「西部戦線異状なし」 (2022) (VOD)
2022年・ドイツ 148分
配信:Netflix
原題:Im Westen nichts Neues
監督:エドワード・ベルガー
原作:エリッヒ・マリア・レマルク
脚本:エドワード・ベルガー、レスリー・パターソン、イアン・ストーケル
撮影:ジェームス・フレンド
音楽:フォルカー・ベルテルマン
製作:マルテ・グルナート、ダニエル・マルク・ドレフュス、エドワード・ベルガー
製作総指揮:ダニエル・ブリュール、トーステン・シューマッハー、レスリー・パターソン、イアン・ストーケル
1930年にアカデミー作品賞を受賞したルイス・マイルストン監督作品でも知られる、ドイツの作家エリッヒ・マリア・レマルクによる同名長編小説を、原作の母国ドイツで改めて映画化した戦争ドラマ。監督は「ぼくらの家路」のエドワード・ベルガー。主演はこれが映画初出演となるフェリックス・カメラー。共演は「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」などのハリウッド大作でも活躍するドイツを代表する俳優ダニエル・ブリュール。ブリュールは製作総指揮も務めた。第95回アカデミー賞で作品賞・国際長編映画賞ほか9部門にノミネート。Netflixで2022年10月28日から配信。
(物語)第1次世界大戦下のヨーロッパ。17歳のパウル・バウマー(フェリックス・カメラー)は祖国のために戦おうと、親の反対を押し切って同級生たちと共にドイツ軍に志願,、意気揚々と西部戦線へ赴く。しかし、その高揚感と使命感は凄惨な現実の前に打ち砕かれる。戦況は凄惨を極め、共に出征した友人たちは次々と死んで行った。18ヶ月後、生き残ったパウルは前線で必死に戦い続けるが、ドイツの敗色は濃厚で、兵士たちは次第に追い詰められて行く…。
アカデミー賞を獲った1930年のルイス・マイルストン監督作は、昔テレビで観た覚えがある。細かい所は忘れているが、冒頭の愛国主義を説く教師の弁舌に感化されて純朴な少年たちが兵役に志願するシーンと、ラストの主人公が一羽の蝶に手を伸ばした時に敵の狙撃兵に撃たれ死ぬシーンは鮮明に記憶に残っている。
戦争の虚しさを描いた、戦争映画の秀作だった。あのラストシーンは映画史に残る名シーンだと思う。
ただ製作したのはアメリカの大手ユニヴァーサルで、登場人物たちは原語版では英語を喋っているし、主人公の名前も英語読みで“ポール”になっていた。
その後1979年にはイギリスでテレビ映画として作られ、これも英語版だった(監督は名匠デルバート・マン)。
そして3度目の映画化となる本作は、初めて原作者の本国であるドイツで作られた。評価も高く、アカデミー賞で作品賞他9部門にノミネートされている。
ただ残念な事に、日本では劇場公開されておらずNetflixでの配信のみ。なので仕方なく配信で鑑賞した。
(以下ネタバレあり)
冒頭、静かな自然の風景から、やがて夥しい数の死体が転がる戦場を俯瞰するカメラがゆっくり下降すると、突然爆撃の着弾、そして慌ただしく塹壕を逃げ惑う兵士たちの姿と、一瞬で静から動へと転換する演出がなかなかいい。
その後命令によって塹壕から飛び出し、突撃する兵士たちが敵の攻撃で次々と斃れて行く様をワンカット横移動で捉えたカメラワークも素晴らしい。
カメラはハインリヒと呼ばれる若い兵士を追う。味方の兵士たちが相次いで死んで行く中で恐怖に慄き、やがて銃弾も尽きたハインリヒは斧のような武器で敵兵に斬りかかった所でメインタイトル。
出だしの凄惨でリアルな戦闘描写は、スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」を思わせる。
その後がまた凄い。泥まみれの中、死んだ兵士の死体から軍服、軍靴を脱がせ、集められた大量の軍服は裁縫工場に送られ、洗われ、ミシンで繕われて、新たな兵士用に再生されて行く。その中の1着の軍服に縫いつけられた“ハインリヒ”のネームタグがアップになる。あの兵士は亡くなったわけだ。
兵士など、戦争におけるコマの一つでしかないという事実を端的に示している見事な描写である。これはオリジナルにはなかったと思う。
そしてようやく主人公、パウルが登場する。時は戦争が始まって3年目の1917年春。3人の同級生たちと一緒に兵役に志願したいが、母からは反対されて同意書にサインが貰えていない。だが同級生たちにそそのかされ、サインを代筆して志願する事となる。
入隊時には、教師の愛国的弁舌に鼓舞され、意気揚々と戦地に赴くのだが、やがて彼らは戦争の惨たらしい現実に直面して行く事となる。
なお、パウルに与えられた軍服には、あの“ハインリヒ”のネームタグがあったが、指導官はあっさりと剥ぎ取り捨ててしまう。パウルもやがてハインリヒと同じ運命を辿るであろう事を象徴しているのだろう。
パウルたちは西部戦線に送られるが、そこでの戦いの描写は冒頭に劣らず凄惨なもので、塹壕の中は雨水が溜り、泥だらけになりながら突撃し、多くの兵士たちが次々と死んで行く。退避した防空壕の中で、恐怖に震える兵士たちの描写がリアル。
パウルはかろうじて生き延びるが、一緒に出征した同級生たちはみな亡くなった。パウルは上官から小さな袋を渡され、死んだ兵士からドッグタグ(認識票)を回収せよとの命令を受ける。ドッグタグは薄い円盤状のもので、半分に折ったものを回収し、それを集計する事で死者の数をカウント出来るわけだ。これもラストの伏線となっている。
タグ回収のさ中、死んだ同級生の胸元のボタンを泣きながら整えてあげるパウルの姿も胸を打つ。
映画はその後、パウルら兵士たちが前線で戦う姿と、それとは対照的に後方で優雅にワインを飲み美味いものを食う上級将校・将軍たちの姿、そして敵フランス軍と停戦交渉を行う交渉団の姿を並行して描いて行く。
こんな気楽な幹部たちの命令によって、兵士たちは死線を彷徨い、命を落としているのだ。そしてドイツの敗色は濃厚なのに、遅々として進まぬ停戦交渉の苛立たしさ。
戦争の愚かしさ、馬鹿らしさが強調される絶妙のコントラストである。
中盤で印象的なシーンがある。パウルは戦いの中、一人のフランス軍兵士と対峙するが互いに銃弾が尽き、ナイフでの殺し合いとなる。
生きる為とは言え、倒れた兵士を何度も何度も刺すパウルの姿は悪鬼のようで凄まじい。戦争は心優しい若者さえも人殺しに変えてしまうのだ。
ところが瀕死のフランス兵を見ていたパウルはハッと我に返り、泣きながらその兵士の顔の泥を取ってあげる。狂気の戦場の中でも、まだ善良な心が残っていたパウルの行動に救われる思いである。ここは泣ける。
そして終盤、ようやく1918年11月11日11時を期限に、休戦協定が成立するのだが、少しでも前線を進めたいドイツ軍フリードリヒ将軍はなんと休戦期限直前に、兵士たちに最後の突撃を命令する。
命令に従うしかないパウルたち兵士は突撃を開始する。そして休戦直前にも関わらず、多くの兵士たちが斃れて行く。そして…パウルも撃たれ、死んで行く。
戦いは終わり、生き残った若い兵士が、上官に命じられ、やはりドッグタグを袋に回収して行く。そして最後に、泥まみれで死んでいたパウルのドッグタグも回収する。そのパウルの死に顔にカメラがゆっくり近づき、エンドとなる。
まさに、痛烈な反戦映画である。若い将来ある兵士が命を落として行く戦争の虚しさ、恐ろしさ、そんな人間たる兵士を将棋の駒のように使い捨てる指導者の驕り、無能ぶりをここまで痛烈に批判した戦争映画はあまり記憶にない。それだけでも凄い事である。
そしてこれは、今現在まさに起こっている、ロシアによるウクライナ侵略への鋭い批判、問題提起作品にもなっている。いきなり前線に送られ、満足な装備、兵器も与えられず、戦争の大義もなく戦いを強いられるロシア兵士たちの姿がパウルたちと重なって見える。ニュースで伝えられる雪と泥濘と瓦礫の山に覆われた戦地の光景まで、この映画の戦場のシーンとそっくりだ。温かい暖炉の前でワインを飲み肉を食い、兵士たちに突撃を命じるフリードリヒ将軍はプーチンの暗喩のようにさえ見えて来る。
これぞまさしく、今作られるべくして作られた、今観るべき戦争映画の傑作だと言えよう。これが日本では劇場公開されなかったのがとても残念だ。Netflix未加入の人は観たくても観れないのだから。
もうじき発表されるアカデミー賞では、是非多くの賞を受賞して欲しい。それをきっかけとして、是非劇場公開を望みたい。
(採点=★★★★☆)
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