「渇水」
2023年・日本 100分
製作:レスパスビジョン
配給:KADOKAWA
監督:高橋正弥
原作:河林満
脚本:及川章太郎
撮影:袴田竜太郎
音楽:向井秀徳
企画プロデュース:白石和彌
製作:堀内大示、藤島ジュリーK.、徳原重之、鈴木仁行、五十嵐淳之
プロデューサー:長谷川晴彦、田坂公章
第70回文學界新人賞を受賞した河林満の同名小説を原作に、心の渇きにもがく水道局職員の男が幼い姉妹との交流を通して生きる希望を取り戻していく姿を描くヒューマンドラマ。監督は「月と嘘と殺人」の高橋正弥。出演は、「湯道」の生田斗真、「天間荘の三姉妹」の門脇麦、「PLAN75」の磯村勇斗、「茜色に焼かれる」の尾野真千子など。また企画プロデュースを「孤狼の血」シリーズの白石和彌が担当している。
(物語)日照り続きで給水制限が発令されている夏、市の水道局に勤める岩切俊作(生田斗真)は水道料金が滞納する家庭を訪ね、水道を停めて回る日々を過ごしていた。そんな時、俊作は、父が蒸発し、母・有希(門脇麦)も帰らなくなり、二人きりで家に取り残された幼い姉妹・恵子(山崎七海)と久美子(柚穂)と出会う。困窮家庭にとって最後のライフラインである水を停めるのか、岩切は葛藤を抱えながらも規則に従い、停水を執り行うが…。
高橋正弥監督は根岸吉太郎、高橋伴明、相米慎二、市川準、森田芳光、阪本順治、宮藤官九郎といった錚々たる名監督たちの助監督を担当し、園子温監督「エッシャー通りの赤いポスト」のプロデューサーも手掛ける等、その経歴も多彩で、それだけでもどんな作品を作ったのか興味深いものがある。
河林満の原作は30年以上も前に発表され、文學界新人賞を受賞し、芥川賞候補にもなった。脚本は10年前に出来上がっていたが、なかなか製作してくれる会社が見つからず、それを聞いた白石和彌がプロデューサーを買って出て映画化が実現した。いい話だ。
(以下ネタバレあり)
映画は冒頭、幼い姉妹がプールに泳ぎに来たものの、プールの水が抜かれており、二人がガッカリするシーンから始まる。
これは雨が何日も降らない為、水不足が深刻な状態である事を絵として端的に示すと同時に、この姉妹が以後の物語に絡んで来るであろう事を暗示している。ツカミとしては申し分ない。
主人公は市の水道局に務める岩切俊作。相棒の木田(磯村勇斗)と組んで、水道料金を滞納している家庭や店舗を回り、料金支払いを督促する。滞納が4ヵ月になると、「支払いがなければ停水」を宣告し、それでも応じない時に、給水栓を閉めて停水を執行する。
出来るだけ丁寧に説明をするのだが、止められた人間は懇願したり怨みごとを言ったり、あるいは腹いせにお札をクシャクシャにして寄こしたりで、仕事とは言えストレスが溜まるだろう。
そんな事を繰り返すうちに、岩切自身の心も渇いて来る。家に帰っても、妻と息子は妻の実家に帰っていて誰もいない。心に潤いが欲しい。
タイトルの「渇水」とは、日照り続きで水不足に悩む市の水道業務の実態を示すと同時に、岩切の心の渇きをも示している。
そんなある時、やはり料金滞納をしているシングルマザーの有希の家を訪問すると、「金はない、払えない」と言うので停水を執行しようとした時、冒頭に登場したあの姉妹が帰って来る。さすがに子供の前で強制執行も出来ないので今回は見送り、引き揚げる。
次に岩切たちが訪問した時には、有希は不在。子供に僅かの金を渡したきり家を出て行ってしまったようだ。
岩切は悩む。水道を止めたら子供たちは困窮する。だが前回も待ったので、これ以上停水を猶予できない。せめてもの温情で停水の前に、風呂桶やバケツ、洗面器に水を一杯溜めておくように言う。木田は子供たちにアイスキャンデーをプレゼントしたりもする。
その後も母は何日も帰って来ず、たまに帰ったらお菓子類を置いて、また出て行ってしまう。明らかにネグレクト=育児放棄である。
妹の久美子はお菓子を喜ぶが、姉の恵子は母を許せずそれを庭に放り投げる。
やがて生活費も、水も底を尽いたようで、姉妹は夜になると公園の水飲み場から水を持ち帰ったり(つまり盗水)、コンビニで食糧や水を万引きするようになる。
やはりネグレクトを描いた是枝監督の「誰も知らない」を思い出す。子供たちのサバイバル行動もあの作品とよく似ている。
貧困、格差、高齢化社会、育児放棄、血の通わないお役所行政…さまざまな社会的テーマをちりばめた原作・脚本を、高橋監督は静かな怒りを込めて丹念に描いているのがいい。
一方岩切は、心の渇きを癒すかのように、別居した妻の実家を訪れる。急に現れた父を、息子はどう反応していいか分からず距離を置いている。
実家の食堂を手伝っている妻(尾野真千子)は、岩切の突然の訪問に呆れながらも、二人で今後の事を話し合う。妻は決して岩切と心が離れてしまったわけではないようだ。まだやり直せるチャンスは残っている。
ここで、二人が会話する場所が一面のひまわり畑というのがいい。その後岩切が訪れる森林の滝の風景も含め、田舎の雄大な自然がことさらに強調される。
家族との触れ合い、自然の風景、いずれも心に渇きを覚える岩切にとって一服の清涼剤である。岩切の心に、変化が訪れ始める。
そしてある日、恵子がスーパーで万引きをし、店長に咎められている所を目撃した岩切は思わず金を立て替え、恵子を救うのだが、恵子は岩切に向かって大人への不信感・怒りをぶつける。
ここからの岩切の大胆な行動が一つのクライマックスとなる。自分がやっている仕事の空しさを悟り、こんな仕事はもう願い下げだとばかりに盛大な大暴れ(小さなテロと言っている)を敢行する。この時初めて、恵子たちの顔に笑顔が浮かぶ。
ここから後の描写は、それまでのリアルな描写とは明らかに異なり、一種のファンタジー的な展開となっている。市の職員がテロまがいの行動をするのも、タイミングよく雨が降って来るのも、児童相談所の隣に都合よくプールがあったり、姉妹がいつの間にか相談所を抜け出し、プールに移動して威勢よく飛び込むシーンも(このシーンは冒頭の空のプールでの遊びと対になっている)、現実にはあり得ないようで、どこか空想めいた描写である。これらは高橋監督が意図して狙った演出だろう。
ちなみにこの一連のシーンは原作にはない、映画オリジナルである。
ラストで、岩切の息子からかかって来る電話も、ホッとさせられる。恐らく、妻が息子にそれとなく言い聞かせたのだろう。岩切一家が元の鞘に収まる事を暗示する、いいシーンである。
実は、原作のラストではとても悲しい結末が待っている。高橋監督は、原作者の遺族に結末を変更する旨の了解を得た上で脚本の及川章太郎と相談し、映画にあるようなエピソードに改変したのだそうだ。
これは議論の別れる所だろう。原作のファンなら違和感を覚えるかも知れない。
それでも、絶望的な状況を諦めるよりは、どんな事があっても希望を捨てず、力強く生きて行く事、人として互いに繋がり合い、支え合う事の大切さを、高橋監督は訴えたいのだろう。この事に私は深く感動した。改変は正解だと思う。
姉妹を演じた山崎七海(姉)と柚穂(妹)の二人の演技が自然でとてもいい。思わず感情移入したくなる。生田斗真もベストの快演だ。
…と褒めた所で、少々引っかかる所もいくつかある。
時期は夏の暑い盛りと思われるのに、登場人物はあまり汗をかいていないのが気にかかる。特に子供たちは電気も水道も止められた家で過ごしていれば、エアコンも使えず、冷蔵庫で冷たい水を飲む事も出来ない状態では汗が滴り落ちると思うのだが、そんな描写はない。涼しそうにさえ見える。水も止められては風呂も入れないし髪も洗えないだろう。何日もその状態では、体は汗臭くなって服も汚れて、髪もパサパサになって来るだろう。それなのに彼女たちは妙に小綺麗なままだ。
ちなみに「誰も知らない」では汗ダラダラの描写や汗臭さ、身体が徐々に弱って行く様など、その辺は結構リアルに描かれていた。
姉妹たちが食事をするシーンもほとんど無いが、金もなく、電気ガスを止められてはラーメンを茹でる事も出来ず、冷蔵保存も出来ない。そんな状態ではなけなしの金で買う食料品も限られるだろう。どんな食生活をしているのか、どうやって栄養のある食料品を確保していたのか、ヘタすればゴミ箱の残飯を漁る事もやっていたのか。その辺もきちんと描くべきではなかったかと思う。
といった不満があったので、最初は点数を辛くするつもりだったが、本記事を書いているうちに、良い所をいろいろ思い出して、やはりこれは難点はあれど評価すべき力作だと思い至った。本作を何としても映画化したいという高橋監督の熱意にも感動させられた。なので今後の高橋正弥監督への期待も込めて採点は少々甘く。
(採点=★★★★☆)
(付記)
ラストで、前述のように二人の子供たちが楽しそうに躍動するシーンが、たまたま同じ日(6月2日)に公開された是枝裕和監督の「怪物」のラストを想起させるのが興味深い。どちらもファンタジーっぽく見える点も共通する。題名が共に漢字2文字であるのも同じだし。また子供へのネグレクトが重要なテーマとなっているのも、これまた是枝監督の「誰も知らない」と共通する。
いろんな点で、本作は是枝監督作とリンクしているようだ。これも偶然とはいえ面白い。
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コメント
姉妹の演技が自然で良かったです。原作のラストが気になって、本屋で立ち読みしました。私も映画は、このラストで良かったと思います。
投稿: 自称歴史家 | 2023年6月19日 (月) 07:41
◆自称歴史家さん
原作のあのラストは、芥川賞選考でも批判的な声があったらしいですよ。まあ原作は原作、映画は映画でそれぞれ作者(監督)の強い意向が反映されているので、それでいいんじゃないでしょうか。
投稿: Kei(管理人 ) | 2023年6月22日 (木) 12:56