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2023年5月 7日 (日)

「ヴィレッジ」 (2023)

Village 2023年・日本   120分
製作:スターサンズ
配給:KADOKAWA、スターサンズ
監督:藤井道人
脚本:藤井道人
撮影:川上智之
美術:部谷京子
音楽:岩代太郎
企画・製作:河村光庸
エグゼクティブプロデューサー:河村光庸
製作:堀内大示、和田佳恵、石垣裕之、伊達百合

“村”という閉ざされた世界を舞台に、そこで生きる人々の姿を通して現代社会の歪みを鋭く抉り出すヒューマン・サスペンス。脚本・監督は「余命10年」の藤井道人。主演は「線は、僕を描く」の横浜流星。共演は「余命10年」の黒木華、「空白」の古田新太、「キャラクター」の中村獅童。その他杉本哲太、西田尚美、一ノ瀬ワタル、奥平大兼、作間龍斗とベテラン、新進の個性的な顔ぶれが揃った。昨年他界したスターサンズ代表・河村光庸氏の最後のプロデュース作品。

(物語)とある日本の過疎地にある集落・霞門村(かもんむら)。幼い頃よりそこで暮らす片山優(横浜流星)は、かつて父親がこの村で起こした事件の汚名を背負い村中から蔑まれ、孤独に耐えながら希望のない毎日を生きて来た。その上僅かの収入も母親の君枝(西田尚美)がギャンブルで抱えた多額の借金に消えて行く有り様。そんなある日、優の幼馴染の美咲(黒木華)が東京から戻って来た事をきっかけに、彼の日常は大きく変わって行く…。

「新聞記者」「ヤクザと家族 The Family」と骨太の社会派秀作映画を連打して来た監督・藤井道人×スターサンズ・河村光庸プロデューサーの、映画としては3度目のタッグとなる作品である。

藤井監督は、スターサンズ作品以外でも、「宇宙でいちばん明るい屋根」「余命10年」と、いろんなジャンルを股にかけて水準以上の面白い映画を作って来た。今の日本映画界で最も脂の乗ってる監督だと言えよう。そして主演が「流浪の月」「線は、僕を描く」と演技派として実力をつけて来た横浜流星という事で、益々期待が高まる。封切られて直ぐに観に行った。

(以下ネタバレあり)

うーん、ちょっと期待し過ぎたか。演出も俳優の演技も気合が入って見事だが、ストーリー細部、出演者の立ち位置等に疑問が湧いてすんなり楽しめなかった。


舞台は閉鎖的な過疎の村。村長は村で絶対の権力を握る大橋修作(古田新太)。修作は山の中腹に巨大なゴミの最終処分場を建設して、それを村の繁栄に役立てようと考える等、なかなかのやり手である。

だが裏ではヤクザや政治家とも繋がっているようで、処分場の敷地内に違法な産業廃棄物を深夜に埋める作業を黙認している(と言うか推進しているようにも見える)。
修作の息子・透(一ノ瀬ワタル)は全身イレズミのヤクザのようで、産廃埋設の指揮を取っている。

主人公・片山優の父親は処分場建設に反対しした事で村八分にされたあげく、殺人事件を起こし、自宅に火をつけて死んだ。その事で優は子供の時から“人殺しの息子”としてバッシングを受けて来た。だが何故か村に留まり、産廃処理場で透に虐められながら働いている。

ある日、数年前に東京に出ていた優の幼馴染の美咲が村に帰って来る。美咲は村のスタッフの職を得、優を処分場の広報担当に抜擢し、処分場の存在を大々的にPRして村おこしを計ろうと計画する。
一部の村人からは、「人殺しの子を大事な役に付けるのは問題では」との声も上がるが、村長は強引にこの人事を押し通す。
広報担当となった優は、小学生の見学ツァーやマスコミの取材の陣頭に立ち、やがては優の表情も明るくなって行き、美咲の計画は成功するかに思えたが…。

冒頭しばらくは、優は髭モジャで顔にも生気がなく、最初は横浜流星とは気が付かなかったくらいである。
広報担当になってからの優は、髭も剃り、髪も服装もサッパリして、見違えるように生気を取り戻して行く。

ところが、優の入れ替わりに産廃処理の職を得た、美咲の弟・恵一(作間龍斗)が、埋められているのが有害な違法危険物と知って警察に告発し、優は村長に後始末を押し付けられる。
さらに透が美咲に強引に関係を迫ろうとして、それを知った優は阻止しようとして…そして悲劇が起きる。


テーマとしては面白い。閉鎖的な村社会の中で、絶対的な権力を握るトップ(村長)の意向には逆らえず、村人は従順で同調圧力は強く、反対する人間は村八分にされ、不都合な真実は覆い隠されてしまう
明らかに、閉塞感にある今の日本の現状や現在の政治状況のカリカチュアである。さすがは反骨のプロデューサー、河村氏の企画だけの事はある。

インタビューによると、藤井監督は河村氏から、①能面を被った村人100人が歩く姿、②薪能、③ゴミ処分場が爆発する
の3つの映像を入れる事、を依頼されたと言う。

①、②はそれぞれ映画の中に出て来る。特に①はおそらく、“同じ顔をした無表情の人たちの集団”を絵にする事で、何も考えず支配者に従うだけの村民を象徴していると思われる。
村民を国民に置換えれば、今の日本の姿のメタファーにもなる。さすがは「新聞記者」「この国の民主主義は形だけでいい」という、国家の傲慢さを際立たせる名言を生み出した藤井×河村コンビだけの事はある。

②については冒頭、能の演目「邯鄲(かんたん)」についての字幕が出る。物語は、50年に及ぶ栄華も目覚めれば一夜の夢だったというものだが、これは優も村も一時はマスコミで有名になるが、最後に破滅するという本作の物語展開に重ねているのだろう。ただ、(能に詳しくない)観客にはちょっと判り辛いのが難点。

③については、爆発シーンは本作の中には登場しないが、河村氏はおそらく、ゴミを処理して町をクリーンにしているが、一方では有毒物質を蓄積しているこのゴミ処分場を、原発のメタファーにしたかったのだろう。爆発は福島原発事故を想起させる。

製作費の都合もあって藤井監督は爆発シーンはカットしたのだろうが、河村氏の遺志を思うなら、これは入れて欲しかった気がする。


さて、そこまではいいのだが、細部においてツッ込み所と言うか、無理な展開が目立つ。

まず、ゴミ処分場を村おこしに利用しようとするわけだが、そんな施設程度で観光客が押し寄せるとは思えない。テレビで特集放映されても、それで終わりである。小学校の見学くらいでは村に金は落ちない。しかも見物客やマスコミが頻繁に来るようになると、有害物不法投棄の現場を見られてしまう危険性もある。不法投棄をすっぱり止めてから村おこしをするべきだろう。

優を広報担当にして、彼の姿がテレビに映り有名になって行くのだが、そうなると“父親が殺人者”という過去がSNS等で蒸し返されるリスクは考えなかったのだろうか。
こちらも横浜流星が出演している「流浪の月」では、松坂桃李扮する主人公の少女誘拐の過去が15年後もSNSで拡散されてしまっている。スマホが登場するから昔の時代でもないし。

不法投棄現場を押さえる刑事・光吉(中村獅童)が村長・修一の弟だという人物設定も疑問。そういう設定にする必要性があまり感じられないし、弟だったら強制捜査の前に、兄にまず相談すると思うのだが。なんで兄、及び村を窮地に追いやる事をやるのか。修一と確執があったようには描かれていないし。

家族関係で言うなら、村長の息子がイレズミものというのもヘンだ。マスコミの恰好の餌食になる。ついでだが認知症の母親にケアする人間が一人も付いていないのも不自然。村長なら介護士くらい雇えるだろうに。

優が透にボコボコにされて、その直後にスタジオに現れるや、修一が「メイクで隠せるだろ?」。いやそりゃ無理。腫れ上がった瞼はメイクでも隠せない。その後何日も経ってないのに顔が綺麗になってるのも違和感あり。

河村プロデューサーから上記3つのお題を与えられたのはいいが、十分に咀嚼出来ず、お題を無理やり話に当て嵌める方に神経を注いで物語がおざなりになった感がある。残念だ。

脚本は藤井道人が一人で書いているが、出来れば誰か実力のある脚本家と組んで書くべきだと思う。黒澤明や小津安二郎や山田洋次らは必ず気心の知れた脚本家と共同で書いていた。そうやって脚本を練りに練って、辻褄の会わない所を修正しておれば、傑作になったかも知れないのに。もったいない。

だが横浜流星をはじめ出演者は皆熱演だし、藤井演出も重厚で、細部を気にしなければ、いかにも河村プロデュース作品らしい、現代社会の歪み、日本という国の現状を鋭く批判した社会派の力作として一応の見ごたえある作品にはなっている。

これまで優れた作品を世に送り出して来た故・河村光庸氏の遺作という事で、採点はやや甘く。  (採点=★★★★

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