「妖怪の孫」
3月17日から公開されているが、公開当初から満席が続くなど興行も順調で、封切から2ヵ月を超えた現在も各所でロングランが続いている。当地では十三のミニシアター「第七芸術劇場」で封切られ、現在はさらに小さな「シアターセブン」で上映中。家から遠いのでなかなか機会がなかったが、やっと時間が取れて観る事が出来た。
2年前に公開された、菅総理(当時)の人物像に迫った「パンケーキを毒見する」がまずまずの成功で、その直後から河村プロデューサーが、「次は本丸だ」という事で企画がスタートした。だが製作準備中の昨年6月、河村氏が逝去、さらに例の安倍元総理銃撃事件があって製作そのものが危ぶまれたが、前作にも出演した古賀茂明氏が河村氏の遺志を継ぐ形で企画プロデューサーを引き受け、完成に至ったという事である。
「パンケーキを毒見する」は随所にアニメーションも交え、権力者をおちょくり笑いのめした楽しめるエンタティンメントになっていたし、ちょうど支持率も下がり傾向で叩き易い状況であったのに対し、本作の主人公である元総理は非業の死を遂げ、国葬まで行われたという事で、批判するのは憚られる空気が充満していた。「死者を鞭打つべきではない」という日本的心情もある。
そういう極めて難しい状況にありながらも、膨大な記録映像を選別し、多くの人にインタビューし、安倍元総理死去からわずか8ヵ月余りで公開に漕ぎつけた事は大いに評価したい。
(以下ネタバレあり)
映画は、最初のの3分の1程は、幼少期から現在に至るまでの人となり、政治家としての経歴、アベノミクスに代表される経済政策で歴代最長政権を誇り、一方でを物議を醸す言動やスキャンダルでも世間から注目された安倍元総理の人物像を、写真や記録映像で分かり易く辿っている。
ここまでは何度も見聞きし、知っている内容であるが、面白くなるのは母方の祖父で「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介が登場する中盤からである。題名の「妖怪の孫」はここから来ている。
岸信介は戦中、東条内閣の閣僚を務め、戦後はA級戦犯として逮捕されながらも何故か処刑を免れ、その後第56・57代内閣総理大臣となった人物である。憲法改正にも意欲を燃やしていた。
その娘と結婚した安倍晋太郎も政治家となったが、選挙区の下関市で在日韓国朝鮮人の方々に便宜を図っていた等、政治信条はリベラルに近かったようだ。
だがその息子の晋三は父とは反対にどんどんタカ派的な勢力と結びつき、祖父の悲願である憲法改正に前のめりになって行く。ある意味、祖父を超えようとしていたのかも知れない。
「妖怪の孫」というタイトルはまさにそれを示している。
これまで、あまりマスコミ等でも報じられなかった事実も明らかになっている。2000年に、暴力団員が安倍晋三の自宅や地元事務所に5回にわたり火炎瓶を投げ込む事件があったが、これは安倍の秘書が下関の市長選挙で、対立候補を落選させるための工作を頼んだものの対価が十分でなかったとして引き起こした事件だった。
当時一部マスコミが報じようとして握りつぶされたとも言われている。
目的の為には反社会的勢力の力さえも利用する。あきれたものだ。そう言えば岸信介も安保闘争でデモ隊を抑えるために右翼を使ったとも言われていた。この祖父にしてこの孫ありだ(笑)。
また安倍晋三自身が語る「アベノミクスは結果はどうでもよくて『やってる感』が出せればいい」の言葉には愕然となる。
同じくスターサンズが製作した「新聞記者」の中で、田中哲司扮する内閣情報調査室の男が嘯く「この国の民主主義は形だけでいい」の言葉とも見事に呼応する。
この安倍の言葉を映画の中に取り入れただけでも、本作を作った値打ちがあると言っていいだろう。
映画にはまた、2人の現役官僚が匿名で出演し、古賀氏のインタビューに答えているシーンもある。人事権を握られて官僚たちが政権に逆らえない実態などが赤裸々に語られている。
その他、憲法学者や元ニューヨーク・タイムズの記者や右翼団体・一水会のメンバーとかの発言、インタビューもあり、また旧統一教会を取材して来た鈴木エイト氏が自民党と統一教会の持ちつ持たれつの関係を語る等、なかなか興味深い話が聞けたのは良かった。
ただ、メインとなる人物が亡くなってるという事もあってか、前作のようなユーモア、おちょくり、エンタティンメント性は影を潜め、全体に重苦しいムードになっていたのは、仕方ないとは言えちょっと残念。前作と同じくべんぴねこが手掛けたアニメも、笑えるシーンはほとんどなく、“不寛容”、“自己責任”という名の妖怪がはびこっている様を絵解きしただけに終わっている。
前作の「閻魔様に舌を118回抜かれた元総理」のアニメは、本作の方に取って置いた方が良かった気がする。
そしてラストがちょっと衝撃的だ。編集台の前にいた内山監督が編集をストップし、「私にも妻と娘がいる、家族の事も考えなければ」と声を震わせた所で映画は終了する。
これはどういう意味なのだろうか。もしかしたら圧力がかかり、家族の身に危険が及ぶかも知れないので、ここから先は描くのを断念したという風にも見える。
インタビューでは、「自分の話として伝えない事には、みんなも自分の事として考えてくれないだろうから」と言っており、圧力云々とは関係ないようなニュアンスだが、どこまで信じられるか。…それだけ、政治の闇は底知れぬ程に深いと言える。
欲を言えば、岸信介と旧統一教会の深い繋がりも掘り下げて欲しかったし、食い足りない面もいくつかある。
それでも、よくここまで、テレビ局や他の映画会社が恐れてと言うか忖度と言うか、逃げて来たアンタッチャブルな題材に、大胆に正面から挑んだ映画を作り上げた内山監督の頑張りには、素直に敬意を表したい。
それにしても、河村プロデューサーの逝去は惜しみて余りある。河村氏がいなければ、こんなリスキーなドキュメンタリーは作れなかっただろう。今後、河村氏の跡を継ぐ恐れ知らずのプロデューサーが果たして日本映画界に登場するだろうか。それが気がかりである。
是非多くの人に観て欲しい。そしてまだ上映されていない地方でも上映される事を願ってやまない。 (採点=★★★★)
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