2023年を振り返る/追悼特集
今年も押しつまりましたね。いかがお過ごしでしょうか。
さて今年も、毎年恒例の、この1年間に亡くなられた映画人の方々の追悼特集を行います。今年も何かと忙しく、主だった方以外は簡単に紹介するに留めます。
ではまず、海外の映画俳優の方々から。
1月4日 高 美以子(たか みいこ)さん 享年97歳 日系アメリカ人二世の女優で、第二次大戦中は収容所に入れられたり苦労しましたが、1957年、ジョシュア・ローガン監督の「サヨナラ」製作に際し、演技経験が全くない彼女をスカウトしてマーロン・ブランドの相手役に抜擢、これが高評価を得て高さんは映画女優の道を歩み始めます。いくつかのハリウッド映画に出演した後、1975年には「太陽にかける橋/ペーパー・タイガー」で三船敏郎と共演、以後もテレビシリーズ「将軍 SHŌGUN」(1980)、映画「最後のサムライ ザ・チャレンジ」(1982)で三船敏郎の相手役を務めます。その後は家庭に入り、映画出演はありません。
1月9日 メリンダ・ディロンさん 享年83歳
舞台出身で、69年、「幸せはパリで」で映画デビュー。76年、「ウディ・ガスリー/わが心のふるさと」に出演の後、77年、スティーヴン・スピルバーグ監督「未知との遭遇」に出演、アカデミー助演女優賞にノミネートされます。81年にはシドニー・ポラック監督「スクープ 悪意の不在」で再びアカデミー助演女優賞にノミネート、実力は折り紙付きでした。その後も多くの映画に出演しましたが、2007年の「再会の街で」を最後に女優業を引退しました。「未知との遭遇」を再見して、在りし日の姿を偲びましょう。
1月16日 ジーナ・ロロブリジーダさん 享年95歳 懐かしいですね。1950~60年代に活躍した、戦後のイタリア映画界の代表的俳優で、「花咲ける騎士道」、「夜ごとの美女」等のフランス映画でジェラール・フィリップと共演、アメリカ映画でもジョン・ヒューストン監督の「悪魔をやっつけろ」ではハンフリーボガートとも共演、イタリア映画でも「パンと恋と夢」(ルイジ・コメンチーニ監督)等の代表作があります。一番印象に残っているのは、ユーゴー原作「ノートルダムのせむし男」でのヒロイン役でしょうか。グラマラスで妖艶な雰囲気で映画ファンを魅了していましたね。64年には「わらの女」でショーン・コネリーと共演しています。'70年代以降は出演作はぐっと少なくなりますが、1995年の映画発明100周年記念映画、アニエス・ヴァルダ監督「百一夜」に久しぶりに映画出演、マルチェロ・マストロヤンニ、カトリーヌ・ドヌーヴ、アラン・ドロン、ハリソン・フォードらの豪華キャストと共演しましたが、これが最後の映画出演となったようです。
2月15日 ラクエル・ウェルチさん 享年82歳 これまた懐かしい。数本のテレビ、映画で端役として出演の後、SF映画「ミクロの決死圏」(1966)で注目され、同じ年のレイ・ハリーハウゼン特撮映画「恐竜100万年」では毛皮ビキニの悩殺ボディで一躍有名になりました。67年の「空から赤いバラ」、同年のスタンリー・ドーネン監督「悪いことしましョ!」でもやはりビキニスタイルを披露、71年の西部劇「女ガンマン 皆殺しのメロディ」では悪人どもに夫を殺され、強姦されるが復讐に立ち上がる女を好演。なんと裸体に毛布1枚とガンベルトだけを纏った姿で出演、これが何ともセクシーでした。いつもそんな姿ばかりではなく(笑)、リチャード・レスター監督「三銃士」では米ゴールデン・グローブ賞のミュージカル・コメディー部門で主演女優賞に輝いています。でもやっぱり、ウェルチと言えば、グラマラスな悩殺スタイルで楽しませてくれた方として記憶に残っているのですね。
2月17日 ステラ・スティーヴンスさん 享年84歳 1959年に映画デビュー。エルヴィス・プレスリー主演「ガール!ガール!ガール」など青春・学園コメディに数本出演の後、スパイ・アクション「サイレンサー/沈黙部隊」でディーン・マーチンと共演、グラマーな肢体を披露して徐々に人気が高まって行きます。そして70年のサム・ペキンパー監督「砂漠の流れ者(ケイブルホーグのバラード)」でもグラマーな娼婦役を好演、これで私もファンになりました。72年にはパニック映画の秀作「ポセイドン・アドベンチャー」でアーネスト・ボーグナインの妻役をこれまた好演しました。途中で死んでしまうシーンは可哀そうでしたね。ただ、この辺りまでがピークで、以後はマイナーな作品が多く、80年代以降は「モンスター・イン・ザ・クローゼット」、「キラー・アンツ」等の低予算ホラー・SF作品が多くなって行き、やがて名前を見なくなってしまいました。残念ですね。
2月27日 リコウ・ブラウニング氏 享年93歳
正確には俳優と言うより、スーツアクターです。1954年の「大アマゾンの半魚人」で、半魚人ギルマンを演じ、その続編「半魚人の逆襲」、3作目の「The Creature Walks Among Us」(日本未公開)とギルマンを演じました。演じたのはいずれも水中を泳ぐシーンだけで、地上の撮影では別のスーツアクターが演じてます。ブラウニングは水中で一度に最大4分間息を止めたと言われていて、こんな長時間水中に潜れるのはブラウニングしかいなかったのでしょうね(右写真はギルマンのマスクを取ったブラウニング。意外とハンサムです)。同じく54年のディズニー作品「海底2万マイル」などでもスタントダイバーを担当した他、「007/サンダーボール作戦」(1965)、「海底世界一周」(1966)などでも水中撮影シーンのスタントコーディネーター、第二班監督を務めました。1963年にはイルカが活躍する「フリッパー」の原案・共同脚本、水中シーンの監督を担当しています。
まあこんな具合に、ブラウニングは1950~60年代には困難だった水中スタント、水中撮影の分野で目覚しい活躍をした、功労者と言えるでしょう。「大アマゾンの半魚人」を観る時は、是非ギルマンを演じたブラウニングの名前を記憶に留めて頂きたいと思います。
3月9日 ロバート・ブレイク氏 享年89歳
子役出身で、10歳の時ジョン・ヒューストン監督「黄金」に出演、その後テレビや数本のB級作品に出ていましたが、、1967年の映画「冷血」で殺人鬼を演じ、個性派俳優としても注目されました。「雨のニューオリンズ」、「夕陽に向かって走れ」等にも出演していますが、忘れ難いのが73年のニューシネマの傑作「グライド・イン・ブルー」の主役の白バイ警官役ですね。ラスト、車から発砲され、白バイから転落してハイウェイの真ん中で死んで行く姿を延々と長回しで撮ったシーンにはシビれました。「イージー・ライダー」のラストも思わせますね。以後はあまりこれといった作品はないですが、「冷血」と「グライド・イン・ブルー」を残しただけでも俳優冥利に尽きるのではないでしょうか。
3月8日 ハイム・トポル氏 享年87歳
ミュージカル映画「屋根の上のバイオリン弾き」の主役のテビエ役で強い印象を残しましたね。舞台版でも同じ役を演じてます。単に「トポル」と表記される事もあります。72年のキャロル・リード監督「フォロー・ミー」でも好演してましたね。その他の出演作に、ロジャー・ムーア主演のボンドもの「007/ユア・イオズ・オンリー」があります。
4月25日 ハリー・ベラフォンテ氏 享年96歳
これはまた懐かしい。1950年代、「バナナ・ボート」が大ヒットした歌手で、他にも「マティルダ」、「ダニー・ボーイ」等のヒット曲があります。映画俳優としても活躍、59年のロバート・ワイズ監督「拳銃の報酬」や72年のシドニー・ポワチエが監督・主演した「ブラック・ライダー」等に出演しています。また85年にはアフリカの飢餓救済運動の一環、「USAフォー・アフリカ」の提唱者としてチャリティーソング「ウィー・アー・ザ・ワールド」収録を呼び掛け、、マイケル・ジャクソン他のスーパースターが結集して話題になりました。ベラフォンテ自身も歌っております。近年では2018年公開のスパイク・リー監督「ブラッククランズマン」に出演、元気な姿を見せましたが、映画としてはこれが遺作となりました。
5月11日 バリー・ニューマン氏 享年92歳
こちらも、ニューシネマの傑作「バニシング・ポイント」(1971)に主演し、それまでまったく無名だったのが一躍ニューシネマのヒーローになりました。72年には「爆走!」にも主演していますが、こちらはアリステア・マクリーン原作の海洋冒険アクションで、「バニシング・ポイント」にあやかったような邦題はちょっと問題あり。他にこれといった作品はなく、「バニシング・ポイント」1作のみで記憶に残る俳優と言えるでしょう。
5月18日 ジム・ブラウン氏 享年87歳
アメリカンフットボールの選手としてで活躍後、俳優に転身、「特攻大作戦」、「戦争プロフェッショナル」、「北極の基地/潜航大作戦」等のアクション大作に出演しましたが、印象に残っているのはアーネスト・ボーグナイン、ジーン・ハックマン、ウォーレン・オーツ、ジェームズ・ホイットモア、ドナルド・サザーランドといった個性的な俳優と共演した「汚れた七人」、それに西部劇「100挺のライフル」辺りでしょうか。なおこの作品には、前述のラクエル・ウェルチが共演しており、やはり色っぽい所を見せています。映画出演作は50本を超え、黒人のアクション・スターとして一時代を築いた方と言えるでしょう。
5月18日 ヘルムート・バーガー氏 享年78歳
オーストリア出身の俳優で、64年にイタリア映画の巨匠ルキノ・ヴィスコンティに見出され、67年の「華やかな魔女たち」で映画デビュー。そして69年のヴィスコンティ監督の「地獄に堕ちた勇者ども」で強烈な印象を残し、一躍有名になりました。70年には「ドリアン・グレイ 美しき肖像」に主演。その後も72年「ルートヴィヒ」、74年「家族の肖像」とヴィスコンティ監督の傑作に連続出演、ヴィスコンティ作品に欠かせない名優となります。ヴィスコンティの死後も映画には出続けますが、これといった作品はなく、俳優として最も輝いていたのはやはりヴィスコンティ監督の3本の作品だったと言えるのではないでしょうか。
6月12日 トリート・ウィリアムズ氏 享年71歳
1975年に俳優デビューし、79年、ミュージカル「ヘアー」で主演を務め人気者になります。印象深い作品としては、主演した81年のシドニー・ルメット監督「プリンス・オブ・シティ」があります。98年にはSFパニック「ザ・グリード」にも主演しています。最近も映画やテレビドラマに出演していましたが、なんと今年の6月、バイクを運転中に自動車と接触し、この事故が元で亡くなりました。71歳、若いですね。
6月15日 グレンダ・ジャクソンさん 享年87歳
舞台出身で、63年にシェイクスピア劇団上演の「マラー/サド」(略称)の演技が絶賛され、その映画化作品で映画デビューを果たします。そして69年、ケン・ラッセル監督「恋する女たち」でアカデミー主演女優賞を獲得、続いてラッセル監督「恋人たちの曲・悲愴」にも出演します。73年には「ウィークエンド・ラブ」で2度目のアカデミー主演女優賞、演技派の名優として高く評価されます。その他の代表作に「日曜日は別れの時」(ジョン・シュレジンジャー監督)、「クイン・メリー 愛と悲しみの生涯」(チャールズ・ジャロット監督)などがあります。一時は俳優を辞め、政治家に転身しましたが、2015年に俳優に復帰、2021年の「帰らない日曜日」(エヴァ・ユッソン監督)でも元気な姿を見せていました。
(追記)2023年のマイケル・ケインと共演した 「2度目のはなればなれ」が遺作となりました。
6月23日 フレデリック・フォレスト氏 享年86歳
アクターズ・スタジオ出身で、72年に映画デビュー、73年、アンソニー・クイン主演のマフィア映画「ザ・ファミリー」に出演、続いてフランシス・F・コッポラ監督「カンバセーション…盗聴…」に出演、次第に頭角を現して来ます。そして79年のコッポラ監督「地獄の黙示録」とマーク・ライデル監督「ローズ」の2作で全米映画批評家協会賞最優秀助演男優賞を受賞したほか、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、ニューヨーク映画批評家協会賞の最優秀助演男優賞にノミネートされ、大きな注目を浴びます。コッポラ監督とは82年の「ワン・フロム・ザ・ハート」でもタッグを組みます。同年、ヴィム・ヴェンダース監督の「ハメット」では主人公ハメット役を演じます。監督たちの信頼も厚く、その後も多くの映画に出演しています。近年は出演作は減っていましたが、2006年、ショーン・ペン監督の「オール・ザ・キングスメン」に主人公の父親役で出演、これが遺作となったようです。
6月29日 アラン・アーキン氏 享年89歳
1934年、ニューヨーク市生まれ。ミュージシャンとして活動後、'60年代にブロードウェーの俳優に転身。66年に「アメリカ上陸作戦」で映画デビューを飾ります。で、強烈な印象を残したのが次の「暗くなるまで待って」(67)。盲目のオードリー・ヘプバーンを殺そうと迫る悪役を快演していました。その次には一転、「クルーゾー警部」で、ピーターセラーズ主演で有名なクルーゾー警部に扮し、コメディでも達者な所を見せます。そして68年の「愛すれど心さびしく」では聾唖の孤独な青年をナイーブに演じてまたまた評価されます。たった2年程の間にこれだけ違う役柄を演じられるのが凄い。その後もいろんな映画に出演、コメディからシリアス、アクションものまで幅広く活躍します。2006年には感動作「リトル・ミス・サンシャイン」でグランパ役を好演、見事アカデミー助演男優賞を獲得します。近年も2017年の「ジーサンズ はじめての強盗」で、打ち切られた年金を取り戻すべく老人3人組(仲間はマイケル・ケインとモーガン・フリーマン)で強盗を計画するというトボけたコメディで達者な所を見せます。2020年には「ミニオンズ・フィーバー」のワイルド・ナックルズ役で声優も務めますが、これが遺作となりました。
7月16日 ジェーン・バーキンさん 享年76歳英ロンドン出身。モデルとして活動していた1965年、リチャード・レスター監督の「ナック」の端役で映画デビュー。次いでミケランジェロ・アントニオーニ監督「欲望」にも出演、注目されます。66年、007シリーズでお馴染みの作曲家ジョン・バリーと結婚しますが2年後に離婚、フランスに渡り「太陽が知っている」でアラン・ドロンと共演、そしてセルジュ・ゲンズブールと知り合い、69年の「ガラスの墓標」で共演、結婚に至ります。二人がデュエットした歌「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」はあまりに卑猥だとして放送禁止になるなど、何かと世間を騒がせます。その後も数多くの映画に出演しました。91年の「美しき諍い女」では老画家の妻を好演しています。娘のシャルロット・ゲンズブールも女優になり活動中。今年公開の「ジェーンとシャルロット」はシャルロットが監督した、母ジェーンの内面に迫った長編ドキュメンタリーで、これがスクリーンでの最期の姿となりました。
9月25日 デヴィッド・マッカラム氏 享年90歳
テレビの「0011 ナポレオン・ソロ」のイリヤ・クリヤキン役で有名ですね。映画版でも同じ役を演じています。映画出演の歴史は古く、1950年代から端役で映画出演、いくつかの映画に出演しますがほとんど知られていませんでした。ようやく1963年のジョン・スタージェス監督「大脱走」で脱走の土処分を担当するアシュレー=ピット役で注目され、「0011 ナポレオン・ソロ」のイリヤ役でブレイクする事となります。65年の「偉大な生涯の物語」では裏切者ユダ役を演じています。その後も多くの映画に出演しましたがあまりパッとせず、結局は「0011ナポレオン・ソロ」のイリヤ役でのみ知られる俳優だったというのは気の毒でしたね。なお案外知られていませんが、「月の裏側」というストリングス演奏のレコードを“デヴィッド・マッカラム指揮オーケストラ”名義で発売しています。父親がヴァイオリニスト、母親がチェロリストで、自身はロンドンのロイヤル・アカデミーで音楽を学んだそうで、もしかしたら音楽家の道を歩んだ方が成功していたかも知れませんね。人間の運命とは分からないものです。
10月8日 バート・ヤング氏 享年83歳
映画デビューは71年の「生き残るヤツ」ですがあまり目立たず、その後もアクションものからハードボイルドまで多くの映画に出ますがパッとしないままでした。ようやく76年の「ロッキー」のエイドリアンの兄・ポーリー役を演じてからは名前が知られ、以後2007年の「ロッキーザ・ファイナル」まで「ロッキー」シリーズ全作にポーリー役で出演しています。その後もロバート・アルドリッチ監督「合衆国最後の日」、「クワイヤボーイズ」、サム・ペキンパー監督「コンボイ」、セルジオ・レオーネ監督「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」など、名だたる監督の映画に出演する他、多くの映画で助演者として活躍しています。しかしやはり代表作となると、「ロッキー」しか思い浮かびませんね。
10月14日 パイパー・ローリーさん 享年91歳
地方劇団の舞台に立っていた所を、ユニヴァーサル映画のスカウトに見出され1949年、17歳で「Louisa」(日本未公開)でデビュー。以後数本の映画に出演するかたわら、アクターズ・スタジオで演技を学び、61年のポール・ニューマン主演「ハスラー」で脚光を浴び、アカデミー主演女優賞にノミネートされます。その後引退していましたが、76年のブライアン・デ・パルマ監督「キャリー」のキャリーの母親役でカムバック、アカデミー助演女優賞にノミネートされます。以後も多くの映画に出演し、86年の「愛は静けさの中に」でも助演女優賞にノミネートされています。またテレビシリーズ「ツイン・ピークス」にも出演、見事ゴールデングローブ賞で助演女優賞を受賞しています。演技派の名優と言えるでしょうね。
10月24日 リチャード・ラウンドツリー氏 享年81歳 舞台俳優として活躍中、公演先のフィラデルフィアでゴードン・パークス監督に見出され、映画「黒いジャガー」(原題:Shaft)で主人公の私立探偵ジョン・シャフトを演じデビュー、シリーズ3作目まで主演を務め、テレビ映画版にも主演しました。その後も「大地震」(75)、「オフサイド7」(79)、「シティヒート」(84)などの映画に出演、その一方で77年にはテレビのミニ・シリーズ大作「ROOTS/ルーツ」にも出演、存在感を示しました。ただ、その後はマイナーな作品が多くなり、低迷が続きました。95年になってようやく、デヴィッド・フィンチャー監督の話題作「セブン」で地方検事役で出演、そして2000年、「黒いジャガー」のリメイク、「シャフト」に主人公シャフト(サミュエル・L・ジャクソン)の伯父役で出演、何とか盛り返したようです。遺作も2000年作品の続編「シャフト」(2019)で、今度はシャフト・シニアを演じました。結局、生涯を通して、「シャフト」(黒いジャガー)のイメージを抜けきれなかった、ある意味気の毒な人生でしたね。
12月8日 ライアン・オニール氏 享年82歳 1964年にスタートしたTVシリーズ「ペイトン・プレイス物語」で主演の一人を演じて人気者となり、映画界に進出します。主演作「ある愛の詩」(1970)は大ヒットしましたね。続いてピーター・ボグダノヴィッチ監督の傑作コメディ「おかしなおかしな大追跡」(1972)でも好演、そして翌年のこれもボグダノヴィッチ監督「ペーパー・ムーン」では娘のテイタム・オニールと共演し、映画も高い評価を得ました。75年にはスタンリー・キューブリック監督「バリー・リンドン」で主役のバリー・リンドン役を演じています。そして76年にはボグダノヴィッチ監督、テイタム共演と「ペーパー・ムーン」のトリオが再集結した「ニッケルオデオン」にも出演しましたが、あまり評判は良くなく、日本では製作から6年も遅れて公開されました。78年のウォルター・ヒル監督「ザ・ドライバー」では一転、寡黙でクールなドライバーを演じ、新境地を開拓しました。ただ78年の「続・ある愛の詩」は1作目の二番煎じであまり面白くなく、そのせいだけではないでしょうが、以後のオニール出演作はどれもこれも記憶に残らない凡作ばかりだったのにはがっかりしましたね。98年にはなんとラジー賞を獲ったワースト映画「アラン・スミシー・フィルム」に出演、オニールはワースト主演男優賞にノミネートされてしまいます。結局、1970年代がオニールにとって一番輝いていた時期だったと言えるのではないでしょうか。
12月27日 イ・ソンギュン 享年48歳
韓国の俳優で、2001年頃よりテレビドラマに出演、翌年より映画にも出演するようになります。当初はほとんどが日本未公開でしたが、2014年の日本でもリメイクされた「最後まで行く」に主演(日本版の岡田准一の役)、名前が知られるようになります。2019年の「パラサイト 半地下の家族」では高台のIT企業社長役を好演、2022年には「キングメーカー 大統領を作った男」に出演する等、着実に実績を重ねて来ましたが、その後麻薬スキャンダルにより警察の取り調べを受け、その捜査中の12月27日、公園で遺体で発見されました。自殺と見られているようです。まだ若いのに、残念ですね。
さて、日本の俳優に移ります。
1月15日 三谷 昇氏 享年90歳
数多くの映画で、脇役一筋に演じて来られました。最初に注目したのは、70年の黒澤明監督「どですかでん」です。子供を食中毒で死なせてしまう浮浪者役でした。でも私が一番気に入っているのが深作欣二監督の「現代やくざ 人斬り与太」、「人斬り与太 狂犬三兄弟」の2本。最初の方では剃刀を凶器に使う不気味な男、後者では文太の仲間となり、敵に捕まり凄惨なリンチを受けて死んで行く男をそれぞれ熱演。死に際に文太に、「おもろかったでぇ」と呟いて息を引き取るシーンは強烈に印象に残っています。どんな映画でもキラリと光る、名優でしたね。
3月22日 団 時朗氏 享年74歳
'60年代、資生堂の男性化粧品のCMでダンディな姿を見せて注目されます。68年、日活映画「わが命の唄 艶歌」に出演、役名の団次郎をそのまま芸名にしました。その後71年に始まるテレビ特撮ドラマ「帰ってきたウルトラマン」の主人公・郷秀樹役で人気者になり、以後も「ウルトラマンA」、「ウルトラマンタロウ」から2007年の「ウルトラマンメビウス」、映画でも2012年の「ウルトラマンサーガ」に至るまで、なんと41年間も「ウルトラマン」シリーズに出演し続けました。役名もすべて郷秀樹。おかげで他にも多くのテレビ、映画に出演してるのに、他の出演作品がほとんど思い浮かびません。これは本人にとって良かったのかどうか、複雑な気がしますね。
3月23日 奈良岡朋子さん 享年93歳
劇団民藝の代表的な存在として、数多くの舞台に出演した他、テレビ、映画でも活躍されました。1960年代には吉永小百合主演の「美しい暦」、「波浮の港」等、主に日活映画で助演をしています。
そんな中でも強い印象を残したのは、65年の山本薩夫監督「証人の椅子」ですね。徳島ラジオ商殺し事件の犯人として逮捕されますが、冤罪ではないかとの疑問が出て来るが疑いは晴れず、絶望して上告を取り下げるという難しい役を巧演しています。これで毎日映画コンクールの助演女優賞を受賞しています。その後も多くの映画に、舞台の合間を縫って出演を続けます。近年では2001年の高倉健主演の「ホタル」で特攻隊員を見送る食堂の女主人を演じ、ブルーリボン助演女優賞を受賞しています。昨年の「土を喰らう十二ヵ月」でも短いながら渋い存在感を示し、これが遺作となりました。
3月24日 柳澤愼一氏 享年89歳 当初の表記は柳沢真一。戦後、進駐軍キャンプを巡ってジャズを歌い、後にレコードを出すなど歌手として活躍していましたが、その後日本の喜劇王と呼ばれた榎本健一に認められて喜劇の道に進み、俳優としても活動を始めます。エノケン主演の「落語長屋お化け騒動」(1954)で映画デビュー、以後もコメディ映画、日活の「お転婆三人姉妹 踊る太陽」(1957)、「鷲と鷹」、「赤い波止場」等の石原裕次郎主演作、青春映画、人情ドラマ等、多くの作品で脇役として味のある演技を披露し、計107本もの映画に出演しました。その他声優としての活躍もあります。近年でも犬童一心監督「メゾン・ド・ヒミコ」(2005)、三谷幸喜監督「ザ・マジックアワー」(2008)で元気な姿を見せていました。2019年公開の主演映画「兄消える」が遺作となりました。
9月13日 二世市川猿翁氏 享年83歳
三代目市川猿之助として、歌舞伎のみならず映画にも多く出演しています。母は映画女優の高杉早苗、元妻も女優の浜木綿子と芸能一家。映画初出演は57年の「大忠臣蔵」。当時は市川団子名義で、大石主税を演じました。その後62年の「義士始末記」、同年の東宝の「忠臣蔵 花の巻 雪の巻」と、都合3回大石主税を演じています。その他の映画に、木下惠介監督「楢山節考」、稲垣浩監督「大坂城物語」があります。63年の大庭秀雄監督「残菊物語」を最後に映画出演はありませんが、2010年の歌舞伎座ドキュメンタリー「わが心の歌舞伎座」に顔を見せています。
9月20日 ヨネヤマママコさん 享年88歳
日本を代表するパントマイムの名人として有名ですね。映画にも60年代に「拳銃を磨く男 深夜の死角」、「お姐ちゃんはツイてるぜ」等に出演、80年にはさだまさし主演「翔べイカロスの翼」で本人役で出演、その他の出演作に角川映画「里見八犬伝」(1983)、「Beautiful Sunday」(1998)等があります。2021年にはホラー・サスペンス「キャラクター」に出演しましたが、これが最後の映画出演となりました。
10月14日 財津一郎氏 享年89歳
吉本新喜劇で活躍し、藤田まこと主演のテレビコメディ「てなもんや三度笠」に浪人・蛇口一角役で怪演し、人気者になります。俳優としてもテレビ、映画に数多く出演、コミカルなものからシリアスな作品まで幅広く活躍しました。映画で記憶に残っているのは、「続・男はつらいよ」での盲腸の入院患者役で、寅さんが笑わせようとするのを必死で我慢するシーンが最高に可笑しい。また81年の東宝「連合艦隊」の、火に包まれた戦艦の中で大火傷しながら必死にバルブを締める小田切兵曹長役は渾身の熱演でした。86年の新藤兼人監督「落葉樹」での寡黙な父親役も好演でした。追悼記事では「てなもんや」の事とかサビシィ~とかチョーダイ等のギャグの事ばかり取り上げたものが多いですが、演技者としての活躍ももっと書いて欲しいと思いましたね。
10月26日 犬塚 弘氏 享年94歳 ご存じ、クレージーキャッツの一員としてテレビのコント番組、映画でも植木等主演作やクレージーキャッツ総出演映画等で活躍しましたが、単独でも多くの映画に出演しています。65年には松竹映画「素敵な今晩わ」(野村芳太郎監督)で堂々主演を果たしています(岩下志麻と共演)。大映でも「ほんだら剣法」、「ほんだら捕物帖」で主演し、その他にも多くの映画で渋い好演を見せ、映画出演本数は植木等、ハナ肇、谷啓らに比べてもダントツに多いですね。中でも山田洋次監督の出世作「馬鹿まるだし」(1964)以来、数多くの山田監督作品に出演して記憶に残る名演技を見せています。中でも1968年の「吹けば飛ぶよな男だが」における、主人公(なべおさみ)を温かく見守り、なべの不始末で指を詰めるヤクザ役は絶品とも呼べる好演でした。その他「男はつらいよ」シリーズにも6本程出演、シリーズ最後の作品「男はつらいよ 寅次郎紅の花」のタクシー運転手役も記憶に残っています。クレージーの一員のコメディアンとしてよりも、こうした名バイプレイヤーとしての犬塚さんの活躍も忘れないでいて欲しいと思います。
最後の映画出演は、大林宣彦監督の「海辺の映画館 キネマの玉手箱」(2019)における、“映画館で幸せそうに居眠りする客”の役でした。これでクレージーのメンバーは全員鬼籍に入られたと思うと、とても寂しいですね。
11月4日 花ノ本 寿氏 享年84歳父は14世花ノ本流宗家の花ノ本葵、妻は花ノ本流初代家元の花ノ本以知子と日本舞踊の名家に育ち、本人も日本舞踊家として活躍していましたが、松竹会長の大谷竹次郎の誘いにより、58年「七人若衆誕生」で映画デビュー、その後も多くの映画に出演しています。個人的に印象深いのは、鈴木清順監督の任侠映画の傑作「刺青一代」での高橋英樹の弟役ですね。卑怯なヤクザを殺して追われ、満州に逃げようとしますが渡航費用を詐取されて動けず、花ノ本は追って来たヤクザに殺され、ついに高橋が弟の仇の為立ち上がるという話ですが、死に際に兄に「兄さん、満州へ行こう…」と言いつつこと切れるシーンは泣けます。その他では若松孝二監督のピンク映画、武智鉄二監督の「黒い雪」や「源氏物語」などの異色作にも出演しています。70年代には実相寺昭雄の「無常」、「あさき夢みし」に出演しました。日本舞踊家として活動する傍ら、ピンク映画や「黒い雪」といった世間のヒンシュクを買う作品や、エロティックな作品にも進んで出演しているのがユニークですね。
11月19日 鈴木瑞穂氏 享年96歳
数々の映画・ドラマ・舞台で活躍した名優ですね。52年、宇野重吉、滝沢修らと劇団民藝の設立に参加、映画にも社会派からサスペンスドラマ、青春ものまで多くの映画に出演しました。熊井啓監督作(「帝銀事件 死刑囚」、「日本列島」、「地の群れ」)や山本薩夫監督作(「白い巨塔」、「天狗党」、「華麗なる一族」)など社会派監督作品の常連でもあります。その一方で深作欣二監督「仁義なき戦い」や「県警対組織暴力」、SFパニック映画「日本沈没」や「ノストラダムスの大予言」にも出演する等、実に幅広く活躍しています。刑事役や軍人役が似合ってましたね。
12月16日 薩摩剣八郎氏 享年76歳
日活映画出演を経て三船プロダクションに移籍、いくつかの三船敏郎主演作に出演した後、71年、「ゴジラ対ヘドラ」のヘドラ役で初めてスーツアクターを務めます。以後数本の「ゴジラ」作品でスーツアクターを務めた後、初代スーツアクターの中島春雄さん(2017年死去)の後を継ぎ、1984年の「ゴジラ」以降、2代目のゴジラ・スーツアクターを務め、95年公開の第22作「ゴジラVSデストロイア」までの「平成ゴジラ」シリーズで活躍しました。また85年、北朝鮮が作った怪獣映画「プルガサリ 伝説の大怪獣」でもスーツアクターを務めました。その他にも東宝戦記もの、特撮映画に俳優として参加しています。99年には石井輝男監督「地獄」で青鬼役を演じています。
さて、ここからは映画監督の部です。まず外国勢から。
2月10日 カルロス・サウラ氏 享年91歳
スペインの代表的映画監督で、75年の「カラスの飼育」は、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞しています。代表作に「血の婚礼」(81)、「カルメン」(83)、「恋は魔術師」(86)などがあり、これらはは「フラメンコ三部作」と呼ばれています。「カルメン」は第36回カンヌ国際映画祭で芸術貢献賞を受賞し、スペインで最も偉大な映画監督の一人と言われています。
2月10日 ヒュー・ハドソン氏 享年86歳
ロンドン出身のイギリスの監督で、81年の初監督作品「炎のランナー」でいきなりアカデミー賞の作品賞や作曲賞など4部門を受賞、世界的にも大ヒットしました。続く「グレイストーク -ターザンの伝説-」も、ターザンを初めて原作に忠実に映画化した作品として評判になりました。その他の作品に「レボリューション・めぐり逢い」(85)等があります。
2月16日 ミシェル・ドヴィル氏 享年91歳
フランスの映画監督で、58年に監督としてデビュー、いくつかの作品がありますが、代表作に「モナリザの恋人」(65)、「めざめ」(68)、「ポーラの涙」(69)、ブリジット・バルドー主演「気まぐれに愛して」(70)などがあります。どちらかと言えばコミカルな作品、艶笑喜劇が多いですね。そんな中、85年の「ゲームの殺人」はミシェル・ピッコリ主演の渋いサスペンス・ミステリーでした。これで第11回セザール賞最優秀監督賞を受賞しています。また88年の「読書する女」はミュウ=ミュウ主演のちょっと変わった人間喜劇。こちらはモントリオール世界映画祭で最優秀作品賞を受賞しています。実力のある名匠なのに、日本ではあまり評価されていないのは残念ですね。
3月8日 バート・I・ゴードン氏 享年100歳 テレビ・コマーシャルの監督から映画界に転じ、1954年に映画監督デビュー。55年の「King Dinosaur」は、有史前の地球と類似した惑星を訪れた調査隊に巨大イグアナなどが襲いかかるという、今年公開の「65 シックスティ・ファイブ」とそっくりなお話。これ以降、ゴードン監督作品は、“巨大な生物(又は人間)が襲って来る”作品がほとんどを占める事となります。57年にはB級映画専門のAIP(アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ)に入社、ここを拠点に、放射能で巨大になった人間が暴れる「戦慄!プルトニウム人間」、続編「巨人獣」、蜘蛛が巨大化する「吸血原子蜘蛛」、生物が巨大化する「巨大生物の島」、「巨大蟻の帝国」等を作り続けます。巨大化させるのがよっぽど好きなんでしょうね。逆に58年の「人間人形の逆襲」では人間が縮小されます。こういう面白い監督、大好きですね(笑)。
8月7日 ウィリアム・フリードキン氏 享年87歳
60年代からドキュメンタリー映画を作り始め、67年、「ソニーとシェールのグッド・タイムス」で映画監督デビュー。70年の「真夜中のパーティー」で注目されます。そして71年の「フレンチ・コネクション」が興行的、批評的にも大成功、アカデミー賞では作品賞を含む5部門に輝き、自身も監督賞を受賞します。73年の「エクソシスト」も大ヒット、着々と一流監督の道を歩みます。その頃、ピーター・ボグダノヴィッチ、フランシス・F・コッポラと組んで「ディレクターズ・カンパニー」を設立、自分たちが作りたい映画製作を目指します。ところが77年の「恐怖の報酬」は公開時に北米以外で30分カットされた事もあってか興行的・批評的にも不評、以後も映画は作り続けますが、以前のようには製作費もかけられなくなり、話題を呼ぶような作品はありません。85年の「L.A.大捜査線/狼たちの街」はまあまあ面白かったですが。「恐怖の報酬」は2011年にフリードキン監督が権利を取り戻し、カットされた部分を復活させた121分のオリジナル完全版を2013年に公開、再評価される事となったのはめでたいですね。そして2023年、最後の監督作「The Caine Mutiny Court-Martial」の完成後、公開を待たずに逝去されました。それにしても、昨年のピーター・ボグダノヴィッチに続き、ディレクターズ・カンパニーの監督2人が相次いで亡くなったわけですね。寂しいです。
9月6日 ジュリアーノ・モンタルド氏 享年93歳
イタリアの映画監督で、1969年のジョン・カサヴェテス主演の「明日よさらば」がなかなか渋いフィルム・ノワールの佳作でした。同じ69年の「盗みのプロ部隊」も、エドワード・G・ロビンソン、ジャネット・リー主演のちょと面白い泥棒犯罪映画。そして71年の「死刑台のメロディ」は一転、実際に起きた冤罪事件をテーマにした社会派の力作でした。エンニオ・モリコーネ作曲のジョーン・バエズが歌う主題歌も素晴らしかったですね。もっとも、これら以外は日本未公開作品も多く、見る機会がないのが残念ですね。
それにしても、訃報が新聞でもネットでもほとんど報じられず、wikipediaにも名前が挙がっていないのは余りにも理不尽、もっと評価されるべき監督なんですがね。
11月14日 エリオット・シルヴァースタイン氏 享年96歳
アメリカの映画監督で、62年頃からテレビドラマの演出を担当しており、65年、ジェーン・フォンダ、リー・マーヴィン主演の西部劇「キャット・バルー」で映画監督デビューを果たします。リー・マーヴィンがこれでアカデミー主演男優賞を受賞する等、デビュー作としては上々でした。66年にはアンソニー・クイン主演の「真昼の衝動」を監督、これもまずまず手堅い出来でした。なおフェイ・ダナウェイが本作で映画デビューしております。そして69年、インディアン社会に入り込んだ白人の数奇な半生を描いた異色の西部劇「馬と呼ばれた男」を監督、リチャード・ハリスの好演もあってこれも評価されました。77年には意志を持った車が次々無差別に殺人を繰り返すという変種のオカルト映画「ザ・カー」を監督、スピルバーグの「激突!」のオカルト版とでも言うべきでしょうか。悪くはなかったですが、これ以降なぜか監督作が途絶え、やがて90年代、テレビで「ハリウッド・ナイトメア」シリーズを監督するようになります。初期の3本が面白かっただけに、どうして映画を撮らなくなったのでしょうか。謎です。
日本の監督に移ります。
1月2日 龍村 仁氏 享年82歳
京都大卒業後、NHKに入局。73年3月、当時矢沢永吉などが所属していたロックバンド・キャロルに密着したドキュメンタリー番組を企画・製作しますが、完成した作品にNHKの上層部が難色を示し、再編集した上で音楽番組として放送されてしまいます。これに怒った龍村さんは同じくNHK職員だった小野耕世さんと共に、龍村さんが監督したドキュメンタリー映画「キャロル」を製作、74年にATGで公開されました。これが就業規則違反という事で二人はNHKを解雇されます。その後龍村さんはドキュメンタリー映像作家として「シルクロード幻視行」、「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」シリーズ等を監督しました。
1月22日 小沼 勝氏 享年85歳
日活に助監督として入社後、71年、ロマンポルノ「花芯の誘い」で監督デビューし、以後多くのロマンポルノを監督します。代表作は「ラブハンター 熱い肌」「昼下りの情事 古都曼陀羅」「花と蛇」「修道女ルナの告白」「性と愛のコリーダ」「夢野久作の少女地獄」「さすらいの恋人 -眩暈-」「時には娼婦のように」など多数。2000年には村上もとかの漫画の映画化「NAGISA なぎさ」を監督。爽やかな青春映画の佳作で、これで第51回ベルリン国際映画祭・児童映画部門のグランプリを獲得しました。2002年には「女はバス停で服を着替えた」を監督していますが、これが最後の監督作となりました。
3月25日 黒土三男氏 享年76歳
大学卒業後、木下惠介プロダクションの助監督となり、その後フリーの脚本家として活躍します。88年には長渕剛主演のテレビドラマ「とんぼ」、「うさぎの休日」で向田邦子賞を受賞しています。その長渕剛を主演にした「オルゴール」(89)で映画監督としてデビュー。91年には萩原健一主演で「渋滞」を監督します。99年にはまたも長渕剛主演の「英二」を監督しますが、内容を巡り長渕と対立、以後長渕との交流はなくなります。2005年には市川染五郎(当時)主演の「蟬しぐれ」を監督、これはまずまずの佳作でした。2018年には小林稔侍主演の「星めぐりの町」を監督しますが、これが遺作になりました。
6月11日 中島貞夫氏 享年88歳 尊敬する大好きな監督でした。東大在学中に倉本聰・村木良彦らとギリシア悲劇研究会を設立しています。大学卒業後、東映に入社、京都撮影所に配属されます。助監督時代はマキノ雅弘、沢島忠、山下耕作らの助監督に就きます。有名な話ですが、山下耕作監督の「関の彌太ッペ」のセカンドに就いた時は、チーフの鈴木則文と共に脚本を練り直したり、画面に登場する花を探したりと山下監督を側面からバックアップ、映画を股旅映画史上の傑作に押し上げました。64年、「くノ一忍法」で監督デビュー、以後多くの時代劇、任侠映画、を手掛けます。最初の代表作は66年の「893愚連隊」。自ら企画し脚本を書いた、チンピラ達の逞しい青春群像を描く秀作です。これで日本映画監督協会新人賞を受賞します。ポルノがかった低予算B級映画も撮れば、「日本暗殺秘録」の様な骨太の作品もあり、「まむしの兄弟」シリーズや「現代やくざ 血桜三兄弟」の様な、正統任侠映画からは少しはみ出したような異色のヤクザ映画もあったり、はたまたATGで「鉄砲玉の美学」を作ったりと、まさに自由奔放にいろんな娯楽映画を作り続けました。76年の「狂った野獣」も好きな作品ですね。
98年の「極道の妻たち 決着」を最後に監督業は休業、大阪芸術大学などで教鞭を撮ったり、KBS京都テレビで長い間、映画の前後で解説する「中島貞夫の邦画指定席」にも出演していました。中島さんの解説が面白くて毎週楽しみにしていました。そして2019年、久しぶりの監督作「多十郎殉愛記」を監督、衰えぬ演出ぶりを見せましたが、これが最後の作品となりました。
長い間、楽しい娯楽映画を作り続け、大阪芸大では映画監督を目指す人たちを育成し、京都映画祭の総合プロデューサーも務める等、映画界の発展に多大な貢献を果たした、本当に素晴らしい方でした。謹んでお悔み申し上げます。
6月29日 仲倉重郎氏 享年81歳
大学卒業後、、松竹大船撮影所に助監督として入社。野村芳太郎、加藤泰、斎藤耕一監督の助監督に就くかたわら、脚本も書き始めます。斎藤監督の「再会」、「憧憬」では脚本と助監督を担当します。そして加藤泰監督の「江戸川乱歩の 陰獣」(77)、「ざ・鬼太鼓座」(81)の脚本を書き、脚本家として一本立ちします。そして83年の「きつね」で映画監督デビューします。91年にはNHK大河ドラマ「太平記」の脚本を手掛けます。ところが99年頃、病気による脊髄損傷で車椅子生活を送る事になりますが、それにも負けず多くのテレビドラマの脚本を書きます。2014年には映画「マンゴーと赤い車椅子」を監督・脚本兼任で映画化します。ある日突然車椅子生活を余儀なくされたヒロインの葛藤と心の再生を描いたヒューマン・ドラマで、自身の車椅子生活もドラマに生かされているようです。脊髄損傷の車椅子生活でも監督というハードな仕事をされるなんて、頭が下がりますね。
9月22日 深尾道典氏 享年87歳
この方も東映京都撮影所で長く助監督を務めていましたが、68年、大島渚監督の「絞死刑」の脚本作りに参加、映画は秀作となり、他の脚本家と共にキネマ旬報脚本賞を受賞しました。いくつかの東映作品の脚本を書き、73年「女医の愛欲日記」で監督に昇進、監督作は次の「好色源平絵巻」の2本しかありません。脚本作は他に「女子大生失踪事件 熟れた匂い」、「史上最大のヒモ 濡れた砂丘」があります。著作の「山手線目赤駅 : 深尾道典シナリオ&エッセイ」には未発表のシナリオが掲載されています。それにしても、「絞死刑」の脚本家と、こうしたB、C級ポルノ作品と、凄いギャップがあり過ぎて、何とも不思議な方ですね。
10月9日 鶴橋康夫氏 享年83歳
1962年、讀賣テレビ放送(現・読売テレビ)入社、ドラマ演出を手掛けるようになります。社会派ドラマの名手として、多くの作品で芸術祭賞優秀賞、文化庁芸術作品賞、ギャラクシー賞等を受賞し、「芸術祭男」の異名を取ります。2007年には「愛の流刑地」で映画監督としてもデビュー、以後も「源氏物語 千年の謎」(2011)、「後妻業の女」(2016)、「のみとり侍」(2018)と都合4本の映画を監督しますが、テレビと比べてどれも今一つの出来でした。勝手が違うんでしょうかね。
さて、ここからはその他の方々です。
1月17日 エドワード・R・プレスマン氏 (映画プロデューサー) 享年79歳
プロデューサーとして、まだ20歳代の70年頃から活躍を始めます。そして72年、ブライアン・デ・パルマの出世作「悪魔のシスター」をプロデュース、74年にはまたまたデ・パルマ監督の「ファントム・オブ・パラダイス」を製作、これでプロデューサーのプレスマン、監督のデ・パルマも共に一躍名を上げます。その後の代表作はアーノルド・シュワルツェネッガーを主演に抜擢した「コナン・ザ・グレート」、「キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2」、サム・ライミ監督の出世作「XYZマーダーズ」といった具合に、若手・新人にチャンスを与えて後にブレイクさせるのが得意なようです。そして87年には、タヴィアーニ兄弟監督の「グッドモーニング・バビロン!」を製作、キネマ旬報ベストワン他多くの賞を受賞する名作となりました。以後もオリバー・ストーン監督「ウォール街」、同監督「トーク・レディオ」、キャスリーン・ビグロー監督のこれも出世作「ブルースチール」、91年にはなんと日本人の吉田博昭を監督に起用した「アイアン・メイズ/ピッツバーグの幻想」を製作しました。こうやって並べてみると、若手監督を育てるのが本当にうまい事が良く分かります。阿部秀司さんと同様、こういう方こそ本当のプロデューサーと呼べると私は思いますね。
2月4日 河原畑寧氏 (映画評論家) 享年88歳
読売新聞社の文化部記者として、早くから新聞に映画評を載せ、キネマ旬報等にも映画評を書いたり、キネ旬ベストテンの選考委員なども務めていました。私がおおっと思ったのは、例えば69年度ベストテンに「待っていた極道」、70年度には「女子学園・悪い遊び」、「反逆のメロディー」、71年度には「八月の濡れた砂」、「博奕打ち いのち札」など、我々映画ファンが支持した日活ニューアクション、東映任侠映画、洋画では「小さな恋のメロディ」、「おもいでの夏」など、いずれも総合ベストテンではランク外(「八月の-」のみ10位入選)になったけど映画ファンが喜ぶ作品を積極的に選んでいた点です。72年度なんか3位「人斬り与太 狂犬三兄弟」、4位「女囚701号 さそり」、5位「濡れた唇」(神代辰巳)ですよ!メジャーな新聞社の記者なのに、選ぶ作品は我々のような映画ファンにとても近いなあと親近感を持っていました。キネ旬決算号のバックナンバーをお持ちの方は是非河原畑さんのベストテンを覗いてみてください。その後も映画評論家として旺盛な活動を続けて来られました。河原畑さん、いつも映画ファン目線でベストテン選んでいただいて、本当にありがとうございました。
2月8日 バート・バカラック氏 (作曲家) 享年94歳
誰もが知ってる、名作曲家ですね。映画音楽でも活躍し、ウディ・アレン脚本の「何かいいことないか子猫チャン」(65)でトム・ジョーンズ歌う主題歌がヒット、67年の「007 カジノロワイヤル」でもダスティ・スプリングフィールドが歌った主題歌「恋の面影」がまたヒット、アカデミー主題歌賞にノミネートされます。そして69年、「明日に向って撃て!」の音楽を担当、アカデミー音楽賞を受賞した他、B・J・トーマスが歌う主題歌「雨にぬれても」もアカデミー主題歌賞を受賞、これまた大ヒットしましたね。その後も多くの映画で音楽を担当しています。
2月11日 手塚 治氏 (東映元社長) 享年62歳
漫画家の手塚治虫氏と同じ読み方(てづかおさむ)ですが、あやかった訳ではないそうです。1983年に東映入社。しかし映画部門ではなく、希望してテレビ制作部に配属されます。そしてフジテレビの大ヒット・シリーズ「スケバン刑事」を担当します。私当時この「スケバン刑事」のファンだったので、スタッフ・クレジットに「手塚治」の名前を見てあれっと思ったのを覚えています。テレビドラマでは他に「花のあすか組!」、「京都迷宮案内」、「大奥」、そして現在も続く人気シリーズ「科捜研の女」等をプロデュースします。その後順調に出世、執行役員(テレビ第一営業部長委嘱)を経て常務取締役(テレビ事業部門担当)、2020年には東映の社長に就任します。大出世ですね。しかしガンを患い、社長就任からわずか3年足らずで他界されました。残念ですね。それにしても、東映の社長と言えば岡田茂氏や高岩淡氏をはじめ、映画を数多くプロデュースした方ばかりだったのに、テレビ部門の実績だけで社長になられた方なんて初めてじゃないでしょうか。
2月20日 山根貞男氏 (映画評論家) 享年83歳 大学卒業後、「日本読書新聞」などの編集者を経て映画評論家になります。65年公開の加藤泰監督「明治侠客伝 三代目襲名」に強い衝撃を受け、70年、加藤泰作品・評論を纏めた「遊侠一匹 加藤泰の世界」(幻燈社)を編著します。これは加藤泰ファンのバイブル的書物で、私も持っています。72年には同人誌「加藤泰研究」(北冬書房)に評論を発表したり、加藤泰評論の第一人者となります。個人的な事ですが、私を含めた関西映画ファンのオールナイト上映会で、ぶっ通しで加藤泰作品10本連続上映会を行い、その時に山根さんがわざわざ東京から駆け付けていただき、司会もやっていただいた事がとてもいい思い出です。86年からはキネマ旬報誌上での「日本映画時評」を亡くなるまで継続して執筆しておられました。著書も「映画狩リ」(1980年)、「活劇の行方」(1984年)、「東映任侠映画 120本斬り」(2021年)など多数。また22年かけて編集した労作「日本映画作品大事典」が一昨年刊行され、この業績で日本映画ペンクラブ賞を受けました。散逸したフィルムの収集にも熱心に取り組まれるなど、映画界に果たした貢献は計り知れないものがあります。本当にお疲れさまでした。
2月24日 ウォルター・ミリッシュ氏 (プロデューサー) 享年101歳
伝説的な名プロデューサーですね。既に1940年代から主に西部劇を中心に映画製作を行い、56年にはクレジットはないですが、ドン・シーゲル監督の隠れた名作「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」、「暴力の季節」をプロデュースしています。多くは低予算B級映画でしたが、やがて自身の製作会社、ミリッシュ・コーポレーションを立ち上げ積極的に活動を開始、60年、黒澤明監督の「七人の侍」を西部劇に翻案した「荒野の七人」を製作、これが大ヒットしてプロデューサーとしてのミリッシュも名を上げます。61年にはブロードウェイ・ミュージカル「ウエスト・サイド物語」を製作、これまた大ヒット、日本でも長期ロングラン上映となります。さらに63年には「荒野の七人」と同じジョン・スタージェス監督、スティーヴ・マックィーン主演で「大脱走」を製作、これも大ヒットします。67年にはノーマン・ジュイソン監督「夜の大捜査線」を製作、見事アカデミー賞作品賞、主演男優賞(ロッド・スタイガー)他主要部門を受賞します。その後も「華麗なる賭け」(68)、「屋根の上のバイオリン弾き」(71)、「ミッドウェイ」(76)等、話題作、ヒット作を続々製作、ミリッシュ・コーポレーションはアメリカを代表する映画プロダクションとなります。その功績から、第34回ゴールデングローブ賞のセシル・B・デミル賞(1977年)、第50回アカデミー賞でアービング・G・タルバーグ賞(1978年)、第55回アカデミー賞でジーン・ハーショルト友愛賞(1982年)をそれぞれ受賞しました。晩年になっても製作意欲は衰えず、98年にはテレビドラマ「荒野の七人」を製作、そして2016年には久しぶりの映画作品「マグニフィセント・セブン」(「荒野の七人」のリメイク)を製作しました。自身の出世作とも言える「荒野の七人」を最後にリメイクして、心置きなくあの世に旅立たれた事でしょう。お疲れさまでした。
4月12日 竹山 洋氏 (脚本家) 享年76歳
大河ドラマ「秀吉」や「利家とまつ」などの脚本で知られていますが、映画の脚本も多く書いています。初期の頃はなんと日活ロマンポルノ「朝はダメよ!」「看護婦日記 わいせつなカルテ」等を書いています。その後はテレビドラマで活躍、映画では94年の「四十七人の刺客」、「かあちゃん」(2001)の2本の市川崑監督作、高倉健主演「ホタル」(降旗康男監督)、2002年の三池崇史監督「SABU さぶ」等があります。
4月26日 福間健二氏 (詩人、映画監督) 享年74歳
詩人、翻訳家、小説家、映画評論家、映画監督、俳優、映画関係本編集と多彩な顔を持つユニークな方です。中学時代から映画に夢中になり、高校3年から若松プロに出入りして、若松孝二監督のピンク映画「性犯罪」、「腹貸し女」、同プロの足立正生監督「女学生ゲリラ」等に出演しています。大学在学中に自主映画「青春伝説序論」を監督する等、映画青年ぶりを発揮していました。その後は詩人、現代詩研究、映画評論等の分野で活躍されます。1992年には石井輝男監督にインタビューした「石井輝男 映画魂」を出版。95年には石井監督の映画「無頼平野」に出演しています。同じ95年、「急にたどりついてしまう」を製作・脚本・監督し、映画監督としても活動を始めます。その後も「岡山の娘」(2008)、「わたしたちの夏」(2011)、「あるいは佐々木ユキ」(2013)」、「秋の理由」(2016)とコンスタントに監督作品を発表します。ほとんどの作品で脚本も書いています。2019年の監督作「パラダイス・ロスト」は「岬の兄妹」の和田光沙が主演する意欲作でした。萩原朔太郎賞なども受賞している詩人なのに、映画に積極的に関わるなんて、本当に映画が大好きなんでしょうね。最後の監督作は亡くなった後に公開された「きのう生まれたわけじゃない」(2023)。監督の他に原案・脚本・音楽・出演も兼任した、集大成的な作品でした。
6月2日 高山由紀子さん (脚本家、映画監督) 享年83歳
主婦をしながらシナリオを学び、75年に映画「メカゴジラの逆襲」で脚本家デビューします。ゴジラ映画がデビュー作とは面白いですね。その後「月山」(79)、「遠野物語」(82)と村野鐵太郎監督作品の脚本を書き、また小説「国東物語」を執筆、これも自身で脚色、村野鐵太郎監督によって映画化されました。91年の「上方苦界草紙」も村野監督作品。村野鐵太郎監督とのコンビが多いですね。96年には「風のかたみ」で映画監督としてもデビュー、以後も「娘道成寺 蛇炎の恋」(2004)で監督を務めます。2011年にはこれも原作を書いた「源氏物語 千年の謎」を自身で脚色、映画化されました(監督:鶴橋康夫)。その後は脚本作品はないようです。
8月19日 山本二三氏 (アニメーション美術監督) 享年70歳
宮崎駿監督が演出したNHKのテレビアニメ「未来少年コナン」で美術監督を務め、以後も宮崎駿や高畑勲監督らのジブリアニメで美術監督を担当します。手掛けた作品はテレビアニメ「名探偵ホームズ」シリーズ(宮崎駿演出・監督)、「天空の城ラピュタ」(宮崎駿)、「火垂るの墓」(高畑勲)、「もののけ姫」(宮崎駿)など多数。自然の風景等に才能を発揮しました。2006年の細田守監督「時をかける少女」にも参加しています。それにしても70歳とは。早過ぎますね。
11月29日 山田太一氏 (脚本家) 享年89歳
「岸辺のアルバム」や「ふぞろいの林檎たち」などの名作テレビドラマの脚本を書かれた名脚本家ですね。映画では山田洋次監督「キネマの天地」(86)、篠田正浩監督「少年時代」(90)があります。小説家としても「異人たちとの夏」を発表、大林宣彦監督によって映画化されました(脚色は市川森一)。これは泣ける名作ですね。またこれは2023年、イギリス映画「異人たち」としてリメイクされました。公開は2024年の予定です。映画の脚本は上記2本だけだったので、もっと映画の脚本を書いて欲しかったと個人的に思っています。
12月11日 阿部秀司氏 (プロデューサー) 享年74歳
追悼記事掲載済。
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残念に思うのは、一部の映画監督(ジュリアーノ・モンタルド、エリオット・シルヴァースタイン等)や名作を残したプロデューサーの方々について、新聞にまったく訃報が掲載されなかったり、ごく小さな扱いだった事です。私が年末にこのような追悼特集をやってるのも、そうした不当な扱いに異議を申し立てたい気持ちがあるからです。改めて偉大な業績のあった方々を偲んでいただければ幸いです。
その他にも惜しい方々が亡くなられていますが、本稿では映画関係に絞って取り上げましたので割愛させていただきました。以下お名前だけ挙げさせていただきます。(敬称略)
1月10日 ジェフ・ベック (ロック・ギタリスト) 享年78歳
1月11日 高橋幸宏 (ミュージシャン、元YMOドラマー) 享年70歳
1月12日 リサ・マリー・プレスリー、(歌手、エルヴィスの娘) 享年54歳
1月24日 門田博光 (元プロ野球選手 南海ホークス、他) 享年74歳
2月 5日 辻村寿三郎 (人形作家 「新八犬伝」他) 享年89歳
2月13日 松本零士 (漫画家) 享年85歳
3月 3日 大江健三郎 (小説家) 享年88歳
3月 6日 秋 竜山 (漫画家) 享年80歳
3月 9日 扇 千景 (元宝塚女優、参院議長) 享年89歳
3月12日 ロベルト・バルボン (元プロ野球選手 阪急ブレーブス) 享年89歳
3月28日 坂本龍一 (作曲家、ピアニスト) 享年71歳
5月 4日 原 尞 (推理作家、直木賞受賞) 享年76歳
5月11日 ケネス・アンガー (アングラ映像作家) 享年96歳
5月11日 中西 太 (元プロ野球選手、西鉄ライオンズ他) 享年90歳
5月19日 上岡龍太郎 (元漫画トリオ、タレント、司会者) 享年81歳
5月24日 ティナ・ターナー(アメリカのロック、ソウル歌手) 享年83歳
6月 5日 アストラッド・ジルベルト (ブラジルのボサノバ歌手) 享年83歳
6月12日 杉下 茂 (元プロ野球選手 中日ドラゴンズ他) 享年97歳
6月16日 北別府 学 (元プロ野球選手 広島東洋カープ) 享年65歳
7月 1日 九里一平 (漫画家、元タツノコプロ社長) 享年83歳
7月18日 横田慎太郎 (元プロ野球選手、阪神タイガース) 享年28歳
7月21日 トニー・ベネット (アメリカの歌手 「霧のサンフランシスコ」) 享年96歳
7月21日 那智わたる (元宝塚歌劇トップスター) 享年87歳
7月24日 森村誠一 (小説家、作家 「悪魔の飽食」) 享年90歳
9月22日 遠山 一 (歌手、「ダークダックス」メンバー) 享年93歳
11月20日 おかだ えみこ (アニメーション研究家) 享年89歳
11月28日 豊田有恒 (SF作家、アニメ脚本「エイトマン」) 享年85歳
今年も、長年に亘り映画界に大きな足跡を残された方々が多く亡くなられました。慎んで哀悼の意を表したいと思います。
本年はプロ野球界で大きな足跡を残された名プレイヤーが多く亡くなられていますね。フォークボールの神様・杉下茂、怪童・中西太、3度の盗塁王・ロベルト・バルボン…懐かしいですね。
今年1年、おつき合いいただき、ありがとうございました。来年もよろしく、良いお年をお迎えください。
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コメント
年末恒例の「追悼特集」お待ちしていました。
入院されて公開が遅くなったりした事もありましたが、今年は年末に無事公開されてめでたいです。
細かい話はすればキリがないのですが、個人的には、財津一郎さんの訃報は残念でした。
最後の主演映画となった「ふたたび swing me again」2010年がとてもいい映画で、ご健在なんだなと思ったのですが、その後は映画に主演する事なく亡くなったのが残念です。
投稿: きさ | 2023年12月31日 (日) 20:40
◆きささん
今年も1年、いろいろコメントいただきありがとうございました。
簡単にしようと思ったのに、今回もつい力が入って調べまくったりDVD見直したりで時間がかかってしまいました。
財津一郎さんは私もファンで、俳優としてもシリアスな、落ち着いた演技を披露していただけにもっと映画に出て欲しかったですね。「ふたたび swing me again」にはそう言えば犬塚弘さんも出演されていましたね。お二人ともほぼ同時期に亡くなられましたね。寂しいです。
というわけで、今年ももうすぐ終わり、来年もよろしく。よいお年をお迎えください。
投稿: Kei(管理人 ) | 2023年12月31日 (日) 23:10
山根貞男さんが亡くなって、「映画評論だけで生活できる人」はいなくなったんじゃないでしょうか?
福間健二さんとは何度か面識があります。凄い頭の良い博学の紳士といった感じでした。
投稿: タニプロ | 2024年1月 2日 (火) 15:36
◆タニプロさん
西脇英夫氏も亡くなられたし、あと私の尊敬する映画評論家でご存命なのは白井佳夫氏と山田宏一氏くらいになりましたね。川本三郎氏も敬愛しておりますが、映画以外にも多方面で評論活動されてますね。
亡くなる直前まで精力的に映画時評を書かれていたという点では、山根さん以上の方はいないでしょうね。本当にお疲れ様でした。
投稿: Kei(管理人 ) | 2024年1月 2日 (火) 17:04