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2024年5月12日 (日)

映画本「日本映画 隠れた名作」

81vamsx08ql_sy425_  タイトル:日本映画 隠れた名作
          昭和30年代前後

 
 川本三郎+筒井清忠・共著

 中央公論新社・刊  1,800円+税

 初版発行日:2014年7月10日

 単行本ソフトカバー 301ページ

 

評論家の川本三郎さんが、帝京大学文学部教授の筒井清忠さんと共著で出版した、タイトル通り日本映画のあまり有名ではないけれど隠れた名作映画 ―それも昭和30年前後に公開された作品― について対談した本です。

川本さんは私がとても敬愛する評論家で、著作された本は大抵読んでいるのですが、この本は10年も前に出版されていたのに知りませんでした。最近図書館で著作を検索していて、偶然見つけました。

全部で5章に分かれていて、第1章は「ふたりの映画回想」と題する、お二人の少年時代の映画体験を語る回想記が中心です。そして第2章以降は、章ごとにテーマを決めて、お気に入りの映画監督について細かく語って行く体裁になっています。

お二人の生れは、川本さんが昭和19年、筒井さんが昭和23年と4歳違いですがほぼ同世代という事で、子供の頃に観た映画は共通する作品が多いです。そしてやっぱり、と言うか、熱中して観たのは昭和29年の「笛吹童子」から始まる東映のチャンバラ映画。川本さんは「小さいころは日本映画はチャンバラしか見ていなかった」と語っています。この世代はみんなそうですね(笑)。
私も同じく子供時代、中村錦之助、東千代之介主演の「笛吹童子」「紅孔雀」や大友柳太朗主演「怪傑黒頭巾」等の東映チャンバラ映画を毎週観に映画館に通っておりましたので、うんうんと頷きながら読みました。

川本さんの主義は、暗い映画、特に戦争映画は意識的に観ない「ぜんぶ見なくていい主義」だそうです。戦前生まれなので、空襲の怖い記憶が残っているのでしょうね。また小津安二郎監督作品でも、「後半はちっともいいとは思わない」そうです。
そこから話は広がって、「いつまでも小津、黒澤ばかりではないだろう、むしろ今ではマイナーになってしまった監督を採り上げたい」という事で、以後は一部を除いて、「映画史の上で名監督と評価されてはおらず」「誰も関心がないままで」忘れられてしまった「知られざる名監督」の作品を中心に二人で大いに語り合って行く事となります。

最初は久松静児。久松監督は「警察日記」という傑作があってよく知られており、本文でもこの作品について語っていますが、それ以外に川本さんが好きな同監督作として、「安宅家の人々」(52)、「妖精は花の匂いがする」(53)、「女の暦」(54)なんて、題名すら知らなかった作品が続々と並んでいるのには感心。既にフィルムが残っていない作品もあるそうです。私は昨年久松監督の「神阪四郎の犯罪」を観て面白かったので、挙げられた作品、機会があれば観たいと思います。

以後もこんな感じで、監督名は知っていても、その監督作で聞いた事もない作品名が次々と。参考になりますね。ロケ地めぐりの本を出している川本さんだけに、ロケ地に関する話題も時々出て来て楽しめます。また川本さんが月丘夢路、木暮実千代、高峰三枝子の3人を「マダム顔」と呼んでいるのも面白い。大人の雰囲気を醸しだす女優という事でしょう。近年はそんな女優がいなくなったというのも同感です。「マダム」自体が今では死語ですが(笑)。

そして第2章以降は、前述したように数人のお気に入り監督をピックアップし、さらにマニアックな語り合いになって行きます。

第2章「戦後」の光景では、家城巳代治、鈴木英夫、千葉泰樹、渋谷実、関川秀雄の5人を採り上げています。私が特に面白く読んだのが鈴木英夫のパートで、以前シネ・ヌーヴォでの鈴木英夫監督特集で観た作品が続々登場するのでとても楽しめました。
千葉泰樹も同じくプログラム・ピクチャー一筋の職人監督ですが、お二人が同監督の「鬼火」(56)、「下町」(57)をとても褒めているので観たくなりました。千葉監督も私はノーマークだったので、こうして採り上げてくれるのはとても有り難いですね。

第3章「純真」をみつめてでは、清水宏、川頭義郎、村山新治、田坂具隆の4人が登場。清水宏は数年前から私のお気に入り監督になったので、楽しく読みました。やはり「有りがたうさん」「按摩と女」「簪」は大好きです。川頭義郎はあまり観た作品はないのですが、川本さんが「涙」(56)を「最高だ」と絶賛していたので俄然観たくなりました。村山新治監督では「消えた密航船」(60)がお奨めだそうです。これも知らない。田坂具隆は巨匠とも言える存在ですが、筒井さんが「現在、巨匠の扱いを受けていない」と語ってたのが印象的でした。重厚な大作もあれば、地味な「女中ッ子」「はだかっ子」もあるからでしょうか。

第4章「大衆」の獲得では、滝沢英輔、野村芳太郎、堀川弘通、佐伯清、沢島忠、小杉勇が登場します。この辺になってくると、知っている作品も結構登場します。戦前から映画を撮っていた滝沢英輔、佐伯清もいますが、みんな昭和30年代の日本映画黄金時代にプログラム・ピクチャーの良作を撮っていた方ばかりですね。野村芳太郎、堀川弘通はベストテン級の秀作がある一方でプログラム・ピクチャーも多く監督しています。佐伯清は「昭和残侠伝」シリーズなど東映任侠映画で知られていますが、川本さんは56年の「大地の侍」を隠れた名作として一押ししています。これは観てないのでどこかで観たいですね。

そして第5章「職人」の手さばきでは中村登、大庭秀雄、丸山誠治、中川信夫、西河克己が採り上げられています。タイトル通り、大作ではないけれどB級映画でもない、職人肌の佳作を作った監督ばかりですね。中村登は文芸作品、女性映画を多く撮った印象がありますが、お二人が推奨してるのが昭和35年の「いろはにほへと」。題名だけではどんな作品か判りませんが、なんと政界も巻き込んだ経済犯罪事件を扱った社会派ドラマです。同じ年に黒澤明が撮った「悪い奴ほどよく眠る」を思わせますね。原作・脚本がそれにも参加している橋本忍!。川本さんはもの凄く面白いと言うし、筒井さんも傑作と言ってるのに、まったく知られていないのが不思議です。すごく観たくなりましたね。
中川信夫は傑作「東海道四谷怪談」が有名ですが、川本さんが「忘れてはならない佳作」として挙げているのが昭和28年の「思春の泉」。石坂洋次郎原作の牧歌的な青春ものだそうで、他にも昭和20年代には青春ものとか子供ものとかにいい作品があるそうです。そんな事もほとんど知られておらず、怪談もの専門監督のように思われてるのが残念ですね。

こんな具合に、まさしく昭和30年前後の、ほとんど知られていない埋もれた秀作、佳作について熱く語り尽くした、古い日本映画ファンにはたまらない本です。巻末には、作品名のアイウエオ順索引があり、監督名と紹介ページも記載されていて親切です。


…が、残念な事に、一つ重大なミスがあります。33ページに川本さんの発言で、「(東映は)あの頃はマキノ雅弘がほとんど製作主任でしょう。マキノは右も左もない人で、『おれは映画党だ』って言っている」「中国から帰って来た内田吐夢に『血槍富士』を作らせたりした」「今井正もそう。彼も東宝にいられなくなり、東映が引き入れた」…とありますが、これはマキノ雅弘ではなく、雅弘の弟のマキノ光雄の誤りです。
マキノ雅弘はご承知のように戦前から活躍していた映画監督で、1952年以降は東宝、日活、東映など各社を渡り歩いて監督作品を作っており、東映で製作主任をやった経験はありません

マキノ光雄は満州帰りで、終戦後東映の前身、東横映画の撮影所長に就任、東映設立後も数多くの時代劇を中心としたプログラム・ピクチャーを製作、その一方でレッドパージで東宝を追われた今井正を呼び寄せ、「ひめゆりの塔」の監督に起用します。この時左翼作家の起用を危ぶむ周囲に「右も左もあるかい、わいは大日本映画党じゃ」と言い放ったのは有名な話です(Wikipedia参照)。内田吐夢監督「血槍富士」をプロデュースしたのも無論マキノ光雄です。昔の日本映画に詳しい人なら周知の事実です。
ご丁寧に、このページにはマキノ雅弘監督の顔写真まで掲載しています。

さらに57ページの家城巳代治監督の項でも、「マキノ雅弘が『おれは左も右も関係ない、映画党だ』と言っていた…」と同じ間違いを繰り返しています。

日本映画の歴史に詳しい川本さんにしては、考えられないミスです。筒井さんもなんで気付かなかったのでしょうか。校正の段階で誰か気付きそうなもんですが。

ネットでこの本の書評を検索しても、この事を指摘した記事は見つかりませんでした。でも多分この本を読んだ映画通の方が、出版社にこの誤りを伝えてるでしょうから、恐らく第2版以降では訂正されているでしょうが。

でもとても素敵な本ですので、見つければ是非読んでください。その際には、上の点を頭に入れて読む事をお奨めします。

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(付記)
以下は、あまり書きたくなかったのですが、本書の書評記事を検索していて、仰天するような間違い記事を見つけてしまいましたので指摘しておきます。

朝日新聞の言論サイト「論座」のアーカイブ記事で、この本の書評を上原某なる編集者の方が書いています(URLはこちら)。以下問題部分のみ引用します。

「戦後」を切り取った『忘れられた』名監督の筆頭に挙げられるのが家城巳代治というのが、本書の全体像を浮き彫りにする。弘前高校から東大という太宰治と同じ経歴をもつ家城は、『アカ』の烙印を押され松竹を追放された監督である」
「彼を受け入れたのは、清濁併せ呑む東映撮影所長のマキノ正博。彼は新興映画会社の制作トップにふさわしく、「俺は右翼でも左翼でもない。『映画党』党首だ」と宣言し、才能があれば右も左も受け入れた」
「その結果生まれたのが、家城監督による特異な特攻映画『雲ながるる果てに』であった」

もう間違いだらけです。①マキノ正博✕→マキノ光雄は無論ですが、②マキノ正博はマキノが1950年まで使っていた名前で、この頃はマキノ雅弘に改名。川本さんが雅弘と書いてるのになんでわざわざ古い名前にするのでしょうか。
さらに、③家城監督の「雲ながるる果てに」(1953)は、独立プロの重宗プロと新世紀映画が製作、松竹と北星映画が配給した作品で、マキノ光雄はまったくタッチしていません。

もう呆れてものが言えません。もうちょっと調べて書いたらどうでしょうかね。素人の書評ならともかく、大手新聞社の言論サイトでこんな間違いが堂々掲載されてしまうのも問題です。この「論座」の記事は10年前に書かれていますが、今だに訂正されないままなのもどうかと思いますね。

ただこの誤解は、前記した本書の57ページ、家城巳代治の項で、川本さんが、家城監督がレッドパージで松竹を離れ、「フリーになったあとで、東映に行く「マキノたちは、家城巳代治や関川秀雄といった左翼系の監督を平気で起用した」と言ってる事から生じたのかも知れません。

家城巳代治は、松竹を離れフリーになった後は、独立プロを中心に活動しており、家城監督が東映で映画を作るようになるのはそのずっと後、マキノ光雄が1957年に病没した翌年1958年の「裸の太陽」からです。従ってマキノ光雄との接点はありません。
ただ川本さんが「マキノたち」と言ってるように、マキノ光雄以外の東映プロデューサーが後に家城監督を積極的に起用したのは間違いではないのですが、誤解を生むような言い方をした川本さんにも多少の責任ありとは思います。まあそれで、調べずに思い込みで書いた上原氏が免責されるわけではないですが。

 

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