「首」 (2023)
(物語)織田信長(加瀬亮)は天下統一を掲げ、毛利軍、武田軍、上杉軍、京都の寺社勢力と激しい攻防を繰り広げていた。その最中、信長の家臣・荒木村重(遠藤憲一)が謀反を起こし、姿を消す。信長は自身の跡目相続を餌に、羽柴秀吉(ビートたけし)、明智光秀(西島秀俊)ら家臣に村重の捜索を命じる。秀吉は弟・秀長(大森南朋)、軍師・黒田官兵衛(浅野忠信)らとともに策を練り、元忍の芸人・曽呂利新左衛門(木村祐一)に村重を探すよう指示。実は秀吉はこの騒動に乗じて信長と光秀を陥れ、自ら天下を獲ろうと狙っていた。…。
「アウトレイジ 最終章」(2017)以来6年ぶりの北野武監督作である。武自身による原作は2019年に刊行されていて、読んでみたが、現代語が飛び交ったり「馬鹿野郎」のセリフが連発されたりでなかなか面白い。なので映画化に期待していた。
実は原作を出版したKADOKAWAが製作資金を出し、2年前の2021年10月にはクランクアップしていたのだが、KADOKAWAとの間で契約に関するトラブルが発生、完成が延び延びになっていた。なんとか問題が解決、公開に至ったのは喜ばしい。
出来上がった映画は、まさに北野武らしい「アウトレイジ」戦国版とも言うべき血まみれバイオレンスと、ビートたけし流の笑いが交錯し、全体としてはロクでもない権力者どもを痛烈に皮肉った快(怪)作になっていた。さすがである。
(以下ネタバレあり)
冒頭から、題名通り首無し死体やら首斬りシーンのオンパレードである。戦に負けた血まみれの兵士の死体が無数に転がり、切断された首の断面にカニがウヨウヨ這っているシーンは凄惨である(死体に這うのは普通ウジ虫だろうが、さすがに気持ち悪いのでカニを代用したか)。
最初の字幕で、信長に対し謀反を起こした荒木村重の軍勢が敗北した事が語られる。そして荒木軍の侍、一族郎党は女子供までも処刑されたのだが、その処刑シーンの描写もまた酸鼻を極める。女たちが首を斬り落とされるシーンはVFXを使って、刀が降り降ろされ、首が胴体から離れ桶に落ちるまでをワンカットで描いている。腹の大きな妊婦まで殺される。
そして処刑が終わると、農民などの野次馬が柵を押し倒して乱入、死体の着物や身の回り品を奪い合う。どつもこいつもエゲツない奴らばかりだ。
戦国を舞台にしたドラマ・映画は数限りなく作られて来たが、ここまでグロテスクにいくさの残酷さ、負けた側への容赦ない制裁ぶりを執拗なまでに描いた作品はなかったのではないか。
だが戦国時代のいくさなんて、実際はこの映画で描かれた通りなのだろう。あるいはそれ以上に残酷、凄惨だったかも知れない。
戦争とは、そんな殺し合いであり、人間の限りない残酷性が現れるものなのだ、という事をこの映画は痛烈に描いている。これは今の時代にも通じるテーマである。その点だけでも本作を高く評価したい。
だが北野監督の批評性はこれだけでは終わらない。織田信長をはじめとする戦国の英雄たちをも徹底的にコケにし、そのエゲツなさ、くだらなさをこれでもかとブラックユーモアたっぷりにカリカチュアし描いている。
織田信長は残虐な暴君で、明智光秀や荒木村重などの臣下に対し殴る蹴る、忠誠を誓えと刀を相手の口に捻じ込んで血まみれにしたり、腹を切れと言ったり。小姓の森蘭丸との男色シーンもある。
これまで描かれて来たドラマの中でも、ここまで最凶、最悪な信長像は見た事がない。尾張弁でまくし立てる加瀬亮が絶妙の怪演。
徳川家康(小林薫)も、臆病で猜疑心の塊で、影武者を何人も用意して、自分は雑兵に紛れてうまく隠れ通す。まさに狸オヤジだ。何度も影武者が殺されるので、とうとう影武者が底をつく所がケッサク。
そしてたけし自身が演じる羽柴秀吉が最も狡猾。光秀や村重を巧みに利用し、信長を無き者にしてあわよくば天下を取ろうと画策する。光秀による本能寺の変も、実は秀吉が後ろで糸を引いていた説を採用している。
高松城の水攻めから、秀吉が異常に早く光秀討伐に取って返す、いわゆる中国大返しは光秀の謀反をあらかじめ知っていないと出来ない、という説は以前からあったが、この秀吉謀略説をうまく取り入れているのが秀逸。
参謀格の弟の羽柴秀長(大森南朋)と軍師の黒田官兵衛(浅野忠信)との謀議のシーンもコント風で笑える。中国大返しを公表した時、秀吉が部下に対しあまりに手際よく今後の方針を語るので、さすがにマズいと思い、誤魔化すシーンには大笑い。
その他にも、元忍びで今は芸人という曽呂利新左衛門(木村祐一)や、百姓でありながら秀吉に憧れ、出世を夢みる茂助(中村獅童)といった異色のキャラクターも物語にうまく配置され、いい味を出している。関西弁でのトボけた会話も効果的。
茂助など、上手く行けば第二の秀吉になれたかも知れない。逆に秀吉も、運が悪ければ茂助のような哀れな最期を迎えたかも知れない。
人間の運命なんて、ちょっとした事で180度変わる、その無常さを象徴する、茂助というキャラクターを創出した点でも、北野武は天才と言えるだろう。
ラストも笑える。光秀の首が見当たらないので次から次といろんな首が秀吉の前に差し出され、うんざりするシーンがおかしい。
ようやく、茂助の首と並んで光秀の首が出て来るのだが、わりと汚れていない茂助に対し、光秀の首は泥だらけ、傷だらけで判別がつかない。
とうとう癇癪を起した秀吉が「もういい、俺は天下さえ取れたら首などどうでもいい!」と首を蹴っ飛ばしてエンドとなる。
本作が優れているのは、上にも書いたが、歴史文学作品や大河ドラマで我々が知っている戦国武将のイメージを徹底してひっくり返し、あざ笑い、コケにして、権力を狙う人間が如何にズルくて愚劣な存在であるかを、ブラックな笑いを交えて痛烈に描いた風刺劇として成立させている点である。
まさに北野武監督以外、誰も作れないであろう怪作である。
これまでの北野監督作は、お得意のバイオレンス作品は成功しても、芸人ビートたけしとしての一面であるコメディ作品や、シリアスな物語の中に笑いを取り入れた作品を作ろうとすると、大抵は失敗して来た(過去の拙北野作品評参照)。
ようやく前々作「龍三と七人の子分たち」辺りから、社会的なテーマを盛り込んだコメディ作品でも一応の成果を示して来た。
本作に至って、北野監督は遂に、バイオレンスと笑いを巧みにブレンドし、両立させる事に成功したようだ。
チャップリンの有名な言葉に「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇だ」というのがある。
まさしく本作は、茂助や光秀や信長の最期や、死んで行く多くの侍、兵士たちの末路を近くで見れば悲劇だが、離れて俯瞰して見れば見事に喜劇になっている。
特に高松城主の清水宗治(荒川良々)が切腹するシーンなどは、本来悲惨なはずなのに、遠くから遠眼鏡で見ている秀吉にとっては笑いのタネである。
チャップリンの「独裁者」も、当時の権力者ヒトラーやムッソリーニを徹底して笑いのめし、からかった秀逸な喜劇だった。誉め過ぎかも知れないが、北野武は本作でチャップリンの領域に近づいた、と言えるかも知れない。思えばチャップリンもたけしと同様、原作・脚本・監督・編集・主演を一人でこなすという類似点もある。
俳優としてのたけしはさすがに滑舌は悪いし年齢的な衰えも見られ、それを指摘する声も多いが、腹黒さを巧みに隠し、へりくだりながら乱世を泳ぎ切る業師を、笑いを交えて演じられる役者は、やはりビートたけししかいないだろう。30年前に映画化出来ていれば最適任だったと思われる。
本作がクランクアップした2021年には、まだウクライナ戦争も、イスラエル・ハマス紛争も起きていなかった。そんな武力衝突の悲惨さ、残酷さが日夜報道されている2023年の現在に本作が公開されるとは、絶妙のタイミングである。冷酷に相手国の人間を惨殺して行くロシアやイスラエルの指導者が本作の信長に被って見える。
2年も公開が遅れたのはそういう意味で良かったのかも知れない。時代が呼んだ秀作、と言えるだろう。 (採点=★★★★☆)
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コメント
やはり北野映画は面白い。
西島秀俊、加瀬亮、浅野忠信、大森南朋、小林薫といった大物俳優にトンデモな戦国武将を演じさせ、自分は羽柴秀吉というのも愉快ですね。
遠藤憲一の荒木村重、大竹まこともいい。
木村祐一が忍び上がりの芸人で一番良い役だった様な。
中村獅童の茂助もコミカルでかつ悲哀もあるいい役でした。
副島淳演じる弥助もいいですね。弥助をここまで登場させた映画は今までないのでは。
全作見ている訳ではないですが、今まで見た中では北野武映画ベストワンです。
投稿: きさ | 2023年11月29日 (水) 13:20
◆きささん
北野武が自分で書いた脚本は、歴史をよく調べて書いてますね。荒木村重を重要な役で登場させているのもユニーク。多分この時代を舞台にした映画では、初めて出て来たんじゃないでしょうか(小説はいくつかあり)。
私は北野武監督作は(短編を除いて)全部観て来ましたが、ベストは「キッズ・リターン」、次点は「あの夏、いちばん静かな海。」です。ただどちらもたけしは出演していないので、たけし主演作に限定すれば北野映画ベストワン、と言えるかも知れませんね。
さて困った。本年度の邦画マイ・ベストテンは既に満杯なのに、これを入れたらまたはみ出す作品が出て来て、年末まで悩みそうです(笑)。
投稿: Kei(管理人 ) | 2023年11月29日 (水) 16:16