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2023年6月 7日 (水)

「怪物」

Kaibutsu 2023年・日本   125分
製作:東宝=フジテレビ=AOI Pro.=分福
配給:東宝、ギャガ
監督:是枝裕和
脚本:坂元裕二
撮影:近藤龍人
衣装デザイン:黒澤和子
音楽:坂本龍一
製作:市川南、 依田巽、 大多亮、 潮田一、 是枝裕和
企画・プロデュース:川村元気、 山田兼司

登場人物それぞれの視線を通して、「怪物」とは何かを探るミステリアスなヒューマン・ドラマ。監督は「万引き家族」の是枝裕和。脚本は「花束みたいな恋をした」の坂元裕二によるオリジナル。出演は「ある男」の安藤サクラ、「HOKUSAI」の永山瑛太、「千夜、一夜」の田中裕子、「ヴィレッジ」の中村獅童など。第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、脚本賞、クィア・パルム賞を受賞した。先般亡くなられた坂本龍一の映画音楽としての遺作でもある。

(物語)大きな湖のある郊外の町。シングルマザーの麦野早織(安藤サクラ)はある日、小学生の息子・湊(黒川想矢)の不審な行動に疑問を抱き、湊を問い詰めると、学校で担任の保利先生(永山瑛太)に「お前の脳は豚の脳だ」と言われ、ケガをさせられたと告白する。怒った早織は学校に抗議に訪れるが、学校側の対応は何の誠意も感じられないものだった。この事をきっかけに、やがて事態は社会やメディアも巻き込んだ大事へと発展して行く…。

今や日本映画を代表する名匠となった是枝裕和監督の新作。カンヌ映画祭で2つの賞を受賞した事でも話題となった作品である。但し出発は東宝プロデューサーの川村元気と山田兼司が、坂元裕二の書いたロングプロットを是枝監督の元に持ち込み監督をオファーした事に始まる、ほとんど自分のオリジナル脚本で映画を作って来た是枝監督としては珍しい持ち込まれ企画(ぶっちゃけて言えば雇われ監督)である。しかしそれでも、見事に是枝監督らしい作品に仕上がっている。

(以下ネタバレあり、注意)

映画は全体として3つの章に別れている。しかし出だしは3つとも同じ、火事で消防車が出動するロングショットの夜景から始まる。つまり、同じ物語を異なる3つの視点から描いており、視点が変わる事で、同じ出来事がまったく違った様相を呈するという凝った構成である(黒澤明監督「羅生門」に似ているとあちこちで言われているが、これについては後述)。

最初はシングルマザーの早織の視点で、映画が始まってからしばらくは早織と一人息子の湊(みなと)との、一見仲のいい親子の日常風景が描かれる。

しかしやがて、湊の不可解な行動が目に付くようになる。湊が自宅の洗面所で突然髪を切ったり、片方の靴をなくしたり、水筒に泥のようなものが入っていたり。ある日湊の姿が見えなくなり、ようやく見つけて車で帰る途中、湊が突然車から飛び降りたり。湊の部屋に与えた覚えのない着火ライターがあったりもする。

何かに苦しんでいると察した早織が湊を問い詰めると、担任の保利先生に「お前の脳は豚の脳だ」と言われ、怪我させられたのだと訴える。

早織が抗議の為学校に行くと、伏見校長(田中裕子)や教頭が頭を下げ謝罪し、当の保利先生も詫びるのだが、その保利先生の謝罪の言葉が全くの棒読みで全然誠意がこもっていない。校長にしても、機械的な対応で人間味が感じられない。湊の怪我は「保利先生が接触しまして」と言い訳する。あまりの無責任な返答に早織は怒り出す。
その後も早織が再度学校を訪れると、確かに保利の姿を見たのに、学校側は「保利先生は不在です」と言う。ワザと隠してると見た早織は校内を探し保利を見つけるが、保利先生が笑っているように見えたり、話の途中に飴をなめ始めたりするので、早織はますます不信感を募らせる。

まさにタイトル通り、この学校(と先生たち)こそ「怪物」ではないかと観客も思ってしまう。


そして第1章が終わり、今度は保利先生の視点で物語が繰り返されるのだが、驚く事に、保利先生の人物像がまったく違って見えるのだ。

前章とは打って変わって、保利先生は真面目で、生徒思いの熱心な教師である。広奈(高畑充希)という恋人もいる、普通の人間である。

クラスで湊が暴れているのを見た保利が止めに入ったところ、たまたま肘が湊の顔に当り鼻血を出してしまったのが真相だった。「豚の脳」の言葉も保利先生ではなく、湊の同級生の星川依里(柊木陽太)の父親(中村獅童)が依里を指して「あいつには豚の脳が入っているんです。それを治してやりますから」と保利に語った言葉だった。おそらく湊は依里からその事を聞かされていたのだろう。
つまりは、湊が母に嘘を言って保利先生を貶めたという事になる。

早織が抗議にやって来ると聞いた保利は事実を伝えようとするのだが、校長から「事実なんかどうでもいい、学校を守るのが大事。とにかく謝ること」と言い含められ、学校が作成したマニュアル通りの謝罪文を読むよう強制される。自分の意に反して紋切り型の文章を読まされれば、そりゃ棒読みになるだろう。

前章の、保利が早織の前で笑っているように見えたり、飴をなめたりするシーンも、学校の場当たり的処置と早織の誤解が重なって精神的に参ってしまった末の無意識的行動と言えるかも知れない。実際、学校側のその場しのぎの対応と早織の執拗な追及にはつい苦笑したくもなるだろう。

やがてマスコミも嗅ぎ付け、一方的な取材に晒され、「暴力教師」として記事になり、恋人の広奈も去って行き、追い詰められた保利は一時は自殺も考える。どこからか聞こえて来た間の抜けた管楽器の音に思い留まるのだが。

保利の視点から周囲を見れば、嘘を言って自分を陥れた湊も、モンスターペアレントのような早織も、依里の父親も、学校も、マスコミも、すべて「怪物」に思えるだろう。観客は今度は保利に同情したくなって来る。

視点が変わるだけで、それまで見て来た世界がガラリと変容し、違う側面が見えて来る。人間の先入観とはなんと恐ろしいものである事か。


第3章では、今度は湊と依里の視点でまたも物語が繰り返される。ここでは、湊なりに悩み、迷いながらも行動する姿が描かれる。

前章で何故湊が保利先生の前で暴れたのか、その理由も解明される。同級生の依里は大人しくて可愛い風貌なのでクラスで苛められていた。湊はそれを防ごうとしてそんな行動をした事が明らかになる。

親からは「豚の脳が入っている」と虐待され、学校でも苛められる依里に湊は同情し、次第に二人は仲良くなり、トンネルの奥の廃電車を秘密の基地にして遊ぶようになる。

早織は湊を可愛がってくれるが、子を愛するあまり、執拗なまでに学校の責任を責める早織の姿にも違和感を覚えてか、湊は母とも距離を置き始める。
そこから親子間に見えないほころびが広がり、その母についた小さな嘘から事態は大きく動いて行く。

こうして、二人にとっては、親も、学校も、全ての大人が信用出来ない存在となった。誰にも邪魔されず、二人だけで過ごす時間はかけがえのない至福の時だと言えよう。
そして二人の心にはやがて、友情以上の想いが生まれる事となる。

こんな具合に、章が進むごとに、前章でばら撒かれた伏線や謎が少しづつ解明され、先入観が覆されて行く展開が秀逸である。脚本がよく考えられている。

前2章では責任逃ればかりのいけ好かない存在と思われていた伏見校長が、この章では湊にトロンボーンの演奏方法を丁寧に教えてくれたり、本当は生徒に優しい人間味のある人物として描かれている。この二人が演奏する調子はずれの音が、第2章で保利が聞いた管楽器の音だった事も判明する。

伏見校長役を演じた田中裕子、最初の頃はよくこんな人間味のカケラもない嫌な役を引き受けたものだと思っていたが、すべて計算の上での演技だったわけだ。さすがだ。参った。

二人の子役の演技もナチュラルで素晴らしい。これまでも子供の演技指導には定評のある是枝監督だけの事はある。

ラストは解釈の別れる所だが、子供たちには明るい未来がある、そう望みたいという願望が込められている気がする。


緻密かつ絶妙に組み立てられた、見事な脚本である。カンヌでの脚本賞も納得である。

「怪物」は、誰の心の中にも潜んでいる。誰もが、怪物になる危険性を孕んでいる。可愛らしい子供だって、何かのはずみで怪物にもなる。
そんな怪物を育てない為にも、大人の責任は重大だと思う。

そして私たちは、どんな問題についても、一面的な見方をしてはいけないと本作を観てつくづく思い知らされる事となる。

さまざまな社会的、現代的テーマを盛り込んで、かつ縦横に仕込まれた謎を解明して行く娯楽性も持たせて、きちんと見ごたえのあるドラマに仕立て上げた脚本・坂元裕二、監督・是枝裕和のプロフェッショナルとしての仕事ぶりには敬服せざるを得ない。本年を代表する見事な秀作である。  (採点=★★★★☆

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(付記)
黒澤明監督「羅生門」も異なる3人それぞれの視点から見た映像が繰り返される点で、本作との類似性が指摘されている。しかし「羅生門」は、証言者がいずれも自分に都合のいいように嘘を言っている(つまり証言に基づく映像はフェイクが交じっている)のに対し、本作で描かれるものには“嘘”は交じっていない。この点が大きく異なる。

むしろ類似性が考えられるのは、最近の作品で言えば2008年に公開されたアメリカ映画「バンテージ・ポイント」だろう。詳しくはリンク先の拙映画評を見て欲しいが、こちらも8人の人物の主観映像が繰り返され、その都度、見えなかった真実が明らかになって行く構成が本作とよく似ている。我が国作品では、内田けんじ監督「運命じゃない人」に近いと言えるだろう。この辺りも「バンテージ・ポイント」拙評に詳しく書いてあるので参照されたし。

 

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コメント

確かにカンヌで脚本賞受賞しただけのことあります。クィア・パルム賞もほんの一瞬の芝居をきちんと評価してるのがさすがカンヌでしょうか。
ラストですが、あれ2人が生まれ変わったラストなのかと思いました。母と先生が電車の窓を開けたつながりから考えると。
何度も生まれ変わりについて語り合うシーンがあったのもありますし。
見た人それぞれに受け止められるところも良い映画だからこそなのかも。
「ドライブ・マイ・カー」も2回見てしまったのですが、この映画ももう一度見たいですね。本当に素敵な映画です。
いやー映画ってほんとにいいですね笑。

投稿: 周太 | 2023年6月 8日 (木) 22:35

◆周太さん
>ラストですが、あれ2人が生まれ変わったラストなのかと思いました。
確かにそういう風に見えますね。実はヒントも是枝監督が語る言葉の中にいくつかあって、監督は二人の子供たちに事前に「銀河鉄道の夜」を読んでおくようにと言ったそうです。あの廃電車が銀河鉄道であれば、二人はそれに乗って旅立ったという事になるわけですね。また脚本の完成稿に監督は「世界は、生まれ変われるか」と書いています。これらを総合すれば、ご指摘の件も当たっているのではと思われます。さすがですね。
私もこの映画はもう一度観てみようと思ってます。観る度に、また新しい一面が見えて来るかも知れませんね。本当に凄い秀作です。

投稿: Kei(管理人 ) | 2023年6月 9日 (金) 10:05

黒沢清・濱口竜介・北野武と是枝裕和が「世界に評価される実写映画監督四天王」だと思いますが、是枝裕和が他の監督と決定的に違うのが、「シネフィル受けの要素」が少ないことだと思ってます。逆に一番シネフィル受け要素が強いのが黒沢清かな。

今回は川村元気が関わってることもあってか、より娯楽要素が強くなったと感じます。

別件ですが、大袈裟ではなく「超がつくほどの王道娯楽映画」を観ました。

観るのが遅くなったんですが、大ヒットロングラン上映中の「BLUE GIANT」です。

日本の実写映画がいくらお金をかけても作れなくなった王道娯楽を、アニメがやってます。

もしかしたらまだそちらでも上映してるかもと思い、紹介しました。極力、映画館で観たほうが良いと思います。

投稿: タニプロ | 2023年6月 9日 (金) 18:20

 久しぶりに、長く余韻に浸れる映画でした。練りに練られた脚本はもちろん、是枝節が健在なのもうれしい。役者はみんなうまいですが、田中裕子の凄みと子役2人の素晴らしさが特に印象に残ります。私も、もう一度見ようと思います。

投稿: 自称歴史家 | 2023年6月10日 (土) 19:08

◆タニプロさん
「世界に評価される実写映画監督四天王」、概ね同意です。個人的には河瀬直美も入ると思うんですがね。こちらは黒沢清よりさらにシネフィル受け要素が強いですが。
「BLUE GIANT」評判がいいので観たかったのですが、こちらではごく小規模の公開で時間が合わず見逃しています。こちらでも再上映が始まってますが、場所が遠過ぎるし時間もレイトショーなので無理でしょうね。残念です。


◆自称歴史家さん
田中裕子は凄いですね。見る角度によって人物像がまるで違って見えるという難しい役を違和感なくこなしていますね。彼女が本当に怪物に見えてきます(笑)。

投稿: Kei(管理人 ) | 2023年6月11日 (日) 17:02

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