「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」
2022年・アメリカ 117分
製作:ShadowMachinePro=The Jim Henson Company
提供:Netflix
原題:Guillermo del Toro's Pinocchio
監督:ギレルモ・デル・トロ、マーク・グスタフソン
原作:カルロ・コッローディ
原案:ギレルモ・デル・トロ、マシュー・ロビンス
脚本:ギレルモ・デル・トロ、パトリック・マクヘイル
撮影:フランク・パッシンガム
音楽:アレクサンドル・デスプラ
製作:ギレルモ・デル・トロ、 リサ・ヘンソン、 ゲイリー・アンガー、 アレックス・バークレー、 コーリー・キャンポドニコ
ディズニー・アニメでお馴染みの名作童話「ピノッキオ」をストップモーション・アニメで描いた異色のファンタジー。監督は「ナイトメア・アリー」のギレルモ・デル・トロと、「ファンタスティックMr.Fox」のアニメーション監督を務めたストップモーション・アニメの名匠マーク・グスタフソンとの共同。声の出演は新人グレゴリー・マン、「ゲーム・オブ・スローンズ」のデビッド・ブラッドリー、その他ユアン・マクレガー、ティルダ・スウィントン、クリストフ・ヴァルツ、ケイト・ブランシェット、ジョン・タトゥーロ、ロン・パールマンなど豪華俳優陣が結集した。Netflixで12月9日から配信。先行して一部劇場でも公開された。
(物語)第一次大戦中期の北イタリア。木彫師ゼペット(デビッド・ブラッドリー)は、一人息子のカルロ(グレゴリー・マン)と一緒に山間の小さな街で暮らしていた。戦火もこの街までは広がっていない。ところがある日、帰途中の爆撃機が捨てた爆弾によって、カルロが死んでしまう。嘆き悲しんだゼペットは酒浸りの無気力な生活を送る。それから十年後、カルロの墓の近くに植えた松が成長し、ゼペットはそれを切って木彫りの人形・ピノッキオを作る。その夜、木の妖精(ティルダ・スウィントン)が現れ、人形に命を与え、ピノッキオの胸の洞に住んでいたコオロギのセバスチャン・J・クリケット(ユアン・マクレガー)に、ピノッキオを守り導くよう命令を与える。人形が動き出した事にゼペットは驚き、ピノッキオの悪戯に困惑するが、やがてカルロの生まれ変わりとして愛するようになり、学校にも行かせるが、強欲興行主ヴォルペ伯爵(クリストフ・ヴァルツ)がピノッキオに目を付けて…。
アカデミー賞を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」や「パンズ・ラビリンス」などで知られる鬼才ギレルモ・デル・トロが、なんとカルロ・コッローディ原作の世界的名作童話「ピノッキオ」を、しかもストップモーション(コマ撮り)人形アニメで作ると聞いてちょっと驚いた。
映画化作品として有名なのはディズニーによる子供向けアニメ「ピノキオ」で、まさにディズニーらしい楽しくてほのぼのとした味わいの傑作で、映画、DVD等で何度も観たくらいのお気に入りである。
それだけに、グロテスクな怪物が登場する事が多い、ダークな作品傾向のデル・トロとは合わない気がしたが、実はデル・トロは物心ついた頃から「ピノッキオの冒険」の映画を作りたいと念願していたそうだ。そして2006年公開の「パンズ・ラビリンス」の後、2008年頃から企画を立ち上げ、2013~4年頃の公開を目指していたが、資金調達が難航して中断、2018年にようやくNetflixが製作に乗り出し、完成に漕ぎつけたという訳だ。企画開始から公開まで、14年もの歳月をかけたデル・トロ執念の作品である。
最近、Netflix他のネット配信企業が資金を出して映画化が実現したという例が多くなっている。時代の流れを感じる。
(以下ネタバレあり)
原作が書かれたのは1832年だが、本作の時代は第一次世界大戦中の1916年頃から、ムッソリーニが台頭した第二次大戦前の時代に変えられている。
その為、映画には戦争の影が色濃く反映されている。
物語は冒頭からしばらくは、山間ののどかな街で暮らす、木彫師のゼペットと、一人息子のカルロとの幸せそうな日常を淡々と描いている。時折り上空を爆撃機が通り過ぎる程度で、戦火はこの街までは及んでいない。
ゼペットはカルロをこよなく愛していたが、ある日イタリア軍の爆撃機が、邪魔な爆弾を街の上空で捨て、それがカルロのいた教会を直撃し、カルロが死んでしまう。ゼペットは嘆き悲しみ、仕事も手がつかなくなって、生きる意欲すら失ってしまうのだ。
戦争は、小さな子供の命さえも平然と奪ってしまう理不尽なものだという点が強調されている。以後も戦争への怒りは何度も登場する。
十数年後、カルロの墓の隣に植えた松が大きく成長し、そこに通りがかったコオロギのセバスチャン・J・クリケットが、松の中腹に開いてた洞を住処にする。
ディズニー版のコオロギはジミニー・クリケットと呼ばれ、キャラ・デザインも愛らしいが、本作のセバスチャンという名のコオロギは、どちらかと言うとちょっと不気味な印象である。
左:ディズニー・アニメのジミニー。右:本作のセバスチャン。
その松の木をゼペットは切り倒し、家に運び込んで、木彫りの人形を作る。「この手で、カルロを作るのだ」と叫んで。人形はカルロの身代わりという訳である。
酔った勢いで作った為か、かなり粗っぽい造りである。耳は片方しかないし、手足なんか、木の切れ端をボルトで繋ぎ止めただけである。セバスチャンが住んでいた洞は人形のお腹の位置にあったので、行きがかりでセバスチャンはこの人形・ピノッキオと共に暮らす事となる。
その夜、精霊(ティルダ・スウィントン)が現れてピノッキオに命を与え、セバスチャンに、「彼を見守り、良い子に導くように」と命ずる。
朝になって、人形が動き、喋るのを聞いてゼペットは驚く。ピノッキオは最初のうちは見る物触る物が珍しく、壊しまくるのでゼペットは往生する。
それでも、これはカルロの生まれ変わりと信じて、カルロが使っていた教科書をピノッキオに与え、学校に行かせようとする。
そんな時、この街にやって来た見世物小屋を経営するヴォルペ伯爵がピノッキオを見て、これは商売になるとうまく騙してピノッキオを一座に入れ、彼を中心とした操り人形芝居を上演して興行は大成功となる。それを知ったゼペットはピノッキオを取り戻そうとするが、伯爵と奪い合いになり、はずみでピノッキオはトラックに轢かれ死んでしまう…。
あれあれ、そんな…と思ってしまうが、ここでもう一人の精霊(死の精霊)が登場し、ピノッキオは生き返る。その後も何度かピノッキオは死んでは死の精霊の元に行き、一定の時間後にまた生き返る、というパターンを繰り返す事となる。
ディズニー版とは異なり、“死”というものへの問いかけが重要なポイントとなっている。これもデル・トロらしい脚色だ。
またこの辺りから、ムッソリーニ独裁政権時代のイタリアの政治情勢、近づく戦争(第二次大戦)の足音が色濃く反映されて行く。
政府の役人であるポデスタ市長(ロン・パールマン)は、何かというとナチスの敬礼のように右手を真っ直ぐ斜め上に挙げるし、街の住民も兵士として狩り出されて行く。
伯爵のカーニバルでは、人形劇にも兵隊となって敵と戦うピノッキオの姿が登場する。
だがピノッキオは何度も生死を繰り返すうちに、何が正しいのか、生きてる意味とは何なのかを考え始め、やがてそれは戦争や独裁者に対する素朴な疑問へと転じて行く。
ムッソリーニが人形劇を鑑賞に訪れた時、ピノッキオはムッソリーニが描かれたポスターの名前を“ウンチリーニ”と書き換え、ウンコネタで徹底的に独裁者をからかい、笑いのめすのである。ここは大笑いである。
その後も、市長の息子キャンドルウィックと共にイタリア軍少年兵訓練所に入れられ、激しい戦闘訓練を行う事となった時も、ピノッキオはキャンドルウィックと組んで引き分けに持ち込み、戦う事(即ち殺し合い)への疑問をポデスタにぶつけるのである。
国家の命令にただ従うだけの人間に比べ、人形であるピノッキオの方が「何故国家の為に死ななければならないのか」と公然と反旗を翻すのが実に皮肉である。
その他の大まかな物語はディズニー版とほぼ同じで、ピノッキオを探して旅に出たゼペットが巨大な魚(クジラではなく鮫)に呑み込まれたり、海に落ちたピノッキオが巨大魚に呑み込まれてゼペットと再会し、知恵を絞って脱出する流れはほぼ同じ。細部ではいろいろ工夫が凝らされてはいるが。
鮫がゼペットたちに迫って来た時ピノッキオが、鮫が呑み込んでいた機雷のスイッチを押して危機一髪、爆死させる顛末は、スピルバーグ監督の「ジョーズ JAWS」のラストのパロディか。だからクジラではなく鮫にしたのか(笑)。尤もその魚のデザインは鮫と言うよりアンコウに近い気がするが。
ここでまた死んで死の精霊の元に行ったピノッキオが、海に沈んで行くゼペットを助ける為に、時間を早めて生き返らせてと懇願するが、その為には永遠の命を失い二度と生き返れないと精霊に言われてしまう。それでも愛するゼペットを救う為にその条件を呑む。
おかげでゼペットは助かるが、ピノッキオは死んでしまう。そこに最初の精霊が現れ、セバスチャンが精霊と交わした、ピノッキオを良い子供に導いたら願いを聞いてくれるという約束に従って、ピノッキオは生き返る事となる。
ディズニー版ではピノッキオは人間の子供になるが、本作では木の人形のままであるのが、人間よりも異形の生きものに愛着を示すデル・トロらしい所だ。
エンディングも異色だ。年月が過ぎ、ゼペットも、セバスチャンも年老いて死ぬが、ピノッキオは生き続け、彼らの最期を看取る事となる。
人間や生き物の命は限られており、いつかは死ぬ。大事な事は、その限りある命をどう大切に使い、精一杯生きるかという事なのである。
運命に流されず、理不尽な事に抗い、正しい道を模索し続け、懸命に生きる、その大切さを映画は訴えているのである。
エンドロールも楽しい。セバスチャンが歌い踊るのだが、歌っているのもセバスチャンの声を担当したユアン・マクレガー。なかなか美声である。
また随所に、デル・トロ監督の旧作を思わせる所があるのもファンとしては楽しい。
まず、死の妖精が、ディズニー版の美しい女性とは異なり、まるで「パンズ・ラビリンス」の牧神・パンを思わせるキャラ・デザインである(下)。長い角がそっくり。
考えれば、「パンズ・ラビリンズ」の舞台もスペインのフランコ独裁政権の時代であり、独裁者への強い怒りという点でも本作と共通する。
ピノッキオのデザインも、人形と言うより奇怪なクリーチャーを思わせるが、そう考えると、異形のクリーチャーと弱い人間との心の交流を描いた「シェイプ・オブ・ウォーター」との共通性も見え隠れする。権力を振りかざす者への抵抗という点も共通する。“カーニバル一座の見世物小屋”は本年公開の「ナイトメア・アリー」 にも登場していた。
そう考えれば、本作はまさしくギレルモ・デル・トロの世界そのものと言えるだろう。ストップモーション・アニメの動きも滑らかで見応えがある。長い年月と製作費がかかったのも当然だろう。「ナイトメア・アリー」よりもこちらの方が完成度は高いと断言出来る。本年屈指の秀作である。お薦め。 (採点=★★★★☆)
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