「愛に乱暴」
(物語)初瀬桃子(江口のりこ)は夫・真守(小泉孝太郎)と共に、真守の実家の敷地内に建つ“離れ”で暮らしている。義母・照子(風吹ジュン)から受ける微量のストレスや夫の無関心を振り払うかのように、石鹸教室の講師として働き、センスのある装いをし、手の込んだ献立料理を作ったりの“丁寧な暮らし”に勤しんで日々を充実させていた。そんな中、桃子の周囲で不穏な出来事が次々と起こり始める。近隣のゴミ捨て場で相次ぐ不審火、愛猫の失踪、度々表示される不気味な不倫アカウント等々。やがて、桃子の平穏な日常は少しずつ乱れ始める…。
森ガキ侑大監督は、長編劇場映画デビュー作「おじいちゃん、死んじゃったって。」がなかなかの秀作で、この作品でヨコハマ映画祭の新人監督賞を受賞する等、有望な新人監督として私も注目していた。
ただ、その次の作品「さんかく窓の外側は夜」は漫画原作のホラー・ミステリーで、資質に会わなかったのか期待外れの凡作だった。
長編劇場映画としては3作目に当る本作は、吉田修一原作の心理家族ドラマ。吉田原作の映画には秀作が多いし、内容的にもこちらも家族ドラマである「おじいちゃん-」に近いように思う。これは期待が持てる。さて、どんな作品に仕上がっているか。
(以下ネタバレあり)
主人公・桃子は夫の真守と結婚8年目。夫の実家のすぐ隣に建つ離れに二人で住んでいて、家事をコマメにこなし、実家に一人で住む義母・照子とも一応は仲良く付き合っている。ゴミ出しの日には照子の分まで預かり捨てに行く。
桃子は几帳面な性格のようで、ゴミ捨て場ではカラスが突いてはみ出したり汚れているのを見ると、箒を持って来て掃除したりもする。その様子を、遠くから眺めている男がいた。
一見、ごく普通の家庭のように見えるが、夫の真守は妻が話しかけても上の空、せっかく手間をかけた美味しい献立にも無関心。義母も表向きは優しそうに見えるが、桃子が嫌いな魚をどっさり桃子に渡し、真守に食べさせてと言うなど、どこか関係の嚙み合わなさが感じられる。
そんな時、桃子が可愛がっていた愛猫がいなくなり、近所ではゴミ捨て場での不審火が相次いだり、桃子のスマホに不気味な不倫アカウントが表示されたりと、桃子の周囲に不思議な出来事が起こりはじめ、桃子の精神は次第にナーヴァスになって行く。
スクリーン・サイズが最新ではめったに見ないスタンダード・サイズ。これは桃子の心の閉塞感を表しているのかも知れない。
物語が進むにつれ、判明して来るのが、実は真守には前妻がいたのだが、桃子と不倫した末に、桃子が妊娠し、それがきっかけとなって前妻とは離婚し、桃子と入籍した。
だが桃子は入籍前に流産していたのに、その事は入籍が済むまで黙っていた。入籍前にそれを伝えたら結婚が破談になる事を恐れたからだろう。
そんなある日、真守は桃子に、実は彼女が出来た(つまり不倫)、会って欲しいと伝える。ホテルのラウンジで会ったその相手・三宅奈央(馬場ふみか)は、既に妊娠しており、真守は桃子に、彼女と結婚するので別れて欲しいと切り出す。桃子は怒り狂うが、真守は離婚して欲しいと一点張り。
よく考えれば、これは桃子が前妻から真守を奪ったケースそのまんまである。自分がした事を奈央にやり返されてしまったという事になる。なんとも皮肉である。
桃子が家事にしても仕事(石鹸教室の講師)にしても積極的でよく動き回るのに対し、真守は優柔不断で女ぐせが悪く、結婚してはその都度新しい女と取り換え再婚を繰り返す、なんともダメダメな男だ。
この見事なまでのダメ男を小泉孝太郎が好演。髪を垂らしているので最後まで小泉と気付かなかった。
桃子の積極性は他にも。奈央の後をこっそり付けて家を突き止め、自宅の庭で育ったスイカを手土産代わりに持参して奈央の家に押し掛ける。
「本当は妊娠なんかしていないのでは」。そう考えたのは自身も流産を隠して強引に入籍を迫った過去があるからだろう。母子手帳を見せられ、この作戦も失敗に終わる。
スイカを抱えた桃子の姿が妊婦のように見えるのも笑える。
とうとうブチ切れた桃子は、ホームセンターでチェーンソーを買い、常軌を逸した行動に走る事となる。
本作が面白いのは、生活感漂う家族ドラマでありながら、序盤からジワジワと不穏な空気感を醸し出させ、いくつもの謎を呈示させるサスペンスでもあり、チェーンソーが飛び出す奇想天外なコメディでもある。
原作者・吉田修一氏自身が、原作を「ジャンル不明」と言っているそうだ。桃子がチェーンソーの刃の匂いを嗅ぐシーンは、笑えると同時にホラー的怖さもある。
桃子はチェーンソーで床板を切り取り、床下を何かを探すように這い回る。もしかしたらピーちゃんと呼ぶ愛猫を捜そうとしたのか。しかし見つかったのは小さな缶。その中にはベビー服が。やがて桃子はベビー服を抱きしめて体を丸め、うずくまる。その姿が胎児のように見えるのも狙いだろう。
あのベビー服は誰のものか、誰が埋めたのか。それは最後まで判らない。桃子が自分の流産した娘の服を8年前に埋めたのか、あるいは前妻が埋めたのか。それともあれは桃子の幻覚なのか…。彼女がピーちゃんと呼ぶ猫は、実在したのか。それも彼女の幻覚ではなかったか、とさえ思えて来る。
監督はあえて謎を残したままにしている。答は、観客が自分でいろいろと想像して欲しい、と監督は考えているのだろう。
床下で、真守と照子の会話を盗み聞きしてしまった桃子は、さらに狂気をエスカレートさせる。チェーンソーで床柱を切ってしまい、それを見つけた真守に、「わざとおかしいふりしてるの。なにもしてないと本当におかしくなっちゃうから」と桃子は答える。ここで桃子の奇行の意味が明らかになる。狂ったフリをして、無茶苦茶する事で、おかしくなりそうな自分を制御している、という事なのだろう。
終盤、桃子はゴミを夜中に捨てに行き、ゴミ置き場が放火されているのを目撃するが、警官に呼び止められ、思わず逃げ出してしまう。そして、ホームセンターの倉庫に逃げ込む。ここで、前半にも何度か登場していたセンターのレジ係の外国人留学生(水間ロン)が、「いつもゴミ掃除してくれて、ありがとう」と桃子に語りかける。
これまで、家にいても、実家に帰っても、疎外感に苛まれていた桃子にとって、この言葉は地獄で仏に遭ったような気持ちだっただろう。思い起こせば、真守の為に美味しい料理を作っても、照子の為にゴミ出しを手伝っても、誰からも感謝の言葉はなかったように思う。桃子は思わず涙ぐみ、その留学生に「ありがとうと言ってくれてありがとう」と返す。
人間同士が触れ合い、心を通わせ、善意の行動に対し、礼を言う。何でもないようなそんな言葉が、乾ききっていた桃子の心にどれだけ潤いをもたらした事か。私はこのシーンにとても感動を覚えた。
ラストは、照子から譲り受けた離れが重機で解体される様子を、キャンデーを舐めながら眺める桃子の姿を捉えて映画は終わる。
人間とは、ややこしくて、複雑で、自分勝手で、やっかいな生き物である。怒りが心に充満すれば暴走したりもする。そんな人間の心の動き、繊細な感情の変遷を、じっくりと観察するように描いた本作は、優れた人間ドラマであり、また人間コメディでもある。
長い原作(上下2巻)を巧妙に刈り込み、それでいて伏線を巧みにバラまき、105分に収めた脚本がよく出来ている(共作脚本の一人、山﨑佐保子は「おじいちゃん-」でも注目された俊英)。それをきっちりと映像化した森ガキ監督の演出力も見事である。
そして江口のりこの、これまでの最高作と言っていい怪演も見ごたえあり。この役は彼女以外には考えられない。今年は石原さとみ、河合優実、草笛光子、そして江口のりこと、いずれ劣らぬ主演女優賞候補がそろい踏み。年末の賞レースは悩む事になりそうだ。
(採点=★★★★☆)
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