「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」
(物語)1980年代。ビデオの普及に伴い映画館から人々の足が遠のき始めていた。そんな流れから逆行するように、若松孝二(井浦新)は名古屋にミニシアター、「シネマスコーレ」を立ち上げる。支配人に抜擢されたのは、結婚を機に東京の文芸坐を辞めて地元名古屋でビデオカメラのセールスマンをしていた木全純治(東出昌大)。若松に振り回されながらも、木全は持ち前の明るさで経済的な危機を乗り越えて行く。そんなシネマスコーレには井上淳一(杉田雷麟)、金本法子(芋生悠)ら映画を愛する若者たちが吸い寄せられるように集まって来る…。
6年前に作られた「止められるか、俺たちを」(以下「前作」)は、若松プロとそこに集まって来る人たちを描いた秀作だった。監督を担当したのは、その若松プロで助監督修業をした白石和彌。若松プロの映画作りをメインにしてはいるが、物語で重要な位置を占めるのが若松プロただ一人の女性助監督、吉積めぐみ(門脇麦)。悩み、傷つきながらも懸命に生き、そして不慮の死を遂げた吉積の姿を追った、痛ましい青春映画でもあった。
その続編となる本作は、前作から10数年後の1982年が舞台。ビデオの普及で映画館離れが進み、劇場経営が厳しくなりつつある、その流れに抗うように若松孝二は突然、名古屋にミニシアター「シネマスコーレ」を開館する。映画監督が自分で映画館を作るのも前代未聞だ。東京でも大阪でもなく、名古屋に作ろうとしたのは、映画館が集まる大都市に比べ、まだ劇場が少なく競争の余地があるだろうとの目算である。
東京での映画作りが忙しい若松は、劇場の経営を任せる支配人を探すうち、東京の文芸坐で働いていたが結婚を機に文芸坐を辞め、地元・名古屋に戻っていた木全(きまた)純治に目を付ける。
木全は「これからはビデオの時代だ」と考え、ビデオカメラのセールスマンをやっていたのだが、若松の強引な誘いに支配人を引き受ける事にする。
(以下ネタバレあり)
シネマスコーレとは、ラテン語で「映画の学校」という意味である。その名の通り、単に映画を上映するだけでなく、ここから人を育てようという思いもあったのだろう。
映画館のアルバイト従業員として、映画好きの金本法子、予備校生の井上淳一が採用される。井上は本作の監督の若き日の姿である。
物語のほとんどは実話に基づいており、登場人物の名前もほぼ実名であるが、金本法子だけは創作の人物である。彼女が加わった事で、本作は青春映画の色合いも増している。
井上が通う予備校、河合塾も実名だが、そこで講師をやっている牧野剛も実在の人物。なんと教壇には生徒が寄付したビール缶が山積みに置かれ、牧野はそのビールを飲みながら授業をするのである。これも実話だそうだから驚く。
当時の予備校講師は、'70年代の学園闘争の中で活動していた全共闘崩れが多かったようだ。牧野もその一人で、授業の中で機動隊とやり合った話を得意げにしていたらしい。今では考えられない大らかな時代だ。
物語は、シネマスコーレの経営を任された木全が、若松監督作品を中心に日本映画の秀作、異色作等のプログラムを組むが観客動員は思ったより伸びず赤字が嵩み、若松に文句を言われながら悪戦苦闘する姿と、井上が若松孝二に心酔して若松プロの門を叩き、映画監督を目指す姿が並行して描かれる。
しかし井上淳一自身が脚本を書き、監督もしている事もあって、重心が置かれているのは井上の方である。映画が好きで、映画監督になりたい一心で、東京へ帰る若松を見送りに行った新幹線のホームで、そのまま後を追って新幹線に飛び乗り、弟子入り志願するシーンが面白い。これも実話だそうだ。
ぶっきらぼうで口は悪いけれど、どこか人を惹きつける所がある若松という人物像を、井浦新が前作以上に板に付いた好演。
井上は若松監督の元で助監督修行をするものの、慣れない環境下で失敗を繰り返し、その都度若松から怒鳴られ、遂には若松から「俺の視界から消えろ!」とまで言われてしまう。演じる杉田雷麟が井上の気弱、不器用な性格を上手く表現している。
劇中に出て来る映画の題名や、若松と親交のある人たちの登場シーンも、当時を知っている人間にとっては懐かしい。シネマスコーレで上映している映画が若松監督の「天使の恍惚」や「水のないプール」(劇中のスクリーンでも上映されている)だったり、今村昌平「赤い殺意」と増村保造「濡れた二人」の2本立てだったり。
こうした番組に客が入らない現実に業を煮やした若松が、あっさり方針を変えてピンク映画を上映しろと言ったり、木全が大林宣彦3本立てをやったと聞いて、「大林なんか客入るわけねえじゃねえか!」と怒るシーンには大笑い。前作よりかなりコミカルな要素が増している。
木全がピンク映画よりも、やはりいい映画を上映したい、という信念を強く持ち、当時新進の林海象監督の「夢みるように眠りたい」(1986)を上映したいと若松に懇願し、その熱心さに若松が折れ、上映を認めるシーンも感動的だ。
京一会館(京都の名物名画座)の名前が出て来たり、「(当時ピンク映画を撮っていた)滝田洋二郎を松田政男が褒めていた」というセリフがあったり(注1)、当時を知る映画ファンとしては懐かしさで胸が一杯になる。若松がバーで雑誌「噂の真相」編集長の岡留安則(田口トモロヲ)と歓談するシーンも見逃せない。当時「噂の真相」は反権力ジャーナリズムの旗手だった。
細かい所では、若松プロの事務所にあの吉積めぐみの肖像写真が掲げられているシーン、前作で吉積を演じた門脇麦がちゃんと写っているのにもニヤリとさせられる(実際に今も若松プロ事務所に掲げられている)。前作を観ていないとピンと来ないかも知れないけれど。
井上の同僚、金本法子の存在も印象的だ。彼女も映画監督になりたいと願っているが、当時としては女性映画監督の門戸は狭い上に、法子は在日朝鮮人というハンデもある。そうした鬱屈を井上にぶつけるシーンもせつない。だが、同じ在日である彼女の妹が(指紋押捺を義務付けられる)16歳になっても指紋を押さないと決意した事で、法子自身も変わろうとする。
それぞれに夢を叶えようと努力し、壁にぶつかりながらも、それでも前に進もうとする若者たちの姿に胸が熱くなる。そして何より、全編に溢れる映画愛にも感動する。
終盤は、若松プロで河合塾のPR映画を作る話が持ち上がり、河合塾OBである井上が若松の英断で監督に抜擢される。タイトルは「燃えろ青春の1年」(1986)。これも実話である。
若松と交友のある赤塚不二夫や竹中直人らもゲスト出演する豪華版。竹中は本人自身が演じている。赤塚役は前作の音尾琢真ではなかったようで、あまり似ていないのがちょっと残念。
だがまだ20歳の学生である井上には荷が重すぎた。演技指導もカット割りも満足に出来ず、現場に立ち会った若松からは怒られてばかり。遂には若松が自分で演出をするようになる。井上が苦心して作った絵コンテも無視される。屈辱感に苛まれる井上。
完成した映画の監督クレジットは井上だが、ほとんどは若松が監督したらしい。
しかし若松が決して井上を見捨てた訳ではなかった事は、この4年後、若松プロ製作の「パンツの穴 ムケそでムケないイチゴたち」(90)で井上が映画監督デビューした事からも明らかだろう。厳しさは、若松らしい愛情の裏返しなのである。
木全が度々口にする「これから、これから」という言葉も印象的だ。井上はこの木全の言葉に励まされる。そう、挫けそうになっても、若いうちは何度でもやり直せる。人生はまだまだこれからだ。それは木全にとっても同じだ。苦しい経験があってこそ道は拓けるのだ。
そして口ぎたなく怒鳴り、傍若無人に振る舞いながらも、実は誰よりも若者たちの将来性に熱い期待を寄せていた若松孝二という人間の器の大きさにも感動を覚える。若松の下で、荒井晴彦も白石和彌も、そして井上淳一もみんな日本映画を支える映画作家に成長した。改めて凄い人なのだと敬服する。
最後にやっとメインタイトルが出るが、この後若松孝二が砂丘で延々と語るシーンがある。そこに大和屋竺(大西信満)ら、既にこの世にいない人たち4人がやって来る(注2)。つまりここはあの世なのだろう。
一部では不要、カットした方が良かったとの声もある。しかし若松を敬愛する井上監督としては、どうしてもこれは入れたかったのだろう。その気持ちは分かる。
その後は2012年に若松が亡くなった後の追悼上映会に時間が飛ぶが、このシーンで劇場後方で舞台挨拶を見ている木全の後ろに、若松がそっと立つというお遊びもある。
エンドロールでは、前記「燃えろ青春の1年」の実際の映像も流れる。電報配達人役の赤塚不二夫本人も登場するので席を立たないように。
鑑賞中、何度も涙が出てしまった。1980年代の映画事情がふんだんに登場する懐かしさもあるが、木全、井上、金本法子ら若者たちが、迷いながらも懸命に、それぞれに夢に向かって突き進もうとする、見事な青春映画になっている。その事に何より感動した。
こんなに笑え、かつ泣ける青春映画は久しぶりだ。
そして井上淳一監督、これまでは脚本担当作品も、監督作品もいま一つの出来であまり評価していなかったのだが、「止められるか、俺たちを」1作目や昨年の「福田村事件」の脚本(共作)がなかなか良かったし、本作で監督としても大きな飛躍を遂げたと言える。
いいセリフも多い。木全の「これから、これから」もそうだが、「転んでもたたでは起きないのでなく、ただで起きない為に転べ」は名セリフである。
そして若松が語る、新藤兼人監督の言葉「人は誰でも一度だけ傑作を書くことができる。それは自分自身を書くことだ」、これが一番心に響いた。
まさにこの言葉通り、井上監督の、自分自身の青春時代をありのままに描いたからこそ、本作は傑作になったと言える。井上監督の代表作となるだろう。次回作も大いに期待したい。観るべし。 (採点=★★★★☆)
(注1)
本作の中に、当時の滝田洋二郎監督のピンク映画「痴漢電車 下着検札」の1シーンが登場するが、これは竹中直人の映画デビュー作でもある(なんと松本清張役だ。そっくりなのに大笑いした)。本作に竹中が出演しているので、竹中繋がりでこの作品をピンク映画代表として登場させたのだろう。
(注2)
ここに登場するのは、大和屋竺以外では若松プロで多くの作品を担当したカメラマン・伊東英男(西本竜樹)、同じく照明技師・磯貝一(柴田鷹雄)など(後の一人は不明)。それぞれ前作と同じ俳優が演じていた。
若松プロの功労者とも言えるこの人たちを再登場させたのも、井上監督の若松孝二リスペクト愛ゆえの事だろう。
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