「春に散る」
2023年・日本 133分
製作:ベンチャーバンクエンターテインメント=TBSグロウディア=ギャガ
配給:ギャガ
監督:瀬々敬久
原作:沢木耕太郎
脚本:瀬々敬久、星航
撮影:加藤航平
音楽:田中拓人
ボクシング指導・監修:松浦慎一郎
エグゼクティブプロデューサー:木村麻紀
プロデューサー:星野秀樹
沢木耕太郎の同名小説の映画化で、ボクシングに命をかける男たちの生き様を描いた人間ドラマ。監督は「ラーゲリより愛を込めて」の瀬々敬久。主演は「せかいのおきく」の佐藤浩市と「線は、僕を描く」の横浜流星。共演は「海辺の映画館 キネマの玉手箱」の片岡鶴太郎、「スワロウテイル」以来久しぶりの山口智子、その他橋本環奈、哀川翔、小澤征悦、窪田正孝など豪華キャストが集結した。
(物語)不公平な判定で負けたことをきっかけに引退した元ボクサーの広岡仁一(佐藤浩市)は、アメリカで事業を興し成功を収めたが、心が晴れぬまま40年ぶりに故郷の地を踏んだ。一方、広岡と同じく不公平な判定負けで心が折れていたボクサーの黒木翔吾(横浜流星)は、飲み屋のいざこざで因縁をつけた相手を素早いパンチで倒した広岡に興味を持ち、拳を交わし合うが広岡に人生初のダウンを奪われてしまう。これをきっかけに翔吾は広岡にボクシングを教えて欲しいと懇願する。昔のボクサー仲間だった佐瀬健三(片岡鶴太郎)の助言もあって、広岡はに翔吾にボクシングを一から教え込む事にする。翔吾はめきめき腕を上げ、やがて翔吾をチャンピオンにするという広岡の情熱は、翔吾だけでなく一度は夢を諦めた周囲の人々をも巻き込んで行く…。
ここ数年、ボクシング映画の力作が次々と登場している。「百円の恋」、「あゝ、荒野」、「アンダードッグ」、「ケイコ 目を澄ませて」…。いずれもキネマ旬報ベストテンにランクインしているし、「あゝ荒野」は3位、「ケイコ 目を澄ませて」はベストワンを獲得している。私のベストテンではどちらも1位である。ボクシング映画に外れはないと断言出来るだろう。
そして本作も素晴らしい出来栄えである。これも本年度のキネ旬ベストテン上位は間違いないだろう。
(以下ネタバレあり)
上記の4本のボクシング映画はいずれも、ひたむきにボクシングに打ち込む若者たちが主人公で、悩んだり迷ったりしながらも前に進んで行く青春映画でもあった。
本作が前記4本とやや異なるのは、主人公がチャンピオンを目指す若い翔吾一人でなく、やはりかつては一流ボクサーだったが今は年老いた広岡の2人の主人公がいる点だろう。
広岡は一時は世界チャンピオン直前まで行きながら、不公平な判定で敗れた苦い過去がある。その後ボクサーを引退してアメリカでホテルマンとして働き、ホテル事業で成功し、40年ぶりに日本に帰って来た。
一方で、やはり不公平な判定負けで心が折れていた翔吾は、飲み屋で因縁をつけて来たチンピラを素早いパンチで叩きのめした広岡を目撃し、彼に闘いを挑むがダウンを喫してしまう。
そのパンチに魅せられた翔吾は広岡に無理やり弟子入りを志願し、最初は断っていた広岡も、翔吾のひたむきな態度や、かつてのジム仲間、佐瀬健三(片岡鶴太郎)や藤原次郎(哀川翔)の後押しもあってついに翔吾のトレーナーとなる事を決断する。
後はいくつものボクシング映画でお馴染みの、激しいトレーニングを乗り越え、実力をつけた翔吾が次々と強敵を破り、遂にチャンピオン・中西(窪田正孝)とのタイトルマッチで勝利するまでの王道ストーリーが展開して行く。
横浜流星の鍛えぬいた体つきが、本物のボクサーのように見える。実際にプロライセンスを取ったそうだが、それを聞いて納得した。見上げた役者根性だ。
いくつかのボクシング試合シーンも凄い迫力で、かなり長いファイト・シーンを追って動き回るカメラも見事。ラストの中西とのチャンピオンを賭けた試合のシーンは、まるで本物のタイトルマッチをリングサイドで観戦しているような感覚になって、思わず拳を握りしめ興奮してしまった。試合が終わり、判定で翔吾の手をレフェリーが持ち上げたシーンでは涙が出てしまった。その後、翔吾と中西が互いの健闘を称えて抱き合うシーンでまた涙。
それまで、どことなく翔吾に冷たかった次郎までもが居酒屋での試合中継を見ているうち、次第にテレビに釘付けとなり、周囲の人たちと一緒に翔吾を応援するシーンもいい。
そんな具合に、翔吾の試合シーンを観ているだけでも感動するのだが、本作のもう一つのテーマというか見どころは、広岡の生き様である。
チャンピオンの夢を捨て、事業家として成功した広岡は、実は心臓に病を抱え、先行きも長くないと悟って、健三や次郎たちと一緒に終の棲家を作るべく日本に帰って来たわけである。
だから翔吾からボクシングを教えて欲しいと頼まれても、そんな気にはなれず撥ねつけていた。
だが翔吾の強い思いに、やがて自分が果たせなかった夢を彼に託す気持ちに傾いて行く。
重い心臓病を抱え、生きる気力も失いかけていた広岡。その前に現れた翔吾が頑張る姿を見て、広岡はもう一度、この若者の為に最後の人生を賭けてみようという気になって行くのである。
やがては、翔吾と広岡の間には、疑似的な親子のような情が生れて行く。
翔吾が警察沙汰を興し、タイトルマッチが不可能になりかけた時、広岡は土下座までして試合の実行を相手ジムの会長に懇願する。
そんな広岡の姿を見て、翔吾もまた自分の生き方を反省し、自分の人生を見つめ直そうと思うようになる。広岡は翔吾にとって、ボクシングだけでなく、人生の師でもあるのである。
サブエピソードとして、広岡の兄の死も描かれるが、これも実は重要な意味が込められている。彼の死を看取ったのはただ一人の身寄りである娘の佳菜子(橋本環奈)だけだった。
その孤独な死。取り壊され、跡形もなく消えて行く兄の実家…。それを聞いて広岡は、自分の人生の最期において、何を残せるだろうか…と思ったに違いない。
それが、翔吾のチャンピオンへの夢の実現だったという事だ。
この映画には、人生の終焉において、人は自分が生きて来た証しをどう遺すのか、老いても、夢を持ち続ける事は出来るのか、というテーマも込められている。
それがボクシングに挑む翔吾の闘いというメイン・エピソードを邪魔する事なく、うまく生かされている。その事にも感動した。
翔吾の勝利を見届けた後、広岡は満開の桜の下で人生を終えて行く。そこにやっとタイトル「春に散る」が現れる。
彼の死に顔は、笑っているようにも見える。もう思い残すことはないと満足しているかのように。いい幕切れだ。
その後、翔吾が佳菜子と一緒に暮らしているシーンがあるのだが、これは蛇足な気がする。広岡の死とタイトルでそのままエンドロールに移った方がすっきりする。
とは言え、広岡の思いを受け継いだ若者たちに、明日を託すというのがテーマとするならアリだとも言える。
まあそれなら、エンドロールが終わった後の最後に、あのシーンを入れたならなお良かっただろう。
ともかく、感動し、泣けたのは間違いない。本年を代表する秀作と言えるだろう。 (採点=★★★★☆)
(付記)
広岡と翔吾の関係は、「あしたのジョー」の丹下段平と矢吹丈のようでもある。多分監督も意識したのだろう、冒頭で広岡に闘いを挑んだ翔吾が広岡に食らったパンチはクロスカウンターである。
真っ白に燃え尽きて死んで行くのは、広岡の方なのだが。
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コメント
これはいい映画でした。
原作は朝日新聞に連載され私は新聞連載で読みました。
沢木さんのエッセイを後に読んで知ったのですが、元々は高倉健さんの映画用にプロットが書かれたそうです。
映画化は実現せずに高倉さんが亡くなったので小説化したとか。
原作を読んでいても映画は面白かったです。
原作には割と忠実ですが、若いボクサーを育てるという所が膨らましてあります。
若いボクサーを演じる横浜流星が良かった。
ボクシングシーンは迫力あります。
佐藤浩市はもちろん俳優陣はみな好演していました。
ほぼすっぴんの橋本環奈も良かったと覆います。
まあ男の映画ですが。
投稿: きさ | 2023年9月16日 (土) 22:29