新東宝 映画まつり その1
大阪・九条のシネ・ヌーヴォで開催中の「新東宝 映画まつり」に行って来た。
家から遠いので躊躇していたが、番組ラインナップを見て矢も楯もたまらず観たくなり、時間をやりくりして、時には1日に2本連続して観たりして、なんとか数本を観る事が出来た。
期間は7月6日から9月6日までの2ヶ月間、上映本数はなんと60本。とても全部観切れない。時間的にも朝早くとか夜7時以降なんかは無理。それと7月中は何かと忙しくて、新作映画すらあまり観られなかったし。
そんなわけで、シネ・ヌーヴォに通い出したのは8月も10日を過ぎてから。その為観たかった作品を大分見逃してしまった。例えば宇津井健主演「スーパージャイアンツ」とか、日本映画で初めて全裸シーンが登場したと言われる「女真珠王の復讐」などはとても観たかったのだが。惜しい。
なお、中川信夫監督「東海道四谷怪談」、「地獄」、五所平之助監督「煙突の見える場所」、渡邉邦男監督「明治天皇と日露大戦争」などは過去に何度か観ているので今回はパス。
以下、観た作品の感想を。なお紹介順は観た順番でなく、公開日の時系列順とした。
1953年 104分
製作:篠勝三、望月利雄
監督:阿部豊
原作:吉田満
脚色:八住利雄
撮影:横山実
音楽: 芥川也寸志
応援監督:松林宗惠
助監督:小森白、土屋啓之助、土井通芳
吉田満のノンフィクション小説「戦艦大和の最期」を映画化した戦記スペクタクル。監督は「大空の誓い」の阿部豊。出演は藤田進、舟橋元、高島忠夫、片山明彦、佐々木孝丸、見明凡太朗、久我美子、その他演劇界の重鎮が多数出演。
冒頭、大和の片道燃料での特攻出撃計画、いわゆる「天一号作戦」を決定する軍上層部の作戦会議の様子がかなり時間をかけて描かれる。このシーンのみの出演が三津田健、中村伸郎、宮口精二、十朱久雄、近衛十四郎と豪華である。
この無謀な作戦に反対する者もいたが、結局は賛成多数で作戦は実行される事となる。
映画の前半は、出撃が決まり、三田尻基地での待機から出撃に至るまでの船内の様子、乗員たちの心の動き等がかなり丁寧に描かれているのが興味深い。能村副長(藤田進)が部下を連れて艦内を巡回するシーンがあるが、これで大和の艦内の様子、広さなどがよく判る。なおこの能村副長はクレジットにも名前があり、「教導」となっている。前記の細かい艦内描写は能村副長自身の体験に基づいているのだろう。
乗員には、米市民権を持つ二世の中谷少尉(和田孝)や、関西出身の高田少尉(高島忠夫)、学徒出陣の森少尉(片桐余四郎)、その他多くの兵士がおり、それぞれの人物像、エピソードなども描かれる。
中谷少尉は二世ゆえ、アメリカに内通してるのではと疑いがかけられたり、森少尉は学徒である為、兵学校出身の同僚から白い目で見られたり、その都度高田少尉が関西弁でやんわりとなだめたりして、それで艦内の空気もほぐれる。
この高田少尉は、大和の運命を冷めた目で見ており、陰でこっそり、「世界の3大無用の長物 万里の長城、エジプトのピラミッド、そして戦艦大和」と言ってのけたりする。面白いキャラクターだ。
また随所に乗員の回想シーンがあり、内地に残した肉親や恋人への思いも語られる。森少尉の回想に登場する許婚は久我美子が扮している。ワンシーンだけなのがもったいない。
さすがベテランの八住利雄脚本だけあって、人物描写がきめ細かい。兵士は駒ではない、生身の人間だという点が強調されている。
興味深いのは、出撃の直前に、少年兵や老年兵を船から降ろすシーンである。口では半人前のお前たちは足手まといだと言っているが、少なくとも少年兵については、これから前途ある若者を死なせまいとする温情もあるのだろう。行かせて下さいと懇願する少年兵を諄々と説き伏せる上官の思いも胸打たれる。
そして後半は、米軍戦闘機や魚雷による壮絶な大和攻撃シーンとなる。ここは一部記録フィルムを使ったり、ミニチュア特撮を駆使したりでなかなか迫力がある。大和の艦橋などは実物大のセットを組んでいる。
大和の全景ロングショットはさすがにミニチュア丸分かりだし、大砲発射シーンでは砲台が揺れたりするのが残念だが、この当時の特撮としてはよくやっている。
兵士が次々と斃れ、魚雷攻撃で浸水した大和が45度~90度に傾き、甲板を兵士が転がり落ちるシーンは「アルキメデスの大戦」を彷彿とさせる。山崎貴監督は本作を参考にしてるかも。
遂に大和は沈没し、波間に漂う大和乗員にグラマンから容赦なく機銃掃射を浴びせられる。こうして大和乗員3,000名余が大和と運命を共にした。
最後にナレーションで「戦争を生き抜いた者こそ、次の戦争を欲しない」と語られる。ここに作者たちの訴えたいテーマが凝縮されている。
戦争が終わってまだ8年、映画会社もなかなか戦争を正面から描いたスケールの大きな戦記映画を作れなかった時期に、新東宝が総力を挙げ、特殊撮影の技術を駆使して描いた、スペクタクル戦争巨編である。おそらく戦記スペクタクルものでは戦後初めての作品だろう(東宝の円谷英二特撮、本多猪四郎監督の「太平洋の鷲」の公開は本作の4ヵ月後の1953年10月)。
その後も数多くの戦記物が作られたが、戦艦大和の悲劇を描いた作品は、1981年の東宝作品「連合艦隊」くらいしかない。その映画の監督・松林宗惠が本作で応援監督を担当しているのも不思議な縁と言える。
阿部監督の演出は、特に悲壮感を訴えたりはせず、無残に死に行く多くの乗員の姿を淡々と見つめるだけである。それが却って戦争の空しさを際立たせている。
単なる勇ましい戦争映画ではない、無謀な特攻出撃、軍部の愚かさに対する批判も込められた、見事な反戦映画の秀作である。
新東宝と言えば、この後紹介する作品のように、エログロ、キワモノ作品が頭に浮かぶが、初期の頃は本作のような真面目な作品、文芸作品も多く作られていたのである。新東宝の名誉の為にあえて強調しておきたい。 (採点=★★★★)
(付記)
なおKINENOTEのスタッフ、出演者紹介に誤りがある。音楽が早坂文雄とあるが、本編クレジットでは芥川也寸志となっている。また丹波哲郎が尾形少尉役でキャスティングされているが(JMDBも同じ)、映画には登場しなかったし、クレジットにも名前はなかったと記憶している。最初は出演予定だったが何らかの事情で降板となったのかも知れない。
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1958年 75分
製作:大蔵貢
企画:佐川滉
監督:石井輝男
脚本:石井輝男、佐川滉
撮影:平野好美
美術:加藤雅俊
音楽:渡辺宙明
前年までSFスーパー・ヒーローもの「鋼鉄の巨人(スーパー・ジャイアンツ)」シリーズ6本や、この作品の前には実話に基づく心中ドラマ「天城心中 天国に結ぶ恋」を監督していた石井輝男が、やがて新東宝の看板となる“エログロ路線”に本格参入した作品である。
(以下ネタバレあり)
冒頭のクレジットのバックに銀座の夜景を流麗に捉えた映像が流れ、そこに渡辺宙明が担当した軽快な音楽が被さる。
タイトルが終わると、車の窓に挟まれたコールガールの宣伝用名刺がアップとなり、それを引き抜いた黒い服の男(宇津井健)がそれを元に、指定された部屋を訪れると、相手の女は死んでいた。男は逃げるが、女を殺した犯人として警察に追われる事となる。ミステリー・タッチの、なかなかスピーディで快調な出だしである。
が、宇津井健扮するその男・吉岡は、実は大阪府警から派遣された潜入捜査官だった事がやがて明らかになる。吉岡はそのまま組織の内情を探って行くが、ナイトクラブで吉岡は、かつての恋人・ルミ(三原葉子)と再会する。ルミは今ではボスの新しい情婦になっていた。
物語はその他に、クラブの支配人・黒川(植村謙二郎)、ルミを姉のように慕うピアニスト兼クラブ歌手・照夫(旗照夫)や、フアッションモデルとしてクラブにスカウトされた、実は組織の内情を探る新聞記者・佐田晴子(筑紫あけみ)など多彩な人物が登場する。黒川もまたルミに惚れている。本職が歌手の旗照夫はクラブで映画の主題歌(挿入曲?)を歌うシーンもある。
ちょっと面白いのは、クラブのダンスシーンではダンサーがトランペットを吹きながらクネクネと踊る。この人は多分本職のダンサーなのだろう。さらにファッション・ショーではファッションモデルがタバコを吸いながら登場する。当時は普通だったのだろうか。
ルミはやがて吉岡とヨリを戻すが、ルミに惚れている照夫は吉岡に嫉妬したり、吉岡と連絡を取り合う晴子の挙動を怪しんでルミに告げ口し、晴子は照夫の部屋に軟禁されてしまう。
ラストは、日本にやって来た組織のボス・トムソン(ハロルド・コンウェイ)が、集めた女たちを香港など外国に送り出そうとしている事を知った吉岡が黒川に商談を持ち掛け、横浜大桟橋に停泊の船の上でトムソンと対決する事となる。一方、ルミに諭された照夫は、晴子を解放して警察に連絡するように伝える。
この横浜大桟橋が、女性を送り出す桟橋という事でタイトルの意味を表しているらしいが、いかにも妖しげなタイトルで誤解を招くではないか(笑)。
やがて吉岡を怪しんだトムソンと黒川は、タラップを降りようとした吉岡とルミに拳銃を突き付け、吉岡も拳銃で応戦して大銃撃戦となる。ここの派手な撃ち合いはなかなかの迫力。
晴子の連絡で警察隊が駆け付けるが、ルミは黒川の銃弾に倒れ、死んでしまう。事件は解決し、吉岡は新しい任務を帯びて大阪へ帰って行く。
石井輝男監督の演出はフィルム・ノワール・タッチでなかなか歯切れがいい。エログロ路線と書いたが、本作は正確には組織犯罪捜査ものと呼ぶべきで、妖しげな作品ではない。ちょっとだけエロはあるが。
この作品がヒットした事で石井監督は、次の作品「白線秘密地帯」に始まる“ライン”シリーズを一手に引き受ける売れっ子監督となって行く。
三原葉子は前年の「肉体女優殺し 五人の犯罪者」で石井監督作品に初出演、以後石井監督作品には欠かせぬ存在となる。
いろんな意味で、石井監督にとっては記念碑的作品と言えるだろう。 (採点=★★★☆)
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1958年 75分
製作:大蔵貢
企画:津田勝二
監督:中川信夫
脚本:石川義寛
撮影:西本正
美術:黒沢治安
音楽:江口夜詩
助監督:石川義寛
新東宝では、第二次大戦ものも多く作られている。「戦艦大和」等の戦記物や真面目な物もあるが、本作ではこれとグロの幽霊物と合体した珍作である。今回のラインナップには入らなかったが「憲兵とバラバラ死美人」(並木鏡太郎監督)というおぞましい題名の作品まである。いかにも新東宝らしい。
(以下ネタバレあり)
昭和16年秋、田沢憲兵伍長(中山昭二)と明子(久保菜穂子)の結婚式が行われていた。明子を好きだった憲兵中尉の波島(天知茂)は嫉妬から、腹心の部下高橋軍曹(三村俊夫)を使い田沢伍長を罠にかけ、機密書類を盗んだ容疑で田沢を逮捕し、明子と田沢の母まで拷問にかけたので、田沢は二人を救う為、嘘の自白をする。銃殺刑で処刑される寸前、「俺をこんな目に遭わせた奴は必ず恨み殺してやる!」と叫んで死んだ。その姿を見た田沢伍長の弟、田沢二等兵(中山昭二・二役)は兄を罠にかけた犯人を捜すべく自分も憲兵を志願する。
実は機密書類を盗んだのは波島だった。波島は中国のスパイ張覚仁(芝田新)と連絡を取り、機密書類を張に売り渡していたのだ。波島はさらに、田沢の母を自殺に追いやった上、、親切にするふりをして明子に近づき、酒を飲ませて彼女の体を奪ってしまう。
大陸に渡る船の中では、良心の呵責に耐えかねて発狂した高橋軍曹をこれまた殺し、死体を行李に詰めて海に投げ込む。
…とまあ、波島は悪逆非道の限りを尽くすとんでもない悪党である。天知茂がこの悪党を楽しそうに怪演。
後半は、田沢伍長の亡霊が何度か現れ波島を惑わせる。幽霊と言うよりは波島の幻想のようにも思える描き方である。
やがてスパイが張覚仁だという事が判明し、波島たちに張を逮捕せよとの命令が出る。波島は張に連絡を入れ、替え玉を用意させるが、それも見破られ、波島の部屋からは通信機も見つかって遂に波島の悪事は露見され、憲兵隊に追われる事となる。
三原葉子は張覚仁の愛人の中国人女性として登場するが、波島と相愛の仲になり、張を殺して二人で逃げようとするが、三原は憲兵隊との撃ち合いで死んでしまう。
逃げる波島は外人墓地に追い詰められ、墓場から田沢、田沢の母、高橋軍曹など彼が殺した人たちの幽霊が次々現れ、波島は悲鳴を上げて逃げ惑い、結局逮捕されて裁かれる事となって物語は終わる。
今の目から見れば、幽霊の描写はあまり怖くない。それでも骸骨の眼窩から蛇が出て来るシーンなどは、当時の観客には十分怖かっただろう。
エロの面でのサービスとしては、三原葉子や万里昌代がクラブで艶めかしい踊りを披露する。万里昌代は腋毛が妙にエロチックだ(笑)。当時は腋毛を剃る事はあまりなかったのだろうか。
それよりも注目すべきは、監督が中川信夫、カメラが西本正、美術が黒沢治安、脚本と助監督が石川義寛と、あの怪談映画の傑作「東海道四谷怪談」のスタッフが結集している点で、主役の天知茂も本作を思わせる極悪人・民谷伊右衛門役を演じ、最後に自分が殺した相手の幽霊に悩まされ自滅する等、両者の共通点は多い。
いろいろ欠点もあるが、「東海道四谷怪談」に至る萌芽が感じられる点で、中川信夫ファンは観ておいて損はない。 (採点=★★★)
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1959年 82分
製作:大蔵貢
監督:曲谷守平
原案:葭原幸造
脚本:杉本彰、赤司直
撮影:岡戸嘉外
音楽:長瀬貞夫
この頃になると、題名まで刺激的なものが求められるようになる。本作もいかにも“エログロ”作品という感じを受けるが、それほどエロでもグロでもない。今の目から見ればむしろ健康なお色気さえ感じる。まあ当時の観客にはそれでも刺激的だったのだろう。
冒頭のクレジットの背景で海女が泳いでいるが、セパレートの水着のような衣装。パンツはダブダブで、とても色っぽいシーンに見えない(笑)。それでもカメラは下から煽ったり、背後から尻をアップで狙ったり、苦労の跡が見える(笑)。海から上がった海女の乳首が濡れた水着ごしで透けて見えたりもする。この辺が限界か。
物語は、主人公・仁木恭子(三原葉子)が親友青山由美(瀬戸麗子)の屋敷を訪れ、由美からこの家には死んだ兄嫁の幽霊が出るので助けて欲しいと聞かされて、恭子がその謎を解く為行動するというもの。実際、夜中に由美の横に突然幽霊が現れるシーンがあり、そこはドキッとさせられる。
恭子は婦人警官でもあるので幽霊を信じておらず、何かあるとにらんで、恋人の野々宮刑事(菅原文太)に調査を依頼する。
(以下ネタバレあり)
菅原文太が若くてハンサムだ。子供の海パンを借りて海で泳ぐシーンもある。しかし、海パン小さ過ぎる気が(笑)。
事件の背景には、地震で海底に埋もれた青山家の墓地に莫大な財宝が隠されていると睨んだ、大学教授と名乗る水木(沼田曜一)の陰謀があり、水木が近海調査との理由でこの海岸にやって来る。水木の手伝いをする海女の加代(万里昌代)と、地元の海女とのくんずほぐれつのキャットファイトもお約束のサービス。
水木を演じる沼田曜一が、ボス然と葉巻を咥えていたり、回想シーンで、由美の姉をサディスティックな笑みを浮かべて絞め殺したりと、憎たらしい悪を怪演。
やがて幽霊は、水木の命を受けた婆やが変装して演じていた事も露見し、焦った水木が由美と恭子を拉致し、由美に財宝の場所を案内させる。
遂に財宝を見つけた水木が恭子たちを殺そうとするが、なんと水木が足を滑らせて落した水中銃の銛が腹を貫いてあっけなく絶命する、シマらない死に方(笑)。「真田風雲録」(加藤泰監督)の真田幸村のカッコ悪い死に方に匹敵する情けなさである。
そこにやっと野々宮が駆けつけるのだが、せめてあわやという危機一髪の時に野々宮が現れ、水木を倒すというヒーローとしての見せ場を用意しておくべきだろうに。これでは文太も身の置き所がない。
最後は事件解決、財宝も無事青山家のものとなり、由美が野々宮と恭子の結婚祝いに真珠をプレゼントする所でエンドとなる。
三原葉子は今回は婦人警官という事で、露出は控えめ。それでも風呂場で下着姿を見せたり、水木に拉致された船の上ではなぜかシュミーズ姿で縛られていたりと、それなりにサービス場面は用意されていた。
物語は他愛ないが、当時としては煽情的なタイトルと予告編に釣られて劇場に来た観客も多かっただろう。これぞまさしく昭和30年代の新東宝映画。菅原文太の若き日を見るだけでも価値があると言えようか。
なお、KINENOTEに記載のあらすじは、ラストがまったく異なっているので注意。多分撮影途中でシナリオを大幅に変えたせいだろう。当時のB級映画ではこういう事がよくあった。 (採点=★★★)
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という所で、長くなった事と、まだ新東宝映画まつりは続いている事もあり、今回はここまで。パート2では石井輝男監督の“地帯(ライン)”シリーズを中心に紹介する予定である。乞うご期待。
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