「君たちはどう生きるか」
題名と、1枚のポスター以外にまったく情報のないままに公開された、宮﨑駿の10年ぶりの新作である。
前作「風立ちぬ」で(何度目かの)引退宣言をした宮﨑さんが、またまた引退宣言を撤回して新作を発表した。ファンとしてはそれだけで嬉しい。ちなみに本作では名前表記をそれまでの「宮崎」姓から「宮﨑」に変更している。新境地に挑む意欲が感じられる。
それにしても、予告編も事前情報も、公式ページすらも公開しない徹底した秘密主義とは。しかしおかげで、まったく白紙の状態で映画を観る事が出来た。賛否が別れる所だが、一つの実験として面白い試みではある。知名度の高い宮﨑駿監督作だからこそ許されるやり方である。
で、映画についての感想だが、私はとても感動した。82歳になって、とてもそんな老人とは思えない壮大なイマジネーションの広がり、溢れ出るイメージの洪水にただただ圧倒された。
宮﨑さんの自伝的要素、過去のジブリ作品を思わせるシーンなども見受けられ、特に「もののけ姫」以降の宮﨑作品が好きな方なら絶対楽しめる冒険ファンタジー・エンタティンメントの快作だと個人的には断定出来る。
題名から推察できる、これからを生きる若い人たちへのメッセージも感じられた。
まだ観ていない人の為に、本作の細かい感想については次のネタバレ・コーナーにて。観終わってから読んでいただきたい。
公開されて、ジワジワとネタバレ情報がネットで出ているので、出来るだけそんなものは見ずに、白紙の状態で映画を観る事をお奨めする。 (採点=★★★★★)
(以下ネタバレあり、注意)
(概要)太平洋戦争中、牧眞人(山時聡真)は実母・久子を失う。軍需工場の経営者である父親の正一(木村拓哉)は久子の妹、夏子(木村佳乃)と再婚し、眞人は母方の実家へ工場とともに疎開する。疎開先の屋敷の裏にある森には、謎めいた廃墟の塔が建っていた。不思議に思った眞人は埋め立てられた入り口から入ろうとするが、屋敷に仕える婆やたちに止められる。その晩、眞人は夏子から、塔は母の大叔父が作ったものらしいのだが、大叔父は昔建物の中で忽然と姿を消してしまったと告げられる。ある日眞人は言葉を喋るアオサギと出会い、「お前の母は死んでいない」と謎の言葉をかけられる。不思議な事は続き、ある晩、眞人は妊娠中の夏子が森の中へ消えていくのを見かけた。眞人は使用人のキリコともに夏子の後を追ってあの塔の中に入り、アオサギに導かれるように異世界に突入して行く。
物語の始まりは、1944年、第二次大戦中の日本で、空襲警報が鳴り響いている。遠くでは空襲による火の手が上がっている。
ここらは前作「風立ちぬ」を思わせる。
この空襲で、主人公の少年・眞人(まひと)は実母・久子を失う。久子が火に包まれるショットが後半の重要な伏線になっている。
眞人の父・正一は軍需工場の経営者であり、工場では戦闘機の風防を作っている。久子の死後、正一は久子の妹、夏子と再婚する。そして空襲が激しくなった事で、一家は母方の実家へ工場とともに疎開する。
なお宮崎駿の父は戦時中、一族が経営する軍需工場(宮崎航空機製作所)の役員であり、宮崎本人も比較的に裕福な暮らしをしていた。戦争末期には家族で宇都宮に疎開したというから、この冒頭のエピソードは宮崎少年の自伝的要素も含んでいる。ただし宮崎は終戦当時4歳だったから眞人とは年齢的には一致しない。
疎開先の実家は、日本建築と洋建築が混在する不思議な作りで、7人の婆やたちが一家の世話をしている。庭も広く、その裏の森には、謎めいた廃墟の塔がある。好奇心を抱いた眞人はその塔の中に入ろうとするが、入口は埋められて入れない。
眞人は夏子から、塔はある時、空から降って来たもので、頭は良かったが風変りな大叔父が改築し、その後大叔父は塔の中で忽然と姿を消したと聞かされる。
眞人は転校先の学校でも馴染めず、地元の悪ガキに苛められ泥だらけになる。帰り道、眞人は自分で石を頭にぶつけ血まみれになる。しかし父には「自分で転んだ」としか言わない。それで父は学校で苛められたと解釈し学校に怒鳴り込もうとする。
ここまでで、眞人は大人しくて内気で、苛められ易い性格である事が強調される。しかし好奇心は旺盛なようだ。
また眞人は、継母となる夏子になんとはなく馴染めない。夏子が父の子を宿している事にも違和感を感じている。母が亡くなってあまり時間も経っていないのに。ツワリに苦しむ夏子が眞人の顔を見たいと言っても、眞人は夏子から遠ざかろうとする。
ここらも、亡き母が恋しい思春期の少年の複雑な心境がうまく表現されている。宮﨑作品でここまで10代の少年の心の内面を繊細に描いたものは例がない。それだけでも心にジンと響く。
眞人の部屋の窓辺に、時々アオサギが現れる。やがてアオサギは人間の言葉を喋り出し、「母がお前を待っている」と謎の言葉をかける。眞人はアオサギの羽根を矢羽根にした矢を作り、アオサギを狙おうとするが逃げられてしまう。
ある夜眞人は、夏子が森の中に入って行く姿を見かける。やがて屋敷内は夏子がいなくなったと大騒ぎ。眞人は弓矢を武器に、使用人のキリコと共にあの塔の中に入って行く。
ここからは、謎のアオサギに導かれた、眞人の大冒険の旅が始まる。長く暗いトンネルがあったり、塔の中の床から、ズブズブと下へと沈み込んで行ったり。その先には不思議な異世界が広がっていた。
トンネルの向こうに異世界があり、主人公がその世界でさまざまな人物、不思議な生き物に出会い、冒険を繰り広げる、という展開は「千と千尋の神隠し」を思わせる。
そんな物語の原点は、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」だろう。ディズニー・アニメでもお馴染みだが、“言葉を喋る白ウサギに導かれ、地下に繋がる穴を落ちて行って不思議な世界に迷い込む”という「アリス」の物語は、本作の方が「千と千尋-」以上によく似ている。
実家で働く7人の老婆たちが、背が低い上にそれぞれ違ったキャラクターである点も含め、これもディズニー・アニメ「白雪姫」に登場する7人の小びと連想してしまう。宮﨑駿、どうやら自身をアニメの世界に導いてくれたディズニー・アニメへのオマージュも本作に盛り込んだようだ。
アオサギが眞人に矢を射られ、クチバシに穴を開けられてからはなんともコミカルなキャラになってしまうのも面白い。クチバシの中から、頭の禿げたオッサンの顔がのぞくのだ。
お腹の模様がなんとなく「トトロ」に似てるのもご愛嬌だ。
この世界で眞人は、何故かお供する使用人と同名の船乗り、キリコと出会う。この辺りから使用人のキリコは姿を見せなくなってしまう。船乗りキリコの部屋には、これまた何故か7人の老婆の人形がある。
キリコは最初は男かと思ったが、やがて女性である事が判る。してみるとこのキリコは現使用人のキリコの若い時の姿なのだろう。
キリコはここの海に棲む巨大な魚を釣り上げ、ハラワタを“ワラワラ”と呼ばれる小さな生き物に食べさせる。
ワラワラは生まれる前の人間の魂のようなもので、魚のハラワタを食べたワラワラは空に舞い上がり、人間世界で生まれ変わる。そのワラワラたちをこの世界に住むペリカンの群れが襲い捕食しようとするが、そこに現れ、鳥たちを撃退してワラワラを助けたのが火を操るヒミという少女である。
こうした、さまざまな冒険を続ける中で、眞人は次第に“命の大切さ”を学んで行く。ワラワラを助けようと必死になったり、ヒミに傷つけられた老ペリカンの最期を看取り、丁重に土に埋めてやったりもする。
ぺリカンたちは、生きる為には魚等の生き物を捕食する。魚が獲れなくなるとワラワラだろうと捕食するしかない。生き物は、食物連鎖の中で必死に生きているのである。
老ペリカンの言葉から、眞人は、“生きるとは何か”を考えさせられ、“命を守る為に他の命を犠牲にする、生き物の宿命”をも知って、生命の矛盾にも突き当たり悩んだりもする。
思えば、近年の宮﨑作品には、“生きる”意味を問いかけるものが多い。「もののけ姫」のキャッチコピーはズバリ「生きろ!」だったし、「崖の上のポニョ」のコピーも「生まれてきてよかった」、そして前作「風立ちぬ」のそれも「生きねば。」だった。本作はタイトルそのものが「君たちはどう生きるか」。
この映画は、そうした具合に、常に「人はどう生きるべきか」を問いかけて来た宮﨑駿の、自分の人生、自分の過去作品を振り返りつつ、そのテーマに正面から向き合った、一つの集大成とも言える作品なのである。
塔の上の世界で、眞人は行方不明だった大叔父と出会う。大叔父は、13個の石を少しづつ積み上げ、この世界のバランスを保つ役目を引き継いで欲しいと眞人に頼むのだが、眞人は元の世界で精一杯生きる事が大事だと悟り、大叔父の頼みを断る。運命は、自分の力で切り開いて行くものなのだ。
この大叔父は、誰もいない孤高の場所で世界の行く末を見つめているのだが、その風貌といい、私は手塚治虫の「火の鳥。未来篇」でたった一人生き残り、愚かな人間たちを高い所から凝視する山之辺マサトを思い出した。真っ白い髭で覆われた姿がよく似ている。眞人とマサト、名前も似ている。宮﨑監督、巨匠・手塚治虫へのオマージュも込めたのかも知れない。
終盤、ヒミはどうやら眞人の母・久子の少女時代の姿である事が明らかになる。久子が生前、一時行方不明となり、1年後に同じ姿のままひょっこり帰ってきたというエピソードが語られていたが、その間、久子はあの異世界にいたのだろう。将来の母であるヒミと別れる際の、眞人の思いが切ない。
そうした冒険を通して、少年眞人はさまざまな事を学び、大人へと成長して行くのである。冒険を経たのち、眞人は救い出した夏子を初めて「母さん」と呼ぶ。ここも感動的だ。
終盤の怒涛の展開は、近年の「ハウルの動く城」や「崖の上のポニョ」と同じく、勢いはあるものの物語としては破綻しまくっている。あちこちに散りばめられた多くの謎もほったらかしたまま、強引にハッピーエンドに持って行くのもこれらの作品と同じである。
だが、それでもこの作品は感動的で素晴らしい。天才・宮﨑駿の頭の中にある膨大な量のイメージを映像化して行けば、とても1本の映画の中に納まりきれない。断片的、説明不足になるのはやむを得ない。
それを補完し、宮﨑駿が訴えたかったテーマを読み取るのも、観客としては楽しい作業である。観る人それぞれに考え、想像すればいいのである。謎が多いほど、あれこれ推察する楽しみがある。
この映画は何度も観たくなる。観る度に、細部に配置された謎のヒントを見つけ、それを確認する為にまた観たくなる。その過程において、宮﨑監督が作品に込めた、若い人たちに向けたメッセージ、”君たちはどう生きるか”の意味を何度も問い直すべきである。
それにしても、82歳にしてまだこれだけの壮大な世界観と物語を構築できる宮﨑駿は本当に天才だ。本作では宮﨑が詳細な絵コンテを作り、それを元に作画監督の本田雄を中心に、スタジオポノック、スタジオ4℃、コミックスウェーブフィルム他、日本を代表する錚々たるアニメスタジオが結集して壮大な宮﨑ワールドを映像化しているのも凄い。引退などと言わず、まだまだ新作を作り続けて欲しい。
クリント・イーストウッドも山田洋次も90歳を超えてなお、素敵な新作を作っている事だし。いや、新藤兼人やマノエル・ド・オリヴェイラは100歳になっても映画を作り続けた。そう考えればまだまだ宮﨑駿監督は映画を作れるはずだ。期待したい。
(付記)
過去の宮﨑駿監督作品を思わせるシーンを思いつくままにいくつか。
・実家の7人の婆やの一人一人の顔が、「天空の城ラピュタ」の海賊ドーラ、「千と千尋の神隠し」の湯婆婆、「ハウルの動く城」の老婆になったソフィ、同・荒れ地の魔女、といった過去の宮﨑作品に登場した婆さんの顔によく似ている。
・眞人の身体にカエルの大群がニョロニョロと巻き付くシーンは「もののけ姫」でアシタカの体を覆うタタリ神を思わせる。
・ヒミが作ってくれた、ジャムをたっぷり塗ったパンを眞人が頬張るシーンは、「崖の上のポニョ」その他の宮﨑作品でもよく登場するお馴染みの光景である。
・ラストの、塔が崩壊するシーンは、「ルパン三世・カリオストロの城」の時計塔崩壊シーンを思い起こさせる。
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コメント
面白かったです。
これまでの宮崎作品の集大成という感じありましたね。
82才という事ですが、次回作も期待したいです。
気が早いかな。
投稿: きさ | 2023年7月18日 (火) 20:32
公開初日にIMAXで観ました。パンフレットが作られたら2回目を観に行きます。
大袈裟ではなく、声を大にして言います。
宮崎駿という人は、黒澤明や小津らを超える、現時点で日本映画史上最も偉大な映画監督です。私たちは、そういう映画監督と同じ時代を生きてます。
歪なところもある映画ですが、歪なところもあることこそ、映画の魅力に満ちています。
こないだ若い映画好きの友人と呑んだ時、「日本にも海外にも、映画の世界には病気になったり歳とってから考えられないことをする人間がいる」と話したんですが、宮崎駿はその代表格でもあります。
投稿: タニプロ | 2023年7月19日 (水) 20:25
◆きささん
宮﨑さんの頭の中には、まだまだ映像化したいアイデアがぎっしり詰まっていると思いますよ。
そのアイデアが煮詰まって、どうしても映像化したい、という意欲が湧いた時に次回作が生まれるのでしょう。
あとは体力との勝負でしょう。今回のように、詳細な絵コンテを作って、作画は他人に任せる、という方法であれば可能だと思います。難しいでしょうけど期待したいですね。
◆タニプロさん
>宮崎駿という人は、黒澤明や小津らを超える、現時点で日本映画史上最も偉大な映画監督…
私もそう思います。これだけの壮大なスケールの物語構成力、老年になっても衰えないイマジネーションの広がり、最近の数本の作品に共通する「生きる意味」の問いかけ、自作をセルフオマージュするゆとりと遊び心…参りました。
思い返せば、黒澤監督「夢」との共通性も見えるのですね。こちらにも自身の少年時代の自伝的要素がありましたし(表札に「黒澤」とありました)、「鬼哭」で地獄のビジュアルもあったし、最後は老人が主人公に生きる事の素晴らしさを伝えてました。
黒澤が「夢」を監督したのも80歳の時。本作も製作に7年かかってその間に宮﨑さんは80歳を超えました。意識してたのは間違いないと勝手に思ってます。
投稿: Kei(管理人 ) | 2023年7月20日 (木) 11:53