「山女」
2022年・日本・アメリカ合作 100分
製作:シネリック・クリエイティブ=ブースタープロジェクト
国際共同制作:NHK
配給:アニモプロデュース
監督:福永壮志
脚本:福永壮志、長田育恵
撮影:ダニエル・サティノフ
音楽:アレックス・チャン・ハンタイ
プロデューサー:エリック・ニアリ、三宅はるえ、家冨未央、白田尋晞
柳田國男による説話集「遠野物語」から着想を得た、18世紀後半の東北の寒村を舞台にした人間ドラマ。監督は「アイヌモシリ」の福永壮志。主演は「ひらいて」の山田杏奈、共演は「アンダードッグ」の森山未來、「雑魚どもよ、大志を抱け!」の永瀬正敏、「そばかす」の三浦透子、その他二ノ宮隆太郎、川瀬陽太、白川和子、品川徹、でんでんらが脇を固める。2022年第35回東京国際映画祭コンペティション部門上映作品。
(物語)18世紀後半。東北のとある村では、冷害により食糧難に喘いでいた。そんな村で、凛(山田杏奈)は人びとから蔑まれながらもたくましく生きていた。ある日、凛の父・伊兵衛(永瀬正敏)が飢えに耐えかね米を盗んでしまい、凛は村人たちから責められる父をかばい、自ら村を去る。そして、決して越えてはいけないと古くから言われている山神様の祠を越え、さらに山の奥深くへと進んで行った。そんな凛の前に現れたのは、化け物か人間かわからない、不思議な存在だった…。
本作の福永監督は現在40歳。高校卒業後アメリカに渡り修行をし、2015年にアメリカで撮った初長編劇映画「リベリアの白い血」が第65回ベルリン国際映画祭パノラマ部門に正式出品され、第21回ロサンゼルス映画祭で最高賞を受賞、2作目の「アイヌモシリ」(20)は、第19回トライベッカ映画祭で審査員特別賞を受賞する等、海外では高く評価されている逸材だ。
その福永監督の長編としては3作目となるのが本作である。これもまたアメリカとの合作である。前2作は観ていないけれど、ちょっと興味が沸いたので観る事にした。
(以下ネタバレあり)
時代は18世紀後半、江戸中期の、恐らく天明の大飢饉(1782年~1788年)があった頃だろう。この時代、東北地方では悪天候や冷害により農作物の収穫が激減していた。映画の中でも、村は冷害による食糧難に苦しんでいた。
主人公の凛(りん)の一家は父・伊兵衛、弟の3人家族。先祖が火事を起こしたことで田畑を取り上げられ、生活は苦しく、村の間引きした赤ん坊の死骸を川に流したり、死人の埋葬等の汚れ仕事を請け負って、かろうじて糊口を凌いでいた。
村で米の配給があった時も、他の村民に比べ、ほとんど一握りしか分けて貰えない。生活は苦しい。
それでも家父長制が強固な時代、伊兵衛は尊大な態度を示し、凛に厳しく当たる。
この出だしだけで、貧困、差別、身分格差、閉鎖的村社会、同調圧力、弱い者苛め、男尊女卑、といった、現代にも通じる日本社会の問題点がテーマとして提示される。
凛は、そうした村の掟、父を含む男たちの傲慢な態度、仕打ちにもひたすら耐えている。それがこの社会では当たり前の事だと思って受け入れている。
ある夜、伊兵衛はひもじさに耐えかね、米を盗んでしまうが、すぐに露見し、伊兵衛は村人たちから責められる。凜は父をかばい、盗んだのは自分だと言う。
伊兵衛は凜を激しく折檻する。そうすれば村人の非難の目も緩まると見越しての事だろうが。凜は耐える。ここにも家父長制が強調されている。
凜はこれをきっかけとして、村を去り、神聖な場とされる山に入って行く。
山中でしばらく過ごすうち、凛は白髪の異様な風体の山男(森山未來)と出会う。野生のままに生き、動物の生肉を食らう山男を最初のうちは恐れていた凛だったが、山男は何も言わず、凛に食べ物を分けてくれる。やがて凜はいつしか山男と生活を共にするようになって行く。だが凜が傍で寝ていても、山男は何もしない。全ての人間的欲望からも無縁のようである。
姑息で閉鎖的で、弱い者を痛めつける自分勝手な村人たちに比べて、自然と協調し、掟に縛られず、他人を差別する事もなく、自由に生きる山男の暮らしぶりは、なんと魅力的である事か。凛は山男の生き方に、限りない共感を覚えるのだ。
山男の生き方自体が、村の閉鎖的でエゴイスティックな人間たちへの痛烈な批判になっている。
この山男と凜の関係は、宮崎駿監督の「もののけ姫」のサンとアシタカの男女を逆転させたようで興味深い。自然との共存、アニミズム的思考という点でも宮崎アニメとの類似性を感じさせる。
山男を演じた森山未來の、一言も喋らないが圧倒的な存在感、威厳さえ感じさせる演技が素晴らしい。最初に見た時は誰だか判らなかった。
だがそんな生活も、山に入って来た村の男たちによって壊される。凜を見つけた男たちは彼女を連れ帰ろうとし、凜を守ろうとして手向かった山男を猟銃で射殺してしまう。
村長たちは、凛を山の神への生贄として差し出す事で、冷害を解消してもらおうと目論む。どこまでも身勝手な村人たちだ。
夜、伊兵衛が檻に閉じ込められた凛に、好物の食べ物をこっそり差し入れようとするが、凜は受け付けようとしない。もはや凛は、父を含む全ての村人たちを拒絶し、接触を絶とうとしているかのようだ。
生贄の儀式として、凜が火あぶりにされようとした時、奇跡が起きる。突然豪雨が起き、火が消え凛が括りつけられた木を倒し、凜は助かる。
“天の配剤”か、単なる偶然の自然の出来事なのか。映画はどちらにもとれるような描き方である。
そして凜は、恐れおののく村人たちを尻目に、毅然とした面持ちで山の中へと入って行く。
村にいた時は、掟に任せるままに従順に生きて来た凛だったが、山に入り、山男の自由な生き方を学んだ彼女は、自我に目覚め、本当の“山女”となって、まさに名前の通り、“凛として”自分の思うままに強く生きて行く事を決断するのである。
福永監督の自然描写を生かした演出が効果を挙げている。自然を恐れるだけでなく、自然と共存し、自然と折り合いをつけて生きて行く事も大切ではないかと思わせてくれる。
またリアリティを重視する為、あえて東北地方の方言を喋らせているのもいい。少々解り辛い所もあるが、物語の流れを観ていればなんとなく解る。
マイナーなミニシアター向け作品なのに、出演者が永瀬正敏、森山未來、三浦透子、白川和子、品川徹、でんでん、川瀬陽太と、演技力のある著名俳優たちが多く参加しているのも珍しい。
そんな名優たちと伍して、凜を演じる山田杏奈が素晴らしい。今後伸びて行くだろう事を予感させる名演だった。
現代の日本に対する、痛烈な批判を込めた、社会的なテーマを持った見ごたえある力作である。ごく小規模公開なので観ている人は少ないだろうが、機会があれば是非観て欲しい。福永監督の今後にも大いに期待したい。 (採点=★★★★☆)
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