「イニシェリン島の精霊」
2022年・イギリス 114分
製作:サーチライト・ピクチャーズ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
原題:The Banshees of Inisherin
監督:マーティン・マクドナー
脚本:マーティン・マクドナー
撮影:ベン・デイビス
音楽:カーター・バーウェル
製作:グレアム・ブロードベント、ピーター・チャーニン、マーティン・マクドナー
アイルランドの架空の島イニシェリン島を舞台に、友人同士の諍いが巻き起こす騒動を描く人間ドラマ。監督は「スリー・ビルボード」のマーティン・マクドナー。主演は「THE BATMAN-ザ・バットマン-」のコリン・ファレル、「パディントン2」のブレンダン・グリーソン。共演は「エターナルズ」のバリー・コーガン、「スリー・ビルボード」のケリー・コンドン。第79回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門で脚本賞、最優秀男優賞受賞。第95回アカデミー賞でも作品、監督、主演男優(コリン・ファレル)、助演男優(ブレンダン・グリーソン&バリー・コーガン)、助演女優(ケリー・コンドン)ほか8部門9ノミネートを果たした。
(物語)1923年のアイルランド。その沖に浮かぶ小さな孤島イニシェリン島は、島民全員が顔見知りの平和な小島だった。この島に暮らすパードリック(コリン・ファレル)はある日、長年の友人コルム(ブレンダン・グリーソン)から突然の絶縁を言い渡されてしまう。理由もわからないまま、賢明な妹シボーン(ケリー・コンドン)や風変わりな隣人ドミニク(バリー・コーガン)の力を借りて事態を好転させようとするが、コルムは頑なに彼を拒絶。遂には、これ以上関わろうとするなら自分の指を切り落とすと宣言する…。
2018年公開の「スリー・ビルボード」でアカデミー主演女優賞、ゴールデン・グローブ作品賞他数々の賞を受賞して一躍注目されたマーティン・マクドナー監督の新作である。
前作でもエキセントリックな登場人物や、予想出来ない展開に唸らされたが、本作もそうしたマクドナー監督らしさは健在である。
(以下ネタバレあり)
主人公パードリックはイニシェリン島で暮らす平凡な男である。飼っている牛から搾った牛乳を町に売りに行った後はやる事がなく、午後2時になると長年の友人コルムとパブに行き、酒を吞みながらお喋りするのが日課のようになっている。家族は妹のシボーンだけ。お互い何故か結婚もせず同居して暮らしている。
ところがある日、パードリックが誘っても家から出ようとせず、後からパブにやって来たコルムはパードリックに、「もうお前とは付き合わない」と絶縁宣言をする。
パードリックは当惑する。特に思い当たる事もないのに、何故古くからの友人であるコルムが突然そんな事を言い出したのか。
理由を聞いても「退屈なお前の話を2時間も聞くのは耐えられない」としか言わない。それでもしつこく問い質すと「俺ももう歳だ。これからは好きな作曲をしたり、有意義な時間を過ごす」と言う。
面白いのは、物語の最初の方では観客は、人が良さそうで仕事もきちんとこなしているパードリックに好感を持って、気難しそうで突然ぶっきらぼうに絶交を告げるコルムに反感を覚えるかも知れない。絶交するにしても、もう少し穏やかに、時間をかけて説明してあげればよいのにと思ってしまう。
だが物語が進むにつれて状況は次第に変化して来る。
二人の会話から、パードリックは何の趣味も持たず、パブでのコルムとの会話でも他愛ないどうでもいいような無駄話をして来た事が判って来る。バイオリニストで作曲も出来るコルムから見れば、確かにパードリックは退屈極まりない男である。
おそらくはかなり以前からコルムは、パードリックをうっとうしく思っていたのだろうが、長い付き合いという事で我慢して来たのだろう。そしてとうとう我慢の限界を超えたという事である。
それに年齢はコルムの方が恐らく20歳くらいは年上のように見える。もう老人と言っていい。人生もあまり長くはないとも思っているだろう。だからその前に、自分が生きて来た証しとして曲を作り残したいと考えたのだろう。作曲に専念するなら無駄な時間は過ごしたくない。…これは、特にコルムくらいの年齢になった老人なら十分理解出来る事かも知れない。
だがそんな年齢、心境に達していない、人生と言うものを考えた事すらないだろうパードリックには、そんなコルムの心の内が理解出来ない。絶交される理由が思いつかない。
しっかり者の妹シボーンや、警官の息子で少々頭の弱いドミニクに諦めろと言われてもパードリックは諦めきれない。コルム以外に親しい友人もいないと思われる彼だから、友人を失いたくないという思いもあるのだろう。なんとかコルムとの友人関係を修復したくて神父に頼んだり、いろいろと画策するが、それがまたコルムの神経を逆撫でする。ここまで来るとパードリックのやってる事はほとんどストーカーである(笑)。コルムと一緒にバイオリンを弾く若い男に嘘を言って島を追い出したりもする。
こうして、最初の頃に比べ、二人に対する観客の印象は次第に逆転して来る。コルムのやり方も大人げないが、これは老人特有の偏屈さで、心情的には理解出来るものであり、対するパードリックの執拗なまでの粘着ぶりにほほとんど同情出来なくなって来る。
こうしたパードリックの態度に業を煮やしたコルムは、「今度話しかけて来たら、自分の指を切り落として投げつける」と宣言する。そしてそれはとうとう実行に移される事となり、二人の対立はもはや修復不可能な所にまで追い込まれて行く事となる。
一方で対岸の本土では、IRAとアイルランド国軍との内戦が激しさを増している。時々爆撃音も響いている。
同じ国民なのに、ちょっとした行き違いから泥沼の紛争にまで至る内戦は今も世界のあちこちで起きているが、パードリックとコルムの不毛の対立は、ある意味この内戦の暗喩でもあるのだろう。それはまた、元は同じソ連邦の一員だったはずの、ロシアとウクライナの戦争とも繋がっていると言えるかも知れない。
もう一人、重要な人物が登場する。一人暮らしの老人マコーミック夫人で、夫人はパードリックに「近くこの島に二つの死が訪れる」と予言する。観客はそれは多分不毛の対立を続けるパードリックとコルムではないかと想像してしまう。
黒服を身に纏うマコーミック夫人の姿が一瞬、死神のように見えるのも狙っての事だろう。
パードリックはその後もコルムの家を訪ね、コルムから「曲が完成した」と聞くと、“これでもしかしたら元の友人同士に戻れるかも”と期待する。作曲に専念する事が絶交の原因と思っていたから。ちなみに曲の題名は「イニシェリン島の精霊」である。
だがそれは甘かった。コルムは残っていた左手の4本の指も切り落としてパードリックの家のドアに投げつける。もうバイオリンは弾けない。ますますコルムに死の影が迫っているように見える。
その落ちていた指を、パードリックの飼っていたロバが口に入れて窒息死してしまう。パードリックは家族を失ったかのように嘆き悲しむ。不毛の対立は、とうとう1つの死をも招いてしまったのだ。
前半でパードリックが、そのロバを家の中に入れるほど可愛がっていた事が伏線になっている。
パードリックは報復としてコルムに、「明日2時、お前の家に火をつける」と宣告する。怒りのぶつけ合いは泥沼の様相を呈する。
一体どうなる事やらと観客は不安になるが、ラストはちょっと救われる。もう一つの死はちょっと意外だったが。
この先どうなるか、映画はその先は描かない。二人の仲は修復されるのか、あるいはまだまだ対立は続くのか、その判断は観客に委ねられる。
人間とは、なんという存在なのだろうか。人は、国家は、何故いがみ合い対立するのか。考えさせられる重厚な人間ドラマである。
島の美しい風景も効果的だ。大自然の雄大さに引き換え、人間とは何とちっぽけでくだらないものかと思わせてくれる。
マーティン・マクドナー監督の周到に練られた脚本、どっしりと腰の据わった演出、共に見事である。監督自身のオリジナル・ストーリーだが、よくまあこんな物語を思いつくものだ。
出演者がみんな素晴らしい巧演。主要な4人の登場人物(コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、バリー・コーガン、ケリー・コンドン)が全員アカデミー賞の演技賞にノミネートされているのも納得である。
さまざまな暗喩、寓意が込められた、これは見事な秀作である。
(採点=★★★★☆)
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