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2024年10月11日 (金)

白井佳夫さん追悼

Shiraiyoshio 元キネマ旬報編集長で、映画評論家としても活躍された白井佳夫さんが、10月5日、虚血性心疾患で亡くなられました。享年92歳でした。
つい最近まで、週刊新潮の映画欄に新作映画評を執筆されてましたので、まだまだお元気だと思っていたのに。残念です。

 

 

白井さんについては、個人的にも、とても思い入れがあります。

白井さんは1968年から1976年まで8年半の間、「キネマ旬報」の編集長を務められましたが、、その在任中に、キネマ旬報という雑誌の編集方針を大幅に改革されました。

それまでのキネマ旬報は、著名評論家の映画論や業界レポート等、どちらかと言えば硬いイメージの記事が大半でした。ベストテンの選考委員も、ほとんどが映画評論家か、たまに文芸界の重鎮などで占められていました。

白井さんが編集長に就任すると、まずベストテン選考委員に、「映画評論」誌編集長だった佐藤重臣、毎日新聞学芸部の金井俊夫、読売新聞文化部の河原畑寧、同・林玉樹、同・平井輝章、キネ旬編集部員出身で新進映画評論家の品田雄吉、といった異色の顔ぶれを一気に投入し、この人たちがこぞって大島渚監督「絞死刑」に高得点を入れたり、新聞社系の方たちが山田洋次監督の「吹けば飛ぶよな男だが」に点数を入れたりした事で、「絞死刑」はベスト3位、「吹けば飛ぶよな-」はベスト10位に入選しました。明らかに、キネ旬ベストテンの傾向がこの辺りから変わって行きました。

'70年代に入ると、大スポ文化部の浅野潜、気鋭の評論家、飯島哲夫斎藤正治山田宏一、新左翼系の松田政男等も加わり、この人たちが日活ニューアクションや東映任侠映画など、古い評論家が見向きもしない作品にも票を入れるようになり、その結果、'71年には「八月の濡れた砂」、'72年には日活ロマンポルノ、「一条さゆり 濡れた欲情」「白い指の戯れ」などが堂々ベストテンにランクインするようになります。その後も竹中労小林信彦渡辺武信山根貞男石上三登志森卓也といったユニークな方たちもベストテンや執筆陣に加わり、キネ旬の誌面はどんどん面白いものになって行きます。

白井さんがいなければ、こんな画期的なベストテンや誌面刷新は起こらなかったでしょう。素晴らしい事です。


白井さんの功績はもう一つ、読者の人たちにも大幅に誌面を提供した事です。

まず手始めに、'69年後半から、読者による長文の映画エッセイ・作品評を、「キネ旬ニュー・ウェーブ」として募集。最低でも2ページ、それ以上になっても制限を設けないという画期的なものでした。第1回は当時まだ高校生だった寺脇研(後に文部省官僚兼映画評論家)でした。
実は私も、「ニューウェーブ」に投稿、'70年9月に掲載されました。山田洋次監督論でした。

さらに'70年10月からは、現在も続く「読者の映画評」をスタート、毎号3~4点が掲載され、若い映画ファンがこぞって投稿、寺脇研、後に映画評論家になる秋本鉄次、黒田邦雄、野村正昭、大高宏雄、藤田真男などが常連、そして後に映画監督になる大森一樹、金子修介なども投稿していました。

私も当初から「読者の映画評」の常連でした。これが私の映画ファンとしての転機にもなりました。

私の映画評が掲載されるようになると、私の通っていた大学で、何人かの同級生から「キネ旬で読んだ」と声をかけられるようになりました。うち一人とは現在も交友が続いています。
さらに卒業して就職し、名画座などで沢山の映画を観ていましたが、ある映画館でアンケートを募集していたので、名前を書いて渡して、映画を観た後、出口で映画館の従業員(後に一緒に自主上映グループを作る事になる庄内さん)に声をかけられました。アンケートの名前を見て、「読者の映画評」の私だと気付いたのでしょう。
ここからすっかり意気投合、そこから輪が広がって、「読者の映画評」常連の人たちを含め、多くの熱狂的映画ファンと交流するようになり、大阪の自主上映グループ「シネマ自由区」の一員となって自主上映活動に打ち込むようになります。

「読者の映画評」がなければ、これほど多くの映画ファン仲間と交流する事もなかったでしょう。白井さんには感謝しても感謝しきれません。


白井さんはその後も次々とユニークな連載を企画しましたが、'76年、突然キネ旬の編集長を解任されます。これは当時のキネ旬のオーナーだった大物総会屋・上森子鐵が、左翼系の竹中労の連載が気に食わないという理由で、竹中の連載を打ち切り、それを許していた白井さんもクビにしたというわけです。理不尽な事ですがオーナーには逆らえません。

その後白井さんは映画評論家として活躍されます。「日本映画のほんとうの面白さをご存知ですか?」(講談社刊)等多くの著書があります。歯切れのよい評論はいつも読ませていただきました。

白井さん解任の翌年?だったかと思いますが、私も選考委員を務めた「映画ファンのための映画まつり」(後・おおさか映画祭)に、特別功労賞として白井さんをお呼びする事になり、その時、会場で白井さんとお会いする事が出来ました。私が自己紹介すると、「読者の映画評」の常連投稿者だった私の名前を憶えていてくれ、感慨深そうに握手をしてくれました。大きな、がっちりした手でした。今もその時の記憶は鮮明に残っています。

キネ旬編集長として、誌面を大胆に刷新し、若い映画ファンに誌面を開放し、若手映画評論家など多くの人材を発掘した白井さんの功績は計り知れないものがあります。本当に素晴らしい方でした。謹んでお悔やみ申し上げます。

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コメント

キネ旬編集長解任事件は私も覚えています。
総会屋がオーナーだったというのに驚いた記憶があります。
白井さんの映画の好みとはかなり違いますが、、
残念ですね。
でもまあ92才は大往生でしょう。
ご冥福を祈ります。

投稿: きさ | 2024年10月13日 (日) 10:41

◆きささん
白井編集長解任の経緯については、元キネマ旬報取締役の掛尾良夫氏の著書「キネマ旬報物語」(愛育出版・刊)に詳しく書かれています。編集部にいただけあって、内情、裏話など読みごたえがあります。
この中で私が感動したのは、白井さんの解任時、上森オーナーから、自らの辞職の形にすれば退職金を支払うと呈示されましたが、解任という事実を曲げようとする上森の思惑に乗らず、この話を断った、というくだり。
お金よりも、自身の信念を大切にしたいという事なのでしょう。骨のある、素晴らしい方だと改めて思いました。合掌。

投稿: Kei(管理人 ) | 2024年10月13日 (日) 15:33

へー。

「読者の映画評」って私たまに応募してますが、白井佳夫時代にできたんですね。

ところで「HAPPYEND」って観ました?今年の日本映画有数の傑作だと思いました。

投稿: タニプロ | 2024年10月15日 (火) 11:41

◆タニプロさん
「HAPPYEND」見たいと思ってるのですが、当地では公開規模が小さく、上映時間も朝か夕方の2回、明日からは夕方のみの1回上映になるので、見るのは難しそうです。
あらすじを読むと、李相日監督の出世作「69 Sixty Nine」(2004)と似ている気がしますね。あちらは近未来じゃなくて過去の1969年が舞台。面白そうなのでなんとか見たいのですがね。SNSで口コミで広がってくれないかな。

投稿: Kei(管理人 ) | 2024年10月17日 (木) 16:26

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