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2023年12月 3日 (日)

「ほかげ」

Hokage 2023年・日本   95分
製作:海獣シアター
配給:新日本映画社
監督:塚本晋也
脚本:塚本晋也
撮影:塚本晋也
編集:塚本晋也
音楽:石川忠
製作:塚本晋也

終戦後の闇市を舞台に、絶望と闇を抱えたまま生きる人々の姿を描いたヒューマン・ドラマ。製作・脚本・監督は「野火」「斬、」の塚本晋也。出演は「生きてるだけで、愛。」の趣里、「山女」の森山未來、「スペシャルアクターズ」の河野宏紀、「ラーゲリより愛を込めて」の子役・塚尾桜雅など。第80回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門でNETPAC賞(最優秀アジア映画賞)を受賞。

(物語)戦争で家族を亡くし、焼け残った小さな居酒屋で1人孤独に暮らす女(趣里)は、体を売ることを斡旋され、絶望に抗う事も出来ず、その日その日を過ごしていた。客の中には復員兵(河野宏紀)もいる。そんなある日、やはり空襲で家族をなくした子供(塚尾桜雅)が、女の暮らす居酒屋へ食べ物を盗みに入り込む。子供はそこに入り浸るようになり、いつしか二人の間には親子のような情愛が生まれて…。

「野火」(2014)、「斬、」(2018)と、この所第二次大戦、幕末動乱といった日本史の転換点を題材にした問題作を撮って来た塚本晋也監督、本作も戦後の混乱期が舞台となっており、前2作と併せて“戦争三部作”が完成したようだ。

塚本監督はインタビューで、「どうも、世の中がきな臭くなっている危機があり、終戦後の人たちに残された影響を今描かなければと思った。この作品は祈りの映画。少しでも、その祈りが伝われば」と語っており、まさに世界が戦争の混沌にある今の時代にこそ作られるべき作品だと言えるだろう。

(以下ネタバレあり)

舞台は第二次大戦の終戦後の、焼け跡が残る日本のどこかの街の片隅。「野火」の物語のその後とも言える。登場人物には全員名前がなく、女(趣里)、復員兵(河野宏紀)、戦争孤児の子供(塚尾桜雅)、テキ屋の男(森山未來)などと配役にあるが、互いに名前を呼ぶシーンもない。言わばこの時代に生きる普遍的な庶民を代弁した存在なのだろう。

女は出征した夫を戦争で失い、一人ぼっちで、空襲で半焼けになった小さな居酒屋を営んでいるが、ほとんど客も来ず、生活費を稼ぐ為に奥の住居で体を売っている。
フスマにも火災の跡が残り、家の外にはまだ瓦礫が残ったままだ。この美術設定も見事。居酒屋は電気が来てないのか、昼間でも薄暗い。

居酒屋には女の体を求めて男たちがやって来る。復員兵の男もその一人だ。女の体を忘れられない復員兵はその後も何度か居酒屋にやって来るが、金を作る事が出来ず女に謝る。

ある時は、野菜を盗んで追われていた子供もここに逃げ込んで来る。女は子供を特に咎めなかったせいか、この子供も女の家に住みついて寝食を共にするようになる。

復員兵もいつの間にかここに居つくようになる。出征前は小学校の教師をしていたという復員兵は、子供に教科書を渡し、算数などを教えるようになる。

こうして血の繋がらない3人が“疑似家族”を構成して行く辺りは、つい先日観た「ゴジラ-1.0」を思わせる。時代も同じ終戦直後だし。全く偶然にしても興味深い。

子供は道端で死んでいた兵士が持っていた拳銃を拾い、大事にカバンに入れている。女は、そんな物子供が持ってはいけないと空き缶にしまわせる。この拳銃が後半に重要な働きをする事となる。

だが夜、3人が寝ている時、復員兵は突然発狂したかのように大声を上げて暴れ出す。
特に理由を語るシーンはないが、明らかに戦争の後遺症(PTSD)なのだろう。思えば「野火」の主人公もPTSDに苦しんでいた。

復員兵はやがて日中でもPTSDの症状が出始め、とうとう女に追い出されてしまう。心がささくれ立った女は、子供にも「出て行きな」と暴言を浴びせ、3人の共同生活は脆くも崩れ去ってしまう。

ここまでの前半は、女の居酒屋の中だけで物語が進行する、舞台劇のようなワンシチュエーション・ドラマの味わいがある。


そして後半は一転、昼間の野外が舞台となる。女の家を追い出された子供は、テキ屋の男と知り合い、以後はテキ屋と子供のロードムービーとなる。
暗から明へ、静から動への舞台転換が鮮やかである。

道中で、子供はある家で格子のついた窓から一人の男が顔を覗かせているのを目撃する。
テキ屋との会話で、この男もどうやらPTSDの症状が重くなって閉じ込められている事が匂わされる。一瞬だが、ゾッとさせられるシーンである。
アメリカ映画でも「ディア・ハンター」「父親たちの星条旗」などの戦争後遺症を取り上げた映画が作られているが、日本映画でこのテーマをきちんと扱った映画は塚本「野火」以外ちょっと記憶にない。そう言えば「ゴジラ-1.0」の敷島もPTSDで苦しんでいた。

終盤、一つのクライマックスがやって来る。テキ屋も実は復員兵なのだが、子供が拳銃を持っている事を知ったテキ屋は、それを使って、ある復讐を実行しようとする。
ここは、原一男監督の傑作ドキュメンタリー「ゆきゆきて神軍」を思わせる。ヒントにしているかも知れない。

テキ屋とも別れた子供は居酒屋に戻って来るが、子供を追い出した事を女は謝るものの顔は見せず、もう自分は一緒に暮らせないと言い、子供に、盗みはせずに、ちゃんと仕事を見つけて、生きて行きなさいと諭す。
子供と暮らせない理由を詳しくは語らないが、女の身体にある異変が生じたのだろう。体を売っていればそうなるだろう事は推測が付く。

子供は、女の言いつけを守り、必死で仕事を探そうとする。殴られても蹴られても、必死に食器洗いをするシーンでは健気さについ泣けてしまった。

子供はおそらく、この戦後の混乱期を、懸命に生きて行くのだろう。未来への希望が見えるラストが救いである。


戦争は、終わったとしても生き残った人たちの心に、深い傷跡を残す。そして大人たちが始めた戦争で、何の罪もない子供たちが苦しめられる。

戦争は、絶対に起こしてはいけない、未来を生きる子供たちを守れ…
塚本監督の、祈りにも似た思いが切々と伝わる、見事な秀作である。

趣里は「生きてるだけで、愛。」も素晴らしかったが、ここでも見事な熱演。「ブギウギ」とは対照的な役柄である。森山未來も安定の名演。そして子供役を演じた塚尾桜雅が実に自然な演技で、大人顔負けの力演。今後が楽しみである。復員兵を演じた河野宏紀も、出番は少ないながら印象的な好演だった。

塚本監督の祈りも空しく、戦争は世界で拡大しつつある。是非多くの人に観てもらい、戦争反対の声が世界に広がる事を心から願う。  (採点=★★★★☆

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