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2023年9月18日 (月)

「福田村事件」

Fukudamurajiken 2023年・日本   137分
製作:ドッグシュガー=太秦
配給:太秦
監督:森達也
脚本:佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦
撮影:桑原正
音楽:鈴木慶一
企画:荒井晴彦
プロデュ―サー:井上淳一、片嶋一貴

100年前の関東大震災直後の混乱の中で実際に起こった集団虐殺事件を題材にした社会派ドラマ。監督は「FAKE」「i- 新聞記者ドキュメント」等で知られるドキュメンタリー映画作家の森達也。本作が初めての劇映画作品となる。出演は「こちらあみ子」の井浦新、「幼な子われらに生まれ」の田中麗奈、「怪物」の永山瑛太、「Winny」の東出昌大、「夜明けまでバス停で」の松浦祐也など。

(物語)1923年、日本統治下の京城で教師をしていた澤田智一(井浦新)は妻の静子(田中麗奈)と共に故郷の千葉県東葛飾郡福田村に帰って来る。澤田は日本軍が朝鮮で犯した虐殺事件の目撃者であったが、静子にもその事実を隠していた。一方その頃、香川県を出発した沼部新助(永山瑛太)率いる薬売りの行商団15名が旅を重ね、福田村を訪れていた。そして9月1日、関東地方を大地震が襲う。多くの人々が大混乱となり、朝鮮人が略奪や放火をしたという流言飛語が飛び交う9月6日、利根川を渡ろうとしていた行商団一行を見咎めた自警団や村人たちは、沼部たちが朝鮮人ではないかと疑う。やがて不安や恐怖心に駆られた村民たちの集団心理に火がつき、後に歴史に葬られる大事件が起きてしまう…。

関東大震災の混乱の中で、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」等のデマを信じた自警団や官憲によって多くの朝鮮人が殺された、という事件は知っていたが、この「福田村事件」の事はこれまで全く知らなかった。歴史には関心のある方で、大震災に関する書物もいくつか読んでいるが、この事件に関するものは目にした事がない。
それも当然で、この事件は戦後もずっと闇に葬られていて、1979年頃より調査が行われ、1980年代後半からやっと新聞などでも取り上げられるようになったとの事だ。

オウムを扱った「A」「A2」など、これまでもタブーに挑戦して来た森達也監督がこの事件を映画化したいと思っていた折、同じ企画を温めていた脚本家の荒井晴彦が話を聞きつけ合流し、佐伯俊道、井上淳一らと共同で脚本を書き上げ、森監督が初めての劇映画の監督を手掛ける事になった。だがどこの映画会社も難色を示して引き受ける所がなく、やむを得ず自主製作する事にし、資金集めの為にクラウドファンディングを立ち上げた所、3ヵ月で目標の2,500万円を達成し、最終的に3,500万円余が集まったとの事だ。実は私も僅かだが支援させていただいた。

そんなわけで上映が始まったらすぐに観ようと思っていたのだが、なんと私が希望する日時の回は満席だった事が2回も続き、ようやく先日、十三の第七芸術劇場で観る事が出来た。この日も8割方の入り。ヒットしているようでまことに喜ばしい。

(以下ネタバレあり)

事件の詳細は事実に則しているが、多彩な登場人物の多くはフィクションである。

中心となるのは、朝鮮からこの村に帰って来た澤田智一とその妻静子。澤田は朝鮮時代に日本軍による朝鮮人虐殺を目撃した事がトラウマになっているという設定。集団心理の恐ろしさを体験している事で、終盤の群衆の暴発をなんとか止めようとする役割を担っている。
その他の主な村人たちとして、亡き夫の骨壺を持って帰って来た妻の咲江(コムアイ)、利根川の渡し守・倉蔵(東出昌大)、在郷軍人会の長谷川(水道橋博士)、自警団の中心的人物・井草茂次(松浦祐也)などが登場する。

村の住民以外では、地元の千葉日日新聞の編集長・砂田(ピエール瀧)と女性記者の恩田楓(木竜麻生)、プロレタリア劇作家の平澤計七(カトウシンスケ)、そして 沼部新助(永山瑛太)率いる行商団一行15人が香川県を出発し、千葉までやって来る旅の行程、などが並行して描かれる。ちなみに平澤計七のみ実在の人物である。

映画は、これらの多彩なキャラクター群像をさまざまなエピソードを交えて手際よく紹介して行く。森監督、劇映画の演出は初めてながら、なかなか堂に入った演出ぶりである。

前半は、大震災が起きるまでの村の様子、特によそ者に対し何とはなく排他的な空気や、倉蔵を中心にした不倫や性的関係のねっとりした描写、等によって村社会の閉鎖性が強調される。いかにも荒井晴彦らしい描き方である。

また千葉日日新聞の紙面には、朝鮮人や社会主義者への憎悪が強調される記事が多くを占め、女性記者の楓が「事実を調べて記事にすべきでは」と抗議するが、編集長は「大衆が興味を持つ記事を載せる方が売れる」と取り合わない。こうした記事もまた虐殺事件が起きた遠因だろうし、同時にこうした国家に迎合した新聞の体質が、後の大戦時に大本営発表をそのまま垂れ流し、国民に戦争を煽る結果に繋がったのだろう。マスコミの責任は重い事を痛感する。

行商団一行の描写では、小さな子供がいたり、妊婦を労わったり、和気あいあいの善良な人たち(たまに口八丁で巧みに薬を売りつけたりはするけれど)である事が描かれ、後に彼らを襲う悲劇を思うと胸が痛む。

こうした、虐殺事件への下地となった諸要素を時間をかけ、丁寧に描く事で、事件の根深さ、問題の深刻さが浮き彫りにされる。うまい構成だ。


そして大震災が起きる。ここからは1日ごとに日付が画面に現れ、悲劇の日、9月6日までの緊迫した空気感が画面を覆う。

市中では、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「建物に火を付けた」との流言蜚語が飛び交う。だが平澤計七はそんな噂を流している男が見た顔=警察官だと見抜く。
実際、wikipedia等の資料を見ても、警察など「官の側から流言蜚語をまき散らした」とある。恐ろしい事だ。政府が関東大震災に乗じ、朝鮮人撲滅、社会主義者撲滅を画策したとの説もある。映画では平澤計七が震災後警察に拘束され、兵士によって斬殺されるシーンがあるが、これは史実である。

福田村でも、警察が「朝鮮人に気をつけよ」との広報を配布し、これに怯えた村の住民たちが在郷軍人会を中心に自警団を結成、村人たちに竹やりを持たせたりする。

こうして、村人たちが極度の緊張状態にある時に、香川の行商団が村に現れる。舟に乗せる荷物の事で沼部と倉蔵が交渉している場に茂次がやって来て「言葉がおかしい、朝鮮人ではないか」と疑う。そして次々と自警団が集まり、警察官が沼部の持っていた許可証が本物かどうかを調べに現場を離れた隙に、一人が鍬で沼部を襲う。そして大殺戮へと発展して行く。この描写は凄まじい。子供も、妊婦も容赦なく殺されて行く。澤田や倉蔵たちもなすすべもない。

群集心理とは恐ろしいものである。普段は大人しい普通の人間で、一人だけだったら、とても人を殺すなんて出来ないような人が、集団の中に入ると、タガが外れたように暴走してしまう

これは昔の話だけではない。つい2年前もアメリカで、選挙に不正があったとのトランプ元大統領のデマに扇動された支持者たちが議事堂に侵入し、支持者、警察双方に多くの死者が出たニュースは記憶に新しい。
朝鮮人に対する差別、ヘイトスピーチは今も続いている。SNSでも、集団で寄ってたかって弱い者を攻撃する風潮が蔓延っている。

これは脚本の創作だろうが、沼部が村人たちに「朝鮮人なら殺してもええんか?」と問いかけるシーンも重要である。という事は、もし村にやって来たのが(何の罪もない)朝鮮人たちだったなら、村人たちはこの人たちを殺して罪にも問われず、むしろ村を守った英雄として称えられていたかも知れない。そう考えると、暗澹たる気持ちになる。

つくづく、人間の弱さ、身勝手さ、愚かさを思い知らされる。これは今の時代にこそ作られるべき問題作であり、秀作である。

埋もれていた史実を掘り起こし、自主製作で資金を集め、執念で映画化を実現した森達也監督の奮闘ぶりには心から敬意を表したい。

 

…と褒めたところで、やや残念な点が2つある。

一つは、惨劇直前の、行商団と村人たちがにらみ合うシーン、緊迫感が漲るはずのこのシーンの演出が平板で弱い。村人たちの、朝鮮人ではないかとの恐怖でひきつった顔、怯える眼、汗が流れる皮膚、等をアップで捉えたり、竹やりを握る手が震えていたり、それらの合い間に行商団員の不安に苛まれる顔のアップ、といった描写を短いカットバックで繋ぐだけでも、見ているこちらも緊張するはずだ。

やはり劇映画を撮った経験がない弱点が現れている。サスペンス映画やアクション映画を撮り慣れている監督だったらそんな演出テクニックを使っただろう。

まあその程度なら許容してもいいが、二つ目は絶対に重要な点である。

関係者の証言では、「行商団一行の話す方言(讃岐弁)が千葉県の人には聞き慣れず、ほとんど理解できなかった」とあり、これが、「朝鮮語を喋っているのではないか」と誤解されて、事件の原因となったようだ。
ところが映画では、行商団の人たちは普通に誰でも理解出来る言葉を喋っている。せいぜい語尾に「~だけんに」とつく程度だ。福田村の人たちと話すならともかく、団員同士の会話にも讃岐弁独特の訛りはない。これはおかしい。

実は私は行商団と同じ、香川県の旧三豊郡出身である。その事もこの映画に関心を持った要因である。

私の祖母は50年ほど前に93歳で亡くなったが(つまり100年前は40歳前半)、祖母の話す讃岐弁はかなりきつくて、今の若い人が聞いたら、地元の人ですら理解出来ないくらいである。
一例を挙げよう。「なんしょんな、ごじゃばっかがいにおらんびょったらじょんならんがな。ほっこげなこつてどくれとるきにみなあずんりょらい」…多分ほとんどの人は理解不能だろう。
標準語に直すと「何をしてるの、デタラメばかりきつく怒鳴ってたらどうしようもない。馬鹿げた事でふくれてるからみんな苦労してるよ」。

多分当時の行商団員は、こういう会話をしていたはずだ。福田村の人たちが理解出来なかったのも当然だ。

言葉が解らない事はとても不安である。相手が得体の知れない不気味な存在に見えて来る。例えて言うならエイリアンに出会った時に等しい。恐怖のあまりパニックになってもおかしくない。それが惨劇の引き金になった事は十分考えられる。だから“理解不能な讃岐弁”は是非とも入れて欲しかった。会話が判り難かったら、テロップで説明してもいい(頼まれたなら私が方言アドバイザーに喜んでなる(笑))(注)

…というわけで、本来なら文句なく5つ(満点)を差し上げたい所だが、上記の不満点により1個分減点とする。 (採点=★★★★☆

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(注)なお、芦原すなお氏原作の大林宣彦監督作品「青春デンデケデケデケ」には当時の讃岐弁が盛大に登場しているので、興味ある方は是非鑑賞をお奨めする。また原作本には難解な讃岐弁に注釈が付いているので、こちらも読む事をお奨めする。


(付記)

ヒットしている事もあって、9月22日からはイオンシネマ系のシネコンでも上映が拡大されるとの事だ。是非多くの人に観て頂きたい。

 

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コメント

良い映画ですね。讃岐弁については確かにその通りだと思います。一方で飴売りの朝鮮の女の子がお礼に渡した朝鮮扇子がより疑惑を深めることになるあたりは脚本のうまさでしょうか。
私が見たシネリーブル神戸も9:00上映に多くの人が入っていました。
多くの人に見てほしい映画ですよね。祈ロングラン。

投稿: 周太 | 2023年9月19日 (火) 18:17

◆周太さん
讃岐弁に関してのご賛同ありがとうございます。
補足しますと、方言指導の方はおられたとは思いますが、現在では私が上で例に挙げたような当時の讃岐弁を話す方はかなり少なくなっているように思います。これは戦後、他県との交流が増えたり、若い人が都会に出て行ってしまったりといった事も原因でしょう。
出来れば脚本担当の誰かが現地に行って、古老の方たちから聞き取るなり、いろんな資料に当って徹底取材して欲しかったですね。でも乏しい製作費や時間の関係で断念したのではと善意に解釈しておきます。残念ですが。
上映館は続々増えているようで、喜ばしい事です。息の長い上映が続く事を祈っております。

投稿: Kei(管理人 ) | 2023年9月20日 (水) 12:52

(細かく覚えてないので配信で見ようかと思ってるのですが)かつて「もどり川」(監督神代辰巳)の脚本を書いた荒井晴彦の何十年越しのリベンジだと思いました。

淡々とした人間描写の積み重ねからの、怒涛の大虐殺クライマックスに息を飲みました。

韓国映画では、アカデミー賞映画「パラサイト 半地下の家族」だってできるのに、日本映画はこういうのが描けません。

やっと韓国映画に追いついてきたと思いました。

投稿: タニプロ | 2023年9月21日 (木) 05:03

あと、日本映画では極めて珍しく「思想」に手を入れた映画だと思いました。

例えば、結果殺される社会主義者が出てきますが、私も資本主義嫌いな社会主義者なので。

投稿: タニプロ | 2023年9月21日 (木) 05:14

 ようやく鑑賞できました。管理人さんの指摘にある方言、やや冗漫な演出など少気になる点はありますが、怒涛の虐殺シーンには胸が痛みます。少ない予算だったようですが、よく映画化したなと感心しました。

投稿: 自称歴史家 | 2023年9月27日 (水) 18:26

◆タニプロさん
「もどり川」私も昔観たはずですがあまり覚えていません。関東大震災と社会主義運動家が登場するので本作とも関連はありますね。脚本は3人共作なので、どこまで荒井晴彦の主張が通ったかは不明ですが。


◆自称歴史家さん
クラファンでなんとか資金は集まりましたが、まだそれでも足りなかったようで、史実では近隣の村からも含めて200人もの村人が行商団を取り囲んだとあるのですが、映画ではせいぜい2~30人くらいしかいませんでしたね。当時の衣装を再現するのにも費用がかかるでしょうし。
まあこんな難しい題材の映画が作られただけでも良しとすべきでしょうが。

こういう映画に、多くの製作会社が結集し、十分な製作費をかけて作られ、興行的にも成功するようにならなければ、日本映画は韓国には追い付けないと思いますね。残念ですが。

投稿: Kei(管理人 ) | 2023年9月28日 (木) 14:17

見るかどうか迷っていたのですが、友人にチケットをいただいたので見ました。
いい映画でした。遅まきながら見て良かった。
ドキュメンタリーの森達也監督の初劇映画。
荒井晴彦らの脚本が良く出来ています。
俳優陣も好演していました。
井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大、豊原功補はもちろんですが、コムアイは水曜日のカンパネラの初代ボーカルですが、演技も見事。
水道橋博士の悪役も印象に残ります。
ラストの虐殺シーンは衝撃的ですね。
井浦新らのインテリの無力さが現在の状況と似ているのもやりきれないです。

投稿: きさ | 2023年10月16日 (月) 10:35

◆きささん
>井浦新らのインテリの無力さが現在の状況と似ている…
おっしゃる通りですね。
朝鮮時代に日本軍による朝鮮人虐殺を目撃したのに、日本に帰ってからそれを訴えるでもなく農作業をしたり、妻が渡し守の倉蔵と不倫している現場を見ているのに、これまた優柔不断で何もしない。常に傍観者でしかない人物だから行商団虐殺時にも現場にいたのに止められなかった。
ウクライナ戦争やイスラエル紛争も止められず、市民への虐殺を傍観しているに等しい国連への痛烈な皮肉のようにも見えますね。そこまで考えてたら脚本チーム、見事と言いたいですが。

投稿: Kei(管理人 ) | 2023年10月25日 (水) 13:08

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