「オッペンハイマー」 (IMAX)
2023年・アメリカ 180分
製作:Syncopy=ユニヴァーサル・ピクチャーズ
配給:ビターズ・エンド
原題:Oppenheimer
監督:クリストファー・ノーラン
原作:カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン
脚本:クリストファー・ノーラン
撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ
音楽:ルドウィグ・ゴランソン
製作:エマ・トーマス、チャールズ・ローベン、クリストファー・ノーラン
原爆を開発したアメリカの物理学者オッペンハイマーの半生を実話に基づき映画化。監督は「TENET テネット」のクリストファー・ノーラン。主演はノーラン作品常連のキリアン・マーフィ。共演は「クワイエット・プレイス」シリーズのエミリー・ブラント、「AIR エア」のマット・デイモン、「アイアンマン」シリーズのロバート・ダウニー・Jr.、その他フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネット、トム・コンティ、ラミ・マレック、ケネス・ブラナーら豪華キャストが揃った。第96回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、撮影賞、編集賞、作曲賞の7部門を受賞。
(物語)第二次世界大戦中、物理学者のJ・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)は、極秘に立ち上げられた米政府の“マンハッタン計画”において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命され、優秀な科学者たちを率いて世界初の原子爆弾の開発に成功する。しかし、原爆が実戦で投下され、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩し、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになる。だがそれによって彼は国家に目を付けられ、公職を追われるなど、激動の時代の波に晒される事となる…。
昨年アメリカで公開され、「バービー」と並ぶ大ヒットを記録するが、我が国では内容が内容ゆえ配給権を持つ東宝東和が公開を渋り、長らくおクラになっていた。ようやくビターズ・エンドが配給を引き受け、アメリカより8ヵ月遅れで公開される事となった。
公開前には、唯一の被爆国である日本で、原爆を作った科学者を主人公にした映画が公開される事に不快感を抱いた人も多かったのではないかと思う。実際、“原爆のおかげで戦争が早く終わり、多くのアメリカ人の命を救った”と思っているアメリカ人は今でも多いと聞く。
だが、映画を観れば、決して原爆投下を正当化するような作品ではない事が分かる。むしろ、“原爆という恐ろしい兵器を作ってしまった科学者の苦悩”に重点が置かれた、優れた人間ドラマの秀作であった。やはり映画は観てみないと判らない。配給会社はもっと早く公開すべきであった。
本作は近年のノーラン作品と同様、IMAXで撮影され、IMAX上映も行われている。SFでもないし、派手なアクションもない作品なので、IMAXで観るほどの作品ではないのでは、と思ったが、ノーラン監督の狙いを知りたくてIMAXで鑑賞した。
毎回、どの作品でも時系列をいじりまくるクリストファー・ノーランだけあって、本作も時制は複雑に前後する。また登場人物の数もかなり多いし、それらの人物に関する説明も一切ないので、出来れば前もってwikipediaや関連本などでオッペンハイマーについて予習しておいた方がいいだろう。“赤狩り”についての予備知識もあればなお良い。
(以下ネタバレあり)
時制が複雑と書いたが、整理してみれば、
①主軸となる、オッペンハイマーの歩んで来た道
②1954年のアメリカ原子力委員会(AEC)の聴聞会における、共産主義者と疑われたオッペンハイマーへの尋問プロセス
③それから5年後の連邦上院委員会の公聴会における、②でオッペンハイマーを陥れた商務長官、ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)への追及シーン
の3つに大別される。
これらが並行して進むうえ、①の中にさらに回想シーンなどの時系列のシャッフルがあるので余計判り憎い。
ただ、③のシーンはモノクロで描かれるので、このパートに関しては混乱は少ないし、物語が進行するにつれ、徐々に全体像が掴めて来る。
特に興味深いのは、原作本では僅かしか登場しないというストローズを、映画ではかなりの尺をかけてじっくりと描いている点である。ストローズについては改めて後述する。
映画は冒頭から、オッペンハイマーの脳内イメージと思われる幻想的シーンが頻繁に登場する。核分裂、核融合を思わせる映像もある。
これらの脳内イメージ・シーンにおける音響効果が凄い。ドドドド…っといった感じの腹に響く重低音で、私が観たIMAXシアターでは座席が振動しているような異様な迫力があった。
そういう意味で、この映画は音響システムが優れた、大きな劇場で観るのがベターだろう。IMAXシアターを選んで正解だった。
若き日のオッペンハイマーは、ハーバード大学を首席で卒業した後、イギリスのケンブリッジ大学に留学し、ここでニールス・ボーア(ケネス・ブラナー)などの優れた研究者と出会い、理論物理学者への道を目指す。
その後もドイツのゲッティンゲン大学に移って量子力学研究を行う等、理論物理学の分野で活躍し、若くして博士号取得、教授にまで昇り詰める。まさに天才である。
第二次世界大戦が勃発すると、オッペンハイマーの才能に目を付けたアメリカ政府が彼をロスアラモス国立研究所の初代所長に任命し、オッペンハイマーは原子爆弾開発を目指すマンハッタン計画を主導するようになる。
後に“原爆の父”と呼ばれるオッペンハイマーだが、彼は決して原爆のような非人道的兵器を率先して作りたかったわけではない。当時大戦の敵国ドイツも原爆開発を行っており、ドイツに先を越されたら世界は大変な事になる、その思いを国家と共有していたからこそ、開発を急いだのである。
だが1945年にドイツは降伏、日本も敗色濃厚、原爆を開発する意義はなくなった。にも拘らず、動き出した開発はもはや止められない。
ここからオッペンハイマーの苦悩が顕著となる。科学者としては、自分が主導した、人類未知の分野の開拓(=核兵器開発)の成果を見届けたい欲望にかられる。だがそれは多くの人の命を奪う悪魔の兵器でもある。彼は迷いながらも、前者の欲望に勝てず、開発を進めて行く。
そして1945年、ニューメキシコにおいて、「トリニティ実験」と呼ばれる核実験が成功し、原子爆弾は完成した。
しかしそれを使うかどうかは米政府の胸先三寸、米政府は戦争を早く終わらせる、という大義の下に、広島、長崎に原爆を投下する。オッペンハイマーはそのニュースを聞いて愕然となる。初めて、自分は恐ろしい物を作ってしまったのだと思い至ったのだろう。
広島、長崎の惨状が描かれていない、との声もあるが、この映画はオッペンハイマーという人間を中心に描いているので、彼が実際には見ていないものが描かれないのも、やむを得ないと思う。後の方で、彼が黒焦げになった死体を踏んでしまう幻覚を見るシーンがあるだけでも十分だろう。
戦争が終結して、ホワイトハウスでトルーマン大統領(ゲイリー・オールドマン)から、「おめでとう、君はアメリカを救った英雄だ」と賞賛されたオッペンハイマーは、「私は自分の手が血塗られているように感じる」と語る。すると大統領は、「責めを負うのは作った君ではなく、落とせと命じた私だよ」と返す。
責任を感じているオッペンハイマーをいかにも気遣っているような発言だが、彼が退室した後、大統領が「あの泣き虫を二度と俺の所によこすな」と激怒するシーンは笑える。
オッペンハイマーはその後、さらに強大な破壊力を持つ水素爆弾の開発に反対し、これ以上各国が核開発のエスカレートを行わないよう、国連内に核兵器管理機構の設立を提唱する。
だが、これはアメリカ政府にとっては許しがたい行動で、特に当時米国原子力委員会(AEC)の委員長になっていたルイス・ストローズは、AECの聴聞会において、数々の証拠を並べ立て、オッペンハイマーは共産主義者であり、核の秘密をソ連に渡すかも知れないとして、彼を公職追放処分にする。
この聴聞会は狭い部屋で行われ、明らかにマッカーシー議員による議会で行われた“赤狩り”の様子とは異なる。つまり当時の赤狩り旋風に便乗してオッペンハイマーを嵌めたわけである。
このストローズによる執拗なオッペンハイマー追及、敵愾心の理由も、やがて判って来る。彼は物理学者になりたかったが家が貧しくて断念し、ビジネスマンから原子力委員会委員長にまでなり上がるのだが、彼が断念した物理学の世界で、天才物理学者としてアメリカの英雄になって行くオッペンハイマーにコンプレックスを抱いて、いつか彼を追い落とす機会を窺っていたのだろう。
このストローズという人物像を大きく膨らませた事で、この映画は単なる偉人伝に留まらない、国家、政治の深層、科学の光と闇、そして複雑な人間模様をも絡めた、極めて重層的なドラマになっているのである。これには感動した。
結局そのストローズも、1959年の連邦上院委員会の公聴会において、5年前にオッペンハイマーを追放した事の是非を問われ、商務長官の職を追われるという皮肉な結果となる。因果は廻るという事か。
ストローズを演じたロバート・ダウニー・Jr、見事な巧演である。アカデミー助演男優賞も納得である。
凄い映画だった。上映時間は3時間もあるのだが、まったく退屈しなかった。オッペンハイマーという人物の心の内面、葛藤を通して、人間というものの弱さ、複雑さを鋭く掘り下げ、さらには科学の発達が国家のエゴと結びついた時の恐ろしさにも警鐘を鳴らした、これは見事な反戦、反核ドラマの傑作であった。
ビビって公開を見合わせた東宝東和にも困ったものだが、配給を引き受け、IMAX上映も含めた全国公開を敢行してくれたビターズ・エンドには感謝したい。興行的にもヒットしているようで、喜ばしい事である。
暫定だが、本年度のベストワン作品である。時系列は複雑だが、それ故2度、3度と観る度に、より作品が理解出来るだろう。出来れば、1度はIMAXで観る事をお奨めする。
(採点=★★★★★)
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コメント
遅い投稿すみません。この映画とは直接関係ないのですが、かつて「ザデイアフター」と言う映画が作られた際、核爆発シーンを直接描くことに賛否両論が日本のみならずアメリカでもあったように記憶します。(個人的記憶ですし、検証もしてないので違っていたらすいません。)その後、「トータルフィアーズ」「トゥルーライズ」「インディージョーンズ クリスタルスカルの王国」等、名だたる監督達が、核爆発シーンがありながらも登場人物皆平気的な映画を作っていて、今一これらの映画にのめり込めなかったことを思い出しました。ようやく、アメリカでこう言う映画できたんですね。日本で公開されて本当に良かったと思います。こんな内容が、IMAXの大画面で飽きずに観れる。クリストファーノーランはやはり凄い。過去、サントラ好きの私にとって、彼の唯一の難点、まるで音楽に聞こえないずっと流れる音楽も、今回良かったです。
投稿: | 2024年4月29日 (月) 12:40
残念ながらタイミングが合わず、IMAXでは見れず。それでも迫力がありました。多数の登場人物を、メリハリつけて上手くさばいている脚本が優れているのでしょう。3時間でも緊張感を維持できました。トルーマン大統領が、ゲイリー・オールドマンとは全く気づきませんでしたね。
投稿: 自称歴史家 | 2024年4月29日 (月) 19:07
最初の投稿で名乗るのを忘れました。失礼しました。オッペンハイマー、私も暫定ベスト1です。
投稿: オサムシ | 2024年4月29日 (月) 23:05
◆オサムシさん
「ザ・デイ・アフター」(84)ありましたね。劇場公開時に観ています。キノコ雲が立ち昇る核爆発シーンはありますが、元々はテレビ映画という事もあって、焼け爛れた死体なんかはまったく出て来ない、ちょっと大きめの爆弾が炸裂した程度のおとなしい映像だったのは残念でした。それでも原爆の恐ろしさはまあまあ表現されていたと思います。
核爆発シーンがあっさりしてる映画は他に「ダークナイト ライジング」(偶然にもクリストファー・ノーラン監督!)がありましたね。ノーラン監督、あの作品で核兵器の恐ろしさが描けていないと反省して本作作ったんでしょうか(笑)。
◆自称歴史家さん
ゲイリー・オールドマン、私も気づきませんでした。あとアインシュタインを演じてたのがトム・コンティ(「戦場のメリークリスマス」)だったのも、後で知ってびっくりしました。
投稿: Kei(管理人 ) | 2024年5月 1日 (水) 14:35
原爆の父と呼ばれたオッペンハイマーを描きます。
戦後、ソ連のスパイ容疑で聴聞会で追及されるところから始まり原爆開発までの生涯が描かれます。
3時間と長い映画ですが、見ごたえありました。
演出にも力があるし俳優陣も好演しています。
主人公のキリアン・マーフィーはもちろん、悪役のロバート・ダウニー・Jr.がいいですね。
時系列が前後するので最初はちょっと入りにくい感も。
オッペンハイマーの生涯については軽く予備知識を入れておいた方がいいかもしれません。
映画を見た後なら以下は参考になると思います。
https://note.com/uchan_ssr/n/nc011163ec540?fbclid=IwAR0A4kywTJoxIKDSjXbVrsQbotEHqjyL1QMrLfiWG0_pInLwVhuqTyB
投稿: きさ | 2024年5月 3日 (金) 14:19
◆きささん
上のサイト見て来ました。実に細かく検証されていますね。これをじっくり読んでからもう一度本作を観直したら、さらに映画の理解が深まると思いますね。ありがとうございました。
投稿: Kei(管理人 ) | 2024年5月 4日 (土) 11:35