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2024年6月25日 (火)

「かくしごと」

Kakushigoto 2024年・日本   128分
製作:メ~テレ=ホリプロ
配給:ハピネットファントム・スタジオ
監督:関根光才
原作:北國浩二
脚本:関根光才
撮影:上野千蔵
音楽:Aska Matsumiya
企画・プロデュース:河野美里
エグゼクティブプロデューサー:松岡雄浩、津嶋敬介、小西啓介

ミステリー作家・北國浩二の小説「嘘」を映画化したヒューマンミステリー。監督は長編デビュー作「生きてるだけで、愛。」で注目された映像クリエイターの関根光才。出演は「キングダム 運命の炎」の杏、「さかなのこ」の中須翔真、「アナログ」の佐津川愛美、「花腐し」の奥田瑛二。

(物語)絵本作家の千紗子(杏)は、長年絶縁状態にあった父・孝蔵(奥田瑛二)の認知症が進行し介護が必要になった為、渋々田舎に戻ってくる。他人のような父との同居に辟易する日々を送っていたある日、彼女は事故で記憶を失った少年(中須翔真)を助けるが、その身体に虐待の痕を発見する。千紗子は少年を守る為、自分が母親だと偽り、一緒に暮らし始める。ひとつの“嘘”から始まった千紗子と少年、認知症が進行する父親の3人の生活。最初はぎこちなかったものの、次第に心を通わせ、新しい家族のかたちを育んで行く千紗子たちだったが…。

関根光才監督の前作「生きてるだけで、愛。」(2018)は、これが長編劇映画監督デビュー作とは思えないくらい見ごたえのある力作だった。これで私はファンになり、次回作を待っていたのだが、なんと前作から6年も経ってしまった。題材を慎重に選んでいたのかも知れないが。

その待望の新作は、“親の認知症”“児童虐待”という、現代が抱える2つの社会問題がテーマになっている。前作でも躁鬱病で自分の感情をコントロール出来ない女性(趣里)が、周囲の理解と援助によって立ち直って行く姿をしっかりとした丁寧な演出で描き、また主演の趣里を実力派演技者としても開眼させた関根監督だけに、本作でも期待が高まる。

(以下ネタバレあり)

杏演じる絵本作家の千紗子は、ある事情で父・孝蔵とは疎遠、と言うか絶縁状態だったのだが、その孝蔵が認知症のせいで裸で歩き回ったと連絡を受け、それではほっとけないと仕方なく故郷に帰って来る。

孝蔵の認知症はかなり進行していて、千紗子が顔を見せても、「あんたは誰だ」と娘の顔も忘れている。リモートで仕事をこなしつつ、父の食事を作ったり、入居出来る介護施設を探し回ったりと気苦労が絶えない。

そんな時、久しぶりに会った親友の野々村久江(佐津川愛美)と息抜きで居酒屋に行き、酒を飲んだ後、久江が車で送ってくれるのだが、夜の道で少年を撥ねてしまう。

千紗子は警察に連絡をと言うのだが、公務員である久代は、飲酒運転で人身事故を起こした事がバレると大変な事になるので通報しないで欲しいと千紗子に懇願する。
それで仕方なく少年を千紗子の家に連れ帰る。幸い事故の傷は大した事はなかったが、その少年の身体にはかなり酷い虐待の跡があった。もしかしたら親の虐待から逃げてあんな所にいたのではと千紗子は想像する。

目を覚ました少年は、記憶をなくしていて、自分の名前も家族も、なにがあったかもすべて覚えていないと言う。

翌日、テレビのニュースで、子供が橋の上でバンジー・ジャンプしててロープが切れ、川に落ちて行方不明だと報じられていた。この少年がその子に違いない。
子供がそんな危険な事を望むはずがない。これも虐待の一種ではないか。おまけに子供が見つからないのに親はさっさと家に帰ってしまったという。千紗子はますます不信感を募らせる。
久代はやはり警察に届けなければと言うが、もし届け出ればこの子は親元に帰され、また親から虐待されるのでは。それでは可哀想だ、この子を虐待から守ってやらねば、と千紗子は決意する。
それでは誘拐になると言う久代に千紗子は、それなら飲酒運転で事故を起こした事もバラすと、ほとんど脅迫に近い形で久代の通報を思い留まらせる。

そこまで千紗子がエキセントリックになるのは、後に明らかになるが、彼女は昔、学生結婚で生んだ息子を海の事故で死なせており、この少年を亡き息子と重ね合わせていたからだろう。今度こそ、子供の命を守らねば…そう千紗子は決意したのだろう。
元々娘の結婚に反対していた父とは、その子供の死が決定的な要因となって絶縁してしまったのである。

少年が記憶をなくしているのを幸いに、千紗子は「私があなたのお母さんよ」とを言い、自作の絵本の登場人物から、この少年に“拓未”と名づける。”未来を拓く”という意味が込められている。孝蔵にも、これは自分の息子だと言う。認知症なのが幸いして、孝蔵も拓未を孫だと思い込んだようだ。

こうして、千紗子と父・孝蔵と記憶をなくした少年・拓未の3人の、奇妙な共同生活が始まる事となる。


ちょっと無理があるなと思ったのは、昔ならともかく、今の時代、飲酒運転は重大な違反である。その上に人を撥ねて警察に届けないというのは許されるものではない。
だが実は原作もそうなっている。偶然出会った少年を警察に届けず匿う理由としては他に思いつかなかったのかも知れないが。これはもう少し考えて欲しかった。

そんな難点もあるが、本作が素晴らしいのは、共同生活を通して、3人が徐々に心を通わせ、その距離が縮まって行くプロセスを丁寧に描いている点である。

孝蔵はだんだんと記憶をなくして行き、千紗子も認識出来ず、自分が誰なのかも分からなくなって行く。それに苛立ち、暴れる時もある。
一方、拓未も記憶を失っているが、千紗子の優しい愛情を得て、いつしか千紗子が自分の本当のお母さんだと思い込むようになる。もし拓未が記憶を取り戻せば、親から虐待を受けていた事を思い出し、精神的に不安定になる可能性もある。
本当の記憶をなくしている方が、拓未にとっては幸せなのだ。

この映画は、孝蔵と拓未、二人の記憶に関して、“記憶を失う事は不幸か、それとも幸せなのか”という問いかけもテーマになっているように思える。

もう一つ、孝蔵の認知症によるさまざまな症状を、かなりリアルに描いている点も注目である。徘徊、小便の垂れ流し、突然物を投げつける、食べ物以外を口にする(後半粘土を食べるシーンもある)、千紗子を、かなり前に他界している自分の妻と間違える。等々…。個人的な事になるが、私も両親の認知症介護で大変な苦労をしただけに、まさに認知症あるあるで身につまされた。

インタビューによれば、関根監督は中学生の時に祖父が認知症になったそうで、その時の体験も反映されているのだろう。

千紗子が父の症状について相談に訪れる開業医の亀田(酒向芳)の存在も面白い。あまり儲かってもいないのに、親身になって孝蔵の事を心配してくれる。時には孝蔵や拓未らと一緒に釣りに連れてってくれたりもする。
そして亀田が語る、認知症についての考え方もなかなかポイントを突いている。認知症の親を抱える家族にとっても参考になるだろう。

亀田を演じる酒向芳の、飄々とした味のある演技も見事。本職の町医者に見える。

余談だが、今年12月からマイナ保険証1本になって紙の保険証が廃止されたら、亀田のような細々とやっている開業医は高額な読取装置など導入できず廃業に追い込まれるだろうな、と思うと、政治への怒りがこみ上げて来る(笑)。

孝蔵は木を彫ったり粘土を使ったりして仏像を作っているのだが、時にうまく行かず作った仏像を叩き壊そうともする。そんな時拓未が粘土捏ねを手伝ったり、一緒に仏像を作ろうとしたりもする。そんな拓未がいるおかげで、孝蔵も少しづつ心の平穏を得て行ったりもする。3人で粘土を捏ね、カラフルなペイントを施して行くシーンはみんな心から楽しそうだ。
拓未が潤滑油のような存在となって、千紗子の父とのわだかまりも少しづつ解消して行く。ここらはちょっとジンとさせられる。

(以下重要ネタバレあり。未見の方は注意)

 

だがそんな幸せな日々も長くは続かない。少年の義父、犬養安雄(安藤政信)が息子の居場所を突き止め、孝蔵の家にやって来たのだ。

実は千紗子は少年を匿った後、虐待の状況を探る為に、調査員と称して安雄の家を訪れ、補助金が出るからと言って家に上がり込んでいる。その時に安雄に顔を見られていた。
絵本作家である千紗子だから、マスコミ媒体に顔写真も載るだろうに、これは不用心過ぎる。案の定安雄が雑誌に載った千紗子の写真を見て、ここにやって来たわけだ。
せめて眼鏡をかけるなり鬘をかぶるなりの変装をして行くべきだったのでは。あるいは久代に代わりに行ってもらう手もあっただろうに。この辺りもいまいち納得出来かねる。まあそれだと安雄がここに現れる事は出来ないので物語が進まないが。

そしてここで事件が起きる。千紗子と安雄が揉み合いになり、孝蔵が持ち出して来た小刀で拓未が安雄を刺してしまうのだ。それを見た千紗子は、拓未の罪を自分で被る事を決意する。

そこから舞台は急転、千紗子が安雄殺しの被告として立つ裁判の場となる。細かい所をバッサリ省略する簡潔な関根演出がなかなかいい。

そしてクライマックスと言うか、裁判の証人として拓未(本名は犬養洋一)が証言台に立つシーン、ここはアッと驚くサプライズな結末が待っている。

拓未は、殺したのは自分だと証言し、さらに「僕の名前は犬養洋一です。でもお母さんはあの人です」と千紗子を指さす。驚きと感動が混じった千紗子のアップを捉えて映画は終わる。


この結末のテンポが実に見事。余計な描写はカットし、拓未の一言だけでスパッと映画を締めくくる、実に簡潔なエンディングに感心した。

拓未は、実はかなり早い段階で記憶を取り戻していたのだろう。いや、もしかしたら最初から記憶喪失などしていなかったかも知れない。
だが虐待する親の元に戻りたくない、優しい千紗子と嘘の親子関係を継続していたいという思いから、記憶を失ったフリをずっと続けていたのだろう。

原作題名の「嘘」あるいは映画題名の「かくしごと」がここで生きて来る。千紗子は拓未を自分の子供だとをついていたのだが、拓未の方もをつき、隠し事をしていたわけだ。

いろいろとツッ込みどころもあって、秀作とまでは言えないが、関根演出は相変わらず緩急自在で楽しませてくれる。特に終盤のテンポいいシャープな演出は特筆ものである。ダラダラと間延びした最近の日本映画は見習って欲しい。関根監督の次回作も楽しみだ。

杏の迫真の熱演も素晴らしいし、奥田瑛二の認知症演技も見事。拓未(洋一)を演じた中須翔真も好演。役者がみんな名演だ。

認知症についても、児童虐待についてもそれぞれ考えさせられる良作だった。観ておいて損はない。  (採点=★★★★

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(付記)
本作と同じ日(6月7日)に、前回紹介した「あんのこと」も封切られているが、どちらもひらがな5文字でよく似た題名だし、本作の主演は前作の河合優実が演じた主人公の名前と同じ“杏”だし、なんか紛らわしい。

おまけにテーマ的にも、どちらも児童虐待が取り上げられているし、どちらの主人公も他人の子供を育てようとするし、役者も、前作で毒親を強烈に演じた河井青葉が本作にも看護師役で出演している。両作を続けて観ると、こんがらがりそうだ。

 

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