「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」(1960) (VOD)
(物語)花屋の店員・シーモア(ジョナサン・ヘイズ)は心優しいが、ドジな男で何をやっても失敗ばかり。その仕事ぶりに、遂に花屋の店長マシュニク(メル・ウェルズ)は堪忍袋の緒を切らし、「店の為になる仕事をしないとクビだ」と宣言する。慌てたシーモアは、「僕が育てている珍種の花を店に置けばお客が来るかも」と言って、小さなハエ地獄のような花を家から持って来る。シーモアはその花に、密かに恋するマシュニクの娘、オードリー(ジャッキー・ジョセフ)の名から取って「オードリー・ジュニア」と名付ける。だがそれはまったく育たずシーモアは困り果てる。ところがひょんな事からシーモアはオードリー・ジュニアが人間の血や肉が大好物である事を知る。さらにそいつは「腹減った、何か食わせろ!」と人間の言葉で喋り出して…。
アマゾン・プライムで配信中のロジャー・コーマン作品の1本。これも日本未公開だが、一部でカルト的な人気のある作品である。後にブロードウェイ・ミュージカルになり、リック・モラニス主演で映画にもなったくらいで、「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」と言えばそちらのミュージカル版の方がよく知られているはずだ。
その本家である本作、前々から観たいと思いながらも、これまでなかなか観る機会がなかった。アマゾンのおかげでやっと観る事が出来て本当に嬉しい。
しかしこの作品、完成するまでがまさにロジャー・コーマンの本領発揮である。と言うのは、次回作を考えていたコーマンの元に、ある映画で使った事務所のセットがまだ解体されずに残っているという情報が入るや、コーマンは「そのセットを壊すのを待ってくれ。それを2日間借りて1本の映画を作る」と伝え、そのセットを使って本当に僅か2日間で撮影を終えてしまったのである。製作費はわずか2万7千ドル!。コーマン以外、誰がそんな事を思いつくだろうか(笑)。
しかも撮影を短期間で終わらせる為に、本作の脚本を書いたチャールズ・B・グリフィスにも第二班監督として屋外ロケ・シーンの監督を依頼し、花屋の店長を演じたメル・ウェルズにも第二班のプロデュースと部分演出を任せている。本当に人使いが荒いうまい(笑)。(二人ともノン・クレジット)
そんな、粗製乱造に近い方法で作られたにも関わらず、公開後、若い映画ファンの間でジワジワと人気が高まり、やがて何回も観るリピーターも増えてカルト的な人気作となり、遂にブロードウェイ・ミュージカルの原作ともなったのだから、何が幸いするか分からない。コーマン恐るべし。
なお本作には、まだ無名だった23歳のジャック・ニコルソン(右)がワン・シーンのみ出演しており、これが端緒となってニコルソンは以後コーマン映画の常連となって行く。その点も見逃せない。
というわけで、本作の感想に移る。
(以下ネタバレあり)
一応ホラー映画なのだが、映画を観るとこれはかなりブラックなコメディだった。とにかく笑えるシーンが多い。
なにしろ主人公のシーモアは、登場するなりバケツに蹴躓いて盛大にすっ転ぶ。まるで吉本新喜劇かドリフ・コントのノリである(笑)。その後も椅子とかゴミ箱とかに蹴躓くシーンが何度も出て来る。また、2本の花の高さが不揃いなので、切り揃えようとして切り過ぎてまた切ってと、どんどん短くなったり。これも後にどこかのお笑い番組で見たようなネタである。
その後もコント風、またブラックな笑いネタは何度も登場する。
また登場人物もほぼ全員が奇人変人。花を食べるのが大好きな男や、毎回家族が亡くなったと言って葬儀の花を買いに来るバアさんや、患者を傷めつける事に無性の喜びを感じる変態歯科医に、シーモアの母親は薬を料理に使ったりと、みんなヘン。
ディック・ミラー扮する花を食う男の、カーネーションに調味料をふりかけてムシャムシャ食うシーンがおかしい。そもそも花が人間を食う本筋の逆パターンだから、後から思い起こすと余計笑える。
シーモアがオードリー・ジュニアと名付けた花は、肥料をやっても育たず、たまたまシーモアが指を切ってその血がかかると喜んで、やがて「もっと血をくれ」と喋り出すので、仕方なくシーモアは自分の指を切っては血をジュニアに与え続けるハメとなる。

いつまでも自分の血をやってたら貧血で倒れてしまうのでシーモアは困る。
そしてシーモアは、やはり自分のドジで、何度か人を死なせてしまったり殺してしまったり、その都度死体を担いで深夜花屋に戻り、成り行きでオードリー・ジュニアに死体を食わせ、それによってジュニアはどんどんと巨大化して行く。
そのシーモアによる殺人シーンも、どれもユーモラスで笑える。シーモアが放り投げた石が当ったり、歯科医とメス対ドリルで決闘の末とか。
ジュニアがシーモアに何度も「腹減った、飯食わせろ、メシ~~」と言うシーンも笑える。

歯科医にやって来る、マゾヒスト変態葬儀屋を演じているのがジャック・ニコルソン。歯科医を死なせてしまったシーモアが医者になりすましてニコルソンの歯を削ったり抜いたりする度、歓喜に悶えるニコルソンが最高におかしい。

花屋の店長マシュニクもやっぱり変人だ。シーモアが死体をジュニアに食わせる所を見てしまうが、ジュニアが店の人気者なのでそのまま見逃し、夜中に店に泥棒が入った時には「金はその花の中だ」と泥棒に言って、泥棒をジュニアに食わせてしまうのだ。すました顔でジュニアに餌を与えるこの店長もまさに食わせ物だ(笑)。マシュニクを演じるメル・ウェルズ、飄々たる怪演。
なお、その泥棒に扮したのがあの脚本家にして第二班監督を任されたチャールズ・B・グリフィスである。八面六臂の大活躍である。
夜、シーモアは恋するオードリーと二人きりとなり、いい雰囲気の所にジュニアが「腹減った、メシ食わせろ~」と喋るので、バレないようシーモアが必死で自分が喋ったかのように誤魔化すシーンも笑える。これでオードリーは怒って帰ってしまう。
次々と行方不明者が発生するので、刑事二人が捜査し、シーモアに疑いがかかる。そして刑事たちが花屋を訪れた時、オードリー・ジュニアが咲かせた花に行方不明者の顔が浮かび上がったので、シーモアは逃げ出し、その後を刑事とマシュニクが追いかける。
この逃げるシーモアと刑事たちとの追っかけっこも、サイレント時代のドタバタコメディを彷彿とさせる。特にチャップリン出演作品では、チャップリンは常に警官に追われ逃げ回っていた。
最後はちょっと悲劇的な幕切れとなる。一種のバッド・エンドだが、これもコーマンらしいブラックな結末と言える。
まあこういった具合に、どんどん人が死ぬのに、コーマンの演出タッチは徹底してドライでユーモラスで、皮肉と嘲笑に満ちたブラック・コメディに仕上がっている。
おそらくは脚本のグリフィスも、演出のコーマンも、チャップリンやキートン、ローレル&ハーディらのサイレント・スラップスティック・コメディ、さらにはマルクス兄弟に至るまでかなりのコメディ作品を見て参考にしたのではないかと思われる。次々人が死ぬのに笑えるブラック・コメディという点では、フランク・キャプラ監督の「毒薬と老嬢」(1944)からの影響も窺える。
コーマン監督作品で、こんなに笑えるコメディも珍しい。三流ギャング映画や低予算怪獣映画や「アッシャー家の惨劇」などの怪奇ホラー映画の監督というイメージが強かっただけに、これは意外だった。コーマンを見直した。カルトになったのも納得だ。ジャック・ニコルソンの怪演も、カルト化に貢献していると見る。
画質はかなり鮮明で観易い。ロジャー・コーマンに興味のある方は必見の、ブラック・コメディ・ホラーの快作である。観る事が出来て本当に良かった。 (採点=★★★★)
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