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2025年1月31日 (金)

「敵」

Teki 2023年・日本   108分
製作:ギークピクピュアズ
配給:ハピネットファントム・スタジオ=ギークピクチュアズ
監督:吉田大八
原作:筒井康隆
脚本:吉田大八
撮影:四宮秀俊
音楽:千葉広樹
企画・プロデュース:小澤祐治
プロデューサー:江守徹

穏やかな生活を送っていた独居老人が人生の最期に向かって生きる姿を描く、筒井康隆による同名小説を映画化。監督は「騙し絵の牙」の吉田大八。主演は12年ぶりの映画主演となる「お終活 再春!人生ラプソディ」の長塚京三。共演は、「由宇子の天秤」の瀧内公美、「あんのこと」の河合優実、「親密な他人」の黒沢あすか等。2024年・第37回東京国際映画祭コンペティション部門で東京グランプリ、最優秀監督賞(吉田大八)、最優秀男優賞(長塚京三)の3賞を受賞。

(物語)77歳の元大学教授・渡辺儀助(長塚京三)は、妻・信子(黒沢あすか)に先立たれ、料理は自分で作り、晩酌を楽しみ、祖父の代から続く日本家屋で一人余生を過ごしている。多くの友人たちとは疎遠になったが、気の置けない僅かな友人と酒を飲み交わし、時には教え子を招いてディナーを振る舞う。預貯金が後何年持つか、すなわち自身が後何年生きられるかを計算しながら、穏やかな時間を淡々と過ごしていた。だがそんなある日、パソコンの画面に、「敵がやって来る」という不穏なメッセージが流れて来て…。

筒井康隆の小説は好きで、文庫本で何冊か所有しているが、この原作は未読。
筒井作品には、ブラック・ユーモア、どす黒い笑いが充満する作品が多いが、恐らく本作もそうしたジャンルの作品らしい事は推察できる。

吉田大八監督は、長編デビューとなる「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(2007)から好きな作家で、ずっと追いかけている。ただ最近はちょっとガッカリの作品が続いていたので、どうしたのかな、と思っていた。

で、本作を観た。これは良かった。いかにも筒井康隆作品、という内容で、吉田監督独特の不穏な空気感を醸し出す作風と筒井テイストが巧くマッチした快作と言えるだろう。

(以下ネタバレあり)

主人公渡辺儀助は現在77歳。20年前に妻に先立たれ、古い日本家屋に一人で住み、きちんと衣類を畳み、ホウキで掃除する等、毎日規則正しい生活を送っている。食事は自分で米を研ぎ、おかずも自分で調理する。シャケをグリルで焼く様子などが丁寧に描かれる。食後にはこれも自分でコーヒーミルで挽いた豆でコーヒーを飲む。

そうした平凡な日常が繰り返される描写はヴィム・ヴェンダース監督「PERFECT DAYS」を思わせたりもするが、異なるのは渡辺がフランス文学の権威である元大学教授で、リタイアした現在も旅行雑誌に記事を連載しているし、たまに講演の依頼もあるが、講演料が10万円以上でしか受けないと決めている。結構優雅な生活をしている。
そして預貯金の残高を一日の生活費で割り算して、あと何年で残高が無くなるかを計算し、その時がこの世を去る日だと思っている。つまり老後をどう生きるか、ちゃんと考えて暮らしているのだ。

原作が執筆されたのは、筒井が64歳の時だそうで、確かにご本人自身もこれからの老後を考えていた時期だろう。インタビューでも執筆の動機を聞かれ、「歳をとるのが怖かったからでしょうね」と答えている。そうした筒井自身の“老いに対する恐れ”が物語に大きく反映されている点も留意すべきだろう。

日常生活の繰り返しだけでは単調になる所だが、彼の元に数人の人物が訪れたり、出先で新たな人物と出会ったりするので、こうした人物交流が物語に変化をもたらしている。友人のデザイナー、湯島定一(松尾貴史)や、渡辺の元教え子で出版社勤務の鷹司靖子(瀧内公美)、それにやはり元教え子の椛島光則(松尾諭)などがやって来る。また行きつけのバー「夜間飛行」でバイトする仏文科学生の菅井歩美(河合優実)とも親しくなる。

面白いのは、渡辺は77歳という老齢でありながら、まだまだセックスに関する欲望は衰えていない。靖子が渡辺邸を訪れた時、ソファで寝てしまった靖子の姿を見て変な気を起しかけたり、「夜間飛行」の歩美から金を貸して欲しいと頼まれればポンと貸してしまうのも下心が透けて見える。

笑ってしまうのが、その次に靖子がやって来た時、終電までの時間で渡辺が靖子とセックスする展開となるのだが、実はそれが渡辺の夢で、目が覚めた時夢精でパンツを濡らしていたというオチ。洗濯機の前でそのパンツを脱いで悄然と立つ姿には笑ってしまった。

ある日渡辺はトイレで出血し、病院で内視鏡検査を受けたりするのだが、2回目の検査時、内視鏡のチューブがスルスルと渡辺の肛門に吸い込まれるおかしなシーンがある。実はこれも夢だった事が分かったりと、渡辺が変な夢を見るシーンが次第に増えて来る。観ている我々も、どれが現実でどれが夢か判らなくなって来る。

やがては寝ている時だけでなく、普段の生活の中にも死んだはずの妻が登場したりと、現実と妄想の境界が曖昧になって行く。
スクリーンで描かれるこれらの映像はすべて渡辺の脳内イメージと言ってよく、アンソニー・ホプキンスが認知症の父親役を演じた「ファーザー」を思わせる。
ただ、渡辺は友人や出版社の人たちとは普通に会話しているし、今どこにいるのか判らなくなる事もないので、渡辺が認知症という訳ではなさそうだ。初期的な症状とは言えるかも知れないが。

またある時、パソコンに、「敵がやって来る」というおかしなメッセージが届く。最初の頃は迷惑メールと思って読まずに削除していたが、その後も「敵が来る」というメールは続き、渡辺は不安感に苛まれて行く。「敵」とは何なのか。この不安感も渡辺の妄想に影響を与えている可能性はある。

終盤に至って、もはや全ての出来事が、渡辺の妄想とも思えて来る。まるでゾンビのような得体の知れない群衆が押し寄せて来るし、近所の老人や犬を連れた婦人は「敵」射殺される。これらもすべて妄想だ。もしかしたら、「敵がやって来る」というメール自体も妄想なのかも知れない。

では、渡辺の心に生じた「敵」とは何なのか。ここで前述の原作執筆の動機“老いに対する恐れ”を思い返せば、その正体は見えて来る。つまり「敵」とは“老い”であり、その後に訪れる“死”なのだ。

人間いつかは必ず死ぬ。それは誰もが知っている。だから渡辺も貯金が無くなれば死のうと決めている。だが達観していたつもりでも、77歳になって老いが忍び寄って来ると、近づく死を実感し、怖くなる。まだ性欲もあるし、若い女性とも付き合いたいし、美味しいものも食べたい。まだ死にたくない…。その恐怖が脳内で、襲ってくる「敵」を生み出したという訳だ。

ラストで渡辺は死ぬのだが、遺産を相続した甥の槙男(中島歩)が形見の双眼鏡で家の二階を覗くと、そこに渡辺の姿が見えるシーンも面白い。ここはいろんな考え方で出来るので、観た方それぞれが思考を巡らせるのもいいだろう。


いやあ面白かった。最初の方で平凡な現実描写を淡々と積み重ねているからこそ、後半の妄想が現実を侵食して行く過程がより不気味に感じられる事となる。

元大学教授として威厳を保ち、死に至るまでの老後をきちんと計算しているような人間でさえも、老いと死の恐怖からは逃れられず、滑稽な程にうろたえてしまう。
誰でも一緒だ、それが人間なのだというテーマを、映画はまさに筒井康隆的ブラック・ユーモア、どす黒い哄笑と諧謔精神で見事表現している。これぞ筒井ワールドである。

長塚京三が適役だ。実際にパリに留学経験もあるし、映画を撮った時は79歳だが、カクシャクとしてて主人公にピッタリだ。この方を起用出来たのも成功の一因だろう。

四宮秀俊カメラマンのモノクロ撮影も、不穏さを感じさせ、見事な効果を挙げている。吉田大八監督の久しぶりの秀作である。 (採点=★★★★☆


(付記)
優れた物語を創作する作家であるほど、根本的テーマとしてこうした老い、死というものを採り上げたくなるのかも知れない。

Ikiru2 それで思い起こされるのが、黒澤明監督の代表作「生きる」(1952)である。この映画の主人公も、ガンで死期が近いと知ってうろたえ、街を彷徨い歩き、どうしたら死の恐怖から逃れられるか煩悶、模索するのである。

奇しくも、志村喬が演じるこの主人公の名前も渡辺勘治である。いや、もしかしたら筒井康隆がテーマの類似性から名前を拝借したのかも知れない。

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原作(新潮文庫)
Teki2

 

 

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コメント

本作、私も見ました。
64才の筒井が書いた原作を吉田大八監督、長塚京三主演で映画化。
原作は読んでいます。
原作を書いた時、筒井さんは今の私より若かったのか。
77才の主人公を演じる長塚京三は79才ですが、シャワーを浴びるシーンなどは体が引き締まり若く見えます。
割と原作には忠実ですが、筒井康隆ですからマジックリアリズム的というか幻想や夢が交錯し一筋縄ではいきません。
さすがは吉田大八監督、難しい題材に挑戦していて見せますね。
モノクロなのも効果的。
長塚京三はじめ瀧内公美、河合優実ら俳優陣も好演していました。
60代の私には色々と身につまされる映画でした。

投稿: きさ | 2025年2月 1日 (土) 21:00

◆きささん
長塚京三は本当に79歳には見えないくらい引き締まった身体でしたね。「インディー・ジョーンズと運命のダイヤル」のハリソン・フォードは撮影当時そのくらいのお歳でしたが、身体ブヨブヨでしたものね(笑)。
確かに、高齢な者には身につまされる映画でしたね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2025年2月 5日 (水) 14:34

「敵」も素晴らしいけど、「トワイライト・ウォリアーズ」がメチャクチャな大傑作!

痛快アクションの中に、香港の民主化運動を暗喩してます。

谷垣健治指導のアクションは、既存のアクションを更新したと思います。まさに偉業。

映画館で観ないとひたすら後悔します。私はパンフレットまで買いました。もう一回観るつもりです。

ヒットしてるらしいです。絶対必見です!

投稿: タニプロ | 2025年2月 5日 (水) 21:11

◆タニプロさん
評価が高いので観たいと思っていました。
時間が取れたので今日観てきました。
お奨めの通り、久しぶりの怒涛の香港アクション映画でしたね。秀作です。
近々作品評をブログにアップします。

投稿: Kei(管理人 ) | 2025年2月11日 (火) 18:28

「トワイライト・ウォリアーズ」評判いいですね。
私も今日見に行く予定です。
見たら感想書きます。

投稿: きさ | 2025年2月12日 (水) 10:36

常連の鶴岡まちなかキネマで鑑賞しました。
設定が一部私生活と被り、年齢的に22年後
こんな丁寧な生活送れるだろうかと
長塚京三さんの素敵な佇まいも含め
みとれてました。…が、中盤以降
予想外過ぎて目が離せない傑作でした。

妻の旅立ちから1年半過ぎましたが、
以後小さい写真を傍らに置いて一緒に
劇場鑑賞続けています。恐らく本作も
鑑賞後に考察を話し合ったかもしれませんね。

投稿: ぱたた | 2025年3月11日 (火) 18:48

◆ぱたたさん
お久しぶりです。
老後の人生を考える歳になれば、きっと身につまされるかも知れませんね。
この映画は、長塚さんという名優あっての成功だと思います。他にこの歳でこの役を演じられる方、ちょっと思いつきませんね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2025年3月14日 (金) 22:39

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