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2023年12月23日 (土)

阿部秀司さん追悼

Abeshuuji 映画プロデューサーの阿部秀司さんが12月11日、病気のため亡くなられました。享年74歳でした。

このニュースを聞いて愕然となりました。現在ご存命の映画プロデューサーの中で、私が一番尊敬していた方です。
昨年亡くなられたスターサンズ代表・河村光庸さんに続いて、日本映画界はまたも大切なプロデューサーを失ったわけです。とても残念です。


阿部さんは広告代理店のクリエイティブディレクター等を勤めたのち、1986年に独立して株式会社「ROBOT」を設立。最初は前の会社と同じくCMを作っていましたが、やがてそれだけでは飽き足らず、映画製作を志します。

そんな時の1991年、人づてに若き映画作家、岩井俊二を紹介され、その才能を見抜いた阿部さんは岩井監督の映画製作に資金を出し、1995年、1本の映画を世に送り出します。それが岩井監督の「Love Letter」。映画は大ヒットし、キネ旬ベストテンでも3位にランクインする等高く評価され、岩井監督は一躍時代の寵児となります。

続いてフジテレビのドラマ作品のディレクターを務めていた本広克行をROBOTに入社させ、本広が演出していた「踊る大捜査線」の映画化に当りROBOTが制作を担当し本広が監督、これが大ヒット、シリーズ2作目は当時の実写日本映画の興行記録歴代第1位を打ち立てます。
本広監督はこのヒットシリーズと並行して、低予算ながら自分の作りたい映画を企画し、阿部さんのプロデュースにより「スペース・トラベラーズ」「サトラレ」(これは秀作)を監督、やがて同じく阿部さんプロデュースによるタイムトラベル物の秀作「サマータイムマシン・ブルース」を監督するに至ります。これらも阿部さんの後押しがあっての成功と言えるでしょう。

さらに同時期、白組でVFXを使ったCMを作りながら映画監督を志向していた山崎貴にも目を付け、2000年に阿部さんがプロデュースした「ジュブナイル」で監督デビューさせます。続けて2002年には山崎監督の2作目「リターナー」もプロデュース、この2作で山崎貴の監督並びにVFX手腕の優秀さを確信した阿部さんは「ALWAYS 三丁目の夕日」を企画し、山崎に監督・VFXを任せます。ご承知のようにこの作品は大ヒット、キネ旬ベストテンでも2位に食い込み、日本アカデミー賞でもほとんどの部門を独占、シリーズ3本が作られる大成功を収め、山崎監督は日本映画界を代表する一流監督の地位を確保しました。以後の山崎監督作品は最新作「ゴジラ-1.0」に至るまですべて阿部さんがプロデュースしています。

「ALWAYS 三丁目の夕日」と言えば常に山崎貴監督の名前が挙がりますが、この映画の本当の生みの親は阿部さんです。阿部さんは小学校3年生の1958年、建設中の東京タワーを見てとても強いインパクトを受け、自分と同じ団塊世代の人たちは絶対にこの光景を忘れないだろう、いつかこれを映画にしたいとずっと願っていました。そして西岸良平の漫画を元に映画化の企画を立て、山崎貴に監督をオファーしたのです。山崎監督は最初は戸惑いましたが、阿部さんの情熱に圧され監督を承諾、映画は阿部さんの狙い通り団塊世代の共感を呼ぶ大ヒット作となりました。あの建設中の東京タワーの映像は、阿部さんの心の中の風景そのものだったわけです(注1)

さらにもう一人、自主制作映画を作っていた小泉徳宏をROBOTに入社させ、2006年「タイヨウのうた」で監督デビューさせます。以後も「ガチ☆ボーイ」(2007)、「FLOWERS フラワーズ」(2010)と興行的には不発ながらも小泉監督作品を辛抱強くプロデュースし続けます。その後阿部さんはROBOTを退任しますが(注2)、2016年、とうとうROBOT制作の「ちはやふる」が作品的にも興行的にも大ヒット、小泉監督の最新作「線は、僕を描く」も秀作でした。若手監督の才能を見抜く阿部さんの眼力が正しかった事をここでも証明する結果となりました。ちなみに「タイヨウのうた」「ガチ☆ボーイ」はいずれも私の大好きな作品です。

こんな具合に、阿部さんがプロデュースして監督デビューさせた上記の監督たちは、みんな当時無名。それが今ではいずれも日本映画界を牽引する一流監督に成長しています。才能ある若手監督を発掘する阿部さんのプロデューサーとしての才覚には目を瞠るものがあります。これこそ、本当のプロデューサーと言えるのではないでしょうか。

74歳という、まだまだこれからだという時に病死(先日亡くなられた谷村新司さんとも同い年)。日本映画界にとってその損失は計り知れないものがあります。もっともっと、埋もれた新人監督を発掘して欲しかった。惜しみてもなお余りあります。残念です。


本当は年末恒例の追悼特集で書くつもりでしたが、22日、訃報を報じた朝日新聞の扱いがなんと1段、たった10行で写真もなし。あまりに雑な扱いに腹が立ったので、独立して一足先に追悼記事を書く事にしました。朝日ではいずれ追悼記事があるかも知れませんが、とにかく第1報の扱いの小ささには呆れましたので。

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(注1)出典:2006年10月28日付朝日新聞「フロントランナー」

(注2)阿部さんは2010年3月、ROBOTを退職、創業者・顧問に就任しています。同年7月、阿部秀司事務所を設立し、こちらでも意欲的にプロデューサーを務めていました。


(付記)

上記以外の阿部秀司さんプロデュース作品で主なものを列記しておきます。

2004年 「海猿」。羽住英一郎監督。
2006年 「LIMIT OF LOVE 海猿」。羽住英一郎監督。
2008年 「K-20 怪人二十面相・伝」。佐藤嗣麻子監督。
2009年 「重力ピエロ」。森淳一監督。
2010年 「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」。錦織良成監督。

 

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コメント

失礼ながら阿部秀司さんの事はあまり知りませんでした。
本記事を読んで偉大な人を亡くしたのだなと思いました。
ご冥福をお祈りします。

投稿: きさ | 2023年12月24日 (日) 22:03

◆きささん
阿部秀司さんの事を知らない人は多いんじゃないでしょうか。俳優・監督くらいまでは知ってても、プロデューサーなんか気にしないでしょうからね。それでも新聞ではもっと大きく取り扱って欲しかったです。
でも「ゴジラー1.0」が全米でも大ヒット、山崎貴監督もアメリカでも有名になりましたから、この成功を確認して旅立たれただけでも、良かったんじゃないでしょうか。

投稿: Kei(管理人 ) | 2023年12月29日 (金) 16:09

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