「こんにちは、母さん」
(物語)大会社の人事部長である神崎昭夫(大泉洋)は、職場では日々神経をすり減らし、家庭では妻との離婚問題や大学生になった娘・舞(永野芽衣)との関係に頭を悩ませていた。そんなある日、大学時代からの親友で同期入社の木部富幸(宮藤官九郎)から隅田川で屋形船を借りて同窓会を開催したいとの相談を受け、隅田川近くの下町に暮らす母・福江(吉永小百合)の実家を久々に訪れる。だが迎えてくれた母の様子がどうもおかしい。いつも地味で割烹着を着ていたはずの母が、小粋な洋服を着て髪を明るく染めている。おまけに福江は地域の住人や教会の牧師・荻生(寺尾聰)らと共にホームレス支援のボランティア活動で忙しそう。実家にも自分の居場所がなく戸惑う昭夫だったが、下町の住民たちの温かさや今までとは違う母との出会いを通し、自分が見失っていたものに気付かされて行く…。
まもなく92歳!になる名匠山田洋次監督の90本目の監督作。しかも物語は東京下町を舞台とした人情劇。と来れば、山田監督の「男はつらいよ」を連想してしまう。山田監督の大ファンである私は封切されるや勇んで劇場に駆け付けた。
(以下ネタバレあり)
なんとまあ、私の予想以上に、寅さん映画の空気が充満していた。原作は劇作家である永井愛の同名戯曲なのだが、まるで山田洋次監督の為に書かれたのではと思えるほど、山田喜劇テイストの作品である。
舞台は隅田川近くの下町で、母・福江の家は老舗の足袋屋という事もあって、昔ながらの木造家屋。セットも畳敷きの居間、二階に上がる階段、庭と縁側、と明らかに「男は-」のおいちゃんの家を意識したような造り。そして近所の住人たちが気さくに出入りし、賑やかにお喋りしている。そして人々は皆人情に厚い。時には豆腐売りの屋台がラッパを吹きながら通り過ぎる。店の表を人々が行き来するショットは、「男は-」のだんご屋の店先を通行人が通るシーンそのままだった。
そういう、昭和を思わせる懐かしい風景を見るだけで、「男はつらいよ」のいくつかの作品を思い出して、私の涙腺は緩んで来る。
ボランティア仲間の番場百惠役を演じた枝元萌は初めて見る顔だが、まるでずっと山田監督作に出ていたのかと錯覚するほど山田映画の空気感に馴染んでいた。
吉永小百合は、20歳になる孫がいるお婆さん役というのが珍しい(と言うか初めて)が、とてもチャーミングで、しかも現役で商売しながらボランティア活動にも熱心に取り組み、その上、牧師の荻生に恋もしてる様子と、とにかく元気で若々しい。78歳でこんな役柄を演じられるのは吉永くらいだろう。こんな年寄りになりたい。
そしてもう一人の主人公、大泉洋扮する昭夫は大企業の人事部長をやっているが、会社のリストラ方針と親友木部との板挟みで神経をすり減らしており、家庭では妻が出て行き離婚話の真っ最中。唯一、心のやすらぎを覚えるのが母のいる下町である。
また、昭夫の娘、舞は母・智美と暮らしていたが、母から「いい成績を取っていい会社に入るか、そこに勤めている男を捕まえるかのどっちかだ」と言われ、母に反発してやはり祖母・福江の家にやって来る。
この智美の発言はややストレート過ぎるが、娘の将来を思っての言葉であり、似たり寄ったりの事は誰でも言いそうである。
大きな会社に入って出世し給料を稼ぐ事や、そういう会社に勤める旦那を見つけて結婚する事が大事とは、高度成長時代にはよく言われたし、多くの人はそれに向かってガムシャラに突き進んでいたものだ。
だがバブルが崩壊し、失われた30年を経て、人々は迷い、何が正しい生き方かを模索し続けている。
大企業と言えど、会社の業績が悪くなればリストラ、肩叩き、早期退職で社員のクビを切る、映画には描かれていないが、非正規雇用を増やし、いつでも契約打ち切りで人を減らせる仕組みを作る。いつから大手企業はそんなに社員に冷たくなってしまったのか。
また、ホームレスの老人イノさん(田中泯)の生き様を通して、そういう人々の救済をボランティアに頼っている政治の貧困、80歳を超えた人にとっては今なお忘れられない東京大空襲の記憶にも言及している。
今は元気な福江ですらも、「いつ寝たきりになるかも」と老い先を心配する等、超高齢化社会への不安もさりげなく盛り込まれる。
この映画はそういった、今の時代に問い直されている大切な課題、テーマにも真っ直ぐに目を向けているのがいい。
山田監督は、あの「男はつらいよ」シリーズの中にも、既にそうしたテーマを描いていた。例えばシリーズ34作目「寅次郎真実一路」では大手証券会社に勤める男(米倉斉加年)が、ふとサラリーマン生活に疑問を抱き失踪する話が出て来るし、別の作品では、寅のテキヤ仲間が旅先で野垂れ死んだと聞いて愕然となるシーンもあった。またシリーズ第1作でも、妹さくらの大手企業のエリート社員とのお見合いの場を酔った寅がぶち壊すシーンがあった。その結果さくらは庶民労働者の博と結婚する事になるのだが、これも“いい会社に勤める男を捕まえる”事への異議申し立てを早々と行っていたのである。
そんな社会派的テーマも重要だが、本作の見どころはやはり母・福江の、お婆ちゃんになっても凛とした佇まい、生き方である。
既に書いたが、歳を取っても、老人になっても、元気に動き回り、近所の人たちと交流し、人助けをする事に生きがいを見出し、片想いではあるが恋もする。
なんと素晴らしい生き方である事か。
昭夫も舞も、福江の生き方や下町の人々の人情味ある暮しぶりに感化され、本当に人間らしい生き方とは何なのかを学んで行く。
そして昭夫は決心する。木部の懲戒解雇を取り下げて退職金も支給し、その責任を取って会社を辞めてしまう。そして、母と一緒に暮らす事を決断するのである。
母の恋は荻生の北海道転勤によって儚く破れるのであるが、荻生の旅立ちの時に、「私も北海道へ連れてってください」と言い、すぐに「冗談です」と言い直す。このシーンも実に若々しい。孫のいる老人とは思えない。
叶わぬ恋に破れる辺りはまるで寅さんだ。そう言えば「男はつらいよ」の何話かにも、寅がマドンナにふと自分の想いを口にして、「冗談だよ、本気にする奴があるか」と取り消すシーンがあった。
そんなシーンも含めて、昔ながらの風景、下町の人々の人情味溢れる暮らしぶり等とも併せて、私は1995年まで続いた、笑いと涙の「男はつらいよ」シリーズを思い起こし、涙が出て仕方がなかった。
まさに、全く久しぶりの“山田洋次の世界”が戻って来た、その事にとても感動した。後述するが、小津安二郎監督へのオマージュもさりげなく込められているのにも感心した。91歳で、これだけの映画を余裕で作れる山田監督、素晴らしいとしか言いようがない。
そして、人は何歳になっても、高齢になっても、第二の人生や、生きがいを見つける事は出来る、夢を持ち続ける事も出来る、その事をこの映画で教えられた気がする。
吉永小百合自身が、78歳という高齢(後期高齢者である!)になっても元気に俳優活動を続け、またボランティアで原爆詩の朗読会を続けている。福江の生き方はそのまま吉永小百合の生き方と重なり合う。これも素晴らしい事だ。以前、東映作品(「北の-」シリーズ等)の吉永小百合についてかなり厳しい事を書いたけれど、本作を観たらそんな不満も吹き飛んだ。失礼な事言ってご免なさい。
山田洋次監督、そして吉永小百合さん、まだまだお元気で、これからも素敵な映画を作り続けて欲しい。お二人のお仕事は、高齢者にとってもとても勇気づけられる事なのだから。
出来れば本作の続編も観たい。福江がまたも失恋したり、昭夫が母に迷惑かけるエピソードも面白そうだ。シリーズ化してもいい。無理にとは言わないが。でも観たい。 (採点=★★★★★)
(付記)
この映画には、随所に小津安二郎監督作品へのオマージュが散見される。これまでにも小津オマージュはあったが、本作にはあちこちに登場する。
冒頭の、高層ビル群のショットの積み重ね。小津映画には、こうした人物のいない風景ショットがよく登場する。小津映画ファンならここでハッとするはずである。
小津監督の「秋日和」には冒頭、東京タワーが登場するが、本作でも東京タワーより高くなったスカイツリーが風景として登場している。
小津映画ではお馴染みの、ローアングルのカットが何箇所かあった。
会話するシーンの、カットの切り返しも小津作品を思わせる。
小津映画には、二人の人物が横に並んで座るシーンがよく登場するが、本作でも川べりで昭夫と、空き缶を欲しいイノさんの会話シーン、及び出前のタンメンを昭夫と木部が啜るシーンでも、二人横に並んでいた。
親子の情愛も、小津作品ではお馴染み。特に1936年の「一人息子」は母と子の情愛がきめ細やかに描かれていた。昭夫も一人息子のようである。ついでに、東京にやって来た母を息子が案内する場面では、隅田川に架かる橋を渡るシーンがある。
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コメント
InstagramとFacebookのレビューには書いたんですが、山田洋次もいずれこの世を去ります。その時、日本映画の歴史がひとつ終わると思ってます。それぐらいの映画監督だと思ってるので、ファンでも何でもないけどその時をスクリーンで見届けたいと思って足を運んでます。
最近の山田洋次作品にはピンと来なかったんですが、これは人間をしっかり描いた秀作でした。
キネマ旬報の読者評に書いて送りました。
投稿: タニプロ | 2023年9月 9日 (土) 07:32
キネマ旬報に出した読者評。
全部は紹介できないので最後の部分だけ紹介します。
この映画は何重もの救いがある。お互いを救い合う福江と昭夫、木部に対する昭夫が向かう行動。福江と萩生が救いにかかるイノさん。そしてもちろん「ひなげしの会」、そしてその会に関わることになる舞。
様々な人達が新しい一歩を踏み出すことになる一種の革新性と、良い意味での保守的な人の集いが両立した映画である。
投稿: タニプロ | 2023年9月 9日 (土) 09:55
◆タニプロさん
>山田洋次もいずれこの世を去ります。その時、日本映画の歴史がひとつ終わると思ってます。
そんな時がやって来ない事を祈りたい気持ちです。いつまでも、あと10年、映画を撮って欲しいと願ってます。
思えば、島津保次郎、小津安二郎、木下惠介、そして山田洋次と、松竹大船映画の伝統が戦前から現代まで連綿と続いて来たのですが、その流れは山田洋次で終わりでしょうね。大船撮影所もとっくに無くなりましたし。残念です。後は前記監督作品をビデオで見るしかないですね。
投稿: Kei(管理人 ) | 2023年9月13日 (水) 18:04