「陪審員2番」 (VOD)
2024年・アメリカ 114分
製作:マルパソ・プロ=ワーナー・ブラザース
配信:U-NEXT
原題:Juror #2
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ジョナサン・エイブラムズ
撮影:イブ・ベランジェ
音楽:マーク・マンシーナ
製作:クリント・イーストウッド、ティム・ムーア、ジェシカ・マイヤー、アダム・グッドマン、マット・スキーナ
ある殺人事件に関する裁判で陪審員をすることになった主人公が、思わぬ形で事件と関わり苦悩する姿を描いた法廷ミステリー。監督は「クライ・マッチョ」のクリント・イーストウッド。主演は「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のニコラス・ホルト。共演は「ヘレディタリー 継承」のトニ・コレット、「セッション」のJ・K・シモンズ、「24 TWENTY FOUR」のキーファー・サザーランドなど。2024年12月20日からU-NEXTで独占配信。
(物語)ジャスティン・ケンプ(ニコラス・ホルト)は、雨の夜に車を運転中に何かを轢いてしまうが、車から出て確認しても周囲には何もなかった。その後、ジャスティンは恋人を殺害した容疑で殺人罪に問われた男の裁判で陪審員を務める事になるが、やがて彼は思いがけない形で「事件当事者」となり、被告を有罪にするか無罪放免にするか、深刻なジレンマに陥ることになる。
クリント・イーストウッド、94歳を迎えた昨年にまたまた新作を発表。まったく衰えと言うものを知らない超人だ。しかも本作はナショナル・ボード・オブ・レビュー(米国映画批評会議)が毎年発表する「今年の映画トップ10」にも選ばれるなど評判となり、それで本来は配信のみの予定が、アメリカやヨーロッパの一部地域では昨年11月に劇場公開された。小規模公開ながら観客の入りもまずまずだった。
ところが我が国では、U-NEXTの独占配信のみで、劇場公開の予定はないと言う。有名俳優が出演しておらず、題材も地味だという事らしい。
しかしこれまで数多くの名作、秀作を監督して来たレジェンドとも言うべきイーストウッドの監督作を(しかも評判がいい)劇場未公開とは。これまで儲けさせてもらったワーナー、情けないと思わないか。
それで、どうしても見たくて、1ヵ月間無料トライアルのU-NEXTに加入して配信で観る事にした。
(以下ネタバレあり)
冒頭のメインタイトルのバックに、天秤を持つ正義の女神テミスの絵が登場する。この女神像は、事件を審理する裁判所の前にも彫像として置かれており、映画の中で何度か登場する、重要なキー・アイテムでもある。
主人公のジャスティン・ケンプは、身重の妻、アリソン・クルーソン(ゾーイ・ドゥイッチ)と暮らしている。生まれて来るベビーの為に子供部屋を飾り付け、目隠しさせたアリソンにサプライズで見せ、喜ばせている。幸せそうな家庭のようだ。
苗字が違うのでまだ籍は入れていないようだ。これが重要な伏線になっている。
また、“目隠し”も象徴的な意味を持っている。実は冒頭の正義の女神も目隠しをしている。

女神が目隠しをしているのは、“「法の下の公正さ」の法理念”を表しているのだが、観終わってみれば、“誰も真実が見えていない”事のメタファーとも読み取れる。なかなか秀逸な出だしである。
イーストウッド監督の演出は相変わらず簡潔で無駄がない。
ある日、ジャスティンの元に裁判所から陪審員の召喚状が届く。彼は妻が身重なので出来るだけ側にいたいと辞退を申し出るが、裁判長に「通常の勤務時間を超えないと約束します」と言われ、仕方なく引き受ける。ジャスティンは“陪審員2番”に選ばれる。
被告はジェームズ・サイス(ガブリエル・バッソ)という、全身刺青をした大男。それだけでも印象が悪いが、事件のあった日、恋人のケンドル・カーター(フランチェスカ・イーストウッド)とコーリー旧道沿いのバー”ハイド・アウェイ”で大喧嘩していた所を大勢の人に目撃されている。ケンドルは大雨の中、一人で帰り、サイスは彼女の後を追って行った。
そして翌朝、旧道脇の橋の下でケンドルの死体が発見される。当然、サイスが疑われ、また事件現場近くで、サイスの姿を目撃したという証人も現れたので、サイスは第1級殺人の容疑で逮捕され、裁判にかけられたという訳だ。
映画の中では、陪審員が選ばれる過程もなかなか丁寧に描かれているのが興味深い。陪審員に適任か、検事、弁護士の双方から聞き取りも行われる。少しでも事件に関連する職業、経歴の者も排除される。
検事は女性のフェイス・キルブルー(トニ・コレット)。野心家で、次の検事長選挙に立候補している。サイスを有罪に出来れば選挙に有利になるので、なんとしても有罪に持ち込もうとしている。彼女の存在も後に重要になって行く。
やがてジャスティンは裁判のプロセスで、事件があったとされる日時や天候、被害者女性の死亡した現場などの情報を知って行くうち、大変な事に気付く。彼はその日ハイド・アウェイに寄った後、大雨の中で車を走らせ、よそ見した時に何かにぶつかった事を思い出す。降りて調べたが何も見当たらない。よく鹿が出る場所なので、鹿に接触したのだろうとその時は気に留めなかった。
もしかしたら、あの時ぶつかったのは、被害者ケンドルではなかったか。だとしたらサイスは無罪だ。ジャスティンは激しく動揺する。
陪審員の一人が、実は犯人だった、という設定が面白い。そんな偶然があるのか、という声もあろうが、これが物語の重要なテーマだから許せる範囲だろう。
ジャスティンは以前アルコール依存症になって、酒を飲み運転し事故を起こした過去がある。その後断酒会に通って今は酒を断っている。ハイド・アウェイに行った時も飲まなかった。
ジャスティンは断酒会で知り合った弁護士、ラリー(キーファー・サザーランド)に真実を話し、どうすれば良いか相談する。ラリーは「飲酒運転の前歴があるから、危険運転致死の罪で最悪終身刑の可能性もある。名乗り出れば人生は破滅だ」と助言する。つまり黙っていろという事だ。
ジャスティンは悩みに悩む。このまま黙って、サイスを有罪にしたら、自分も家族も助かる。しかし無実の人間に罪を被せていいのか。それはジャスティンにとって、ケンドルだけでなくサイスの人生をも奪う事になる。彼は良心の呵責に苛まれる。頭の中で、天使と悪魔が囁きあっている絵柄そのものだ。
12人の陪審員はサイスを有罪にするか、無罪にするか議論する。ジャスティン以外の11人は揃って“有罪”の判断を下す。ジャスティンが有罪と述べればそれで全員一致で有罪の結論が出る。陪審員の一人は「子供が待ってる、早く決めて帰りましょ」とまで言う。
だが、さすがに気が引けたのか、ジャスティンは「人の命がかかっている。早く決める必要はない、議論しよう」と持ち掛ける。
このプロセス、シドニー・ルメット監督の裁判映画の傑作「十二人の怒れる男」(1957)とそっくりだ。さしずめジャスティンは同作のヘンリー・フォンダ(陪審員8番)である。頑強に有罪説を曲げない陪審員がいる所まで似ている。
こうして、陪審員たちの議論が始まる。議論は白熱するが、「十二人の-」と同様に、ジャスティンの粘り強い説得で、一人、また一人と無罪票が増えて行く。一時は有罪、無罪が同数にまでなる。
このまま行けば、「十二人の-」と同じく、最後は全員一致で無罪、となるかと思えるが、そうはならない所が一味違う。
陪審員の一人、ハロルド・チコウスキー(J・K・シモンズ)は元刑事で、刑事独特の嗅覚で、もしかしたら被害者は車で撥ねられたのではないかと疑い、事件後修理に出た車のリストを作り、一件づつ調べているとジャスティンに語る。ジャスティンの乗っていた車もリストにあったが、まさか彼ではないだろうと見逃す。元刑事にしては甘い(笑)。
ジャスティンが(わざと?)リストを落としたことで法廷職員がそれを見つけ、元刑事という経歴を隠していた事と、勝手な捜査をした事でハロルドは陪審員から外されてしまう。
そのリストがキルブルー検事の手に渡り、彼女もひき逃げの可能性を疑い始める。そしてハロルドと同じようにリストにある車を調べて行く。
このキルブルー検事のキャラクターも面白い。被告を有罪に持ち込む事に全力を注ぎながら、一方で真実の追求にも熱心に取り組もうとする。もし真実が明らかになったら裁判で負けるかも知れないのに。
相手の弁護士がキルブルーに言った「真実が正義をもたらす」の言葉がここで意味を持って来る。彼女もまた、己の野心と正義との狭間で苦悩するのである。
キルブルーはジャスティンの家にもやって来るが、彼は不在、応対したアリソンの苗字がケンプではないので、キルブルーは気付かず帰って行く。ここもハラハラさせる。
やがて裁判は進み、遂に陪審員全員一致の結論が出る。てっきり「十二人の怒れる男」的結末かと思わせて、実はなんとも皮肉で暗澹たる結末だった。正義はどこに行ったのか。
終身刑の判決が出た後、法廷前の正義の女神像の下でキルブルーとジャスティンが語り会うシーンも印象的だ。キルブルーは彼を疑い始めている。ジャスティンは「真実が正義とは限らない」と言い、論争を仕掛ける。この真実と正義の論争は本作のポイントである。その頭上では女神の天秤が風に揺れている。見事な名シーンだ。
ラストはここでは書かない。イーストウッド監督も、キルブルーが下した結論が何だったのかは描かない。観客が自分で判断して欲しいという事なのだろう。
素晴らしい秀作だった。
人が人を裁く事の難しさ、裁判において本当に真実の追求は可能なのか、正義とは何かという問いかけ、そして天秤のように揺れる人間のエゴと良心の呵責…。
様々なテーマが一部の隙もなく緻密に描かれ、観終わっても考えさせられる、これは優れた問題作である。
主人公の名前ジャスティン(Justin)が、正義(Justice)とスペルが似ているのも狙っての事だろう。
思えばイーストウッド監督は、「許されざる者」しかり、「グラン・トリノ」しかり、「J・エドガー」しかり、常に“正義とは何か”を問い続けて来た作家である。
また、「トゥルー・クライム」(1998)、「ハドソン川の奇跡」、「リチャード・ジュエル」等の作品において、“冤罪”の恐ろしさを何度もテーマに取り上げている。
そう考えれば、本作はこれまでイーストウッド監督が描き続けて来た社会派的テーマの集大成的作品とも言える。
94歳にしてこれほどの傑作を作り上げたイーストウッドは本当に敬服に値する。 (採点=★★★★★)
こんな優れた秀作が劇場公開されないとは、腹立たしい思いである。幸い「日本公開を希望する署名サイト」も立ち上がっているので、是非多くの人の署名を望みたい。無論私も署名した。
↓
イーストウッド最新作『陪審員2番』の日本公開を希望します!
(付記)
被害者のケンドル役を演じたフランチェスカ・イーストウッドは名前でも判る通り、クリント・イーストウッドの娘である。
なおフランチェスカは前述のイーストウッド監督作「トゥルー・クライム」にも主人公イーストウッドの娘役で出演している(当時5歳)。
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