「真夜中の虹」 (1988) (VOD)
(物語)フィンランドの北の果て、ラップランド。炭鉱の閉山で失業したカスリネン(トゥロ・パヤラ)は、自殺した父の遺品の真白なキャデラックでヘルシンキを目指して旅をする。途中、二人組の強盗に有り金を全部奪われ、途方に暮れる。仕方なく日雇い仕事に出るが、そんな時、駐車違反の切符を切る婦人警官のイルメリ(スサンナ・ハーヴィスト)と知り合う。家のローン返済のため複数の仕事を抱え働きづめの彼女と、その息子リキ(エートゥ・ヒルカモ)に奇妙な愛情を抱く。だがカスリネンは再び仕事にあぶれ、新しい仕事を探すのだがなかなか見つからず、焦燥の日々が続く…。
アキ・カウリスマキ監督が、初期の頃に作った、「パラダイスの夕暮れ」(1986)、「マッチ工場の少女」(1990)と並んで "労働者3部作"と言われている作品の1本。
今年観た「枯れ葉」がとても良かったので、遅まきながらカウリスマキ監督作品を追いかけている。先日「浮き雲」(96)をVODで観たが、これも面白かった。どの作品でも、失業した男や夫婦、恋人たちが社会の波にもまれ、必死で生きて行く姿をややオフビートな独特のタッチで描いているのが特色。
本作は、カウリスマキの演出スタイルを確立したと言われている長編劇場映画の3作目「パラダイスの夕暮れ」に次ぐ"労働者3部作"の2作目である。「パラダイス-」は昔観ているのだが、当時はあまり面白いとは思わなかったし、記憶も薄れているので近々再見するつもり。
(以下ネタバレあり)
本作は、北の街ラップランドの炭鉱が閉山し、主人公のカスリネンはじめ多くの人たちが失業するシーンから始まる。
一緒に働いていたカスリネンの父も失業となるが、父は人生に見切りをつけ、愛車のキャデラックをカスリネンに譲り、レストランのトイレでピストル自殺する。
悲劇なのに、父の自死を悲しむ様子もない、淡々とした演出タッチがいかにもカウリスマキ。
カスリネンは父の形見のキャデラックで仕事を探しに南へ向かう。車は幌付きなのだが、幌が閉まらないので寒いラップランドから旅立つのにオープンカーのまま、寒さに震えながら運転するシーンがなにやらおかしい。
出発時に銀行から有り金全部引出して財布に入れるのだが、これが間違いの元。途中立ち寄った町で食べ物を買った時、札が詰まった財布をチンピラ二人組が目ざとく見つけ、油断した隙に頭を殴られ、金を奪われてしまう(必要な時だけATMで引き出す方が無難なのに。カウリスマキ作品の主人公はみな不器用で要領が悪い)。
仕方がないので日雇い労働の職に就く。そんな時、駐車違反の切符を車に挟み込んでいる婦人警官・イルメリと親しくなり、やがて子供がいるイルメリの家にも招かれ、互いに愛し合うようになる。
二人の会話で、面白いセリフがある。イルメリ「離婚したの」、カスリネン「どうって事ない」、「子持ちよ」、「作る手間が省けていい」、「自信家なのね」、「いや、今初めて自信が出た」。
なんだか、ハンフリー・ボガート主演の「カサブランカ」におけるボギーと女との会話「昨日どこにいたの?」「そんな昔の事は覚えてない」、「今夜会える?」「そんな先の事は分からない」
を思い出させるシャレた会話だ。
…と思っていたら、その後の、簡易宿泊所で宿泊者たちと一緒にカスリネンがテレビで見ている映画はハンフリー・ボガート主演の「ハイ・シェラ」。
ボガートが強盗を働く犯罪サスペンスで、これは同時に、その後の展開を暗示させる伏線にもなっているのがうまい。どっちも観ている私は思わず頬が緩んだ。カウリスマキ、やってくれるね。
やがてカスリネンは低賃金日雇い労働ではイルメリたちとは暮らせないと考え、新しい仕事を探すがなかなか見つからない。職安でこれは、という求人票を見つけ、メモしようとしたその横から職員が求人票を剥がして持って行ってしまうシーンも、カウリスマキらしい笑えるギャグだ。
だが、日雇い仕事も元締めが違法労働の罪で捕まり失業、収入は途絶え、家賃滞納で宿泊所も追い出されてしまう。まさに貧すれば鈍する。
そんな時カスリネンは、あの有り金を盗んだチンピラの一人とバッタリ出くわす。後を追いかけ、殴りかかるがそこに現れた警官に取り押さえられ、裁判の結果強盗殺人未遂の罪で刑務所に入れられてしまう。
失業に誤解と不運が重なり、主人公がどんどん不幸な境遇に追いやられて行く。後のカウリスマキ作品にも垣間見えるお馴染みパターンである。
だが、ここから以降は、他の作品とは大きく異なる展開となる。刑務所でカスリネンは同房のミッコネン(マッティ・ペロンパー)と親しくなり、やがて脱獄の方法はないかと二人で相談する。そしてイルメリが差し入れた金ヤスリを使って脱獄に成功する。
その前に、イルメリが刑務所に面会に来るシーンがあるが、話の途中でフェードアウトとなり、何を話したかは判らない。その後、息子のリキが海岸でアメコミ本の一ページを母に見せるシーンがあるが、そこにはヒーローが鉄格子を怪力で切断する場面がある。面会で二人が何を話し合ったかも、これで想像が付く。
こんな具合に、さりげない伏線が随所にちりばめられているのも面白い。
前半はその他の労働者3部作や「浮き雲」等の敗者3部作と同様の、失業者たちが懸命に生きる庶民の哀歓を描いた作品かと思わせておいて、後半はハードボイルド・サスペンスに転調する。これは異色作である。
しかしハードボイルド・タッチであっても、どこかオフビートな、トボけた可笑しさが感じられる。やはりカウリスマキ・タッチは健在である。
脱獄成功後は、出国の為の偽造パスポート作成費用の為に銀行強盗までやったり、偽造屋とのトラブルでミッコネンが刺されたり、それを知ったカスリネンが拳銃で相手を射殺したりとハードボイルドな世界はどんどん広がって行く。
深手を負い、自分の死期を悟ったミッコネンが「俺の死体はゴミ捨て場に埋めてくれ」と言って、それまで動かなかったキャデラックの幌を自分で操作して覆ってしまう。
これがまるで棺桶の蓋を閉じるように見えるのが面白い。
最後はカスリネン、イルメリ、リキの3人がメキシコ行きの密航船に乗り、旅立つ所で物語は終わる。そこに流れるのは、「オズの魔法使」(1939)の主題歌「虹の彼方に」。邦題はこのエンディングから採られている(原題はその密航船の船名「アリエル」から)。
一応はハッピーエンドだが、メキシコに渡った所で平穏な生活が待っているとは思えない。それでも、未来に希望を託すこの終り方は悪くはない。
何より、「虹の彼方に」の歌が象徴するように、この物語は一種のファンタジー、と捉えるべきだろう。現実には、あんなにうまく行くはずはないだろうから。でも、おかげで気持ち良く観終える事が出来た。
カウリスマキの演出は、無駄なシーンやセリフを極力削ぎ落し、短いカットをフェードイン、フェードアウトで繋いで行くのでテンポが早い。本作の上映時間はたったの74分。前作「パラダイスの夕暮れ」も80分だし、新作「枯れ葉」も81分だった。
この、独特のテンポの良さ、オフビート感が見慣れて来るとたまらないほど心地良い。見れば見るほどハマる。カウリスマキ・ファンが多いのも納得だ。
カウリスマキ監督の、初期の代表作として、ファンなら押さえておきたい佳作である。 (採点=★★★★)
(さて、お楽しみはココからだ)
カウリスマキ監督が小津安二郎監督の大ファンだという事は知られているが、本作を一見しただけでは、小津監督からの影響は感じられないと思う人も多いだろう。せいぜい、会話シーンの朴訥な喋り方、カットバックのテンポに小津らしさを感じる程度である。
だが、戦前の小津作品には、失業問題(「大学は出たけれど」(29)、「東京の宿」(35))、社会の底辺で生きる労働者の悲哀(「出来ごころ」(33))といった、カウリスマキ作品と共通するテーマを持った作品がある。初期の頃の作品には、コメディ・タッチの作品も結構あった(その代表作が「生れてはみたけれど」(32)である)。
カウリスマキ監督の労働者3部作などは、これら初期の小津監督作品の影響を受けているのではないかと私は思っている。「東京の宿」では、主人公は遂に泥棒までやって警察に捕まるという結末を迎える。
もっと驚くのは、1933年の小津作品「非常線の女」は、なんと犯罪ノワール映画である。主人公の女はピストルを持って金を奪おうとしたり、男と高跳びする約束をしたりする。これらのエピソードが本作後半におけるハードボイルド展開のヒントになっている気がする。主人公を演じたのが田中絹代というキャスティングにも驚く。
「晩春」以降の家族ドラマでしか小津作品を知らない人だったら驚く作品群だろう。そういう小津作品がある事も知っておいて貰いたい。
(蛇足)
「虹の彼方に」はMGM映画「オズの魔法使」の主題歌である事は前述したが、ひょっとして、“小津の魔法使い”に引っ掛けてるのでは?(笑)
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