「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」
2023年・アメリカ 154分
製作:ルーカス・フィルム=パラマウント
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
原題:Indiana Jones and the Dial of Destiny
監督:ジェームズ・マンゴールド
脚本:ジェズ・バターワース、ジョン=ヘンリー・バターワース、デビッド・コープ、ジェームズ・マンゴールド
撮影:フェドン・パパマイケル
音楽:ジョン・ウィリアムズ
製作:キャスリーン・ケネディ、フランク・マーシャル、サイモン・エマニュエル
製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス
ハリソン・フォード演じる考古学者インディ・ジョーンズの冒険を描く「インディ・ジョーンズ」シリーズの第5作。監督は前4作までのスティーヴン・スピルバーグから「フォードvsフェラーリ」のジェームズ・マンゴールドにバトンタッチ。スピルバーグはシリーズ産みの親ジョージ・ルーカスとともに製作総指揮に回っている。共演はマッツ・ミケルセン、フィービー・ウォーラー=ブリッジ、アントニオ・バンデラス、ジョン・リス=デイヴィスほか。
(物語)1969年、アポロ11号の宇宙飛行士たちの凱旋でアメリカ中が沸き立つ頃、インディアナ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)は息子をベトナム戦争で亡くし、妻とも別居中でで寂しい老後を送っていた。そんな時、彼の前にかつての冒険仲間であるバジル(トビー・ジョーンズ)の娘、ヘレナ(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)が現れ、大戦末期にバジルとインディがナチスから奪ったとされるアンティキティラのダイヤルはどこにあるかと問われる。実はそれはインディが隠し持っていたのだが、そこにかつてインディにダイヤルを奪われたフォラー(マッツ・ミケルセン)たちナチスの残党が現れ、以後物語は運命のダイヤルを巡っての激しい争奪戦が繰り広げられる事となる…。
シリーズ前作「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」以来15年ぶりの続編である。
前作で既にハリソン・フォードは65歳。アクション・シーンにもやや衰えが見られ、さすがにもうこれでシリーズは打ち止めではないかと思えた。
但しラストのマリオン(カレン・アレン)との結婚式で、転がって来たあのフェドーラ帽を息子のマット(シャイア・ラブーフ)が拾い、被ろうとする所にインディが横からサッと取り上げて、「まだまだお前にゃ早いよ」と言わんばかりに自分の頭に被せて去って行くシーンがあり、もしかしたらまだ続編を作る気がありそうな余韻を残してはいたが。
あれから10年余が過ぎ、もう続編は無理か、作るにしても役者を交代させてシリーズを続けるのではと思われていた。
何より、こうしたスーパー・ヒーローものは、“ヒーローは永久に歳を取らない”のが原則である。漫画「ゴルゴ13」にしても、連載が50年続いてもゴルゴはまったく歳を取っていない。
だから演じる俳優に衰えが目立って来た時は、若い俳優にバトンタッチしてシリーズを続けて来たのが従来のパターンであった。実際「007」も「バットマン」や「スーパーマン」も役者を次々交代させては数十年もシリーズを継続して来ている。
ところが本シリーズは、本作までなんと42年間も!主役を演じる俳優が一度も交代する事なく続いて来た。前代未聞である。ギネス級である(注1)。
その間、演じるハリソン・フォードは確実に年齢相応に老けて来ている。本編が始まっての冒頭、インディはブヨブヨになって衰えた肉体を隠そうともしない。フォードは80歳になってるのだから当然ではあるが。
時間は残酷である。自分では若いと思っていても、時の経過と共に着実に年齢を重ね、肉体は衰える。
本作は、アクション系ヒーローもので、シリーズを重ねる毎に主人公が老いて行く様をスクリーンに映し出した初めての作品ではないかと思う(注2)。
同時に、この「時間」が実は後半の重要な伏線にもなっているのが秀逸である。
(以下ネタバレあり)
本作は、シリーズ最終作を意識してか、過去のシリーズへのセルフオマージュが満載である。1作目からずっとリアルタイムでシリーズを観て来た私の様なファンにとっては懐かしさで胸がいっぱいになる。それだけでも楽しい。
冒頭の1944年における列車を使ったアクションは、3作目「最後の聖戦」の冒頭のオマージュである。こちらも若き日のインディ(リヴァー・フェニックス)が列車内で追いつ追われつのアクションを繰り広げる。CGを使ってハリソン・フォードの若い時の姿を再現しているのが凄い。ほとんどCGとは気付かない自然さである。
敵がナチス、というのも1作目「レイダース・失われた聖櫃」と同じ。ナチスは「最後の聖戦」にも登場している。宿命の敵と言えるだろう。
本作で、列車内でナチスが見せる「キリストを刺殺した聖槍」は、「最後の聖戦」における重要なお宝「磔にされたキリストの血を受けた聖杯」のパロディである。これが本作のキーアイテムかと思わせておいて、後で肩透かしを食らわせてくれるのも笑える。
本作でインディが、馬に乗って地上から地下鉄線路内まで疾駆するシーンは、1作目のやはりインディが馬に乗って敵を追いかけるシーンを彷彿とさせてくれる。インディが馬に載って走るシーンは過去のシリーズでも何度か登場する、シリーズのお約束でもある。
気の強いヒロイン・ヘレナと、少年テディ(イーサン・イシドール)がインディに協力して活躍するのは2作目「魔宮の伝説」におけるウィリー(ケイト・キャプショー)と少年ショートラウンド(キー・ホイ・クヮン)のコンビを思わせる。
どうせなら、「エブエブ」で復活したキー・ホイ・クヮンをどこかで登場させて欲しかったな。
後半の洞窟内で、インディたちが蝎虫の大群に遭遇するシーンも「魔宮の伝説」などでお馴染みだし、海底ではインディの嫌いな蛇の代りにウナギの大群に襲われる。
出演者では、1作目と3作目に登場しインディを助けるサラー(ジョン・リス=デイヴィス)が本作にも登場するし、ラストではシリーズお馴染みのあの人もサプライズ登場するのが、シリーズのファンとしては感極まって泣けてしまう。「痛くない?」というセリフも1作目のオマージュである。
終盤では、前作と同じくSF的展開となるが、前作の宇宙人よりは、こちらの設定はむしろ考古学者として過去の遺跡、古代の神秘を追い求めて来たインディの願望の帰結として納得出来るオチである。リチャード・マシスン原作の「ある日どこかで」(1980・ジャノー・シュワーク監督)のように、過去に戻るのはSFというよりファンタジー的要素が強い。
現代に戻ろうと言うヘレナに対し、インディは「もう現代に戻らない、ここに残りたい」と訴える。年老い、残りの人生も長くないインディにとっては、宇宙開発にしのぎを削り、ロマンが失われた現代に生きるより、歴史ある古代で余生を送りたいという思いなのだろう。ヘレナのパンチ一発でこの夢は潰えるのだけれど。
まあそれで良かった。インディがうっかり過去の歴史をちょっとでも弄って変えてしまったりしたら、「ザ・フラッシュ」のように現代が大変な事になりかねないから(笑)。
というわけで、シリーズを長く観続けて来たファンなら、あれもこれもと思い出し、懐かしさに浸り、ラストの再会でもジーンと胸が熱くなる等、シリーズの集大成として十分満足出来る作品になっている。
ただ、これは個人的な感想かも知れないが、スピルバーグが監督した過去4作にあって、本作にないものがある。
それは1つ目として、コミカルなくすぐりシーン、笑えるギャグが少ない点である。1作目で、車に引き摺られて傷だらけになったインディが、マリオンに傷を診てもらってるうち、鏡にアゴをぶつけて、夜空に悲鳴がコダマするギャグはアニメチックで笑える。「最後の聖戦」でインディの父(ショーン・コネリー)が飛行機の機銃で敵を撃とうとして間違って尾翼を壊してしまうギャグにも大笑いした。
もう一つは、無類の映画ファンであるスピルバーグらしい、過去の名作へのオマージュ・シーンが本作には見られない点である。シリーズ自体がH・ライダー・ハガード原作による1937年の「キング・ソロモン」以来無数に作られて来た宝探し冒険活劇ものへのオマージュであるが、その他にもいろんな名作、アニメからの引用がてんこ盛りだった。
アニメに詳しい森卓也氏も、ギャグの多くがディズニーやフライシャー兄弟のアニメから引用されていると指摘している。2作目のクライマックス、トロッコの暴走シーンも「ポパイ」に同じようなシーンがある。また2作目の冒頭、上海空港から飛行機で飛び立つシーンはフランク・キャプラ監督「失はれた地平線」へのオマージュである。アングルまで同じ。
古い映画を多く観て来たファンなら、こうしたオマージュ・シーンをいくつ見つけられるかでワイワイ盛り上がれる。これも映画ファンの楽しみである。「インディ」に限らず、スピルバーグ作品にはヒッチコックはじめ多くの映画からの引用があちこちに散見される。ジョージ・ルーカスも「スター・ウォーズ」に戦争映画や海賊映画からの名シーンを巧みに取り込んでいる。
マンゴールド監督はそうした、スピルバーグやルーカスのような無類の映画ファン的感性はあまり持ち合わせていないのだろう。真面目な性格なのかも知れない。面白かったけれど、そこが物足りないと思った。もっともこれは古くからの映画ファンの、無い物ねだりである。ご容赦。 (採点=★★★★)
(注1)
渥美清がずっとフーテンの寅さんを演じて来た「男はつらいよ」ですら、シリーズが続いたのは26年間だったし、トム・クルーズがイーサン・ハントを演じた「ミッション:インポッシブル」も今年でやっと27年目である。「トップ・ガン」をシリーズと見做すなら昨年の2作目で1作目以来36年という事になる。そう考えるとトム・クルーズは凄い。
ちなみに調べた限り日本のシリーズ物では、市川右太衛門が旗本・早乙女主水之介を演じた「旗本退屈男」シリーズが1930年から1963年まで、33年間続いたのが記録である。テレビでも1973~74年に同じ役を演じており、これを加算すると44年になり、「インディ・ジョーンズ」の記録を抜く事になる。
(注2)
もっとも、ジェームズ・マンゴールド監督は自身の監督作「LOGAN ローガン」(2017)で、ヒュー・ジャックマン扮するウルヴァリンが骨格を覆う毒素の影響で著しく老化が進み、老眼鏡をかけている姿を見せている。“ヒーローも老化する”はマンゴールド監督らしい一つの考え方なのだろう。
ただウルヴァリンはシリーズのサブキャラクターであるし、この時ヒュー・ジャックマンはまだ49歳。シリーズも17年しか経過していないので、俳優自身の老化をそのまま描いたという点では、やはり本作のハリソン・フォードが初めてだと思う。
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コメント
これは面白かったですね。
80才になるハリソン・フォードにはお疲れ様でしたと言いたいです。
スタントやCGはあるにしてもアクションに大活躍。
ファンのマッツ・ミケルセンの悪役も良かったです。
しかしラスト近くの展開には驚きました。ネタバレなので書けませんが。
シリーズの有終の美を飾りましたね。
投稿: きさ | 2023年7月 8日 (土) 10:45
元々このシリーズにあまり思い入れがないのと、前作のSF的な展開、CGだからできるアクションの嫌な記憶があって、おまけにハリソン70代(と、見終わるまで思っていたがなんと80歳)という事で友人に誘われても乗り気じゃなく、最初の列車のシークエンス、偶然を利用するのではなく偶然に左右されてる感じで、やっぱりダメかと思っていたら、モロッコに行ってからはやたら面白いし、オマージュ満載だらけだし、そしてあのラスト近くは涙腺決壊。まさか泣かされるとは。売れない時代も結構あったように記憶してますが、ハリソンフォード、これは嬉しかっただろうな。そしてあとジョンウイリアムス(も90代!)の音楽最高!
投稿: オサムシ | 2023年7月 9日 (日) 12:46
◆きささん
フォードはこれが最後と言ってるので、有終の美を飾ったと言えるでしょう。ただラスト、干してあったあのフェドーラ帽をひょいと取って引っ込む所でフェードアウト、というオチは「まだ続きあるかも」とつい期待したくなりますね(笑)。
◆オサムシさん
>売れない時代も結構あったように記憶してますが…
1966年にチョイ役デビューしたものの芽がでず、一時大工でなんとか食い繋いでいた時もあったそうですね。73年のルーカス監督「アメ・グラ」で注目され、77年の「スター・ウォーズ」でやっと人気が出て、それからスター街道まっしぐら。ジョージ・ルーカスには頭が上がらないでしょうね。本作がルーカス総指揮なのも縁を感じます。
本文で書きそびれましたが。ジョン・ウィリアムズのテーマ曲聴いただけで泣きそうになりましたよ。
投稿: Kei(管理人 ) | 2023年7月12日 (水) 10:23