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2024年2月18日 (日)

「夜明けのすべて」

Allthelongnights 2024年・日本   119分
製作:ホリプロ
配給:バンダイナムコフィルムワークス、アスミック・エース
監督:三宅唱
原作:瀬尾まいこ
脚本:和田清人 三宅唱
撮影:月永雄太
音楽:Hi'Spec
企画・プロデュース:井上竜太
プロデューサー:城内政芳

「そして、バトンは渡された」などの瀬尾まいこ原作小説の映画化。それぞれに生きづらさを抱えた若い男女とその周辺の人たちとの交流を描く人間ドラマ。監督は「ケイコ 目を澄ませて」の三宅唱。主演は「ちはやふる」の上白石萌音と「キリエのうた」の松村北斗。共演は渋川清彦、光石研、芋生悠、りょう 等。第74回ベルリン国際映画祭フォーラム部門出品作品。

(物語)藤沢さん(上白石萌音)はPMS(月経前症候群)のせいで、生理前になるとイライラを抑えられなくなる。ある日、会社の同僚・山添くん(松村北斗)のちょっとした行動が引き金になり、藤沢さんは怒りを爆発させてしまう。だがそんな山添くんもまたパニック障害を抱え、心が思い通りにならず、生きがいも気力も失っていた。職場の人たちの理解に支えられながら過ごす中で、藤沢さんと山添くんの間には、恋人でも友達でもない同志のような特別な感情が芽生えて行く…。

2018年の「きみの鳥はうたえる」、一昨年の「ケイコ 目を澄ませて」と、作る度に次々と秀作を発表し注目されている三宅唱監督の新作である。

本作も、月経前症候群の女性と、パニック障害を抱えた男性が主人公という、かなり特異な設定でありながら、またしても秀作を生み出した。今一番ノッてる監督だと言えよう。

(以下ネタバレあり)

パニック障害という心の病気については、これまでも例えば小泉堯史監督「阿弥陀堂だより」(2002)等にも登場しており、そういうのがあるとは知っていた。
しかし月経前症候群(PMS)という病気は初めて知った。これは男には解らない、辛い病気なのだろう。

藤沢さんはこのPMSのせいで、生理になると急にイライラしたり、酷い時には大声で怒鳴り出し、周囲に当たり散らしたりもする。そのせいで、前の会社では仕事を辞めざるを得なくなった。

それから数年後、彼女は今は栗田科学という、子供向けの科学教材を作る会社に勤めている。小さな町工場のような会社だが、社長(光石研)も同僚たちもみんないい人たちばかりで、藤沢さんのPMSにも理解があるようだ。

ところが、ここに転職して来たばかりの若い男、山添くんは慣れない事もあるのだろうが、藤沢さんの目からは仕事に対してやる気がないように見えて、ある時些細な事から藤沢さんは彼に対してイライラを爆発させてしまう。

だが後で判って来るのだが、山添くんは以前は一流会社で働いていたのだが、パニック障害が発症した事で電車にも乗れず、会社に出勤出来なくなってしまう。
それで、元の会社の上司・辻本(渋川清彦)が知り合いの栗田社長に頼んで栗田科学に転職させてもらう事になったという訳だ。この会社なら家から近いから、電車に乗らなくて済むという利点もあった。

そうとは知らない藤沢さんは、不愛想でやる気が見えないように見える山添くんから距離を置いていた。

ところがある日、山添くんは会社でパニック障害の発作を起こしてしまう。たまたま、炊事場で薬の錠剤パッケージが落ちていたのを見つけた藤沢さんは、それをすぐに山添くんに与え、おかげで彼の発作は収まった。

この件で藤沢さんは、山添くんが自分と同じように精神的に辛い病を抱えて苦しんでいた事を理解する。落ちていた薬が鎮静剤だとすぐに解ったのも、彼女もその薬を知っていたからだ。

家に帰った山添くんの忘れ物を届けに行った事から、同じ悩みを抱えている者同士、二人の距離は急速に縮まって行く。山添くんはかかりつけの医者から、PMSに関する医学書を借りて読んだりもするようになる。

並みの映画なら、ここから二人が恋愛関係になったりするだろう。だが映画は、互いの病を理解し合うようになった二人の間に、友情のようなものが芽生えては来るものの、それ以上は進展しない。

栗田科学の社長や同僚たちも含めて、この映画に登場する人たちはみんな善良で、人を思いやる温かい気持ちに満ち溢れている。この空気感が何とも心地良い。どこか、昭和の人間関係にも似たゆるやかさ、懐かしさを感じ、自然と涙が出て来るのだ。

前作「ケイコ 目を澄ませて」と同様、本作もデジタルでなく、16ミリ・フィルム(撮影:月永雄太)で撮影されている。粒子の粗い16ミリ・フィルムの質感もまた懐かしい空気感を醸しだすのに貢献している。前作ではドキュメンタリー的タッチ、本作では柔らかな色彩が作品に温かみをもたらしたりと、作品のジャンルは異なるのに、どちらも16ミリ・フィルム撮影が作品にうまくマッチしているのが見事だ。

実は、栗田社長と山添くんの元上司・辻本は、どちらも身内を自殺で失っており、自死遺族の会を通して知り合った事も後で明らかになって来る。

大切な身内(栗田社長は弟)を失った事で、人に優しくする気持ちが芽生えたという事もあるのだろう。栗田は毎朝、会社にある植木に水をやったり、社内の一角では鶏小屋があったりもする。これも栗田の心の優しさを示している。

物語後半では、栗田科学による“移動プラネタリウム”のエピソードが出て来る。大きなドーム型テントを学校の体育館に設置し、地域の人々に宇宙の神秘を味わってもらうイベントである。
そのイベントでの解説を、藤沢さんが担当する事になり、原稿作りを山添くんと共同作業で行う事となる。その原稿の元となったのが、栗田社長の自死した弟が残したメモとカセットテープである。原稿作りを通して、二人の距離はますます縮まるのだが、それは恋愛でも友情でもなく、人間としての繋がり、同志的結束感とでも呼べるもののようだ。

プラネタリウムショーで、藤沢さんが語るナレーションがいい。夜は暗く長いけれど、夜空には無数の星が瞬いている。果てしない宇宙の星々に想いを馳せれば、つまらない事で悩み逡巡する人間が如何にちっぽけな存在である事か。
「夜明け前が一番暗い」、というセリフは原作にも登場する。しかし夜があるからこそ、夜明けの美しさを感じ取る事も出来る。それを考えると心がジンとして来る。

作品のテーマとも合致した、素晴らしい終幕のエピソードだと言えるだろう。ちなみにこの移動プラネタリウムのエピソードは原作にはない、映画オリジナルである。

そして藤沢さんは母の介護の為、実家に帰る事を決意する。一方山添くんは、「戻って来てもいい」という辻本の誘いを断り、この栗本科学でずっと働く事に決める。生きがいを与えてくれた、この会社に感謝の意を込めて。

それぞれに心を安らぎを得た二人の心の病も、これからはずっと改善されて行くだろう。


大きな事件も起きず、日常の一コマを淡々と描いているだけなのに、それがとても心地良い。ちょっと前に観たヴィム・ヴェンダース監督「PERFECT DAYS」の雰囲気とも少し似ている。思い起こせば、あの作品でも役所広司扮する平山が、仄暗い夜明け前に起きて、朝日に感謝するシーンがあった。

三宅唱監督の、落ち着いた風格ある演出が見事。役者たちがみんないい。特に栗田科学の従業員、住川さんを演じた久保田磨希がいい味わいを醸し出していて出色。

本年を代表する秀作である。是非多くの人に観て欲しい。  (採点=★★★★☆

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コメント

 今日、見てきました。淡々とした中に、じんわりと包み込むような情感が素晴らしい。原作通りなんでしょうが、二人が恋愛関係にならないのも好ましいですね。プラネタリウムは、映画オリジナルとの事ですが、これが効いてますね。栗田科学の人々が印象に残ります。今後も三宅監督からは、目が離せないです。

投稿: 自称歴史家 | 2024年2月18日 (日) 19:11

◆自称歴史家さん
原作では二人が勤める会社は「栗田科学」ではなく「栗田金属」なんですね。三宅監督によると、『「夜明け」を単に希望の比喩とせずに、さまざまな意味を持ちうる「夜」を描きたいと考えていたところ、プラネタリウムを見る機会があって、これを映画に取り込もうと考えた』のだそうです。これは大成功ですね。こういう発想を思いついて作品の厚みに繋げる辺りが素晴らしい。三宅監督の次回作がますます楽しみです。

投稿: Kei(管理人 ) | 2024年2月20日 (火) 10:37

遅ればせながら。この映画の2人は病気を抱えているのだけれど、それとは別に今の若者の雰囲気というか気分を理解したような気持ちに60を過ぎた男がなりました。こんな会社はあり得ない、現実で成り立たないなどの意見もあるようですが、あのプラネタリウムの商品とイベントを皆で全力で作る会社はきっと世間から認められているはず、と思わせる。全体が優しさを感じさせるいい作品でした。音楽も最後まで同じなのに何という心地よさ。松村北斗、たぶん本人が思ってる以上に素晴らしい役者です。

投稿: | 2024年2月23日 (金) 21:50

◆--さん
お名前がないですが、多分これまで訪問された方ですね。
>こんな会社はあり得ない、現実で成り立たないなどの意見もあるようですが…
私はあると思ってます。零細中小企業って、手作りのとてもいい製品を作っていたり、社長と従業員の距離がとても近かったりする事を私も知ってますから。映画では多少脚色してますが。
松村北斗、いいですね。アイドルグループのメンバーだとかで観る前はあまり信用してなかったのですが、しっかりした演技で見直しました。三宅監督の演技指導のおかげかも知れませんが。今後も注目したいですね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2024年2月28日 (水) 11:18

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