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2024年1月10日 (水)

映画本 「映画監督はこれだから楽しい」

Oomorikazukihon  タイトル:映画監督はこれだから楽しい
               わが心の自叙伝

 大森一樹・著

 ㈱リトルモア・刊  1,800円+税

 初版発行日:2023年11月12日

 単行本ソフトカバー 175ページ


2022年に亡くなられた映画監督、大森一樹さんの自叙伝とエッセイを纏めた、大森さん最後の著作本です。

追悼記事にも書きましたが、大森さんは映画監督である前に、“生粋の映画ファン”でした。キネ旬の「読者の映画評」の常連投稿者だったり、映画仲間と自主上映会を開催したり、まさに私たちと同じような映画ファンだった時期がありました。それが嵩じて映画監督になったのですが、常に映画ファンとしての目線も大事にしていました。

そこでこの本の事ですが、前半は「わが心の自叙伝」と題し、生れた時からの生い立ち、学生生活、映画に夢中になったころの思い出、やがて8ミリカメラで映画を撮るようになり、自主映画作りを経てプロの映画監督になり、自作の映画に関するエピソード等も交えて、終章では亡くなる前の闘病生活まで、まさに自身の生涯の全てを綴った「自叙伝」になっています。

これまであまり語って来られなかった、興味深い話もいくつかあり、とても面白く読みました。終章はさすがに悲しくなりましたが。

中学時代から映画に夢中になり、映画館通いが始まるのですが、その契機が、やはり映画ファンだったお父さんに連れられて、何度も一緒に映画を観た事が始まりだったわけですが、私これを読んでてハッと思いました。実は私も映画ファンになったきっかけは、父に連れられて一緒に映画を見た事だったのです。SF映画から戦争映画、アクション映画までいろんな映画を一緒に観た所まで大森さんと一緒でした。もう忘れていたその事を思い出して、胸が熱くなりました。

大森さんは高校では、映画を観に行くのに学校の許可がいるという事で、それならと同級生たちと勝手に映研を創設した、というのも面白い。さすが行動力がありますね。

父が医師だった事もあって、大森さんは京都府立医大に入り医者を目指すのですが、映画作りの夢断ちがたく、8ミリカメラで映画を何本も作っているうち進級判定不合格となって、これではいけないと映画と決別する意志を固め、最後に1本映画を作ってそれで終わりにする事にしました。それがあの「暗くなるまで待てない!」でした。

それが結果としてあちこちで評判になり、全国各地の上映会、大学祭にも呼ばれたり、マスコミや映画関係者も関心を示し始めます。
次は何を作るのか」と何度も聞かれるので、映画化の当てもなく書いた脚本「オレンジロード急行」を城戸賞に送ったらこれが城戸賞を受賞、松竹がこれの映画化を決定、大森さんが監督する事になります。

昔いろんな所で書かれていたのが、「自分で監督するのでなければ脚本を渡さない」と大森さんが松竹に言ったという話でしたが、この自叙伝によると、「是非映画化したい。監督はあなたで」と逆に松竹の方から監督依頼があったのが真相だそうです。巷の噂ってあてにならないですね。

読んでて思ったのは、人の出会いの大切さですね。「暗くなるまで待てない!」に興味を持たれたATGの社長・佐々木史朗さんから「ATGで撮って見ないか」と声をかけられた事から「ヒポクラテスたち」(80)の映画化が実現し、これがキネ旬ベストテンの3位に入る等大好評、次の村上春樹原作「風の歌を聴け」(81)も佐々木さんがプロデュース、ATGで作る事となります。こうして大森さんは本格的に映画監督の道を進み始めるのです。なお村上さんは大森さんと同じ中学の先輩なのだそうです。

佐々木プロデューサーとの交流が縁で、やはり佐々木さん、及びNCPの岡田裕さんがプロデュース、渡辺プロの渡辺晋企画の「すかんぴんウォーク」(84)の監督をオファーされ、これも好評、渡辺晋さんとのお付き合いも始まります。配給した東宝との関係で田中友幸プロデューサーから声をかけられ、ゴジラ映画の監督にも指名されます。こうして「ゴジラVSビオランテ」などゴジラ映画の監督2本、脚本2本を書き、その間斉藤由貴主演3部作も監督するなど、売れっ子の監督、脚本家となって行く流れは痛快ですね。

自身の監督作品にまつわる裏話や、大阪芸術大学の映像学科長だった中島貞夫監督から直々に次の学科長を依頼されたり、興味深い話がいっぱいで、楽しく読めました。

ただ、奥付の記録を読むと、この自叙伝はなんと亡くなられた後の2023年1月から7月まで神戸新聞に連載されたとの事です。つまりは亡くなる直前の闘病中に書かれたものです(それ以前から書き溜めていたものもあるかも知れませんが)。しかも最終章は亡くなった後、大森さんの長女がパソコンから発見したのだそうです。最終章には「1昨年(2021年)10月、病院で検査を受け、急性骨髄性白血病と診断された」とありますので、2023年の夏頃に掲載されると見越しての執筆だったのでしょう。
最終章の末尾には、「昨年10月退院、それから半年以上、とりあえず余命半年は乗り越えている」とあります。「昨年」とは2022年を指しますから、2023年春先までまだ生きている、いや、生きていたい、という願望も込められているのでしょう。亡くなられたのは2022年11月でした。

私はこの最終章を読んで、落涙してしまいした。文章タッチが軽やかなだけに、余計読んでて泣けてしまいます。まだ70歳、無念だったでしょう。


本著の後半は、これまで雑誌、著作本に書かれたエッセイが収録されています。キネ旬「読者の映画評」に掲載された映画評も載っています。

そのエッセイ集の最後には、2000年、48歳の時に書かれた「少し早めの私の遺言」と題された一文があり、自身の子供たちに対して、自分が亡くなった後、あれやこれを片付けなさいという内容の、まさに遺言のようなものが書かれています。

大森さんはビデオ、レーザーディスク、DVDを収集し、そのコレクションは1,000本もあるそうです。そのコレクションの映画を、「僕の遺志を継いで何年かかっても見て欲しい、君たちがこの世に生まれて来た意味もきっとこの1,000本の中にあるはずです」と書いています。

亡くなられる22年も前に、こんな遺言を残していた事にも驚きます。この頃から、死を意識してたのでしょうか。ここを読んだ時にも泣けてしまいました。

私自身も振り返って、同じように溜まりに溜まったコレクション、DVDをいずれ整理して、子供たちに迷惑かけないようにしたい、反省しなければと思いました。そういう意味でも、そろそろ終活をしなければ、と思っている方(特に映画ファン)にはお奨めの名著です。

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(付記)

下記のサイトに、「大森一樹監督 僕の心を動かした1,000本の映画リスト」が載っています。

パート1 https://note.com/littlemore/n/nc295bad03e6d
パート2 https://note.com/littlemore/n/ndeae918524f3
パート3 https://note.com/littlemore/n/n3a2686f681bf

Ohmorikazuki3

本書の出版社・リトルモアが、書籍の刊行を記念し、わざわざ全ソフトをチェックしてリストアップしたものです。気が遠くなる作業だったのではないでしょうか。「棚に並んだタイトルを、順序もなるべくそのままに記録しました」ともあります。ご苦労様でした。

いやー凄いタイトル数ですね。深作欣二監督作、東映集団時代劇、日活ニューアクション、洋画の名作、西部劇、B級SF、ホラー映画と映画ファンの心を揺さぶるマニアックな作品ばかり。本当に何年かかっても観たいです。

 

 

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