「侍タイムスリッパー」
(物語)幕末の京都。会津藩士の高坂新左衛門(山口馬木也)と村田左之助(高寺裕司)は、家老から長州藩士山形彦九郎(庄野﨑謙)を討つよう密命を受ける。だが標的の山形彦九郎は剣の使い手、左之助は当身で気絶させられ、新左衛門は彦九郎と刃を交えるが、その瞬間、雷に打たれ気を失ってしまう。新左衛門が気づくと、周りは江戸の街中。新左衛門は訝しがるが、実はそこは時代劇撮影中の映画撮影所だった。新左衛門は幕末から140年の時を越えて現代にタイムスリップしたのだった…。
低予算の自主制作映画で、当初は池袋シネマ・ロサの1館のみでの公開。これがSNSの口コミで絶賛され、満席になる回が続出、やがて2館に増え、さらに話題となって上映館は増え続け、配給会社ギャガが全国配給を手掛け、とうとう全国62館での拡大公開となった。今後100館以上での公開も予定されている。
…と聞くと、あの「カメラを止めるな!」の大ヒット状況とよく似ているが、マスコミでも“第二のカメ止め”と呼ぶほどのブームとなっている。当地大阪でもシネコン・TOHOシネマズ梅田のキャパの広いシアター3(475席)での上映が始まった。これも「カメラを止めるな!」の時と似ている。
で、出来るだけ前情報を入れずに観たのだが。これが本当に面白い!。自主制作でありながら、セットも俳優の演技も大手製作の作品と遜色ないうえに、ストーリーもよく練られていて、笑えるだけでなく、ワクワク、ハラハラさせられ、最後には感動させられ、涙まで出てしまった。映画の出来としては「カメ止め」よりも面白いと断言出来る。
これから観られる方は、是非前情報は仕入れず白紙の状態で観て欲しい。なので採点だけ先に載せておく。必見。
(採点=★★★★★)
(以下ネタバレあり。映画を観た後に読むこと)
タイムスリップものは数多く作られており、目新しいものではない。またその多くは、現代から過去に飛ぶというパターン。2011年にTBSで放映され、話題となった村上もとか原作「JIN -仁-」や、昨年ヒットした「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」もそうした1本。
ところが本作は、過去から現代にやって来る逆パターン。前例はあるが数は少ないし、成功作といえる作品もない。
時は幕末、尊王攘夷を掲げ幕藩体制を潰そうとする長州藩と、幕府側の会津藩との対立の中で、会津藩の剣客・高坂新左衛門が仲間と共に長州の山形彦九郎を討つ為待ち伏せし、刃を交えるが、どちらもかなりの剣の腕前。対立が続く内、突然の豪雨となり、雷が二人の上に落ち、新左衛門は気を失う。目を覚まし辺りを見回すと、髷を結った侍、町人が歩いているが、どこか様子が違う。
Gパンを履いた洋装の人たちがカメラを覗いたり台本を持ったり、撮影機材があちこちにあったりするので、観ている我々は現代の撮影所のセットだなと気付くが、新左衛門は何が何だか分からない。
撮影で、時代劇スター錦京太郎(田村ツトム)が扮する正義のヒーロー、心配無用ノ介が悪い奴を成敗しようと剣を抜いた所を見た新左衛門は、思わず刀を抜き「助太刀いたす」と割り込んで来る。これに監督はカンカン、助監督の山本優子(沙倉ゆうの)が新左衛門をその場から退かすが、なおも彼は撮影所内をウロウロ、幽霊に扮した俳優を見て、驚いた拍子におデコをぶつけ気を失ってしまう。
…といった具合に、映画の序盤は現代にタイムスリップした侍が、見た事のないものだらけのカルチャーギャップに驚きうろたえる姿をコミカルに描き、やがて黒船来航展のポスターから、自分はあの時代から140年も先の未来に来てしまった事に気づき、途方に暮れる事となるまでをテンポよく描く。
そんな時、あの彦九郎を待ち受けた時の寺を見つけ、雷が鳴って来たので剣を天空に突き上げ、「雷、落ちよ」と祈るのだが、目が覚めても現代のまま。もうあの時代に戻れない、と悟った新左衛門はこの時代で生きて行くしかないと覚悟を決め、親切な優子の世話で、この寺で下働きをしながら居候させてもらえる事となる。
新左衛門はだんだんと慣れて来て、住職(福田善晴)とその妻・節子(紅萬子)とも打ち解け、会話も交わすようになる。「でござる」「かたじけない」とかの侍言葉がご愛嬌だが。
おやつに出されたショートケーキの美味しさ、米の握り飯のうまさに、日本はいい時代になったのだと感激する。この時代で生きるのも悪くはないと思い始める。
何気ない、こうしたエピソードの積み重ねで、新左衛門の心境の変化をさりげなく伝える脚本がよく出来ている。
ある時、寺の前で時代劇の撮影中、斬られ役の一人が体調不良となり出演不能。たまたま寺の掃除中だった新左衛門がちょうど髷を結っているので代役の斬られ役を演じる事となり、これが好評だった事から、彼は撮影所のベテラン殺陣師・関本(峰蘭太郎)に弟子入り志願し、本職の斬られ役になろうと決意する。
ただちょっと気になったのは、この時代に来てからかなりの日が経っているのに、新左衛門の月代(さかやき・頭の剃り上げ)がツルツルのまま。この時代で生きるのに月代は必要ないから、次第に頭髪が伸びて“たそがれ清兵衛”状態になるはず。もっとも、そうなれば上の代役を演じる時にそんな頭では不都合なので、ここは目をつぶってあげるのが武士の情けか(笑)。
新左衛門は剣術は得意だが、芝居の殺陣とは段取りが異なり、関本に何度も注意されながらも次第に要領を覚え、やがてあちこちからお呼びがかかる名斬られ役になって行く。
だがこの時代、時代劇は衰退の一途を辿り、あの「心配無用ノ介」シリーズも打ち切りの噂が立つほどだ。いつ斬られ役が不要の時が来るかも知れない。
それでも新左衛門は、ひたむきに無名の斬られ役を演じ続ける。この新左衛門の生きざまにはちょっぴり泣かされた。
そんなある時、10年前に引退していたかつての人気時代劇スター、風見恭一郎(冨家ノリマサ)が引退を撤回し、彼を主役にした大作時代劇「最後の武士」の製作発表が行われるが、風見はその相手役に新左衛門を指名して来たのだ。
新左衛門は戸惑い、辞退するが、風見は自分の正体を新左衛門に伝える。なんと風見は、落雷で30年前のこの京都撮影所にタイムスリップして来た山形彦九郎だったのだ。
あの時二人とも雷に打たれたからそれも納得だが、今と違って当時は時代劇はまだ隆盛を誇っていた。彦九郎は撮影所で頭角を現し、風見恭一郎と名前を変え、時代劇スターとして20年間、活躍をして来たのである。
テレビで新左衛門の姿を見つけた恭一郎は、あの時の刺客だと確信し、もう一度、今度は映画の中で対決したいと望んだのだろう。
しかしなんという運命の悪戯か。新左衛門が生活するのがやっとの無名の斬られ役であるのに対し、恭一郎は人気スターとして富も名声も得ている。新左衛門は屈辱を感じながらも恭一郎に対抗意識を燃やし、映画で共演する事を承諾する。
皮肉な事に、映画「最後の武士」は、幕末の戊辰戦争で会津藩が敗退し、悲惨な運命を辿る状況を描いている。それを脚本で知った新左衛門は衝撃を受け、セリフが喋れなくなるのである。
悩み、苦悶する新左衛門は、恭一郎との決着をつけ、自分の運命を決めるべく、二人の対決シーンは真剣勝負で行いたいと申し出る。血判状まで用意している。
プロデューサー、スタッフは猛反対するが、恭一郎はそれを受けて血判を押し、監督もこれは凄い映画になると乗り気になる。
こうして新左衛門と恭一郎との、文字通り真剣勝負の決闘シーンの撮影が最大のクライマックスとなる。
このシーン、刀を抜かずに二人が数十秒間睨み合う、それをフィックス長回しで撮っているが、これ明らかに黒澤明監督「椿三十郎」のラストの三船と仲代の対決シーンのオマージュだろう。
その後の刀と刀の決闘シーンも凄い迫力、殺陣の段取りを無視したアドリブの対決で、観ているうちに、本当に真剣で勝負しているのではと錯覚するほどで、興奮させられる。
この異様な迫力に、監督が「何があっても(カメラを)止めるな!」と言うのは、あの映画へのオマージュだね。
長い闘いの末、新左衛門が相手の刀を叩き落とし勝負がつくが、この後のシーン、ええっ、本当に斬ったのでは、それはヤバいんじゃ、と緊張してしまったが、これが実は完成した映画のシーンで、実際は新左衛門は斬っていなかった事が判りホッと胸を撫で下ろした。安田監督、驚かせて人が悪い(笑)。
こうして一つの決着をつけた新左衛門は、これからも斬られ役として人生を全うして行くであろう事を暗示して映画は終わる。
エンドロール直前の、絶妙のオチにも笑った。
いやあ凄い!面白かった。
この映画が秀逸なのは、不器用で愚直に斬られ役に甘んじる新左衛門と、対照的に波に乗って成功を収めた恭一郎との生きざまの違いが、そのまま新左衛門が属する会津藩と、彦九郎(=恭一郎)属する維新の立役者となる長州藩との対比にオーバーラップし、さらには現代的流行ドラマの影で、衰退し消え行く時代劇の命運とも重なり合う、その三重の対比構造をきちんと物語の中に採り入れ、破綻なくエンタティンメントとして成立させている作劇の見事さである。
笑いあり、涙あり、主人公が葛藤に悩む人間ドラマでもあり、チャンバラ対決のアクションに興奮させられ、最後は感動させられた。娯楽映画のあらゆるエッセンスが盛り込まれた、見事な快作である。
こんな優れた脚本を、アマチュアに近い自主制作作家が書き上げ、自分で編集もし、見ごたえのある映画に仕上げるなんて。プロの映画作家をして顔色なからしめる出来である。
俳優の演技も素晴らしい。あまり名が知られていないけれど、テレビ、映画で長く活躍しているベテラン俳優が多数出演している。主演の新左衛門を演じる山口馬木也は、映画では「雨あがる」(2000)をはじめ多くの映画に出演し、テレビでも大河ドラマや「剣客商売」等に出演しているそうだ。これまで全然知られていなかったけれど、これからは注目されそうだ。
こうした力のある俳優による名演技も、作品の厚みに繋がっている。またセットや衣装などで全面協力してくれた太秦東映京都撮影所の英断にも感謝したい。
再度書くが、こんな面白い映画を、プロの映画作家、脚本家がなぜ作れないのか、自主制作映画作家に負けて恥ずかしくないのか、大いに反省して欲しい。現在公開中のあのコメディ映画を監督したあの方には特に。
安田監督によると、元々は監督の前作「ごはん」(2017)に日本一の斬られ役で知られる福本清三が出演し、これがとても味わい深い名演技だったので、次は福本さんの斬られ役人生にちなんだ映画を作ろうと思い、本作の脚本を書き上げ、福本さんには年配の殺陣師役を演じてもらう事になっていたのだが、福本さんは2021年に逝去され、この役は峰蘭太郎が演じる事になった。
そんなわけで、物語のあちこちに、福本清三にオマージュを捧げたシーンが登場する。斬られ役を演じ続ける新左衛門は無論の事、大作時代劇の題名「最後の武士」は、英語に直せば「ラスト・サムライ」。福本さんがハリウッドに招かれ出演する事になった映画にちなんでいる。
そして何より、撮影所所長の井上(井上肇)がポツリと呟く、「一生懸命頑張っていれば、どこかで誰かが見ていてくれる…」。これ、福本さんの評伝本のタイトルであり、福本さんの座右の銘でもある。
エンドロールの最初に、「福本清三に捧ぐ」(In Memory of Seizou Fukumoto) と出る。これにも泣けた。
安田淳一監督には、是非次も面白い映画を作って欲しい。本作がフロックだと言われないよう頑張って欲しい。大手映画会社も、この人に潤沢な予算を用意して監督の機会を与えるべきだろう。期待している。
笑いと涙の純粋娯楽映画としては、本年度ベストワンだと断言出来る。年末のベストテン選考が楽しみだ。
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コメント
評判が良いので見ました。予想以上に面白く、ユーモアとホロリとさせてくれるバランスが良いです。ラスト間際の対決はドキドキさせられて、低予算(失礼)を感じさせない出来でした。あまりお金をかけなくても面白い映画はつくれる好例ですね。
投稿: 自称歴史家 | 2024年9月23日 (月) 18:08
評判が良かったので、初日に池袋シネマ・ロサで見ました。
主要キャストと監督の舞台挨拶も楽しく、最後は退場する観客のお見送りまで。
これは面白かったですね。
侍が現代の時代劇撮影所にタイムスリップ、斬られ役となりますが、、
現代になじめない主人公が真面目に演じているのが笑わせます。
そう来たかという展開で主人公が撮影所にタイムスリップした理由が分かります。
脚本が良く出来ています。
臥龍点睛のサゲまで2時間20分とちょっと長いですが、見せました。
自主制作映画ですが、東映京都撮影所が特別協力しています。
投稿: きさ | 2024年9月28日 (土) 11:22
◆自称歴史家さん
アイデアと脚本が面白ければ、予算がなくてもいい映画が出来上がる見本ですね。でも東映京都撮影所の全面協力がなければ、ここまで完成度の高い映画になったかどうか。東映京撮に感謝ですね。
◆きささん
私が観たのは2時間11分のものでした。きささんが見た2時間20分というのは、追加撮影分を入れた「デラックス版」でしょうね。こちらも観たいですね。
投稿: Kei(管理人 ) | 2024年10月 1日 (火) 16:07