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2023年11月 9日 (木)

「ゴジラ-1.0」

Godzilla10 2023年・日本   125分
製作:TOHOスタジオ=ROBOT
配給:東宝
監督:山崎貴
脚本:山崎貴
撮影:柴崎幸三
VFX:山崎貴
音楽:佐藤直紀
製作:市川南
エグゼクティブプロデューサー:臼井央、阿部秀司

特撮怪獣映画の金字塔「ゴジラ」の生誕70周年記念作品。脚本・VFX・監督は「アルキメデスの大戦」の山崎貴。主演は「大名倒産」の神木隆之介。共演は「シン・仮面ライダー」の浜辺美波、「Dr.コトー診療所」の吉岡秀隆、「怪物」の安藤サクラ、その他佐々木蔵之介、山田裕貴、青木崇高など実力派豪華キャストが揃った。

(物語)第二次大戦末期、特攻隊員の敷島浩一(神木隆之介)は、機体の不調を理由に大戸島飛行場に着陸するが、その晩、島を襲った謎の巨大生物によってほとんどの整備士は殺され、敷島はからくも生き残る。戦後、敷島は焦土と化した日本に生還するが、家族は既に戦死していた。やがてある日、荒廃した町で同じく両親を亡くした大石典子(浜辺美波)と出会う。そんな中、敷島が大戸島で遭遇したあの怪獣がさらに巨大化して上陸、ゴジラと名付けられたその怪獣は、戦争で傷ついた日本をさらに破壊し尽くそうとする。残された名もなき人々に、生きて抗う術はあるのか…。

生誕70周年記念作品と謳われているが、第1作は1954年製作なので、正確には来年が70周年。但し公開日の11月3日は第1作が公開された記念の日。つまり70回目の記念日という事では整合性はある。日本製実写映画としては30作目となる節目の作品でもある。

これを任されたのが我が国VFXの第一人者でもある山崎貴。これまで「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズでVFXを駆使したリアルな昭和の風景を描き、かつ「続・三丁目の夕日」のアヴァンタイトルでゴジラを登場させているので、監督としてはうってつけだ。本人も念願だったに違いない。

これまでのゴジラ作品は、製作された年、あるいは未来が舞台となっていた。ところが本作の舞台は1作目よりももっと過去の終戦直後。これは初めての設定である。
“敗戦で無(=ゼロ)になったこの国をゴジラが負(=マイナス)に叩き落とす”という意味で「-1.0(マイナス・ワン)」と付けたらしいが、“記念すべき1作目(1954年)よりも時代をバックさせた”という意味も含んでいる気がする。

1作目をリアルタイムで観ている私にとっては、「ゴジラ」は特別に思い入れのあるシリーズである。とにかく1作目は怖かった。いまだに「ゴジラ」映画の最高作と断言出来る(その事については「シン・ゴジラ」にも書いた)。

その「シン・ゴジラ」も傑作だった。前作について、“これまで誰もが到達し得なかった、1作目「ゴジラ」のレベルに、初めて近づいた傑作である”と評価した。この作品を超えるのは容易ではない。
本作は果たして、どこまで「シン・ゴジラ」に、そして1作目に迫れるか、大いに期待を抱いて鑑賞した。

(以下ネタバレあり)

主人公・敷島浩一は特攻隊員としてゼロ戦に乗り出撃したが、機体の不調という事で引き返し、大戸島の飛行場に着陸する。ところが整備兵リーダーの橘宗作(青木崇高)は、機体に異状はなかったと言い、「死ぬのが怖くなって逃げ帰って来たのではないか」と敷島を疑う。

その夜、島を謎の巨大生物が襲い、整備兵たちは逃げ惑う。橘は敷島に「ゼロ戦の機銃で怪物を撃て」と言い、敷島はゼロ戦に乗るが、怖くて射撃を躊躇しているうちに怪物は整備兵たちを次々と食い殺して行き、逃げた敷島は気を失う。明け方、敷島が気が付いた時には、橘を除いた全員が死んでいた。橘は敷島に「お前が撃たなかったせいで仲間がみんな死んだ。お前のせいだ!」と敷島に殴りかかる。
終戦後、帰還する船の中で、橘は敷島に小さな包みを渡す。そこには亡くなった整備兵たちの遺品の写真があった。

こうして敷島は、特攻でも逃げ帰り、島でも仲間を見殺しにした、という二重の罪の意識に苛まれ、トラウマとなって心に重くのしかかる事となるのである。

大戸島という島の名前、それと島に伝わる“呉璽羅(ゴジラ)”という名の破壊神の伝承はいずれも1作目の設定を継承している。1作目でも大戸島をゴジラが襲い、島民の多くが殺されている。

ゴジラが整備兵たちを頭からパックリくわえ、放り投げるシーンは明らかに「ジュラシック・パーク」オマージュである。こんな具合に以後も1作目オマージュ、及び洋画の名シーン・オマージュがしばしば登場する。

敷島は復員するが、自宅は空襲で焼け落ち、両親も戦死していた。敷島は自宅跡にバラック小屋を建てるが生活は苦しい。
そんな時、敷島は盗みで追われていた大石典子(浜辺美波)と出会いがしら、赤ん坊を託される。敷島が途方に暮れた頃、典子が戻って来て、行く宛のない典子は敷島の家に居座る。明子と言う名の赤ん坊は典子の子ではなく、見ず知らずの女性から死ぬ間際に託されただけだった。つまりは、3人とも家族をすべて失ったという共通点がある。
こうして、いつしか3人は一緒に暮らすようになる。
お互い血の繋がりのない人たちが家族となる、という展開は「ALWAYS 三丁目の夕日」にも登場していた。山崎監督好みの世界である。近所の口は悪いが本当は人情に厚いおばさん・澄子(安藤サクラ)もいかにも「三丁目」に居そうなキャラである。

その間、1946年頃、アメリカ軍が太平洋上で原水爆実験を行った事や、ゴジラが実験で目を覚ます様子が描かれる。海中で眠っていたゴジラが放射能を浴びてパワーアップしたであろう事が暗示されるが、これも1作目の設定と同じである。なお史実でも、アメリカは1946年7月1日からマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験を行っている。

こんな具合に、時代こそ1作目より6~7年前だが、基本的なストーリー・ラインは1作目にかなり沿っている

敷島は生活の為、新生丸という船に乗り、機雷除去の仕事に就く。乗員は船長の秋津(佐々木蔵之介)、若手船員の水島(山田裕貴)、それに学者の野田(吉岡秀隆)など。

敷島は戦闘機に乗っていた事から射撃の腕前は確かで、遠くに流した機雷を銃撃して見事爆破させる。これが後の伏線になっているのがうまい。

やがて太平洋上に謎の巨大怪物が現れたとの情報が入り、秋津たちも駆り出される。そして洋上で巨大怪物と遭遇する。敷島はその怪物が大戸島で自分たちを襲った“ゴジラ”だと確信する。

放射能を浴びたせいか、前よりも遥かに巨大になっていた。

ここでの、新生丸対ゴジラの対決シーンは、猛スピードで船に迫って来るゴジラの姿といい、機雷をゴジラに咥えさせ、敷島が銃撃して機雷が大爆発する、という一連の流れといい、スピルバーグ監督「ジョーズ」のラストシーンの巧妙ないただきである。「ジョーズ」と違ってゴジラはすぐに細胞を再生させて復活するのだが。

Godzilla3 この後、東京に上陸したゴジラは、まず典子が乗っていた電車の前に現れてストップさせ、車両を口にくわえて持ち上げ、典子が宙吊りとなる。1作目を観ている人なら、これも1作目オマージュだと気付くだろう(右参照)。かなり長い間くわえっ放しなのはまあご愛嬌(笑)。

その後移動した銀座で大暴れするシーンは、本作の白眉。ゴジラの歩く姿は巨大で重量感満点、足を踏み下ろすと地面が盛Godzilla2 り上がり、人間が踏み潰され、日劇など銀座名物の建物が次々崩壊して行く。服部時計店のビルをぶっ壊すシーンも1作目オマージュ(右)。

ビルの屋上で実況中継していた放送局のアナウンサーたちがビルと一緒に墜落して行くシーンも1作目と同じ(1作目では鉄塔)。

圧巻は例の熱戦を吐くシーン。背びれが順々に青白く発光するやガシャン、ガシャンと突起し、やがて口から発射された放射光線が遥か遠くの東京都心で大爆発するシーンは、これまでのどのゴジラ映画でも見た事のない大迫力である。「風の谷のナウシカ」の巨神兵クラスだ。敷島を庇った典子はこの爆風で吹き飛ばされてしまう。

その後、爆心地点では巨大キノコ雲が上空に舞い上がり、呆然と佇む敷島の上に黒い雨が降って来る。

明らかにこれらのシーンは原爆の惨禍そのものであり、本作のゴジラは1作目と同じく、まさしく原爆(とそれをヒロシマ、ナガサキに落としたアメリカのメタファーなのである。

言ってみれば本作は、「ゴジラ」1作目を、最新のVFX技術でスケールアップし、1作目の監督、本多猪四郎が作品に込めた思い(この点についても「シン・ゴジラ」参照)を、当時は不可能だった迫真のビジュアルで表現した、リメイク作と言ってもいい。

この点に私は深く感動した。

(以下かなりネタバレしてます。注意)

それまでも、自分は卑怯な人間だ、生きている価値がないとトラウマに苛まれる敷島を、典子は何度も「命は大切、生きなければ」と叱咤し励まして来た。

その典子を失った事で、敷島は典子の為にも、そしてこれからの時代を生きる明子の為にも、戦わなければと決意する。

だがアメリカ占領下にある日本政府は武器もなく、何も出来ない。アメリカ軍もソ連との間に緊張が高まるのを恐れてゴジラと戦ってはくれない。頼りにならない政府を見限って立ち上がったのは民間人だったというのが何とも皮肉である。

野田の発案で、フロンガスを大量に発生させゴジラを深海に沈める作戦が立てられるが、失敗した場合に備えての作戦も用意される。泡がブクブク発生する新兵器は、1作目のオキシジェン・デストロイヤー・オマージュだろう。

そして敷島は、戦える戦闘機が残っていないか周囲に訴え、終戦間際に新兵器として開発されながら未完成に終わっていた、前翼型戦闘機・震電の機体が倉庫に眠っている事を突き止める。だが整備しないととても飛べない。敷島はこれを整備出来るのは大戸島で生き残ったベテラン整備士・橘しかいないと考え、彼を手を尽くして探し出し、整備を懇願する。

敷島のせいで部下を失ったと怨みに思っている橘は最初は撥ねつけるが、今度こそ命を賭けて戦う決意を見せる敷島に心打たれた橘は、これを飛べるよう整備する事を約束する。

この「震電」はプロペラ・エンジンが後部に付いた斬新なデザインで、幻の戦闘機と言う事もあってマニアには人気が高い(詳細は後記お楽しみコーナーで)。この震電がVFXで大空を駆けるシーンが見られるだけでも、航空機ファンには必見である。敷島はこれに爆弾を積んで、ゴジラに体当たりする作戦を立てる。

ただこの形状では、緊急脱出時に体が後部プロペラに巻き込まれる恐れがあり、命の保証は出来ない。つまりは特攻自爆作戦と言う訳だ。

敷島は死ぬ覚悟を決めたのだろう、明子の枕元に全財産の封筒を置き、澄子に後の事を頼もうとしている。

今度こそ、この国を救う為に、かつては回避した特攻を敢行して自身に決着をつけようとしたのだろうか。特攻賛美なら嫌だなと思った。山崎監督は前に「永遠の0」を撮ってるし。

…が、なんとサプライズが待っていた。橘が脱出装置を仕込んでいた事が後で判明する。さらに典子も、実は生きていた事が判る。

典子の言葉「あなたの戦争は終わりましたか?」で映画は感動のハッピーエンドを迎える。


この終盤の展開はちょっと無理がある、と言うか突っ込み所多し。

爆風で吹き飛ばされた典子の葬式のシーンがあったが、遺体が見つかってはなかったようだ。それで葬式を行うだろうか。普通は先に病院をくまなく探すだろうに。それに、あれで生きていたのが不思議だ。

体重2万トンもあるゴジラを海底に沈める装置や、急速に浮上させる浮き輪など、民間の乏しい予算で用意出来るのかとか(浮き輪は多分数千個も必要)。震電の脱出装置なんて、あの時代にあったとは思えないし、とか。

だが、そんな難点を差し引いても、本作は素晴らしい作品に仕上がっている。

VFXの完成度は、日本映画としては最高の部類に入る出来栄えだ。「シン・ゴジラ」をも上回って、ハリウッドCG作品と比べても遜色ないと断言出来る。

そして、敷島を死なせず、特攻を回避した事は決して恥ではない、どんな事があっても、生きる事こそが人間にとって大切であるとしたラストは、やはり感動的である。

何より、ゴジラを原爆のメタファーとして、震え上るほどに凶暴、凶悪な存在とし、核の恐ろしさを痛烈に描き切っているのが見事。「シン・ゴジラ」も傑作だったが、そのテーマ性とVFX完成度を併せて、本作は「シン・ゴジラ」を超えた、のではないかと思う。

一応ゴジラは退治されたが、機雷の口内爆発でも平気だっただけに、また復活するに違いない(チラリとその予兆も描かれていた)。続編にも期待したい。

採点はVFXに関しては文句なく5つだが、終盤の難点を差し引いてトータルでは   (採点=★★★★☆

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(さて、お楽しみはココからである)

その1
Godzilla102先にも書いたが、終盤に登場する前翼型戦闘機「震電」(右)はそのカッコ良さから漫画、アニメ、小説、ゲーム等にも、時には名前を変えたりして何度も登場している(wikipedia震電に関する作品一覧)。

Toaruhikuushi 中でも、犬村小六原作のライトノベル「とある飛行士」シリーズに登場する、天ツ上軍の戦闘機「電」は同じ読みでデザインも震電とそっくりである。そのうちの1作「とある飛行士への追憶」は2011年にアニメ化され劇場公開されている(拙作品評はこちら)。「真電」も映画の中に登場している。

そのアニメの主人公シャルル狩乃の声を担当したのが、なんと神木隆之介!震電が登場する映画2本で主人公を務めた事になる。不思議な縁である。


その2

主人公の名前、敷島と聞いて、SFコミック・アニメファンならある作品を思い浮かべるだろう。

それは横山光輝原作の「鉄人28号」。太平洋戦争末期、軍の命令で秘密兵器として鉄人計画に加わり、鉄人28号を開発したのが敷島博士である。

鉄人は漫画・アニメでは正義の味方だが、原作では実は最初、悪の権化だったという。なにしろその名前も、米軍の爆撃機、B-29に由来しており、それから1引いて(つまりマイナス・ワン!)28号と名付けられた。

早い話が、鉄人は憎きアメリカ軍の象徴であり、最後には倒されるべき悪だったのだ。ところが連載が開始されると、読者アンケートで人気者になったので、途中から正義の味方になって行ったのだそうだ(Wikipediaより)。

またB-29は日本に原爆を落とした爆撃機でもある。つまりは本作のゴジラと同じく、鉄人はアメリカと原爆のメタファーだったのである。

おそらく山崎貴監督は鉄人28号のファンなのではないだろうか。それで主人公の名前に敷島を拝借し、タイトルにB-29由来の「マイナス1」を拝借したのではないだろうか。ついでに太平洋戦争末期の日本軍の秘密兵器である鉄人から、やはり大戦末期の秘密兵器・震電を思いついたのでは。考え過ぎかな(笑)。

 

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コメント

ツッコミどころと過剰泣かせ演出(最後にきっと突然再会するんだとな、と明らかに思わせる浜辺美波の途中退場含む)は、相変わらずでしたが、シンプルなストーリー展開と映像の凄さに余計なことを考える暇がなかったです。今作、おそらく60代の昭和ゴジラをリアルで見ていて、かつ、朝ドラ「らんまん」にはまっていた人間にはたまらなかったのでは(私です)。ラスト、泣いてしまいました、不覚にも。これも敢えてなんだろうけれどクサめの演者の中、神木浜辺コンビの自然な感じも良かった。色々な評で見る通り山崎監督の確かに集大成だと思ったし、今までにもあったあまりにストレートな頂きオマージュが今回はことごとく上手く行ってますね。

投稿: オサムシ | 2023年11月 9日 (木) 23:32

追記お許しを。2回目を4DXSCREEN版で見たのですが、すごく良く出来てます。個人的には、戦闘や銃撃シーンが多い作品は途中で揺れや風に飽きてしまうのですが、ゴジラの襲撃とか海の揺れ、水しぶきにはすこぶる相性がいいと思います。(余談ですが、ボヘミアンラプソディのこれ版もめちゃくちゃ良かった。コンサートシーンで左右に広がるライブ感と言ったら!)何でこんなこと書くかと言うと、最初に見たIMAX版の評判が、大画面が売りなのに上下に黒みがあるとか、SNSでイマイチのようなんですね。そもそもシネマスコープサイズなのでスタンダードサイズ仕様大画面のIMAXだとそれが普通で、今までも同様の作品はあったはずなのに。それでも十分大きいんだけど、と思うと同時に、追加料金払ってて売りのはずの壁いっぱいの大画面…‥になってない、という気持ちもわかる。以前は、映画は横に広まるもの(それだけでワクワクした)だったのに、最近のシネコンは縦に縮まる(黒みが入る、もっと言うとシネスコサイズの映画の方が画面が小さくなる)つまらない時代になったなと思っていましたが、この作品で若者たちに意識されるとは。でも決してこの作品のせいではない、と言うことは伝えたいと思います。ただ今回、左右にも黒みがあったのは私も気になりました。もっともここまで傑作だったら、最近のアメリカ作品のように、オリジナルはスタンダードで撮影し通常版は上下削って上映、IMAXは画角が広いと宣伝する、初の日本映画になって欲しかったとも思います。長々と失礼しました。

投稿: オサムシ | 2023年11月12日 (日) 18:34

◆オサムシさん
連続コメントありがとうございます。
私も本作は山崎貴監督作品の、一つの頂点だと思いますね。高レベルのVFXと泣かせが同居して違和感がないのは山崎監督の独壇場でしょう。

私も本当はI-MAXで観たかったのですが、レビューで黒味が上下だけでなく左右にも残ってるとかなり評判が悪かったので(“額縁上映”と揶揄されてるようです)、普通上映版で観る事にしました。I-MAXで上映するならアメリカのようにI-MAXカメラで撮影すべきでしょうが、それが無理ならオサムシさんご指摘のように、一般劇場では上下をトリミングしてシネスコ上映、I-MAX劇場ではフルサイズ上映すればあまりクレームは出なかったのではと思います。
私の希望としては、1954年の1作目(スタンダード・サイズ)を4Kレストア・デジタル修復して、I-MAX劇場で上映してくれないかなと思ってます。でも、円谷特撮のアラが目立って若い人には不評かな?でも観たいです。

投稿: Kei(管理人 ) | 2023年11月13日 (月) 11:07

これは面白かったです。文句なく個人的今年の邦画ベストワン。
「続・ALWAYS 三丁目の夕日」でゴジラを登場させた山崎監督にはゴジラ映画を撮って欲しいと思っていました。
庵野監督の「シン・ゴジラ」も面白かったのですが、あの作品を超えるのは山崎監督しかできないと期待していました。
ゴジラファンとしては素晴らしい新作に感謝したいです。
「シン・ゴジラ」の斬新さと過去のゴジラ映画(特に1作目)の両方の要素があり、ゴジラファンとしては大満足。
1945年太平洋戦争末期に始まり、戦後の日本が描かれます。
そこに登場するゴジラ。蹂躙される東京。
第1作と同じくこのゴジラは明らかにアメリカ軍ですね。
ソビエトとの関係で米軍がほとんど登場しないのもそうです。
ゴジラに立ち向かうほとんど全滅した日本海軍の重巡高雄や駆逐艦雪風の戦いには燃えます。
試作局地戦闘機、震電の登場も航空機ファンとしてはうれしいですね。
まあ、ラストはいいじゃないですか。
まあ葬式はやりすぎだと思いますが、、

ご存知だと思いますが、「ゴジラのデザインからVFX制作の舞台裏まで『ゴジラ-1.0』メイキング」。
https://www.youtube.com/watch?v=vvuD5bPYimU&t=8s

投稿: きさ | 2023年11月15日 (水) 12:02

◆きささん
Youtubeのメイキング、興味深かったですね。“題名も暗号にして秘密裏に製作していた”との事ですが、実は1954年の1作目もやはり題名を隠して「G計画」とだけ銘打たれ、極秘裏に製作していたので、東宝はこのやり方を参考にしたのでしょうね。こんな所にも1作目へのリスペクトが感じられます。
興行成績も順調のようで、うまく行けば「シン・ゴジラ」の興収を抜くかも知れませんね。楽しみです。

投稿: Kei(管理人 ) | 2023年11月28日 (火) 17:16

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