「箱男」
(物語)ダンボール箱を頭からすっぽりと被り、街中を彷徨い、覗き窓から世界を覗き見る“箱男”。それはすべてから完全に解放された“本物”の存在だった。カメラマンの“わたし” (永瀬正敏)は、偶然街で見かけた箱男に心を奪われ、自らもダンボールを被って箱男として生きようとする。だが本物の箱男になるまでには、数々の試練と危険が待ち受けていた。存在を乗っ取ろうとするニセ箱男(浅野忠信)、完全犯罪に利用しようと企む軍医(佐藤浩市)、“わたし”を誘惑する謎の女・葉子(白本彩奈)らに打ち勝ち、“わたし”は本物の箱男になれるのだろうか…。
本作は元々は、1997年に監督・石井岳龍、主演・永瀬正敏で映画化が進められていたが、ドイツでクランクイン直前に撮影が頓挫してしまうという苦汁を味わう。
その後、原作権はハリウッドに移り、巨匠リドリー・スコットの製作会社が映画化を目指すも実現せず、世界のマーケットで「映像化は不可能だ」と囁かれるようになっていた。
そんな幻の企画が27年の時を経て、当時の監督、主演俳優が再集結して、遂に映画化が実現した。その経緯を聞くだけでも石井監督の執念を感じて胸が熱くなる。
原作者の安部公房の作品はこれまで「おとし穴」、「砂の女」、「他人の顔」、「燃えつきた地図」などが、いずれも勅使河原宏監督により映画化されている(脚本も安部自身)。私は「おとし穴」以外全部映画館で観ている。
どれも難解で不条理な作風だが、勅使河原監督の重厚な演出、名優たちの熱演でそれぞれ見ごたえがあった。ちなみに「砂の女」はその年(1964年)のキネ旬ベストワン。その他の作品もいずれもその年のベストテン入りを果たしている。
そこで本作だが、これまた難解な原作。しかも監督が若い頃には「高校大パニック」、「狂い咲きサンダーロード」、「爆裂都市 BURST CITY」、と、エネルギッシュでとんがった話題作を作って来た鬼才・石井岳龍(旧名:石井聰亙)。近年でも「パンク侍、斬られて候」(2018)という、題名通りパンクで猥雑、かつ難解な異色作を監督している。
こんな原作+監督のコラボ作品が解り易い作品になるわけがない。出来上がった映画はまさしく奇々怪々、不条理極まりない怪作に仕上がっていた。
ちなみに今年は安部公房生誕100周年。絶妙のタイミングでもある。
(以下ネタバレあり)
永瀬正敏扮する“わたし”は元はカメラマンだが、街で偶然目にした箱男に心を奪われ、自分も箱男になろうとする。
“箱男”とは何か。なぜ“わたし”は箱男に魅入られてしまったのか。映画が進むにつれ、その理由が少しづつ見えて来る。
箱に入る事で、街を行く人は皆、見向きもせず、その存在を無視して通り過ぎる。まるで透明人間になったかのようである。
しかし箱に穿たれた小さな覗き窓からは、目の前を行く人たちが見通せる。相手は気づかないのに、こちらからは一方的に覗く事が出来る。
目の位置が地上約1メートルと低い為、人間の腰の位置が真正面になる。“わたし”は通り過ぎる女性を穴からカメラで撮影し、箱の壁に貼っている。
覗きが趣味の人間にとっては、これは快感だろう。そりゃやめられなくなるのも分る(笑)。
しかしよくよく考えると、”相手からは見えない小さな覗き窓から、世の中を覗き見る”という行為は、現代人がスマホを使って、SNSを通して世界を見る行為と極めてよく似ていると言えまいか。箱の覗き窓のサイズも、スマホとほぼ同じ大きさだ。横幅はもう少し長いが。
電車の中で、誰とも会話を交わさず、黙々とスマホを弄り小さな画面を覗いている現代の人々は、まさしく“箱男”そのものと言えまいか。考えたらゾッとする。
映画には「箱男を意識する者は、箱男になる」というセリフと字幕が出て来る。これが何度も繰り返される。
街で目にした箱男に関心を持った“わたし”は自分も箱男になってしまうし、その箱男を付け狙う偽医者(浅野忠信)もまた、偽の箱男になろうとする。
こうして、箱男は増殖して行く。ラストには、無数の箱男が登場する事となる。
ただ、原作をそのまま映画化しても、テーマは理解出来るとしても、映画としては面白くならない。
そこで石井監督が盛り込んだのは、“アクション”である。冒頭から箱男を狙って攻撃する男(渋川清彦)との追っかけ、そして対決シーンが登場するし、偽医者も箱男を攻撃する。箱に入ったまま、かなりのスピードで箱男が疾走するシーンもある(中腰でよくあんなに走れるものだ(笑))。
中盤では、自分も箱男になった偽医者男と“わたし”が大バトルを展開するシーンがある。お互い箱に入ったまま、走り、追いかけ、ぶつかり、階段から転落したりのアクションもなかなかの迫力だ。
こうした、敵対する者同士の壮絶な闘いも、石井監督作品ではお馴染みである。むしろ本領と言ってもいい。
若い頃の出世作「狂い咲きサンダーロード」、「爆裂都市 BURST CITY」にも派手なガチ・バトルが登場するし、一時大人しくなった後で作った時代劇「五条霊戦記//GOJOE」(2000)ではなんと!弁慶と牛若丸が壮絶な殺し合いバトルを演じる。ちなみに牛若丸を演じていたのが浅野忠信。
その翌年の、「ELECTRIC DRAGON 80000V」でも、電気を体に帯電して暴れる男と、顔半分が仏像になっている電気修理業の男とが凄絶な一大バトルを繰り広げる、という、筋書を聞いただけでは理解不能の怪作を発表している。なおこの両者を演じたのが本作と同じ浅野忠信と永瀬正敏。この二人は前掲「パンク侍、斬られて候」でも共演している。
そうした石井作品を見続けている石井監督ファンであれば、この展開も十分理解出来るだろう。
物語にはその他、死にたがってる軍医(佐藤浩市)とか、軍医を世話する偽看護婦(白本彩奈)等も登場するが、物語に影響を与えるほどでもない。白本彩奈がフルヌードで箱男たちを誘惑するファム・ファタール的な存在と言うのは面白いが。考えれば、安部公房原作の2本の映画「砂の女」、「他人の顔」にも著名女優のフルヌードが登場していた。石井監督はこれらの安部作品を意識したのかも知れない。
箱男が、診療所のドアや窓を段ボールで覆ってしまうシーンがあるが、これは今居る世界そのものを箱に閉じ込めようとする行為と考えればいい。結果として、箱から覗き見た世界は消え(人間がいない)、無数の箱男だけが存在する。
画面が引くと、そこは映画館で、観客がこの映画を観ている。まるで横長長方形のスクリーン自体が、箱の窓から覗き見た世界のようである。
そこに箱男のナレーション「箱男は、あなた自身だ」が被って映画は終わる。この映画をスクリーンで見ている我々自身が、いつの間にか箱男になっていた。一種のメタ構造だ。
安部公房が作品に込めたテーマが凝縮された、見事なエンディングである。その意味で、この映画は絶対に劇場のスクリーンで観るべきである。よりテーマが理解出来るだろう。
これほど見事に、時代を反映し、鋭い時代批判を投げかける映画は久しぶりである。圧倒された。
原作が発表されたのは1973年、半世紀も前だ。当然インターネットも携帯もスマホもない時代である。
おそらく安部公房の狙いは、当時普及率が90%を超えたテレビへの暗喩だろう。評論家の大宅壮一が既に「一億総白痴化」と言っていたように、文字通り“箱”型のテレビを通して世の中を覗き見る我々人間は箱男そのものだと作者は言いたかったのだろう。スマホの登場で、人々はますます箱男に近い存在になってしまったという事だ。
本作の公式サイトにも「最も驚くのは、著書が発表された50年前に安部公房はすでに現代社会を予見していたということだ」とある。
もっとも、当初映画化が企画された1997年には、インターネットや携帯電話はあったが、スマホはまだ登場していなかった(i-Phoneの登場は2007年)。
27年も遅れて映画化が実現した事は、スマホの登場を待った事においてむしろ幸運だったのかも知れない。“時代が安部公房に追いついた”と言えるかも知れない。石井監督の執念が最高の形で結実した。その事を喜びたい。
とにかくストーリー自体はあまり意味を持たないので、深く考える必要はない。作者が狙ったテーマに共感し、後は現実と幻想の境界も不明な不思議な世界観、シュールな展開を楽しめばいいのである。
俳優では、体当たりで熱演の白本彩奈がとてもいい。今後も注目だ。 (採点=★★★★☆)
(付記)
こんな難解なアート作品が、シネコン(ステーションシティ・シネマ)で公開されて、しかも2日目の土曜日に行ったら満員札止めだった。
私は前もって早めにネットで予約していたので観れたが、予約せずに行ったら席が取れず無駄足になったところだった。
浅野忠信か永瀬正敏、あるいは佐藤浩市のファンがいるのだろうか。石井岳龍監督のファンがそんなにいるとも思えないし。まあ結構な事ではある。
| 固定リンク
コメント
初日に観ましたがそれなりに客入りは良かったですね。
観終わって、なんだかすごく70年代的匂いを感じました。例えば寺山修司的と言えばいいのか。ラストの永瀬のセリフなんかいかにも。
無理に理解しようと構えるより映画に身を任せれば素敵な時間を過ごせる作品でした。実は原作読んだことないので読んでみようと思います。
投稿: 周太 | 2024年8月27日 (火) 18:38
◆周太さん
早速御覧になったのですね。楽しまれたようで、何よりです。
>70年代的匂いを感じました。例えば寺山修司的と言えばいいのか…
あ、それは分かりますね。本作の原作自体が1970年代の日本が舞台ですし、都会の中の孤独、疾走感のあるシュールな映像、というのも寺山作品(「書を捨てよ町へ出よう」等)と共通するものを感じますね。ラストも確かに寺山的でした。
おっしゃる通り、深く考えずに映画に身を任せれば、十分楽しめる作品だと思います。
27年前の念願の企画を完成させて肩の荷が下りた石井監督、次は何を作るかも期待大です。
投稿: Kei(管理人 ) | 2024年8月28日 (水) 16:39