「フェイブルマンズ」
2022年・アメリカ 151分
製作:アンブリン・エンタティンメント=ユニヴァーサル
配給:東宝東和
原題:The Fabelmans
監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:スティーヴン・スピルバーグ、トニー・クシュナー
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ
製作:クリスティ・マコスコ・クリーガー、スティーヴン・スピルバーグ、トニー・クシュナー
「E.T.」、「ジュラシック・パーク」などの映画史に残る秀作を世に送り出してきた巨匠スティーヴン・スピルバーグが、映画監督になる夢を叶えた自身の原体験を映画化した自伝的作品。出演は、「マリリン 7日間の恋」のミシェル・ウィリアムズ、「THE BATMAN ザ・バットマン」のポール・ダノ、「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋」のセス・ローゲン、新鋭ガブリエル・ ラベル。第80回ゴールデングローブ賞作品賞(ドラマ部門)・監督賞受賞、第95回アカデミー賞で作品、監督、脚本、主演女優(ミシェル・ウィリアムズ)、助演男優(ジャド・ハーシュ)ほか計7部門にノミネートされた。
(物語)1952年、5歳のサミーは技術者の父バート(ポール・ダノ)とピアニストの母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)に連れられて初めて映画館を訪れ、そこで上映されていた「地上最大のショウ」によって映画の魅力に憑りつかれ、それからは映画をまねておもちゃの汽車を何度も衝突させたりする。そんなサミーを見かねた母ミッツィは彼に8ミリカメラを買い与える。サミーは最初は妹たちを出演させ、やがて友人たちを主演にした映画を撮り始める。家族や仲間たちと過ごす日々の中、ますます映画作りの夢を追い求めていくサミー。母親はそんな彼の夢を支えてくれるが、父親はその夢を単なる趣味としか見なさない。サミーはそんな両親の間で葛藤しながら、さまざまな人々との出会いを通じて成長して行く…。
興行記録を何度も塗り替える大ヒット作を連発し、アカデミー賞も3度受賞する等、映画史上最も成功を収めた巨匠スティーヴン・スピルバーグ。その彼が初めて、自らの少年時代を描く自伝的映画を完成させた…。もうそれだけで絶対観たくなる。
初めてスピルバーグ監督作を観たのはちょうど半世紀前の1973年2月。映画は我が国デビュー作の「激突!」。試写会が当って当時ユニヴァーサル作品を配給していたCICの試写室で観た。
前情報はまったく無く、どんな映画かも判らず、監督も出演者も全然知らない人たち。あまり期待しないで観たのだが、これがとても面白かった。ハラハラ、ドキドキ、手に汗握り興奮し、最後の激突シーンでは思わず叫びそうになった。凄い監督が現れたと直感で思った。後で、監督した時の年齢が25歳と聞いてまた驚いた(注1)。
以後私にとってスティーヴン・スピルバーグは最もお気に入りの監督の一人となった。監督作はすべてリアルタイムで追いかけただけでなく、“製作総指揮”に名を連ねる映画もほとんど観て来た。そしてどの作品も、期待を裏切らないばかりか、映画の歴史を次々書き換えて行く名作、傑作であり、映画史上最も有名な監督になった。
この監督と同じ時代に生きて来られて、本当に良かったと思う。
そこで本作である。これまでスピルバーグに関する評伝・伝記書籍もいくつか読んでいる(代表的なものが筈見有弘著「スピルバーグ」(講談社新書))が、子供時代から8ミリカメラでいくつもの映画を監督したり、17歳で重役のフリして勝手にユニヴァーサル・スタジオにもぐり込んで撮影を見学したり、空いているオフィスを無断で自分の事務所にしたりのエピソードをそれらの本で知った。若い時からユニークでお茶目な人物だったようだ。
だから本作も、そんな夢に満ち溢れた至福の少年時代を、ユーモラスに楽しそうに描くのだとばかり思っていた。同じく監督の自伝的要素を盛り込んだ「エンドロールのつづき」のような作品だと思い込んでいた。
観終わってみれば、そんな予想とはちょっと違ってややビターなテイストも交じっていたが、最後はやはり映画愛に満ちた、感動の物語になっていた。
(以下ネタバレあり)
冒頭からのエピソード、主人公サミーが5歳の時、両親に連れられて行った映画館で観た最初の映画がセシル・B・デミル監督の「地上最大のショウ」で、特に終盤の列車クラッシュ・シーンに衝撃を受け、家に帰ってもその興奮冷めやらず、おもちゃの列車で衝突シーンごっこをしたり、やがて親に買ってもらった8ミリカメラで列車と自動車との衝突シーンを再現したり、妹たちを出演させた映画を作ったりのエピソードはほぼ評伝通りである(注2)。
生まれて初めて観た映画が列車衝突シーンがあるスペクタクル映画だったというのが重要で、もしこれが子供向けの他愛ないアニメやファミリー・ムービーだったら、観た映画に興奮したりもせず、8ミリカメラで映画作りに熱中したりしなかっただろうし、映画監督を志したりもしなかったかも知れない。いや映画監督になったとしても、映画の歴史を変えるような偉業は成し遂げなかったかも知れない。
“乗り物クラッシュ・特殊効果シーン”に魅了されたからこそ、それが出世作のTVムービー「激突!」に結実し、サメの恐怖を描く劇場映画2作目「ジョーズ」へと繋がり、これが当時の興行記録を塗り替える大ヒット作となって一躍時代の寵児となったのだから。人間の運命というのは分からない。
もう一つ、サミーの両親が、父はコンピュータ開発技師で、母が芸術肌のピアニストという恵まれた家庭環境で育った事も幸運であった。テクニカルとアート。どちらも映画製作に重要なファクターであり、特にコンピュータは後にコンピュータ・グラフィック(CG)への発展に寄与し、その技術をフルに活用した「ジュラシック・パーク」に結実する事となる。また、劇場デビュー作以来ほとんどの作品でスピルバーグ作品の音楽を担当しているジョン・ウィリアムズがピアニスト出身だったというのも不思議な巡り合わせである。
サミーは成長して、十代初めには仲間たちを集めて劇映画を撮るようになる。映画ではジョン・フォード監督「リバティ・バランスを射った男」を観て、派手な撃ち合いのある西部劇を作るというエピソードが登場する。ユニークなのは、母がうっかり五線譜を踏みつけ、紙に穴が開いたのをヒントにして、銃発砲シーンのフィルムに穴を開けて銃の閃光に見せかけるくだりである。こうしたアイデアを思いつく辺りが、まさに天才と言われる所以だろう。
15才の時にはボーイスカウト仲間と一緒に戦争映画「ESCAPE TO NOWHERE」も作っているのだが、ラストに、死屍累々と横たわる多くの兵士の死体を見つめて主人公が呆然となるシーンが登場する。もうこの年齢で“戦争の悲惨さ”を描いているのが凄い。無論これが後の監督作「プライベート・ライアン」に繋がるわけである。
ここまでは、評伝でも書かれていた、映画少年が映画作りに邁進し、監督としての技量を着実にマスターして行くプロセスが描かれるのだが、この後に、これまで自伝・評伝にも描かれなかった、スピルバーグが語る事を避けて来た”知られざる家族の秘密”が登場する。
サミーは家族旅行でもカメラマンを任され、家族の様子を撮影するのだが、自宅で編集途中に、妹たちの背後に母ミッツィと父の友人・ベニー(セス・ローゲン)が親密に語らい合う様子が写っていたのを見てしまう。
フィルムは正直だ。普通なら見過ごしてしまうような行動でも、フィルムに焼き付けられるとそれは記録として残り、ただならぬ関係の証拠となる。
サミーはそのシーンをカットして編集し家族に見せるのだが、ミッツィはサミーが何かを隠している事を悟る。
そしてサミーは、カットして残していた例のフィルムをミッツィに見せてしまう。
これが一つの契機となって、両親の離婚に至る事となる。
映画は、実際には存在しないイメージを、存在するかのように作り出す魔法の道具だが、逆に隠しておくべき“真実”を暴き出してしまう事も起こる。
“夢の道具”が、“悪夢を招く道具”にもなるのだ。サミー少年は映画の持つ底知れぬ力、奥深さを自覚する。
その少し前、親類のボリス伯父さん(ジャド・ハーシュ)が、映画の魅力について熱く語るサミーに、“芸術は素晴らしいものだが、一方で心を引き裂き、孤独をもたらすものでもある。その覚悟はあるか”と忠告するシーンがある。
ほんの僅かの出番だが、ジャド・ハーシュ、渋い存在感を見せつける(この演技でアカデミー助演男優賞にノミネートされた)。
ボリス伯父さんのこの言葉は、その後の母の秘密に関するあの一件を予言していたわけである。
この映画が素晴らしいのは、単なる映画少年の夢を描くだけでなく、こうした“映画がもたらす光と影、芸術が内包する魔力に対する大いなる覚悟”の大切さをもきちんと描いているからである。
その後、父の転勤で引っ越したカリフォルニアのハイスクールでは、サミーは執拗なユダヤ人差別に晒されるのだが、その後のエピソードも面白い。
ハイスクールの学園祭でイベントの記録映画を撮る事になったサミーは、彼を苛めていた生徒が走る姿を、映画作りの本能のおもむくままに、美しく撮ってしまう。
映画を観た苛めっ子の、自分があまりにカッコ良く描かれていた事に狼狽える様がおかしい。以後サミーに対する態度は一変する。これもまた映画の持つ力、魔力である。
差別をも糧にして、逆境も乗り越え、ボリス伯父さんの忠告を胸に秘め、映画作りの面白さ、映画の素晴らしさに目覚めて行くサミー。スピルバーグの原点はこの少年時代にあったのだ。その事に、私は深く感動した。
ラストが実にしゃれている。サミーがあるスタジオに採用され、彼が尊敬するある大物監督に出会うシーン。映画ファンならニンマリさせられる、本作でいちばん楽しいシーンである。これはサプライズなので、未見の方はなるべく情報を仕入れないように。
この大物監督はサミーに「水平線を画面の真ん中に持って来る映画はダメだ」と言うのだが、その後スタジオを出たサミーを捉えたカメラが、思い出したようにカメラアングルをカクンと変えるシーンには大笑い。スピルバーグ、遊んでくれますな。
というわけで本作は、スピルバーグの、プロの映画監督としてデビューする前の少年時代を描いた自伝的映画であるが、これまで知られていなかった暗い過去も包み隠さず描いている点が素晴らしい。
これまでも映画化する案はあったらしいが、両親が存命中なのでさすがに躊躇したようだ。2017年と2020年に母と父が亡くなった事でようやくふんぎりがついたらしい。
エンドクレジットには、アーノルドに捧ぐ、そしてリアに捧ぐ、という両親への献辞が出る。これにもジンと来た。
実はスピルバーグは17歳の時にも16ミリで、2時間を超える大作SF映画「ファイアライト」を作っているのだが、このエピソードがまるごとカットされていたのがちょっと残念。「未知との遭遇」の原点とも言える作品なので入れて欲しかったが、それが無くても上映時間が2時間半を超えてるので、カットはやむを得ないかも知れない。
スピルバーグ・ファンなら絶対楽しめる、そしてこれから映画を作りたいと思っている若い人にも是非観て欲しい、映画作りへの夢と愛に満ちた、これは素敵な秀作である。 (採点=★★★★★)
(注1)
以前はスピルバーグの誕生年は1947年とされて来たが、これはスピルバーグ自身が偽って言って来たせいで、正しくは1946年生まれである。よって「激突!」監督時は26歳が正しい。
(注2)
映画では8ミリカメラをサミーに買い与えたのは母ミッツィになっているが、前掲筈見さんの本によると、8ミリカメラは母リアが父アーノルドの誕生祝いにプレゼントしたもので、それをスティーヴン少年が父にねだって譲り受けたとの事である。まあ映画作りに理解のある母が買い与えてくれたとした方がピッタリ来るので、この改変は理解出来る。
(付記)
スピルバーグの両親の名前はアーノルドとリアであるが、映画ではバートとミッツィに変えられている。
フィクションも交えているので変えるのは当然だが、頭文字をよく見ると
Arnold → Burt 、 Leah → Mitzi と、アルファベットをそれぞれ1文字づつ後ろにズラしている。
これはスタンリー・キューブリック監督の「2001年:宇宙の旅」のコンピュータの名前、HALが、IBMを1文字づつ手前にズラしたものではないかという説を思い出させる。
バートがカリフォルニアで転職した会社がIBMだったというのも出来過ぎてる(笑)。
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コメント
今年の外国映画一位、早くも決定したかもしれません。
ただ、私の観た場所と時間帯にもよるかもしれませんが、公開一週目にして観客が私以外に一人しかいませんでした。
映画ファンはどこへ行ったのでしょう?日本の観客は作家で映画を観なくなったんでしょうか?
投稿: タニプロ | 2023年3月18日 (土) 13:44
◆タニプロさん
興行成績ランキングでも、初登場10位、2週目にはもう圏外に落ちましたから興行的にも厳しいですね。
出演者は地味だし娯楽的要素もないし、どちらかと言うと監督のプライベート・フィルムみたいな作品ですからね。余程のスピルバーグ・ファンしか観に来ないでしょう。
まあファンには十分満足出来る作品でしたから、それでいいんじゃないでしょうかね。
投稿: Kei(管理人 ) | 2023年3月18日 (土) 18:50
さすがスピルバーグ自伝的作品ながら娯楽映画としてもとても良く出来ていました。
感傷的にならないのがさすが。
冒頭の「地上最大のショウ」の特撮画面は今の目で見ても素晴らしいと思いました。
主人公のガブリエル・ラベル、母のミシェル・ウィリアムズ、父のポール・ダノはじめ俳優陣も素晴らしい。
ラストは思わずほろりとしました。
ハリウッドでの活躍も見たかった気はしますが、ここで終わるのが清いのかな。
投稿: きさ | 2023年3月21日 (火) 18:21
◆きささん
俳優陣はみな良かったですね。
>ハリウッドでの活躍も見たかった…
あのラストの後でも、テレビシリーズやTVムービー等の時代が5~6年続きましたから、劇場映画デビューの「続・激突-」まで描くと駆け足でも上映時間が3時間超えてしまうでしょうね。夢に向かって走り出す、あそこで終わるのが正解だと思いますよ。
投稿: Kei(管理人 ) | 2023年3月24日 (金) 18:38