プレタポルテ」に出演する等、アルトマンに気に入られていたようですね。その他ではジョージ・ロイ・ヒル監督「リトル・ロマンス」で、ダイアン・レインの母親役を演じています。その後はテレビ出演が多くなり、「プレタ・ポルテ」(1994)を最後に日本での公開作はありません。2014年のアルトマン監督についてのドキュメンタリー「ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男」においてアルトマン監督ゆかりの証言者の一人として出演して元気な姿を見せましたが、これが公的な最後の姿となったようです。
3月13日 ウィリアム・ハート氏 享年71歳渋い名優でしたね。舞台俳優を経て、ケン・ラッセル監督の異色作「アルタード・ステーツ/未知への挑戦」で映画デビュー、以降数多くの映画に出演しました。圧巻の名演は85年の「蜘蛛女のキス」。これで見事アカデミー主演男優賞を受賞、各国の映画賞を総なめにしました。その他の代表作に「愛は静けさの中に」「ブロードキャスト・ニュース」「ヒストリー・オブ・バイオレンス」があり、いずれもアカデミー賞にノミネートされています。近年の代表作としては、「幸福の黄色いハンカチ」のアメリカ版リメイク「イエロー・ハンカチーフ」(2008)があり、健サンが演じた主人公役を好演しています。また最近ではマーベル映画「アベンジャーズ」シリーズにロス長官役でレギュラー出演しました。恐らく2020年の「ブラック・ウィドウ」のロス役が最後の出演作ではないかと思います。
4月5日 ジミー・ウォング(王羽)氏 享年79歳
懐かしい。ブルース・リーの登場で世界に旋風を巻き起こした香港カンフー映画ブームの立役者の一人です。ただデビューはブルース・リーよりずっと早く、1967年の「片腕必殺剣」で片腕の剣客を演じ、これが大ヒットして以後シリーズ化され、“片腕の武侠”はジミーのトレードマークとなりました。71年には日本に招かれ、「新座頭市 破れ!唐人剣」でやはり片腕の剣の達人役でカツシンの座頭市と闘いました。日本版では座頭市が勝ちますが、香港公開版ではジミーが勝ってます(笑)。ブルース・リーの「燃えよドラゴン」公開・大ヒットを受けて輸入された「片腕ドラゴン」では監督も兼任、これも大ヒットして以後ジミーは続々と「ドラゴン」とタイトルに入った(日本で勝手に付けたものも多い)カンフー映画の監督・主演作を連発します。監督・主演した「片腕ドラゴン」の続編「片腕カンフー対空とぶギロチン」は出来はイマイチですが、空飛ぶギロチンの方はタランティーノが「キル・ビル」でゴーゴー夕張の武器として登場させてまた有名になりました。カンフー・ブームが去ってからは徐々に映画出演の機会は減っていましたが、2011年、「捜査官X」でドニー・イェンと共演、金馬奨助演男優賞にノミネートされて元気な所を見せました。遺作となった13年の台湾映画「失魂」では台北映画祭の主演男優賞を受賞しています。晩年まで一線で活躍し続け、演技賞も受賞した点においても、カンフー・アクション俳優に留まらぬ素晴らしい方だったと思います。また「片腕カンフー対空とぶギロチン」のDVD見て彼を偲びましょうか。
4月13日 ミシェル・ブーケ氏 享年96歳
1947年頃から舞台と映画の両方で活躍を開始、映画は47年の「聖バンサン」がデビュー作で、以後数多くの名作、サスペンス映画等に出演、主な作品にアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督「情婦マノン」、フランソワ・トリュフォー監督「黒衣の花嫁」、同「暗くなるまでこの恋を」、ジャック・ドレー監督「ボルサリーノ」、ジョゼ・ジョバンニ監督「暗黒街のふたり」等があります。助演が多いですが、70年の「汚れた刑事(でか)」では堂々の主演。警察の腐敗に怒り、自分流のやり方で正義を貫く寡黙な刑事を熱演しています。代表作と言えるでしょう。91年のジャコ・ヴァン・ドルマル監督「トト・ザ・ヒーロー」では老人となった現在の主人公役を演じています。2012年には「ルノワール 陽だまりの裸婦」で画家のオーギュスト・ルノワールに扮してセザール賞の主演男優賞にノミネート、多分これが遺作ではないかと思います。65年にも亘る映画人生で最後まで輝き続けた、フランスを代表する名優と言えるでしょう。
4月17日 カトリーヌ・スパークさん 享年77歳この方も懐かしい。フランスの女優で、父は名脚本家のシャルル・スパーク。60年に15歳にして「十七歳よさようなら」で堂々主演デビュー。これが大ヒットして青春映画のアイドルとなりました。62年にはイタリア映画「太陽の下の18才」でも主演、主題歌「サンライト・ツイスト」も大ヒットして日本でもファンが増えました。まさに名前通り、若さがスパークしてました(笑)。その後も「狂ったバカンス」(62)、「禁じられた抱擁」(63)と主演作が相次ぎ、64年にはロジェ・ヴァディム監督「輪舞」でジェーン・フォンダ、アンナ・カリーナらと共演。同年のレナート・カステラーニ、ルイジ・コメンチーニ、フランコ・ロッシの3人の監督による恋愛オムニバス「愛してご免なさい」では3話それぞれで主演を務める等大活躍、十代にしてフランス映画界のトップスターとなりました。また歌手としても活躍、「若草の恋」は日本でも大ヒットしました。68年に主演した「女性上位時代」では、ラストでのジャン・ルイ・トランティニャンの背中にまたがってお馬さんごっこをするシーンがポスターに使われて話題になりました。その後は徐々に助演に回る事も多くなり、また日本未公開となった作品も多く、いつの間にか忘れられた存在となったのは残念でしたね。昨年には'60年代の代表作4本を集めた「カトリーヌ・スパーク レトロスペクティブ」が上映され、人気が再燃した事は良かったと思います。
4月21日 ジャック・ペラン氏 享年80歳
あの名作「ニュー・シネマ・パラダイス」で大人になったトトことサルヴァトーレ役を演じた俳優ですね。1957年から映画に出演し、61年のヴァレリオ・ズルリーニ監督のイタリア映画「鞄を持った女」でクラウディア・カルディナーレと共演、以後フランスとイタリアを股にかけて多くの映画に出演しました。62年にもズルリーニ監督「家族日誌」に出演しています。その後プロデューサー業にも進出、69年にコスタ・ガブラス監督「Z」を製作し、これがアカデミー外国語映画賞を受賞する等各国で絶賛を浴び大成功を収めました。その後もガブラス監督「戒厳令」など、政治がらみの映画、テレビ作品をいくつか製作しています。1996年頃からは自然環境に関連したドキュメンタリー映画を製作するようになり、昆虫の生態を捕らえた「ミクロコスモス」(96・セザール賞受賞)、2001年には渡り鳥たちと共に世界を旅する「WATARIDORI」の総監督も務め、2009年には海の生き物たちに密着した「オーシャンズ」で監督も務める等、俳優業の傍ら、プロデューサー、監督としても優れた作品を発表して来ました。こんなに幅広い活躍をされた映画俳優も珍しいでしょうね。2018年の「家なき子 希望の歌声」では少年レミの大人になった姿を演じており、これが俳優としては遺作になったようです。
5月26日 レイ・リオッタ氏 享年67歳この方を最初に観たのは、1989年の傑作「フィールド・オブ・ドリームス」で最後に現れるシューレス・ジョー役ですね。その翌年のマーティン・スコセッシ監督「グッド・フェローズ」では元マフィアの実在人物ヘンリー・ヒル役を演じ注目されました。以後もアクの強い、ちょっとサイコがかった役などを多く演じて印象に残っています。「乱気流/タービュランス」(97)の狂気の囚人役も忘れられませんね。強烈と言うか笑えるのが2001年の「ハンニバル」で、リオッタはレクター博士に頭蓋骨を切開され脳みそを食べられてしまいます(笑)。今年も元気に映画出演していましたが、その撮影中の急死だそうで、残念ですね。67歳は早すぎます。
5月28日 ボー・ホプキンス氏 享年80歳1968年に映画デビュー、以後多くの映画に出演。69年にはサム・ペキンパー監督「ワイルドバンチ」に出演、以後もペキンパー監督作に数本出演しています。出演作はやたら多いですがほとんど助演ばかり。しかし個性的な顔立ちで、名前は判らなくても印象に残る役者さんでした。ジョージ・ルーカス監督の傑作「アメリカン・グラフィティ」(73)では、カート(リチャード・ドレイファス)が旅立ちする前夜、彼に絡む地元の不良「ファラオ団」のボス、ジョー役を演じており、続編の「アメリカン・グラフィティ2」でも同じ役を演じていました。晩年はさすがに映画出演は減りましたが、2020年、Netflix配信のロン・ハワード監督「ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」で久しぶりに映画出演、これが遺作になりました。「アメ・グラ」で共演したハワードと最後に一緒に仕事が出来たのは良かったかも知れませんね。

6月17日 ジャン=ルイ・トランティニャン氏 享年91歳
この方も懐かしい。出世作は何と言ってもクロード・ルルーシュ監督「男と女」ですね。その後も続編「男と女Ⅱ」(86)、「男と女 人生最良の日々」(2019)とずっと同じ役を演じ続けました。その他では、奇しくも前記ジャック・ペランの項でも触れた「Z」に出演、見事カンヌ国際映画祭の主演男優賞を受賞しています。変わった所ではセルジォ・コルブッチ監督のマカロニ・ウエスタン「殺しが静かにやって来る」で、言葉の喋れない主人公役を演じてます。幅の広い役者ですね。でも一番の代表作は2012年のミヒャエル・ハネケ監督「愛、アムール」でしょうね。私も大好きな作品で、これでトランティニャンはセザール賞の主演男優賞を受賞しています。まさにフランスを代表する名優だったと思います。
7月6日 ジェームズ・カーン氏 享年82歳
「ゴッドファーザー」における長男ソニー役が有名ですね。これでアカデミー賞の助演男優賞にノミネートされました。以後もアクション映画や、犯罪サスペンス映画「ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー」、コメディ「フリービーとビーン/大乱戦」や、ミュージカル「ファニーレディ」に至るまで、いろんなジャンルの映画に出演しています。90年のスティーヴン・キング原作「ミザリー」では流行作家役で、最後にキャシー・ベイツに両足を砕かれる痛い役を演じてました。奇しくも前掲のボー・ホプキンスとはサム・ペキンパー監督作「キラー・エリート」で共演しています。
7月9日 L・Q・ジョーンズ氏 享年94歳
ペキンパー監督と言えばこの人。62年の「昼下りの決斗」以来、「ダンディー少佐」(65)、「ワイルドバンチ」 (69)、「砂漠の流れ者」(70)、「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」(73)とペキンパー監督作品に連続出演、ペキンパー作品になくてはならない顔となりました。その後もいろんなアクション映画に出演しています。75年には監督業にも進出、自ら脚本・監督・製作も兼ねた「少年と犬」を発表、これでヒューゴー賞映像部門を受賞しましたが、監督作はこれ1本だけでした。2006年にはロバート・アルトマン監督「今宵、フィッツジェラルド劇場で」に出演、これが遺作となったようです。
7月24日 デヴィッド・ワーナー氏 享年80歳
渋い、いい役者でしたね。イギリス出身、62年以降、舞台でシェークスピア作品に多く出演しました。63年にトニー・リチャードソン監督「トム・ジョーンズの華麗な冒険」で長編映画デビュー、以後多くの映画に出演しました。面白い事に、この方もペキンパー監督作品常連で、「砂漠の流れ者」を皮切りに「わらの犬」(71)、「戦争のはらわた」(77)等に出演しています。
強烈に記憶に残っているのは76年ノリチャード・ドナー監督「オーメン」で、終盤、ガラス板を満載したトラックに襲われ、ワーナーはガラスで首を切断されてしまいます。97年にはジェームズ・キャメロン監督「タイタニック」にも出演しています。2018年には「メリー・ポピンズ リターンズ」でブーム提督役を演じ、元気な姿を見せましたが、これが遺作となりました。出演作は220本にも及び、コミカルな役から悪役まで、いろんな役柄をこなした名バイプレイヤーでしたね。
8月5日 クルー・ギャラガー氏 享年93歳
1956年よりテレビの西部劇ドラマ「拳銃無宿」、「幌馬車隊」、「バージニアン」等に出演する傍ら、64年のドン・シーゲル監督「殺人者たち」以後、映画にも出演するようになります。ピーター・ボグダノヴィッチ監督「ラストショー」、ジョン・ウェイン主演「マックQ」等にも出演していますが、ほとんどは低予算のB級映画の助演でした。そんな中、85年のコメディ・ゾンビ映画「バタリアン」では珍しく主演しています。その他の主な出演作は「エルム街の悪夢2 フレディの復讐」、「ヒドゥン」など。2005年には息子のジョン・ギャラガーが監督した「フィースト」シリーズ3本に出演しています。最後の映画出演作は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(2019)でした。
8月8日 オリビア・ニュートン=ジョンさん 享年73歳
イギリス出身の歌手で、「愛の告白」、「そよ風の誘惑」等のヒット曲がありますが、映画にも出演しています。70年のミュージカル映画「オリビア・ニュートン・ジョンのトゥモロー」に主演、78年のこちらもミュージカル「グリース」ではジョン・トラボルタと共演、これは大ヒットしましたね。80年の「ザナドゥ」ではジーン・ケリーと共演します。83年の「セカンド・チャンス」では再びジョン・トラボルタと共演。残念ながら日本公開作品はこの4本だけで、あとは日本未公開。92年、乳がんを患い、30年にわたって闘病生活をしながらライブツアー、アルバム発表など精力的に音楽活動を続けました。お疲れ様でした。
9月6日 マーシャ・ハントさん 享年104歳知らない方がほとんどでしょうが、映画史において忘れてはならない女優です。1934年に映画界に入り、35年に18歳で女優デビュー、36年の「ハリウッド大通り」、41年「塵に咲く花」、44年「百万人の音楽」、戦後も48年の「脱獄の掟」(アンソニー・マン監督)等多くの作品に出演しますが、「言論自由の会」というリベラリスト団体に加入していた事もあって赤狩りに引っかかり、夫で脚本家のロバート・プリスネル共々ブラックリストに載せられてハリウッドから干されてしまいます(数本のマイナーな作品には出ていたようです)。ようやく57年頃から本格的に女優業を再開しますが、やはりメジャーな作品には出られなかったようで出演作はごく僅か、舞台、テレビに活躍の場を移しました。そして71年、やはり赤狩りの被害者だったダルトン・トランボの初監督作品「ジョニーは戦場へ行った」の、主人公(ティモシー・ボトムズ)の母親役で久しぶりの映画出演を果たしました。トランボの闘いに共鳴していたのでしょうね。
その間もリベラリストとしての立場を崩さず、公民権運動・国連の活動・環境保護運動・慈善事業などにも積極的に関わり続けたそうです。また2013年には同性同士の恋愛と結婚をテーマにした曲「Here's to all who Love」を作詞作曲・発表しました。この時95歳です。凄い女優、というより自由・平等の闘いを生涯続けた活動家、と言った方が正しいでしょう。尊敬に値します。
9月14日 イレーネ・パパスさん 享年96歳ギリシアを代表する名女優ですね。51年に映画デビュー、ギリシア映画に数本出演の後、ハリウッドにも進出、ロバート・ワイズ監督「悪人への貢物」(56)、「ナバロンの要塞」(61)等に出演し、国際スターとなります。ギリシアの名匠、マイケル・カコヤニス監督の「エレクトラ」、「その男ゾルバ」にも出演、存在感を示しました。その他の代表作は「Z」、「1000日のアン」、「華麗なる相続人」、「砂漠のライオン」、「予告された殺人の記録」、「コレリ大尉のマンドリン」等多数。2003年のマノエル・デ・オリヴェイラ監督「永遠の語らい」が最後の出演作のようです。
9月14日 ヘンリー・シルヴァ氏 享年95歳
この方も個性的な顔立ちで、一度見たら忘れられませんね。悪役を演じたら天下一品です。55年にアクターズ・スタジオに入り演技を学びました。57年頃から「ゴーストタウンの決斗」、「無頼の群」等、西部劇を中心にいくつかの映画に出演。60年の「オーシャンと十一人の仲間」以降シナトラ一家の一員として「荒野の3軍曹」(62)、「影なき狙撃者」(62)等でシナトラと共演します。64年のラウール・J・レヴィ監督「二人の殺し屋」では珍しく主演を務めています。66年にはマカロニ・ウエスタン「帰って来たガンマン」に出演、以後イタリア映画への出演が多くなります。そしてシルヴァと言えばやはりこれ、イタリア製スパイ・アクション「続・殺しのテクニック 人間標的」(67)ですね。主演の情報部に利用される寡黙なエージェントを熱演しています。その後もA級、B級問わずいろんなアクション映画、サスペンス映画に出演しています。中でも印象に残るのはチャック・ノリス主演の「野獣捜査線」、スティーヴン・セガールの初主演作「刑事ニコ/法の死角」辺りでしょうか。いずれも最後にヒーローと対決する悪役を演じています。こういう役者がいるから主人公が引き立つのですね。2001年には「オーシャンと十一人の仲間」のリメイク「オーシャンズ11」にカメオ出演、これが最後の映画出演となりました。
9月23日 ルイーズ・フレッチャーさん 享年88歳
何と言っても、アカデミー賞主演女優賞を受賞した「カッコーの巣の上で」(75)での冷酷なラチェッド看護師長役が忘れられませんね。なにしろアメリカン・フィルム・インスティテュート(AFI)が選出した「映画史に残る悪役ベスト100」のトップ5に入ってるくらいですから(笑)。その他の出演作に「エクソシスト2」(77)、「名探偵再登場」(78)、「ブレインストーム」(83)、「炎の少女チャーリー」(84)、「ブルー・スチール」(99)等があるのですが、「カッコーの巣の上で」の印象が強過ぎてあまり記憶に残っていません(笑)。後年はテレビドラマが多くなり、映画も日本未公開作が多く、スクリーンでフレッチャーさんを観る機会が少なくなったのは残念ですね。
10月11日 アンジェラ・ランズベリーさん 享年96歳
戦前から活躍していた、息の長い伝説的名女優ですね。1944年のイングリッド・バーグマン主演「ガス燈」が映画デビュー作。これで早速アカデミー助演女優賞にノミネートされ、続く「ドリアン・グレイの肖像」(45)でも同賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞の助演女優賞を受賞してます。凄い事ですね。その後も数多くの映画に出演、62年の「影なき狙撃者」でまたまたゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞と快進撃が続きます。78年には「ナイル殺人事件」に助演、80年の「クリスタル殺人事件」では主役のミス・マープルを演じてます。並行して舞台、テレビでも活躍、特に84年から始まったテレビドラマ「ジェシカおばさんの事件簿」では主人公ジェシカ・フレッチャー役を演じてますからお顔をご存じの方も多いでしょう。2013年の第86回アカデミー賞において、その功績を称えアカデミー名誉賞を授与されました。2018年の「メリー・ポピンズ リターンズ」では、公園で風船を売る老婆役を軽妙に演じていましたが、これが映画での最後の出演作となりました。本当に素敵な名女優でしたね。それにしても前述のデヴィッド・ワーナーと併せ、「メリー・ポピンズ リターンズ」に出演していた2人の老優が相次いで亡くなられたわけですね。
11月25日 アイリーン・キャラさん 享年63歳
映画「フラッシュダンス」の主題歌「ホワット・ア・フィーリング」の大ヒットで有名な歌手ですが、映画にも数本出演しています。80年に主演した「フェーム」は中でも代表作ですね。主題歌もヒットし、アカデミー歌曲賞も授賞しています。84年のクリント・イーストウッド、バート・レイノルズ共演「シティ・ヒート」にも出演しています。85年には「暴力天使」という日本未公開作品に主演しています。法廷から脱出した2人の女性の逃避行を描いたサスペンスで、共演はテータム・オニール。私は観ていませんが、白人の少女と黒人少女が逃走し、最初は反目しながらも次第に友情が芽生えて来る…という「手錠のままの脱獄」そっくりなお話です。なんとキャラはヌードにもなってるそうです。ビデオは出てるようなのでこれは観たいですね。他にも日本未公開作品で主演している作品がいくつかあるようです。それにしても63歳は若いです。
12月1日 ミレーヌ・ドモンジョさん 享年87歳これまた懐かしい。フランスの俳優で、17歳で映画デビュー、56年のアーサー・ミラー原作による「サレムの魔女」で邪悪な娘役を好演し、57年のカルロヴィ・ヴァリ映画祭の最優秀女優賞を受賞して一躍脚光を浴びます。57年の「女は一回勝負する」ではグラマーな(死語w)ビキニ姿を披露し、オットー・プレミンジャ監督「悲しみよこんにちは」(57)の助演を経て、58年「黙って抱いて」、59年「お嬢さん、お手やわらかに!」と小悪魔的な魅力を発散するコメディに主演して人気が高まります。
63年のシルヴィー・ヴァルタン主演「アイドルを探せ」では人気映画スターの本人役で出演、当時の人気の程が分かります。64年から2本作られたジャン・マレー「ファントマ」シリーズでは主人公ジャン・マレーの恋人役を演じます。65年のスパイ・アクション「リオの嵐」でも妖艶な美女役を演じる等、多くのアクション・コメディ系作品で大活躍します。84年には日本映画「ヨーロッパ特急」にも出演しています。その後しばらくは消息が途絶えていましたが、2006年のフィルム・ノワールの傑作「あるいは裏切りという名の犬」で主人公の昔馴染みのバーの女将役で、すっかりお婆ちゃんになった(笑)姿を見せていました。ファンとしては複雑な思いですね。その後も2017年のカトリーヌ・ドヌーヴ主演「ルージュの手紙」に出演する等、晩年まで多くの映画に出演しました。もう一度初期の頃のビデオ観て彼女を偲びましょうか。
さて、日本の俳優に移ります。
1月31日 小畠絹子さん 享年90歳
1950年代半ば、親類の経営する会社で働いている所をスカウトされて俳優になり、教育映画出演を経て57年、「えんぴつ泥棒」で主役デビューを果たします。その後新東宝に入社、58年の「女の防波堤」でも主演を務め、以後新東宝随一の美女として活躍します。ただ60年代に入って新東宝の経営がジリ貧になり、キワモノめいた作品が多くなって行ったのは残念でしたね。主演作の「0線の女狼群」、「黒い乳房」なんて題名は悲しくなります。61年の新東宝倒産後はテレビドラマに出演、一時は昼メロ・スターとも言われてました。63年からは松竹と契約し、「母の歳月」、「智恵子抄」他多くの映画に出演します。67年にはフリーとなり、東映、日活、松竹でも活躍しました。映画出演は81年の岡本喜八監督「近頃なぜかチャールストン」が最後のようです。
2月20日 西郷輝彦氏 享年75歳
デビュー・シングル「君だけを」の大ヒットで人気歌手となり、橋幸夫・舟木一夫と並んで「御三家」と呼ばれた方です。映画でも自身のヒット曲を主題歌にした東映作品「一七才のこの胸に」を皮切りに、東映、松竹、大映、日活と各社を股にかけて多くの映画に出演しましたが、ほとんどは歌謡青春映画ばかりでした。しかし68年の「あゝ予科練」以降は本格的な俳優を目指し、74年の「狼よ落日を斬れ」では沖田総司役、78年「柳生一族の陰謀」では徳川忠長役、同年の「赤穂城断絶」では浅野内匠頭役と、時代劇スターとしても活躍します。83年の「小説吉田学校」ではなんと田中角栄役を演じてます。91年の「動天」では勝海舟役と、何故か実在の人物役が多いですね。そう言えばテレビでも「どてらい男(ヤツ)」の山善創業者役、「江戸を斬る」の遠山金四郎役とやはり実在人物役が多いです。それにしても人気歌手でありながら、本格俳優としても活躍を続けたというのは珍しいですね。
2月26日 川津祐介さん 享年86歳
慶応大に在学中の1958年、木下恵介監督の「この天の虹」で映画デビュー。以後多くの映画に出演しますが、何と言っても大島渚監督の「青春残酷物語」での好演が忘れられませんね。大島作品には同年の「太陽の墓場」にも出演、また同年吉田喜重監督の「ろくでなし」にも出演しています。翌年には篠田正浩監督の「三味線とオートバイ」に主演していますが、これらの三監督は当時“松竹ヌーベルヴァーグ”の旗手と呼ばれていましたので、川津さんは“ヌーベルヴァーグ俳優”と呼べるかも知れませんね。64年にはフリーとなり、大映、日活、東映と各社の映画に出演します。この時期の代表作としては、日活の鈴木清順監督の傑作「けんかれえじい」があり、キロク(高橋英樹)の師匠、スッポン役が光ってました。その後も数多くの映画に出演しました。なお異色作としては、1975年にベトナム・ロケを敢行した「ナンバーテン・ブルース さらばサイゴン」(長田紀生監督)に主演していますが、諸般の事情からお蔵入りになっていました。ようやく2012年になって行方不明だったネガを発見、修復の上完成、2014年に39年ぶりの全国公開となりました。かなり危険な撮影だったようで、ある意味これが川津さんの代表作と言えるかも知れません。
3月5日 志垣太郎氏 享年70歳
テレビでの活躍が多いですが、映画にもかなり出演、代表作は何と言っても73年の平井和正原作「狼の紋章」の主演・犬神明役ですね。それ以外にも多くの映画に出ていますが、助演が多くこれといったものはありません。「大空のサムライ」(76)、「南十字星」(82)等でいずれも軍人役を演じてます。97年にはなんと河崎実監督のナンセンスSFコメディ「美乳大作戦メスパイ」に出演。2009年にはこれまたパロディ満載SFコメディ、こっちは井口昇監督の「ロボゲイシャ」で悪の組織のボス役を楽しそうに怪演してます。映画の遺作はまたも井口昇監督のおバカ脱力スプラッター「ライヴ」(2014)。よほどこういうパロディ系B級映画がお好きなんでしょうか(笑)。ある意味エラいです。
3月14日 宝田 明氏 享年87歳
日本映画のレジェンドとも言える名優ですね。旧満州出身で、戦後命からがら引き揚げ、54年、東宝ニューフェイスに合格し映画スターの道を歩みます。2本の映画に助演後、54年の記念すべき東宝怪獣映画第1作「ゴジラ」に主演、これが空前の大ヒットとなり、宝田さんはその後も数本のゴジラ映画に出演し、ゴジラ映画を語る上で無くてはならない存在となりました。以後も青春映画、アクション映画、文芸ものと幅広く活躍します。代表作を挙げればキリがないほど多くの映画に出演していますが、お気に入りを挙げれば、60年の川島雄三監督「接吻泥棒」の本人に当て書きで高田明という名前のボクサー役、62年の香港ロケのメロドラマ「香港の星」の商社駐在員役、65年の007にあやかったスパイ・アクション「100発100中」の主人公アンドリュー星野役、そしてずっと後年の矢口史靖監督「ダンスウイズミー」(2019)の怪しい催眠術師マーチン上田役あたりでしょうか。舞台の方でも「マイ・フェア・レディ」等でミュージカル俳優の草分けとなる等、幅広く日本のエンタティンメント界で活躍されました。今年4月公開の自らエグゼクティブ・プロデューサーを務めた「世の中にたえて桜のなかりせば」でも元気な姿を見せていましたが、これが遺作となりました。映画の中で、終戦の時にソ連兵に追われ、満州から命からがら引揚げて日本に帰って来たという、ご自身が体験したエピソードを語っているように、晩年まで戦争の恐ろしさ、平和の大切さを語り続けて来た、人間的にも偉大な俳優だったと思います。
3月31日 山本 圭氏 享年81歳
叔父は映画監督の山本薩夫。その関係か本人、兄・學、弟・亘もそれぞれ俳優になります。俳優座養成所を経て、62年、山本薩夫監督の「乳房を抱く娘たち」で映画デビュー。以後多くの映画に出演していますが、代表作と言えるのがテレビ「若者たち」における三男・三郎役ですね。これは後に映画にもなりました。71年のこれも山本薩夫監督の戦争大作「戦争と人間」三部作にも出演しています。印象に残っているのは、高倉健主演「新幹線大爆破」における、健さんの強奪計画に加わる元過激派学生役ですね。74年の今井正監督「小林多喜二」では主役の小林多喜二を熱演しています。コンスタントに映画に出ていますが、後年は舞台、テレビ出演が多くなります。映画での遺作は16年の「たたら侍」(錦織良成監督)。2017年、倉本聰脚本による帯ドラマ「やすらぎの郷」ではレギュラーの一人、大納言と呼ばれる岩倉正臣役で飄々とした名演技を見せていました、続編「やすらぎの刻~道」(2019)にも同じ役で出演していましたが、これが最後の姿になりました。
4月16日 柳生 博氏 享年85歳
俳優座養成所出身で、1960年頃より多くのテレビドラマに出演、司会者、ナレーターとしても活躍されましたが、映画の方でも61年の東映作品「あれが港の灯だ」でデビュー、以後も東映を中心にいくつかの映画に出演しています。「無頼漢仁義」「関東果し状」「日本侠客伝 血斗神田祭り」など東映任侠映画の出演が多いのが意外ですね。その後も各社の主に青春映画などに多く出演。後年には伊丹十三監督「ミンボーの女」、「静かな生活」等に出演しています。ほのぼのとした雰囲気が漂う名優でしたね。
5月3日 渡辺裕之氏 享年66歳
リポビタンDのCM出演で顔が知られ、82年、映画「オン・ザ・ロード」(和泉聖治監督)で俳優デビューします。以後映画、テレビ、オリジナルビデオ等数多くの作品に出演します。OV時代劇「魔界転生」シリーズでは主役の柳生十兵衛を演じています。2012年にはなんと「桜田門内の変!?」という映画で監督にも挑戦しています。昨年も金子修介監督「信虎」で織田信長役を演じたり、今年に入っても「ポプラン」「貞子DX」「永遠の1分。」等多くの映画に出演、精力的な活動ぶりを見せていました。それだけに突然の死はとても残念です。
6月5日 沢本忠雄氏 享年86歳
57年から数本の映画に出演後、58年、日活入社。同年の「十代の恋よさようなら」で初主演を務めます。以後も数多くの日活映画に出演しています。当初は小林旭、川地民夫と「三悪トリオ」として売り出されましたが、アクションは不得手だった事もあって小林、川地に遅れを取り、次第に助演が多くなって行きます。59年からはテレビドラマの映画化「事件記者」シリーズで東京日報記者・菅役でレギュラー出演しています。その後はテレビ、舞台に活躍の場を移し、66年の松竹映画「空いっぱいの涙」を最後に映画出演はありません。
6月28日 佐野浅夫氏 享年96歳
テレビの「水戸黄門」で三代目黄門役を演じた事で知られていますね。元は舞台俳優で、戦後劇団民藝に参加し、舞台の傍ら、50年の「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」からは映画にも出演、この作品や52年の「真空地帯」、56年の市川崑監督「ビルマの竪琴」の脱走兵役、59年の同じく市川崑「野火」でも兵士役と、戦争映画での軍人役が多いですね。以降日活をメインに、数多くの映画に出演しています。61年の「散弾銃の男」以降は鈴木清順監督作品にもよく出演するようになります。「悪太郎」におけるヒロイン和泉雅子の父親の医師役とか、特に「河内カルメン」のカルメンこと露子(野川由美子)に惚れ込み同居するようになる勘造役(右)は絶妙の好演でしたね(KINENOTEでは大辻司郎となってるのは間違い)。66年の「けんかえれじい」でも軍人役で出演してます。その後も多くの映画、テレビドラマに出演、円熟した名演技を見せてくれました。
6月29日 野村昭子さん 享年95歳
俳優座出身の舞台俳優で、数本の舞台に出演後、54年からは映画にも出演するようになります。印象に残っているのは、黒澤明監督「赤ひげ」での養生所の下働き役ですね。その後も東宝、松竹などで数本の映画に出演しています。主な出演作は「影の車」(70)、「恍惚の人」(73)、「砂の器」(74)、「あゝ野麦峠」(79)、「玄海つれづれ節」(86)など多数。最後の映画出演は小栗康平監督「眠る男」(96)の主人公の眠る男を献身的に介護する老婦役でした。目立たないけれど、近所の主婦や庶民のオバサン役が実にハマってましたね。こういうバイプレイヤーは貴重です。
7月25日 島田陽子さん 享年69歳
印象に残っているのは、名作サスペンス「砂の器」(野村芳太郎監督)における和賀英良の愛人役で、列車の窓から紙吹雪(実は裁断された証拠のシャツ)を投げるシーンは本作中の名シーンですね。同じ松本清張原作「球形の荒野」でも戦時中死亡したとされる外交官の娘役を演じています。76年の角川映画第1作「犬神家の一族」(市川崑監督)では野々宮珠世役を演じました。80年のアメリカ・テレビドラマ「将軍 SHOGUN」の演技でゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞するなど、国際的にも活躍されました。その後も数多くの映画・テレビドラマに出演、気品ある名演技で存在感を示しましたね。素敵な女優でした。
ところが訃報によると、島田さんは身寄りがなく、遺体の引取手もなくて、区役所で遺体を2週間保管後に火葬にしたそうです。告別式もなし。なんともやりきれない最期ですね。悲し過ぎます。昨年に遺作となる映画「エヴァーガーデン」(横山浩之監督)を撮り終えたそうで、これから順次一般公開されるそうです(詳細はこちら)。是非観てあげてください。
7月26日 石濱 朗氏 享年87歳
1951年、高校在学中に姉に薦められて一般応募した木下惠介監督の松竹映画「少年期」にて16歳でデビュー。そのまま松竹専属となって多くの松竹映画に出演しました。52年には小林正樹監督「息子の青春」で主人公北龍二の息子役、54年の野村芳太郎監督「伊豆の踊子」では主演の一高生役を演じてます。踊子役は美空ひばりでした。木下惠介とその弟子格・小林正樹監督作品への出演が多く、木下惠介作品では「遠い雲」(55)、「太陽とバラ」(56)、「惜春鳥」(59)、「永遠の人」(61)、小林正樹作品では「この広い空のどこかに」(54)、「人間の條件」(59)、「切腹」(62)等があります。中でも「切腹」は異色作で、石濱さんはあわれ竹光で切腹を強制される侍役で、あまりに凄惨で目を背けてしまいましたよ。61年頃からはテレビにも出演、「龍馬がゆく」(68)など大河ドラマをはじめとして多くのドラマに出演しています。その為か映画出演は79年の金田一もの「悪魔が来りて笛を吹く」に出演した後はしばらく途絶えますが、88年の「仮面ライダーBLACK 恐怖!悪魔峠の怪人館」で久しぶりの映画出演、以降は3~4年に1本位のペースで映画に出ています。最後の映画出演は2019年の白羽弥仁監督「みとりし」でした。若い頃の甘い二枚目マスクが懐かしく思い出されます。
8月23日 古谷一行氏 享年78歳
テレビの金田一耕助シリーズの金田一耕助役が当たり役で、79年の大林宣彦監督「金田一耕助の冒険」でも金田一を演じており、古谷さんと言えばまず金田一耕助を思い浮かべてしまうのが本人にとっては痛しかゆしでしょうね。「金曜日の妻たちへ」など、テレビでの主演が圧倒的に多いですが、映画にも多く出演しています。69年の三船プロ作品「新選組」が映画デビューで、74年の吉村公三郎監督「襤褸の旗」では明治の労働運動家・荒畑寒村役を演じる等活躍。 中でも代表作と言えるのが岡本喜八監督の「ジャズ大名」(86)。幕末の喧騒を尻目にジャム・セッションに加わり、クラリネットを吹きまくる大名役を軽妙に演じてました。息子はミュージシャン降谷建志で、2003年には主演・プロデュースも兼ねた映画「手紙」で父子共演を果たしています。2014年には三池崇史監督の「喰女-クイメ-」で舞台での伊藤喜兵衛役を演じています。2021年の「おもいで写真」(熊澤尚人監督)が映画での遺作となりました。
9月27日 江原真二郎氏 享年85歳
好きな俳優でした。1954年、東映京都撮影所へ入所、最初は大部屋俳優で通行人などエキストラ出演、55年にやっと数本の時代劇で役が付きます。57年、今井正監督に抜擢され、東京撮影所作品「米」でいきなり主演、新人賞を受賞して脚光を浴びます。続く今井監督作品「純愛物語」にも主演、その後も内田吐夢監督「どたんば」、家城巳代治監督「裸の太陽」と名匠の監督作への主演が相次ぎ、以後押しも押されもせぬ名優として活躍を続けます。出演作は沢山ありますが、印象に残っているのが今井正監督「武士道残酷物語」における藩主役で、主人公(中村錦之助)に目隠しで娘夫婦を殺させた挙句、錦之助の手の甲を刀で突き刺すというサディスティックな藩主を怪演してました。それと内田吐夢監督、錦之助主演の「宮本武蔵」5部作における吉岡清十郎役も印象に残ってますね。あと沢島忠監督の秀作「股旅 三人やくざ」の第三章で、気のいい旅鴉・久太郎(中村錦之助)を簡単に裏切ってしまうズル賢いやくざ役も好演でしたね。こうして見ると中村錦之助との共演作に秀作が多いですね。その後も数多くの映画、テレビで活躍されました。文芸ものからアクション、時代劇まで、純朴な青年役から太々しい悪役まで、実に幅の広い名優だったと思います。
10月8日 松原千明さん 享年64歳
父は戦前から多くの時代劇に出演していた俳優の原健策です。OLを経て、化粧品会社のキャンペーンガールから俳優となり、映画は1980年の東宝作品「地震列島」、崔洋一監督「いつか誰かが殺される」(84)、南野陽子主演の2本「はいからさんが通る」(87)、「菩提樹 リンデンバウム」(88)等5本ほどしかなく、圧倒的にテレビ出演が多いですね。最後の映画出演は88年の山田典吾監督の独立プロ作品「死線を越えて 賀川豊彦物語」。もっと映画に出て欲しかったですね。
10月11日 山本豊三氏 享年82歳
こちらのお父上も映画俳優で、黒澤明監督「酔いどれ天使」等で知られる山本礼三郎です。映画デビュー作は東宝・稲垣浩監督「海賊船」(51)。なんとこの時11歳の小学生でした。その後松竹に入社し、58年の「野を駈ける少女」、「明日をつくる少女」、59年の「明日の太陽」、「若い素顔」など多くの青春映画で桑野みゆきさんとコンビで主演し人気を博しました。また59年には小坂一也、三上真一郎と共に松竹“三代目三羽烏(がらす)”と呼ばれ、「三羽烏三代記」、「暴れん坊三羽烏」、「若手三羽烏 女難旅行」等の“三羽烏”シリーズに出演しています。しかし徐々に助演に回る事が多くなり、65年に松竹退社、68年以降は「㊙トルコ風呂」、「㊙女子大生 妊娠中絶」、「残酷・異常・虐待物語 元禄女系図」、「やくざ刑罰史 私刑」等の東映エログロ映画出演が多くなったのはちょっと悲しいですね。そして75年の「港のヨーコ ヨコハマ ヨコスカ」を最後に映画出演はありません。テレビの方も80年以降出演はないようで、その後どうしていたのか、気になりますね。
11月28日 渡辺 徹氏 享年61歳
テレビの「太陽にほえろ!」(81~85)のラガー刑事役でいきなり人気者になりましたね。テレビ出演が圧倒的に多いですが、映画にも出演しています。83年の「夜明けのランナー」(中岡京平監督)で主演を務めていますが、その後は助演に回ります。87年の吉永小百合主演「映画女優」(市川崑監督)では吉永演じる名女優・田中絹代と結婚した映画監督、清水宏役(映画では清光宏)を演じました。その他は森田芳光監督「そろばんずく」を除いてあまり聞いた事のないマイナーな作品が多いですね。2017年の金子修介監督「リンキング・ラブ」ではAKB48の田野優花のお父さん役を演じています。2019年、秀作アニメ「海獣の子供」で声の出演をしていたのが映画における最後の出演となりました。
12月9日 - 佐藤蛾次郎氏 享年78歳
ご存じ、「男はつらいよ」にレギュラー出演する寺男・源公役が有名ですね。私はそれ以前、山田洋次監督の68年作品、「吹けば飛ぶよな男だが」で、主人公サブ(なべおさみ)の弟分でガスという愛称の小柄な男を見て、ちょっと面白い役者だなと注目したのを覚えています。これが佐藤蛾次郎でした(この映画、大好きで「男はつらいよ」以前の山田監督作品中の最高作だと思っています)。続いて同じ年の10月から始まったテレビ版「男はつらいよ」では寅次郎の種違いの弟・雄二郎役で出演、最終回でハブに噛まれて死ぬ寅の最期を看取る役でした。テレビ局には「何故寅を殺した」という抗議の電話が殺到、映画版が作られる事となり、蛾次郎も引き続いて違う役・源公として出演する事となります。ある意味、山田洋次監督に見出されたとも言えるかも知れません。
児童劇団出身で、映画初出演は64年の東映時代劇「江戸犯罪帳 黒い爪」。この時は本名の佐藤忠和名義でした。その後佐藤蛾次郎と改名。66年にはなんと今村昌平監督「エロ事師たち」より 人類学入門」にも出演しています。私も観ていますが、どこに出てたのか全く気付きませんでした。今度ビデオ観て確かめます。あと出演作で印象に残っているのが澤田幸弘監督の日活ニューアクションの傑作「反逆のメロディー」におけるゲバ作役ですね。オートバイにまたがり、殴り込みをかけて嬉々と喜び、やがてリンチを受けて殺されてしまう変わった役でした。意外な美声で「モズが枯れ木で」を歌うシーンも印象的でした。数多くの映画に出演しており、源公もいですが、思い返すとやはり「反逆-」におけるゲバ作役が最高でしたね。映画の遺作は2020年の「罪の声」でした。
12月11日 藤山陽子さん 享年80歳
61年「オール東宝ニュータレント」1期生として東宝に入社し、加山雄三主演「大学の若大将」で映画デビュー。その後は若大将シリーズ、森繁の社長シリーズ、植木等の無責任シリーズ、東宝特撮シリーズ等、多くの東宝映画に出演します。テレビの夏木陽介主演「青春とはなんだ」に教師役で出演、その映画版「これが青春だ!」にも出演、以後もやはり夏木主演の同傾向作品「でっかい太陽」(67)に出演後、その続編「燃えろ!太陽」を最後に結婚を機に引退します。清楚なイメージでいろんな映画に出ましたが、シリーズもので便利に使われ過ぎ、これといった代表作がなかったのは気の毒でしたね。
12月15日 あき竹城さん 享年75歳
1976年から映画に出始め、「河内のオッサンの唄 よう来たのワレ」(76)、「ピラニア軍団 ダボシャツの天」(77)、「トラック野郎・度胸一番星」(77)と東映プログラム・ピクチャーに出演後、「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」(83)を経て、今村昌平監督「楢山節考」(83)では緒形拳の後妻役を演じ、演技派女優としても認められます。その後も高倉健主演「居酒屋兆治」(83)、「夜叉」(85)、伊丹十三監督「スーパーの女」、「マルタイの女」等の話題作にも出演します。最後の映画出演は山田洋次監督「小さいおうち」でした。
さて、ここからは映画監督の部です。まず外国勢から。
1月6日 ピーター・ボグダノヴィッチ氏 享年82歳
子供の頃から大の映画ファンで、年に400本も観た事があるそうです。成長してからは雑誌に映画評論、監督論を書きまくり、ジョン・フォードにインタビューした本が出版されています。やがてロジャー・コーマンの下で助監督をするようになり、コーマン監督の「ワイルド・エンジェル」などで助監督を務めました。68年、コーマンがソ連から買い付けたSF映画に女性たちが出演するシーンを追加撮影するよう命じられ、そのシーンの監督と編集を任されます。その映画「金星怪獣の襲撃 新・原始惑星への旅」について詳しくは拙映画評を参照ください。次にボグダノヴィッチはコーマンから、コーマン監督の「古城の亡霊」の一部シーンを流用し、同映画に出演したボリス・カーロフを2日間だけ使って映画を作るように言われ、その難題に見事応え完成させた映画「殺人者はライフルを持っている!」がボグダノヴィッチの映画監督デビュー作となりました。コーマンはボグダノヴィッチの恩師とも言えるわけですね。その後「ラストショー」、「ペーパー・ムーン」と秀作を連発して押しも押されもせぬ名監督となったのはご承知の通り。その合間に撮った72年の「おかしなおかしな大追跡」はハワード・ホークス監督「赤ちゃん教育」を下敷きにして、「カサブランカ」やいろんな映画のパロディを盛り込んだ、映画ファン・ボグダノヴィッチらしいスラップスティック・コメディの快作でした。76年の「ニッケルオデオン」も映画創成期を舞台にしたコメディ。本当にボグダノヴィッチは映画ファンがそのまま映画監督になったような人でしたね。ただその後はこれといった作品はなく、81年に撮った「ニューヨークの恋人たち」はオードリー・ヘップバーン主演なのに日本未公開だったり、90年には「ラストショー」の19年ぶりの続編「ラストショー2」を監督しますが大して評判にならず。その後も監督作はいくつかありますがほとんど日本未公開だったりテレビムービーだったり。いつしか忘れられた存在になっておりました。2014年、久しぶりに監督した「マイ・ファニー・レディ」がようやくボグダノヴィッチらしいコメディで復活の兆しを見せましたが、結局これが最後の監督作となりました。
1月13日 ジャン=ジャック・ベネックス氏 享年75歳
フランスの映画監督で、81年の「ディーバ」で長編監督デビューし、これがセザール賞の新人監督賞等4部門受賞して注目を集めます。86年にはベティ・ブルー 愛と激情の日々」が絶賛を浴びて世界中で大ヒット、米アカデミー外国語映画賞にもノミネートされました。その後も監督作がありますが、やはり代表作は前記の2本でしょうね。ただその後はこれといった作品はなく、2000年の「青い夢の女」以降劇映画の監督作はありません。監督した長編作品は僅か6本と寡作。前記2本の傑作で才能を使い果たしてしまったのでしょうか。そして闘病の末75歳の若さで亡くなりました。惜しいですね。
2月12日 アイヴァン・ライトマン氏 享年75歳
チェコスロヴァキア生まれで、幼少期に家族と共にカナダに移住。カナダを拠点にプロデューサーとして活動を開始、71年には監督デビューも果たします。77年、アメリカ映画にも進出し、ジョン・ランディス監督「アニマル・ハウス」をプロデュース、同作主演のジョン・ベルーシ、脚本のハロルド・ライミスらと交流を深め、ベルーシと同じく人気テレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」出身のビル・マーレイ主演の「ミートボール」、「パラダイス・アーミー」(ハロルド・ライミス共演)を経て、84年のマーレイ、ライミス共演「ゴーストバスターズ」の大ヒットに至ります。その後もアーノルド・シャワルツェネッガー主演のコメディ「キンダガートン・コップ」、「ジュニア」等で気を吐きます。そんな中、作品的にも秀作と言えるのがケヴィン・クライン主演の「デーヴ」(93)。大統領に顔が瓜二つだった為、大統領の替え玉にさせられてしまう男デーヴのお話で、人情味溢れるヒューマン・コメディの傑作だと思います。こうした作品をもっと監督して欲しかったですね。後年はプロデューサー業が多くなり、監督作品は2014年のケヴィン・コスナー主演「ドラフト・デイ」が最後となりました。
7月2日 ピーター・ブルック氏 享年97歳
戦後イギリスの演劇界の重鎮で、シェイクスピア劇やオペラ、現代劇に至るまで多くの演劇において斬新な演出を行い高く評価されました。映画の方でも52年のローレンス・オリヴィエ主演「三文オペラ」を皮切りにいくつかの作品で監督を務めています。ジャンヌ・モロー、ジャン・ポール・ベルモンド主演「雨のしのび逢い」(60)、ウィリアム・ゴールディング原作の「蠅の王」(63)等の監督作がありますが、何と言っても代表作は67年の「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」(長い(笑))。略称「マラー/サド」。題名で映画の内容をすべて語っています(笑)。映画を観て圧倒されました。狂気の傑作と言えるでしょう(キネ旬4位)。その後も数本の映画を監督していますが日本未公開作が多いです。89年には舞台劇「マハーバーラタ」の舞台を映像に収録し映画として公開、上映時間はなんと7時間!日本での上映はなくビデオのみ発売。舞台劇の方は日本でも上演されてるそうです。やはり演劇の方ですね。「マラー/サド」はもう一度観たい気がします。
7月23日 ボブ・ラフェルソン氏 享年89歳
ちょっと変わった面白い経歴で、1960年代前半にテレビ制作会社のスクリーン・ジェムズ社で出会ったバート・シュナイダーと意気投合、二人で制作会社、レイバート・プロダクションを設立します。64年、ビートルズ主演「ハード・デイズ・ナイト」を観た二人は、架空のバンドが出演するテレビ番組「ザ・モンキーズ」のアイデアを思いつき、オーディションでメンバーを集めて製作・放映した「ザ・モンキーズ」が当ってそのまま実際のバンド、ザ・モンキーズ結成に至ります。68年にはその映画版「ザ・モンキーズ/恋の合言葉 HEAD!」をレイバート・プロで製作、ラフェルソンが監督し、これがラフェルソンの監督デビュー作となります。またこの作品の脚本がジャック・ニコルソンで、このシュナイダー+ニコルソン・コンビがそのまま69年のニュー・シネマの傑作「イージー・ライダー」に繋がる事となります。勢いに乗って70年にはこれもシュナイダー製作、ジャック・ニコルソン主演でラフェルソンが監督した「ファイブ・イージー・ピーセス」がアカデミー作品賞、主演男優賞等にノミネート、NY批評家協会賞で見事作品賞、監督賞を獲得する等、高く評価されました。私もこれは好きな作品です。なおバート・シュナイダーについては私の追悼記事を参照ください。81年にはまたまたニコルソン主演で「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を監督、これも評価されました。ただその後はも一つこれといった監督作がないのが残念ですね。96年には久しぶりにジャック・ニコルソン主演で「ブラッド&ワイン」を監督しましたが話題にならず。やはりバート・シュナイダーと別れたのが原因なのでしょうか。2002年のダシール・ハメット原作「ノー・グッド・シングス」が最後の監督作のようです。
8月12日 ウォルフガング・ペーターゼン氏 享年81歳
ドイツ出身で、81年の戦争映画「Uボート」が評価されハリウッドに進出、84年には「ネバーエンディング・ストーリー」がヒットします。93年にはクリント・イーストウッド主演「ザ・シークレット・サービス」を監督、これもサスペンスフルな快作でした。その後も「アウトブレイク」(95)、「エアフォース・ワン」(97)、「パーフェクト ストーム」(2000)、「トロイ」(2004)と話題作が目白押し、後の2本はCGをフルに使った演出も圧巻でしたね。ところが2004年の「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイク「ポセイドン」は、CGは凄いのに脚本・演出が凡庸でしまらない駄作だったのにはガッカリ。これで信頼を亡くしたのか以後アメリカでの監督作はなく、ドイツに戻って映画を撮っていたようですね。
9月6日 ジュスト・ジャカン氏 享年82歳
監督デビュー作「エマニエル夫人」は衝撃でしたね。ヘア丸出しのセックス・シーン満載のエロティックな作品なのに、元ファッション写真家だけあってファッショナブルでフォトジェニックな映像が見事で、日本でも大ヒットしました。日本版はボカシやトリミングだらけで何をやってるのか判らないシーンばっかりでしたが(笑)。実を言うと私、昔海外旅行で行ったパリで無修正のオリジナル版観てるのです(笑)。映画の時代が変わるのを実感しましたね。今では無修正版もDVDで観られる時代になりましたが。その後も「O嬢の物語」(75)、「マダムクロード」(76年)、「チャタレイ夫人の恋人」(81)と濃厚なセックス・シーンのある作品を連発しますが、「エマニエル夫人」のインパクトには及びませんでしたね。
9月13日 ジャン=リュック・ゴダール氏 享年91歳
フランス、ヌーベルヴァーグの代表的監督でしたね。59年の「勝手にしやがれ」は衝撃的でした。ほとんどぶつ切れのような編集、即興的演出、破滅的なラストと、それまでの映画の文法をぶっ壊すような革命的作品でした。以後も後に結婚するアンナ・カリーナ主演で「女は女である」(61)、「女と男のいる舗道」(62)、「気狂いピエロ」(65)、ブリジット・バルドー主演「軽蔑」(63)、その他多くの異色作を監督します。日本の監督にも影響を与え、舛田利雄監督「紅の流れ星」、吉田喜重監督「ろくでなし」には「勝手にしやがれ」のオマージュがあったり、前田陽一監督の「進め!ジャガーズ 敵前上陸」のラストには「気狂いピエロ」のラストシーンがまるまるパクられていました(笑)。67年頃からは政治色が強くなり、「中国女」(67)、「ウイークエンド」(67)はまだしも、「東風」(70)になると、さすがに私も付いて行けなくなりました(笑)。その後も前衛的な難解作品をコンスタントに作り続けます。2014年の「さらば、愛の言葉よ」はなんと3D映画で、しかも左と右で違う映像という、ゴダール以外誰も考え付かない異色作でした。これは3D眼鏡で観ないと監督の意志が伝わらないのでビデオでは観た事になりません。最後の作品「イメージの本」(2018)もさまざまなイメージをコラージュした難解作です。でもやはり観たくなるのですね。これは第71回カンヌ国際映画祭のスペシャル・パルムドールを受賞しています。最後まで自分のやりたい放題の作品を作り続けた、ある意味では幸せな監督だったと言えるのではないでしょうか。
12月17日 マイク・ホッジス氏 享年90歳
イギリス出身で、テレビ映画の監督を手掛けた後、71年のマイケル・ケイン主演「狙撃者」で映画監督デビュー。マイケル・クライトン原作「電子頭脳人間」(74)を経て、80年にはアメコミSF大作「フラッシュ・ゴードン」を監督、ヒットはしましたが特撮はチープで作品的には低評価でした。クイーン担当の音楽は良かったですが。その後も数本の監督作はありますが、どれも大した事はありません。87年にはジャック・ヒギンズ原作、ミッキーローク主演で「死にゆく者への祈り」を監督しますがこれも不評。結局デビュー作「狙撃者」が一番出来が良かったと言えるでしょう。
日本の監督に移ります。
1月9日 井上 昭氏 享年93歳 大学卒業後、50年に大映京都撮影所に入社。溝口健二や森一生の助監督を務めた後、60年に「幽霊小判」で監督デビュー。以後京都を拠点に「座頭市二段斬り」や「眠狂四郎多情剣」、「若親分乗り込む」、「陸軍中野学校」シリーズ2本と勝新太郎、市川雷蔵主演の人気シリーズを手掛けます。ただ初期の頃は寡作で年1本あるかないか、65年頃からようやく年数本監督するようになりますが、それでも人気シリーズ「座頭市」も「眠狂四郎」も1本づつしか撮っておりません。森一生や三隅研次、池広一夫といった主流派監督たちと比べて、あまり評価されていなかったのかも知れません。69年の「関東おんなド根性」を最後に大映での監督作はなく、以後テレビの時代劇シリーズで活躍する事となります。
私も井上監督についてはほとんど意識していませんでしたが、近年再評価の機運が高まり、その演出手法は“大映ヌーベルヴァーグ”とまで評されております。中でも64年の「勝負は夜つけろ」は和製フィルム・ノワールの隠れた傑作と言われているそうです。DVDも出てるようなので、これは観たいですね。
近年は時代劇専門チャンネルのオリジナル時代劇を数本監督しており、今年劇場でも公開された「殺すな」はなかなかの秀作でした。93歳になっても衰えぬピンと張り詰めた演出には感心しましたが、これが遺作となりました。井上監督の作品、遅まきながらもっと観たくなりました。ご冥福を祈ります。
1月20日 恩地日出夫氏 享年88歳
55年に東宝に入社。61年、27歳の若さで「若い狼」で監督昇進を果たします。その後、「高校生と女教師 非情の青春」、「素晴らしい悪女」、「女体」と当時の東宝としてはかなり尖がった問題作を発表します。これらは同時期の松竹ヌーベルバーグに対抗して“東宝ヌーベルバーグ”と呼ばれました。しかし「女体」では本物の牛を解体した為会社やマスコミから睨まれ、2年間ホサれる事となります。ところが66年の内藤洋子主演の「あこがれ」では一転、ナイーブなタッチの青春映画で、これが評価されて、以後は東宝青春映画の旗手となります。中でも68年の「めぐりあい」は実に爽やかな傑作でした。その後はテレビドラマにも挑戦、中でも79年の「戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件」は実際にあった誘拐事件をドキュメンタルなタッチで描いて高く評価されました。この手法は11年ぶりに撮った劇映画「生きてみたいもう一度・新宿バス放火事件」(85)でも発揮されていました。その後は「四万十川」(91)、「わらびのこう/蕨野行」(2003)と寡作で、これが最後の作品となりました。東宝ヌーベルバーグから青春映画、社会派セミドキュメンタリー、自然主義的な枯れた作品と、さまざまなジャンルでそれぞれに足跡を残した、名監督だったと思います。
3月21日 青山真治氏 享年57歳
2001年の「EUREKA」は素晴らしい力作でしたね(キネ旬ベストテン4位)。以後も07年「サッドヴァケイション」、11年「東京公園」、13年「共喰い」等の力作を発表しています。20年の「空に住む」が遺作となりました。死因は食道ガンだそうですが、それにしても57歳とは…。あまりに若過ぎます。
5月22日 石井 隆氏 享年75歳
劇画作家から、それらを原作とした映画化作品の脚本(「天使のはらわた」シリーズ等)を経て、88年「天使のはらわた 赤い眩暈」で映画監督デビュー、以後も「死んでもいい」(92)、「ヌードの夜」(93)、「夜がまた来る」(94)等の意欲作を監督、95年にはアクション映画「GONIN」を監督、北野武監督ばりのバイオレンス・アクションの快作となりました(たけしも出演)。以後も「GONIN2」、「黒の天使 Vol.1」、「同 Vol.2」とハードボイルド・アクションを立て続けに監督します。その後はしばらくエロティック路線に回帰、「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」(2010)、「甘い鞭」(2013)等を監督します。2015年、シリーズ3作目となる「GONIN サーガ」を監督、スタイリッシュなアクションの切れ味は快調で、キネ旬ベストテンでも6位に入る等高く評価されましたが、これが遺作となりました。まだまだ活躍を期待していたのに、残念です。
6月18日 岩内克己氏 享年96歳
53年に東宝入社。主に鈴木英夫監督の助監督を務め、63年「六本木心中 愛して愛して」で監督デビュー。64年の「恐怖の時間」は師匠鈴木英夫監督譲りのサスペンスの力作でした。68年には浜美枝が体当たりヌード主演した、これも異色作「砂の香り」を脚本・監督しています。しかし65年の「エレキの若大将」以後は加山雄三の“若大将”シリーズを6本監督し、岩内監督と言えば若大将みたいなイメージが出来てしまったのは残念ですね。73年の「グァム島珍道中」を最後に劇場映画からは遠ざかってしまい、その後は芸術専門学校の講師として後進育成に力を注いでいました。冒頭紹介の3作品を見ても、もっと違ったジャンルの作品でも実力を発揮出来たと思うのですが。惜しいですね。
8月20日 小林政広氏 享年68歳
1970年代はフォーク歌手をやっていたという、変わった経歴の方です。その後ピンク映画の脚本を書いたり、城戸賞も受賞したりで徐々に脚本家として頭角を現し、やがて97年、「CLOSING TIME」で映画監督デビューを果たします。2005年の「バッシング」がカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、徐々に評価は高まります。19年の「愛の予感」はなんと俳優として主役を務めた他、脚本、主題歌の作詞・作曲・歌まで手掛けるワンマン映画。この作品は日本映画として37年ぶりのロカルノ国際映画祭で最高賞の金豹賞(グランプリ)を受賞しました。2009年からの仲代達矢主演3部作「春との旅」、「日本の悲劇」、「海辺のリア」も重厚な力作でした。仲代さんは「春との旅」の脚本を自身の出演作のうち5本の指に入る作品だと明言しています。小林さんは仲代さんに次回作の脚本を預けていたそうですが、映画化が叶わないうちに亡くなられてしまいました。68歳、まだまだこれからも活躍が期待されていたのに、残念でなりません、
8月28日 森川時久氏 享年93歳
フジテレビのディレクター時代の66年、地味な社会派ドラマ「若者たち」を演出。田中邦衛を中心とした5人兄妹の生きる姿を真摯に見つめた秀作でしたが視聴率は振るいませんでした。しかしコアなファンが付いて徐々に評価は高まり、67年に映画版「若者たち」で映画監督デビュー、これは人気を呼んで計3作が作られ、いずれも森川さんが監督しました。奇しくも、やはり今年亡くなられた山本圭さんが三男役を演じていました。その他の監督作に「わが青春のとき」、「翔べイカロスの翼」、「次郎物語」などがあります。でもやはり、「若者たち」で、テレビドラマ史に足跡を残した方として記憶に留めたいと思います。
9月21日 澤田幸弘氏 享年89歳
1956年日活入社後、鈴木清順、舛田利雄、小沢啓一などの監督の下で助監督を務め、70年、「斬り込み」で鮮烈なデビューを果たします。次作「反逆のメロディー」もまた素晴らしい傑作、原田芳雄がGパン、ジーンズ姿のヤクザを演じる型破りなヤクザ映画でした。この2本で澤田監督は日活ニューアクションの旗手としての地位を確立しました。日活がロマンポルノに転向後も、ロマンポルノの枠内で「セックスハンター 濡れた標的」、「濡れた荒野を走れ」(長谷川和彦脚本)とハードボイルド・タッチの力作を発表します。また並行して松田優作と組んだ「あばよダチ公」、「俺たちに墓はない」等も監督します。その後もテレビの「太陽にほえろ!」、「大都会」シリーズ等のアクション・ドラマを多く手掛けます。91年の「撃てばかげろう」を最後に劇場映画はなく、テレビとオリジナル・ビデオシネマの仕事が多くなったのは残念です。今一度、「反逆のメロディー」のような、鮮烈でアナーキーなアクションを撮って欲しかったと思いますね。
11月12日 大森一樹氏 享年70歳大ショックです。訃報を聞いて、俄かに信じられませんでした。呆然となりました。
個人的にも、自主上映会やおおさか映画祭でよくお顔を拝見し、お話した事もありました。何より大森さんがユニークなのは、私たちと同じ“生粋の映画ファン”からプロの監督になったという点です。
大学生の頃から、キネマ旬報の「読者の映画評」に投稿したり(実は私も常連でした)、また京都の名物映画館、京一会館の発行する「京一通信」の中心的編集者だったり、神戸の福原国際東映を根城に、自主上映グループ「グループ無国籍」のメンバーとしてオールナイト上映会を主催したり、まさに私たちと同じように、“映画が大好きな映画ファン”としていろんな活動をされてました。そして1973年、大阪のスポーツ紙「週刊ファイト」で、同紙記者の高橋聡さんが「読者の映画評」を通じて知り合った映画ファンに呼びかけて作った映画ベストテンにも参加しています。これがきっかけとなって高橋さんが実行委員長となる関西初の映画祭「映画ファンのための映画まつり」(現在も続く「おおさかシネマフェスティバル」の原型)に発展して行く事となるのですが、この映画祭のタイトルを命名したのも大森さんでした。
その傍ら、高校時代から8ミリによる映画作りを行っていて、75年には16ミリによる「暗くなるまで待てない!」を自主製作、大きな反響を呼びました。実はこの映画には、撮影・照明に高橋聰、脚本・出演に村上知彦、同じく出演に磯本治昭と前記「週刊ファイト」ベストテン参加者が多く関わっていました。まさに生粋の関西映画ファンが集まって作った、“映画ファンの作った映画”とも言えるでしょう(映画の中に、グループ無国籍による「鈴木清順作品オールナイト上映会」で講演する清順監督の姿が登場します)。
その後、城戸賞を受賞した自身の脚本「オレンジロード急行」(77)の映画化に自ら手を上げ、アマチュア映画作家からいきなり商業映画監督デビューという快挙を達成、同時期に続々と出て来たアマチュア映画作家のプロ進出の一角を担う事となりました。その後の活躍はご存じの通りですのでここでは省略します。
近年は大阪芸術大学映像学科の学科長も務めて若手作家の育成にも力を入れてました。その為映画製作本数はやや減っていたのが残念です。監督として遺作となったのが2015年の「ベトナムの風に吹かれて」。しっとり、丁寧に作られたいい映画でした。その翌年の「おおさかシネマフェスティバル」にも来場され、私もお会いして言葉を交わしたのが最後となりました。有名監督になっても奢らず、気さくに我々映画ファンと話をしてくれた、本当の映画ファンである映画監督と呼べる数少ない人だったと思います。70歳、若過ぎます。悲しい。
11月27日 崔 洋一氏 享年73歳
またまた好きな監督の急逝です。在日韓国人2世で、大島渚監督「愛のコリーダ」や村川透監督「最も危険な遊戯」などで助監督を務め、81年頃よりテレビドラマの監督を務めます。そして83年、内田裕也が企画・主演した「十階のモスキート」で劇場映画監督デビューを果たします。これで崔さんは毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞する等、将来が期待されました。85年の角川映画「友よ、静かに瞑れ」も渋いハードボイルドの佳作でしたね。そして93年の「月はどっちに出ている」では遂にキネマ旬報ベストワン他映画賞を総ナメ、日本映画界のホープとしての期待を集めました。その後も2004年の「血と骨」など、力作を発表。同年より日本映画監督協会の理事長も務めています。
ただ、それ以降はこれといった作品はなく、2009年の「カムイ外伝」はしまらない駄作でガッカリしました。以後は監督作はないままで、ガンの為73歳の若さで亡くなられたのはとても残念です。もう一度、「月はどっちに出ている」のような傑作を作って欲しかったですね。
12月8日 吉田喜重氏 享年89歳
松竹に入社後、60年「ろくでなし」で27歳の若さで監督デビュー。大島渚、篠田正浩と並ぶ松竹ヌーベルヴァーグ三羽烏と呼ばれました。上のゴダールの所でも書きましたが、「ろくでなし」のラストはまさに「勝手にしやがれ」です。その後も「血は渇いている」、「嵐を呼ぶ十八人」と先鋭的なタッチの意欲作を監督、特に64年の「日本脱出」は鈴木ヤスシ扮する主人公の自滅的な逃避行を描く、まさにヌーベルヴァーグ的異色作でした。64年松竹を退社、自身の独立プロ「現代映画社」を設立、夫人の岡田茉莉子と二人三脚でATGと提携で「エロス+虐殺」(69)、「煉獄エロイカ」(70)、「戒厳令」(73)と近現代史を俯瞰した骨太の力作を発表します。ただ「煉獄エロイカ」は難解過ぎて何が何だかサッパリ判らなかったと記憶しています。1988年の松田優作主演「嵐が丘」以降は監督作は途切れ、その間「小津安二郎の反映画」などの映画論の書籍をいくつか刊行、2002年に14年ぶりの監督作「鏡の女たち」を発表しましたが、これが監督としての遺作となりました。個人的には自身の独立プロで作ったアート系作品よりも、60年代の松竹ヌーベルヴァーグ作品の方に愛着がありますね。
さて、ここからはその他の方々です。
1月8日 マリリン・バーグマンさん (作詞家) 享年93歳
夫のアラン・バーグマンと組んで、数多くの映画主題歌の作詞を担当しました。代表作はシドニー・ポワチエ主演「夜の大捜査線」(67)の主題歌"In The Heat of The Night"(レイ・チャールズ歌唱)、スティーヴ・マックィーン主演の「華麗なる賭け」の主題歌「風のささやき」(The Windmills of Your Mind)、バーブラ・ストライサンド主演「追憶」の主題歌"The Way We Were"など。いずれも名曲ですね。アカデミー主題歌賞を3回受賞しています。
1月21日 メイス・ニューフェルド氏 (映画プロデューサー) 享年93歳
70年代にテレビドラマの制作を行っていましたが、76年より映画界に進出、「オーメン」の製作総指揮を担当して大ヒットとなり、以後も多くのヒット作、話題作を製作しました。特に90年の「レッドオクトーバーを追え」以後、トム・クランシー原作のジャック・ライアン・シリーズを次々映画化、「パトリオット・ゲーム」、「今そこにある危機」、「トータル・フィアーズ」、「エージェント・ライアン」とジャック・ライアン・シリーズを連発します。遂にはテレビ・シリーズ「ジャック・ライアン」(2018)では製作と監督まで手掛けてしまいます。ある意味、生涯をジャック・ライアン・シリーズに捧げたとも言えるのではないでしょうか。それら以外の製作作品では、「将軍の娘/エリザベス・キャンベル」(99)、「イコライザー」シリーズ等があります。
2月1日 石原慎太郎氏 (政治家、小説家) 享年89歳
小説家、タカ派の国会議員を経て東京都知事にもなった事で有名ですが、映画にも随分関わっております。55年、芥川賞を獲った「太陽の季節」で騒がれ、日活で映画化された時に弟の石原裕次郎が端役で出演し、次作の「狂った果実」で裕次郎がいきなり主演、以後裕次郎は日本を代表するトップスターとなります。兄の慎太郎も裕次郎人気にあやかって?映画に出演したり、57年には監督業にも進出、東宝で「若い獣」を監督します。62年には監督2作目として、5人の監督によるオムニバス「二十歳の恋」の1本を監督しています。他の監督がトリュフォーやアンジェイ・ワイダなど凄い顔ぶれでしたが、これはあまり評価されませんでしたね。 俳優としても数本の映画に出演していますが、はっきり言って演技はヘタでしたね(笑)。主演作として鈴木英雄監督の秀作「危険な英雄」があります。野望に燃える新聞記者を熱演しており、悪くはないのですが、仲代達矢等実力のある俳優と並ぶとやはり拙さが目立ちますね。あと川島雄三監督の「接吻泥棒」では本人役で冒頭とラストのみ出演。最後の「俺には女は書けねえ」のセリフが笑わせます。まあ好きな事やって名声も得たのですから悔いない人生だったのではないでしょうか。
2月7日 ダグラス・トランブル氏 (SFXスーパーバイザー) 享年79歳
68年のSF映画の名作「2001年宇宙の旅」のラストのスターゲイト突入シーンの視覚効果を担当した事で有名ですね。その後もスティーヴン・スピルバーグ監督「未知との遭遇」、ロバート・ワイズ監督「アンドロメダ…」同監督「スター・トレック」、リドリー・スコット監督「ブレードランナー」など、多くのSF映画の秀作で特殊効果(SFX)を担当しました。72年には「サイレント・ランニング」で監督にも挑戦しています。83年には監督2作目「ブレインストーム」を発表、かなり実験的な作品でした。監督作はこの2本のみ。映画史に残る特殊効果のパイオニアだったと言えるでしょう。
3月2日 アラン・ラッド・ジュニア氏 (映画製作者) 享年84歳
「シェーン」などで知られる名優、アラン・ラッドを父に持ち、やはり映画界に入りますが、父とは違って映画製作の道を歩みます。73年に20世紀フォックスに入社、後にフォックス社の社長となり、「オーメン」、「エイリアン」等のヒット作の製作・配給を手掛けます。77年には他社で企画が難航していた「スター・ウォーズ」のフォックス社製作にゴーサインを出し、大ヒットに繋げる等、20世紀フォックスの黄金期を支えました。フォックスを退社後は自身の製作会社、ラッド・カンパニーを設立し、ここでも「炎のランナー」、「ブレードランナー」、「ライトスタッフ」、「ブレイブハート」など名作、ヒット作を数多く製作しました。親父さんと違う道を進んでアメリカ映画界の隆盛に貢献したわけですね。その点では父親を超えたと言えるのではないでしょうか。
3月17日 佐藤忠男氏 (映画評論家) 享年91歳
映画評論界の大御所、重鎮とも言える方ですね。映画ファンで知らない人はいないんじゃないでしょうか。
高校を卒業後、映画雑誌に映画批評を次々と投稿して注目を集め、1957年から「映画評論」誌の編集に携わった後、フリーの映画評論家としてキネマ旬報、他の映画雑誌に映画評を書く他、小津安二郎、溝口健二、黒澤明等の監督論も数多く執筆しています。しかしこの方が素晴らしいのは、他の評論家が無視するようなプログラム・ピクチャーの中でもキラリ光る埋もれた秀作を的確に評価していた点です。例を挙げれば、66年の鈴木清順監督「けんかえれじい」を、キネ旬ベストテン選考委員でただ一人、2位にランクインしていました。私これで佐藤さんを見直しました。96年には日本映画大学の前身にあたる映画専門学校、「日本映画学校」の校長に就任し、みずからも教壇に立って若い映画人を育てて来ました。映画に関する著作も膨大な数になります。95年には創世記以来の日本映画の歴史を纏めた「日本映画史」を発表する等、精力的に活動を続けて来られました。本当に尊敬すべき映画評論家だったと改めて思います。
3月24日 松田寛夫氏 (脚本家) 享年88歳
東映の大御所映画監督、松田定次の養子です。58年、東映に助監督として入社。その後脚本家に転向します。初期の頃は子供向けテレビドラマを書いていましたが、やがて劇場映画に進出、最初に手掛けたのが68年の深作欣二監督「恐喝こそわが人生」でした。以後深作監督作品だけでも「博徒外人部隊」、「人斬り与太 狂犬三兄弟」、「仁義の墓場」、「柳生一族の陰謀」、「宇宙からのメッセージ」と錚々たる題名が並びます。その他の代表作は伊藤俊也監督のデビュー作「女囚701号さそり」、その続編「女囚さそり 第41雑居房」、「女囚さそり けもの部屋」から、野田幸男監督の傑作「0課の女 赤い手錠」、工藤栄一監督「その後の仁義なき戦い」まで、東映プログラム・ピクチャーの異色作、カルト作を数多く執筆しました。また85年の「花いちもんめ」(伊藤俊也監督では日本アカデミー賞最優秀脚本賞、89年の「社葬」(舛田利雄監督)では毎日映画コンクール脚本賞を受賞する等、優れた脚本も多く執筆しています。しかし映画ファンとしては、傑作「人斬り与太 狂犬三兄弟」、「仁義の墓場」、「女囚701号さそり」の脚本を手掛けた事で高く評価したいと思います。
4月18日 佐々木史朗氏 (映画プロデューサー) 享年83歳
ATGで若手監督の秀作を次々製作した名プロデューサーです。変わった経歴で、59年に早稲田大学を中退後、別役実らと早稲田小劇場を設立します。その後63年TBSテレビに入社、演出の仕事に携わりますがやがて退社、TBSとの共同出資で70年「東京ビデオセンター」を設立しテレビ番組の製作を手掛けます。78年、東京ビデオセンターとATGの提携で橋浦方人監督の映画「星空のマリオネット」を製作、これが縁となって79年、ATGの二代目社長に就任します。それまではATGでは大島渚、篠田正浩、岡本喜八、熊井啓といった錚々たる大物監督の作品が中心でしたが、佐々木さんは方針を一転、自主映画出身者や日活ロマンポルノを撮っていた若手監督に次々と映画製作のチャンスを与えて行きます。そうして製作した主な作品は以下の通り。「ヒポクラテスたち」(大森一樹監督)、「ガキ帝国」(井筒和幸監督)、「遠雷」(根岸吉太郎監督)、「転校生」(大林宣彦監督)、「九月の冗談クラブバンド」(長崎俊一監督)、「TATTOO<刺青>あり」(高橋伴明監督)、「家族ゲーム」(森田芳光監督)、「逆噴射家族」(石井聰亙監督)…。その多くが映画賞を獲ったり出世作となったりしており、後に日本映画界を席巻して行く事となる才能ある新進監督たちにこれだけ活躍の場を与えたプロデューサーは他に例を見ません。凄い事です。ATG社長退任後の93年、自身の製作会社「オフィス・シロウズ」を設立し、ここでも「20世紀ノスタルジア」(原将人監督)、「ナビィの恋」(中江裕司監督)、「笑う蛙」(平山秀幸監督)、「スクラップ・ヘブン」(李相日監督)、「キツツキと雨」(沖田修一監督)と若手監督の意欲作を製作し、後の彼らの躍進に繋げています。17年にオフィス・シロウズの代表を退任しますが、そのオフィス・シロウズは今年も秀作「土を喰らう十二ヵ月」を製作して気を吐く等、佐々木さんのDNAは脈々と受け継がれているような気がします。本当に長い間お疲れ様でした。
5月17日 ヴァンゲリス氏 (シンセサイザー奏者・作曲家) 享年79歳
シンセサイザーの名手で、映画音楽もいくつか手掛けています。81年の「炎のランナー」ではアカデミー賞作曲賞を受賞。82年のリドリー・スコット監督のSF「ブレードランナー」、83年の日本映画「南極物語」等は有名ですね。92年の「1492・コロンブス」では再びリドリー・スコット監督と組んでいます。2004年のオリバー・ストーン監督「アレキサンダー」の音楽も担当しています。「ブレードランナー」のシンセサイザーは印象的でしたね。数は少ないけれど、素敵な音楽を提供してくれた名作曲家だと思います。
6月11日 河村光庸氏 (映画プロデューサー) 享年72歳
この方の訃報を聞いて愕然となりました。ショックです。
最初は出版社の代表として、いくつかのベストセラーを出版していました。その後映画配給会社に関わり、2008年に映画配給会社スターサンズを設立、韓国映画「牛の鈴音」(08)を配給、スマッシュヒットとなります。次に輸入配給したヤン・イクチュン監督「息もできない」はキネ旬ベストワン他映画賞を総ナメ、ロングランヒットとなります。11年には自社による映画製作・配給を開始、その第1作、ヤン・ヨンヒ監督「かぞくのくに」(2012)がこれまたキネ旬ベストワン、ブルーリボン作品賞などを獲得する華々しいスタートを切りました。その後も次々と意欲作、社会派の問題作を連発、日本映画の台風の眼となったのは御承知の通り。2017年の「あゝ、荒野」(岸善幸監督)も映画賞を総ナメ、2019年の「新聞記者」(藤井道人監督)は日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞、同時に「新聞記者」の原案者である東京新聞記者・望月衣塑子を追った社会派ドキュメンタリー「i-新聞記者ドキュメント」も製作、これらは最近なかなか作られなくなった、日本の政治状況を鋭く批判・追及した作品であり、その大胆な企画力には敬服いたします。同じ2019年には真利子哲也監督「宮本から君へ」を製作、これも高い評価を受け、おおさかシネマフェスティバルでベストワンを獲得します。そして2021年には「ヤクザと家族 The Family」、「茜色に焼かれる」、「パンケーキを毒見する」、「空白」と秀作、問題作を立て続けに発表、「空白」はヨコハマ映画祭ベストワンに輝きました。「パンケーキを毒見する」は時の菅首相を徹底的におちょくった政治ドキュメンタリーで、まさに怖いもの知らずの快進撃を続けます。これからもどんな問題作を作ってくれるのか、期待していた所に突然の訃報です。日本映画界の一大損失と言っても過言ではないでしょう。残念です。既に藤井道人監督との3度目のタッグ「ヴィレッジ」が完成、来年の公開を待つ所でした。72歳、早過ぎます。
6月27日 中野昭慶氏 (特技監督) 享年86歳
円谷英二の後を継ぐ東宝特撮映画の特技監督として活躍されました。代表作は「日本沈没」(73)、「ゴジラ対メカゴジラ」(73)、「ノストラダムスの大予言」(74)、「東京湾炎上」(75)、「惑星大戦争」(77)、「連合艦隊」(81)、「ゴジラ」(84)、「竹取物語」(87)等多数。変わったところでは85年、北朝鮮に招かれ、怪獣映画「プルガサリ 伝説の大怪獣」の特撮を担当しています。「竹取物語」を最後に東宝特撮特技監督の肩書は後継者の川北紘一に譲り、その後はテーマパーク・博覧会関係の映像作品を手掛けました。
9月1日 結城良熙氏 (映画プロデューサー) 享年83歳
1961年に日活入社、助監督として江崎実生監督の「女子学園 悪い遊び」等に付きます。71年、日活がロマンポルノを製作するようになると、結城さんもプロデューサーとして多くのロマンポルノを手掛けます。そんな中から田中登監督の「㊙色情めす市場」「実録 阿部定」「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」、池田敏春監督「天使のはらわた 赤い淫画」等の秀作、鈴木則文監督唯一のロマンポルノ「堕靡泥の星 美少女狩り」、金子修介監督のデビュー作「みんなあげちゃう」等が結城さんのプロデュースによって生まれる事となります。またそれらと並行して松田優作主演「あばよダチ公」(澤田幸弘監督)、石井聰亙の商業映画監督デビュー作「高校大パニック」(澤田幸弘と共同)、藤田敏八監督「十八歳、海へ」等の一般映画の異色作も手掛けます。さらには元日活プロデューサーの岡田裕らが設立したNCP(ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)にも参加し、上の崔洋一監督の所でも挙げた秀作「十階のモスキート」(NCP製作)のプロデューサーも担当します。そして88年の徳間書店、NCP等が企画協力した大作「敦煌」にもプロデューサーとして参加と、その幅広い活動ぶりは目覚しいものがあります。最後のプロデュース作品は2003年の「姐御 ANEGO」(一倉治雄監督)。製作が日活時代の上司である黒澤満さんのセントラル・アーツなので恩返しに協力したのでしょうか。ともあれ、一昨年亡くなられた伊地智啓さん、成田尚哉さんらと並んで日活ロマンポルノの隆盛に貢献した名プロデューサーの一人であるのは間違いない所でしょう。
10月7日 一柳 慧氏 (作曲家) 享年89歳
日本の前衛音楽を牽引した名作曲家ですが、映画音楽も多く手掛けています。1962年の勅使河原宏監督「おとし穴」を手始めに、65年以降、「水で書かれた物語」「さらば夏の光」「エロス+虐殺」「煉獄エロイカ」「告白的女優論」「戒厳令」と、吉田喜重監督作品のほとんどを担当しました。とりわけ「エロス+虐殺」が素晴らしく、重厚で流麗なメロディに惹かれてレコードまで買ってしまいました。その他では横山博人監督「純」(80)、和泉聖治監督「沙耶のいる透視図」(86)等も担当しています。
10月27日 金宇満司氏 (映画撮影監督) 享年89歳
1953年、岩波映画製作所に入社後撮影技師として活躍し、61年、岩波映画製作の羽仁進監督「不良少年」でカメラマンとして一本立ち、羽仁進監督「ブワナ・トシの歌」(65)を経て、68年の石原プロ「黒部の太陽」の撮影を担当、以後も「栄光への5000キロ」(69)、「富士山頂」(70)、「ある兵士の賭け」(70)と石原プロ作品を連続して手掛け、71年には石原プロに入社して撮影監督のみならず、常務として石原プロの経営を支えます。その後の主な担当作は「甦える大地」(71)、「蒼ざめた日曜日」(72)、「反逆の報酬」(73)、「ゴキブリ刑事」(73)など。いずれも石原プロ作品。石原プロ以外では熊井啓監督「サンダカン八番娼館 望郷」(74)、同「北の岬」(76)があります。テレビでも「大都会 闘いの日々」「大都会 PARTII」「大都会 PARTIII」「西部警察」と石原プロ作品を担当します。石原裕次郎が入院した際には看病に専念する等、裕次郎を心から尊敬していたようです。
12月11日 アンジェロ・バダラメンティ氏 享年85歳
グラミー賞受賞歴もある作曲家ですが、86年、デヴィッド・リンチ監督の「ブルーベルベット」の音楽を手掛けて以来、「ワイルド・アット・ハート」、テレビ「ツイン・ピークス」、その劇場版「ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間」、「ロスト・ハイウェイ」、「ストレイト・ストーリー」、「マルホランド・ドライブ」と、ほとんどのリンチ作品の音楽を担当しています。中でも「ツイン・ピークス」の重低音ギターを生かした音楽は耳に残る名曲ですね。他にも数多くの映画音楽を作曲しています。
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簡単に済ませるつもりが、いざフィルモグラフィーを調べたりしているうちに、あの映画この映画と懐かしさがこみ上げてDVDまで再見したりで、結局長い追悼記事になってしまいました(苦笑)。
その他にも惜しい方々が亡くなられていますが、本稿では映画関係に絞って取り上げましたので割愛させていただきました。以下お名前だけ挙げさせていただきます。(敬称略)
1月10日 水島新司 (漫画家) 享年82歳
1月22日 ドン・ウィルソン(元ザ・ベンチャーズ・ギタリスト) 享年88歳
3月 2日 原田泰治 (画家、グラフィックデザイナー) 享年81歳
2月 9日 とりいかずよし (漫画家) 享年75歳
3月 3日 西村京太郎 (小説家、推理作家) 享年91歳
4月 7日 藤子不二雄Ⓐ (漫画家) 享年88歳
4月 9日 ジャック・ヒギンズ (イギリスの冒険小説家) 享年92歳
5月10日 早乙女勝元 (作家) 享年90歳
6月23日 渡辺宙明 (作曲家、編曲家) 享年96歳
7月19日 佐藤陽子 (ヴァイオリニスト、声楽家) 享年72歳
8月 5日 三宅一生 (ファッションデザイナー) 享年84歳
8月 9日 レイモンド・ブリッグズ (英イラストレーター、漫画家
「スノーマン」等) 享年88歳
8月11日 森 英恵 (ファッションデザイナー) 享年96歳
9月 8日 鈴木志郎康 (詩人、映像作家) 享年87歳
9月17日 石井いさみ (漫画家) 享年80歳
9月30日 六代目・三遊亭円楽 (落語家) 享年72歳
10月 1日 アントニオ猪木 (格闘家、政治家) 享年79歳
10月28日 ジェリー・リー・ルイス (米ロック歌手) 享年87歳
11月11日 村田兆治 (元ロッテ投手、解説者) 享年72歳
12月 6日 水木一郎 (アニメ歌手) 享年74歳
今年も、長年に亘り映画界に大きな足跡を残された方々が多く亡くなられました。慎んで哀悼の意を表したいと思います。
特に本年は、若い頃に胸をときめかせたグラマラスな女優(カトリーヌ・スパーク、ミレーヌ・ドモンジョ等)や、個人的に大好きだった映画監督、名プロデューサーといった方々がお亡くなりになり、とても寂しい気分です。
今年1年、おつき合いいただき、ありがとうございました。来年もよろしく、良いお年をお迎えください。
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コメント
毎年、年末はKeiさんのこの記事を楽しみにしていましす。
色々な人が亡くなっていますね。
70代後半80代ならまあ大往生かなと思いますが、それ以下の人は残念ですね。
個人的にはヘンリー・シルヴァが亡くなっていたのが残念でした。
悪役ファンで日本だと成田三樹夫の大ファンだったのですが、海外の悪役ではヘンリー・シルヴァ大好きでした。
いつも楽しい記事をありがとうございます。
昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。
投稿: きさ | 2023年1月 1日 (日) 22:46
◆きささん
ヘンリー・シルヴァのファンとは嬉しいですね。こういう個性的な悪役俳優、なかなかいなくなりましたね。成田三樹夫も好きな俳優です。古い映画を観て、この人たちを偲びたいですね。
本年もよろしくお願いいたします。
投稿: Kei(管理人 ) | 2023年1月 3日 (火) 11:29