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2022年12月 1日 (木)

「ある男」

Aruotoko 2022年・日本   121分
配給:松竹
監督:石川慶
原作:平野啓一郎
脚本:向井康介
撮影:近藤龍人
音楽:Cicada
製作:高橋敏弘、木下直哉、田中祐介、中部嘉人、浅田靖浩、佐渡島庸平、井田寛

第70回読売文学賞を受賞した芥川賞作家・平野啓一郎の同名小説の映画化。監督は「愚行録」「蜜蜂と遠雷」の石川慶。出演は「愚行録」の妻夫木聡、「万引き家族」の安藤サクラ、「マイ・ブロークン・マリコ」の窪田正孝、「耳をすませば」の清野菜名。ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門正式出品作品。

(物語)弁護士の城戸章良(妻夫木聡)は、かつての依頼者・谷口里枝(安藤サクラ)から、亡くなった夫・大祐(窪田正孝)の身元調査をして欲しいという奇妙な相談を受ける。里枝は離婚を経験後に息子の悠人(坂元愛登)を連れて故郷へ帰り、やがて出会った大祐と再婚、新たに生まれた子供と4人で幸せな家庭を築いていたが、大祐は不慮の事故で命を落としてしまう。そして大祐の一周忌の日、長年疎遠だった大祐の兄・恭一(眞島秀和)が弔問に訪れるが、遺影に写っているのは大祐ではないと話したことから、愛したはずの夫が全くの別人だった事が判明する。夫は誰だったのか、それを知りたいと城戸に調査を依頼したのだ。城戸はⅩと名付けた“ある男”の正体を追う中で、様々な人物と出会い、衝撃の真実に近づいて行く…。

2017年の「愚行録」で長編映画監督デビューして以来、2作目「蜂蜜と遠雷」で早くも毎日映画コンクール大賞を受賞する等、日本映画界のホープとして期待されて来た石川慶監督の待望の新作である。

「愚行録」では、映像化が難しい原作ながら、新人とは思えない腕の確かさを見せつけ、私もマイ・ベストテンに入れたほどのお気に入りである。もっとも、向井康介による優れた脚本による所も大きいが。

その向井康介と再びタッグを組んだのが本作である。妻夫木聡も「愚行録」に続いての登板である。これは見逃す訳には行かない。

(以下ネタバレあり)

出だしは割と淡々と進む。宮崎のある田舎町で文房具店を営む里枝は、画材を買いに度々訪れる谷口大祐といつしか恋仲になり、やがて再婚、娘も生まれ4人家族で幸せな日々を送っていた。

だが大祐は仕事中の事故で死んでしまう。実家とは疎遠で、何かあっても決して実家には連絡するなと大祐に言われていた里枝は、葬式にも実家に連絡しないままだった。
一周忌を迎え、さすがに伝えない訳には行かないと里枝は実家の老舗温泉旅館に連絡を入れ、兄の恭一が弔問に訪れた。
ところが、遺影を見た恭一は「これは大祐ではない」と言う。愛したはずの夫は全くの別人だったのだ。

私の夫は誰なのか…。里枝は以前離婚協議で世話になった城戸弁護士に調査を依頼する。城戸はその男に、仮に“Ⅹ”と名付け、Ⅹの正体を探るべく行動を開始する。

…といった具合に、物語は正体不明の謎の男Ⅹを探しての、謎解きミステリー的に展開して行く。
失踪した夫を妻が探すという、松本清張原作「ゼロの焦点」を思わせる出だしだ。

城戸の調査は、大祐の実家である伊香保温泉を皮切りに、大祐の元恋人・後藤美鈴(清野菜名)に会ったり、その後の足跡を辿って大阪に向かったりと、まさに探偵のような行動ぶりである。

城戸は在日三世で、日本に帰化しているが、自己のアイデンティティに悩んでいる。彼の義父はあからさまに朝鮮人への偏見を口にするが、城戸には帰化してるから問題ないと言うのがいかにも取って付けた感じ。
またテレビで、ヘイトスピーチ・デモの様子を伝えるニュースも流れるが、これも意図的だろう。義父といい、日本における在日外国人差別意識は根深い。
これは後に明らかになる、“Ⅹ”が何故戸籍を変えたのか、その理由とも根底では繋がっている、本作の重要なテーマである。

やがて、Ⅹは本物の大祐と戸籍を交換したのではと推測した城戸は、大阪で違法に戸籍ブローカーをやっていて、その後逮捕され刑務所に収監されていた小見浦(柄本明)と接見し、大祐の戸籍を買ったのは誰なのかと問い詰めて行く。

この小三浦役を演じた柄本明がまさに怪演。太々しく大声で、「お前は在日だろう、顔を見れば判る」と喚き、城戸を翻弄する。ここにも差別意識が垣間見える。

それでも小三浦はやがて城戸に、大祐は曽根崎という男と戸籍を交換した事を匂わせる。そして城戸の丹念な調査によって、やがてⅩの本当の名前が判明するに至るのである。

(以下完全ネタバレ、注意)

 

 

Ⅹの正体は、原誠という名前で、父は殺人を犯した死刑囚だった。本人には罪はないのに、世間からは“人殺しの息子”と後ろ指を指され続ける悲惨な運命を背負わされている。
その上誠の顔は父とそっくりだった。鏡を見る度、そこに父の顔があった。誠は鏡を見る事さえ拒否し、やがては自分自身の存在をこの世から消し去りたいとさえ思うようになる。

自分の戸籍を交換したのは、それが一番大きな理由だった。誠は小三浦の斡旋で曽根崎と戸籍を交換し、大祐に辿り着いたのだ。

そこで重要なキーとなるのが、冒頭と終盤の2度登場する、ルネ・マグリットの絵画「複製禁止」である。
この絵に描かれているのは、鏡を覗き込む男。しかし鏡に映った男も後ろを向いており、これは“鏡を見たくない”誠の心境を表している。同時に、顔の分からない鏡の男は、“アイデンティティ不明の人物”のメタファーでもあろう。本作のテーマにピッタリだ。

またこんなシーンもある。里枝の息子・悠人はある時、「また名前が変わるの?」と里枝に訊ねる。
里枝一家は結婚→離婚→大祐と結婚、と何度も苗字が変わっている。大祐の死去でまたまた姓を変えざるを得ない。多感な年頃の悠人にとっては、何度も苗字が変わるのは、自分の存在さえ不安定に揺らいでいるように思えた事だろう。しかも大祐の戸籍は偽者だったから余計気味が悪い。

“名前”とは何なのか。自己のアイデンティティを証明するものであるはずなのに、何故変わらなければならないのか。悠人の疑問も尤もだ。
そしてⅩ=原誠も、本当の谷口大祐も、自身の存在を消すべく、自分の名前を捨てようとした。さらに城戸は国籍で差別され、国籍を変えるという、こちらもアイデンティティに振り回された人間である。

戸籍を変えた誠と、国籍を変えた城戸…。どちらも、元のアイデンティティは自分を悩ませる忌まわしい存在と思っている。両者は似た者同士なのだ。これが本作の重要なテーマであり、ラストシーンの重要な伏線にもなっているのが秀逸。

もう一つ、見逃せないポイントがある。城戸が原誠を探し当てたヒントとして、Ⅹがスケッチ帳に描き残した、“顔を塗り潰した女の絵”が、死刑囚の画展に展示された、誠の父親が描いた絵とそっくりだった事が挙げられる。

“顔”もまた、本人を特定する手段である。顔が見えないと、誰だか判らない。マグリットの絵には顔がないし、誠は自分の顔を見たくない。しかし人間は必ず他人と違う顔を持っている。顔もまた、名前同様、アイデンティティの証明である。

映画という、視覚手段を巧妙に生かした名シーンである。それにしても“顔のない女”という共通項と、誠の顔が父とそっくりだった事でⅩの正体に辿り着くとは、実に皮肉である。


映画は、城戸があるバーで初対面の男に、自分は伊香保温泉の老舗旅館の次男坊で、と語るシーンで幕を閉じる。まるで大祐になり切っているかのように。
このくだりは原作では冒頭に登場するのだが、映画ではラストに持って来た。これは正解だろう。これで、城戸自身も自己の存在を変えたかった谷口大祐と、心の中では共感している事を示している。

ある人間がこの世に存在するとは、どういう意味を持つのか、名前や出自や国籍で、人間を特定し、差別や偏見を生み出してしまう今の時代は、どこか間違ってはいないか。
映画が突き付けたテーマは深く重い。

観終わっても、心の中にじわじわと嫌な感じが沁み込んで来て、考えさせられてしまう。これは石川監督の「愚行録」にもあった感覚である。石川=向井コンビ、相変わらずやってくれる。本年を代表する秀作である。  (採点=★★★★☆

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コメント

別の映画の話ですみません。「ある男」は気が向いたら何か書きます。

今日舞台挨拶付き先行上映で「ケイコ 目を澄ませて」を観てきました。

私は趣味でDJやってますが、親友に業界では割と有名な「deafの女性DJ」がいます。つまり、耳の聞こえないDJです。

私は悪くも無い映画にブーブー文句を言うのがイヤなので黙ってたんですが、同じく耳の聞こえない人を描いた今年のアカデミー賞作品賞「Coda コーダ あいのうた」には疑問を感じました。

しかし、この映画なら胸を張って褒めることができます。

日本の小さな映画が、アカデミー賞映画を超えてきました。

傑作です。ぜひ観てほしいです。


投稿: タニプロ | 2022年12月 6日 (火) 22:16

◆タニプロさん
監督が秀作「きみの鳥はうたえる」の三宅唱なので観たいですね。期待しています。
ただ本年度のマイ・ベストテン、秀作が多過ぎて枠埋まってますので、もしテンに入る秀作だったらどれを落とすかで悩む事になりそうです(笑)。

投稿: Kei(管理人 ) | 2022年12月13日 (火) 11:21

「理大囲城」(監督香港ドキュメンタリー映画工作者)もとんでもなく凄いです。

私は2月に特集上映で観ていて、まだ公開も決まってなかったのにキネマ旬報が4月上旬号に読者評で載せてくれました。

大袈裟ではなく、こういうドキュメンタリー映画を観た記憶が無いです。

たぶん、現時点ではソフト化も配信も厳しいと思います。

投稿: タニプロ | 2022年12月16日 (金) 14:08

◆タニプロさん
「理大囲城」、当地では来年1月からの公開予定となっていますので、年内は見られません。まあ上にも書いたように本年度のベスト20、枠が埋まってますので来年回しにしてくれた方が有難いです。
「ケイコ、目を澄ませて」今日観て来ました。いやあ凄い傑作です。こんな映画観た事ない。ひょっとすればキネ旬ベストワンになるかも。作品評は近日アップします。

投稿: Kei(管理人 ) | 2022年12月19日 (月) 22:18

「きみの鳥はうたえる」が3位だったんで、割とキネ旬好みの監督かなって感じで1位最有力かもしれませんが、公開が年末ギリギリなのが弱点かも。観ないで投票する人もいそうな気がします。
例えば大林宣彦の「花筐」なんかも、観た瞬間ダントツのベストワンと思いましたが、キネマ旬報では2位だったと記憶してます。

「理大囲城」は大袈裟ではなくヘビー級チャンピオンみたいな映画なんで、新年いきなり観るとどっと重しになるんで、新年2作目くらいをオススメします。

投稿: タニプロ | 2022年12月22日 (木) 20:03

◆タニプロさん
>公開が年末ギリギリなのが弱点かも。
評論家向け試写なんかは早くからやってるはずですので、一般公開が年末でもあまり影響はないと思いますよ。先週の週刊新潮映画欄でも北川れい子さんが高得点付けて絶賛してましたし、かなりいい所まで行くのは間違いないでしょう。まあ読者のベストテンは多少影響あるかも知れませんが。
むしろ、年明けにいろんなベストテンで上位に入ったり、口コミで広まったりで、興行的に成功してくれた方が嬉しいですね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2022年12月27日 (火) 21:23

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