« 「野生の島のロズ」 | トップページ | 「ニッケル・ボーイズ」 (VOD) »

2025年3月 2日 (日)

「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」

Acompleteunknown 2024年・アメリカ   140分
製作:サーチライト・ピクチャーズ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
原題:A Complete Unknown
監督:ジェームズ・マンゴールド
脚本:ジェームズ・マンゴールド、ジェイ・コックス
撮影:フェドン・パパマイケル
音楽プロデューサー:ニック・バクスター
製作:フレッド・バーガー、ジェームズ・マンゴールド、アレックス・ハインマン、ボブ・ブックマン、ピーター・ジェイセン、アラン・ガスマー、ジェフ・ローゼン、ティモシー・シャラメ

伝説的ミュージシャン、ボブ・ディランの若き日を描く伝記ドラマ。監督は「フォードvsフェラーリ」のジェームズ・マンゴールド。主演は「デューン 砂の惑星」シリーズのティモシー・シャラメ。共演は「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」のエドワード・ノートン、「ティーンスピリット」のエル・ファニング、「トップガン マーヴェリック」のモニカ・バルバロ、「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」のボイド・ホルブルックなど。第97回アカデミー賞で作品賞、主演男優賞など計8部門でノミネートされた。

(物語)1961年の冬、フォーク・ギターとわずか10ドルの金だけを手に、ニューヨークへ降り立った19歳のボブ・ディラン(ティモシー・シャラメ)。恋人シルヴィー(エル・ファニング)、音楽上のパートナーであるフォーク歌手ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)、そして彼の才能を認める先輩、ウディ・ガスリー(スクート・マクネイリー)、ピート・シーガー(エドワード・ノートン)らと出会い、時代の変化に呼応するフォーク・ミュージックシーンの中で、ボブ・ディランの魅力とその歌は大きな注目を浴び、時代を動かして行き、やがては“フォーク界のプリンス”、“若者の代弁者”として崇められるまでになる。だがそんな立ち位置に次第に違和感を抱き始めたディランは、悩み苦しんだ末に、1965年7月25日、ある決断をする…。

ボブ・ディラン!2016年に歌手として初めてノーベル文学賞を受賞した事でも知られているが、多分50歳以下の方は、その音楽活動や音楽界に与えた功績について、あまり御存じないかも知れない。
本作は1961年、彗星のように登場し、またたく間にフォーク界のプリンスとなってヒット曲を連発し、やがて新しい音楽活動へと転進した1965年まで約5年間を描いている。

私はちょうどその時期、洋楽に夢中になり、ポール・アンカ、ニール・セダカ、デル・シャノンに始まり、やがてディランやジョーン・バエズ、ピーター・ポール&マリー(P.P.M)、ブラザース・フォーなどのフォーク・ブームにドップリ浸かった世代である(その後はビートルズに嵌まって行くけれど(笑))。特にボブ・ディランには痺れた。レコードも集めた。「風に吹かれて」は歌詞もソラ暗記して、いまでもギター弾きながら歌えるほどだ。

だから、ボブ・ディランの若き日を描いた本作を心待ちにしていた。公開されるやすぐに劇場に飛んで行った。


さすが2005年の「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」で、同時代のシンガー、ジョニー・キャッシュを主人公にした音楽映画を監督したマンゴールドだけに、演出は手慣れたものだ。なおジョニー・キャッシュは本作にも少しだけ登場している(演じているのはボイド・ホルブルック)。

ディランと、彼が登場したその時代を知らない方の為に少しだけ解説を。本作を観る前の前知識として知っておいた方がより本作を楽しめる。

フォーク・ソングの歴史はかなり古い。元々は民謡としてずっと昔から歌い継がれて来た。1930年代にフォーク・リバイバル・ブームが起き、その牽引者がウディ・ガスリーだった。なおガスリーについては、ハル・アシュビー監督により「ウディ・ガスリー わが心のふるさと」(1976)という伝記映画が作られている。

ガスリーは1940年に、「我が祖国」(This land is your land) を書いている。フォークの代表的名曲である。その他にも、いくつものプロテスト・ソングを発表している。
ディランはウディ・ガスリーを最も尊敬しており、彼が入院している病院まで会いにに行っている。ガスリーの病名はハンチントン病で、1950年代初めに発病し、ディランが会った当時は病状がかなり進行していた頃だ。ガスリーはその後1967年に亡くなった。

その病院でガスリーの傍にいたピート・シーガーも代表的フォーク・シンガーで、「花はどこへ行った」「天使のハンマー」等の反戦フォークをいくつも書いている。
シーガーは戦前に共産党に入党していた事もあり、下院非米活動委員会に召喚された事もある。61年当時は公民権運動にも積極的に参加していた。本作で最初に登場した時、裁判所に出頭していたのもそうした活動が右派の人たちに睨まれていたからである。裁判所の外で支援者たちと一緒に「我が祖国」を歌うシーンにシーガーの反権力姿勢が現れている。

そして61年当時は、ベトナム戦争が泥沼化し、反戦運動が盛んになった頃である。そんな中、ピート・シーガーやジョーン・バエズ、P.P.Mらが反戦フォークを歌い、フォークは反体制運動の象徴となっていた。
そんな所にディランが登場し、彼も「風に吹かれて」「戦争の親玉」などの反戦フォークを作詞作曲し歌った事で、うまく時代の波に乗った、と言えるだろう。
.......................................................................................

さて、映画の方だが、冒頭、ヒッチハイクでニューヨークに到着したディランが夜の街を歩くシーンでは、60年代の街並みや古い自動車を並べて、当時の空気感を見事に再現していたのにまず唸った。クラシック・カー・ファンには垂涎ものだ。

(以下ネタバレあり)

ディランは敬愛するウディ・ガスリーの入院している病院を訪ね当て、彼を見舞っていたピート・シーガーとも出会う。シーガーに何か歌ってくれと頼まれ、ディランはギタ-を弾きながら歌うのだが、演じるティモシー・シャラメのギター・テクニックが凄い。指の動きと音がきっちり合っているし、鼻にかかった歌声もディランそっくりだ。ここでまず魅了される。
マンゴールド監督のインタビューによると、コロナ禍で製作が中断していた5年の間にシャラメは猛特訓し、ちゃんとギターを弾けるようになったのだと言う。この歌と演奏は事前録音ではなく、実際にシャラメが撮影現場で歌い演奏した音源が使われているそうだ。以後の40曲に及ぶディランの演奏シーンもすべて同じ方法で撮影されている。

まさにボブ・ディランになり切ったシャラメの演奏と歌にすっかり魅了され、感動してしまった。涙さえ出て来た。顔はあんまり似てはいないのだが、観ているうちに、そこにボブ・ディラン本人がいるような気にさえさせられた。

その後の、ジョーン・バエズが登場し「朝日のあたる家」を歌うシーンにもゾクゾクさせられた。この歌もバエズのレコード、CDで何度も聴いているが、高く透き通った歌声もまさにバエズそのもの。そして演じるモニカ・バルバロによる、ギターを弾く指の動きもシャラメ同様完璧だ。これもインタビューによると、バルバロ自身が猛特訓して、自分で歌い演奏しているのだと言う。出演が決まった時、彼女は歌も演奏も未経験だったそうだから凄い。

シーガーを演じるエドワード・ノートンの軽やかなバンジョーも含めて、こうしたバエズ役モニカ・バルバロ、ディラン役ティモシー・シャラメの歌と演奏を聴いているだけでも、感動で泣きそうになる。もうこれだけで十分値段分の値打ちはあると言いたい。

シーガーの妻がトシという日本人(但し母はアメリカ人)だったとは知らなかった。演じているのは初音映莉子という日本人俳優。

ディランは教会のプロテスト集会で出会ったシルヴィ・ロッソと恋仲になる。彼女の家に居候し、曲を作るのだが、フォーク・コンサートで意気投合したジョーン・バエズとも愛し合う。
シルヴィは一時はディランに愛想をつかして別れるのだが、それでもコンサートにはやって来たりする。その間ディランは別の黒人女性ともいい仲になったりする。
何とも身勝手に見えるが、それも“何物にも束縛されず、自由でいたい”というディランの生き方なのだろう。

音楽面においても、いつまでも「風に吹かれて」ばっかり歌わされるのは嫌だと言い、更に先へ進もうとする。64年に彼が発表した「時代は変わる」にはまさに、“時代は変わって行くのだ”というメッセージが込められている。
また、63年から台頭して来たビートルズとも親交を重ね、互いに影響し合って行く。ジョン・レノンは特に影響を受け、ジョンの作った「悲しみはぶっ飛ばせ」はディランからの影響がモロに出ている。ディランもビートルズの音楽性に影響を受け、エレキ・ギターへの傾倒が始まる。

こうして1965年の7月、ニューポート・フォーク・フェスティバルにおいて、ディランはエレキ・ギターにドラム、ベースを加えたバンド編成で新曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌う。
集まった聴衆たちはそのけたたましい音響に不快感を示す。フォークは、ギター1本のシンプルな演奏で歌うものだとの固定観念があるからである。中には「裏切者!」と罵倒する者もいる。物が投げられる。それでもディランは歌い続ける。ピート・シーガーさえも一時は電源コードを抜きかけるが、妻のトシに制止される。

こうして、ディランは恩師シーガーとも袂を分かち、さらに前へ向かって進んで行くのである。「ライク・ア・ローリング・ストーン」(転がる石のように)という歌はまさに彼の歩み方を象徴する歌だと言える。


天才というものは、常に時代を見据え、その先を行こうとするものなのだろう。フォークの時代が終わろうとしている事をいち早く感知し、エレキ・ギターによるロックの時代の到来を予見したボブ・ディランの生き方は正しかった。実際'70年代以降、フォークは急速に衰退し、クイーンやイーグルス、レッド・ツェッペリンの時代が到来する。
60年代のフォーク歌手・グループの中で、その後も生き残り、現在も活躍しているのはボブ・ディランだけである。それだけでも凄い事だ。

多くのミュージシャンに影響を与えた点でも、特筆されるべき存在だと言える。日本でも吉田拓郎、岡林信康、高石友也、泉谷しげる、みんなディランの影響を受けている。

まさに生ける伝説だ。本作はそんな天才シンガー、ボブ・ディランの凄さ、魅力を、たった5年間の活動を描くだけで余す所なく伝えきっている。それが素晴らしい。

そして何より、ディランを演じたティモシー・シャラメである。まさにディランが憑依したかの如き熱演、演奏と歌は本作最大の魅力だろう。
明日米アカデミー賞の発表があるが、シャラメが主演男優賞を受賞するような気がする。さて?。

ボブ・ディランのファンは無論の事、60年代ポップスに興味のある方も、ディランの事をもっと知りたいと思っている方にも必見の、音楽伝記映画の傑作である。  (採点=★★★★★

 ランキングに投票ください → にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

 

(付記)
ディランの最初の恋人となるシルヴィ・ロッソは実在の人物ではなく、実在したアーティストのスーズ・ロトロ(本名:スーザン・エリザベス・ロトロ)がモデルである。彼女は実際に1961年12月から、西四番ストリートにディランが借りていたアパートで一緒に暮らしていた。

Thefreewheelinbobdylanディランの2枚目のスタジオ録音アルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」のジャケット(右)には、ディランと仲睦まじく彼と腕を組んでいる女性が写っているが、この女性がスーズ・ロトロである。

自分の恋人と一緒に写っている写真をジャケットに使ったミュージシャンは、彼が初めてだそうだ。そういった面でもディランは先駆者と言えるだろう。

 

 

|

« 「野生の島のロズ」 | トップページ | 「ニッケル・ボーイズ」 (VOD) »

コメント

これは面白かったですね。
今の所、今年の洋画ベストワンです。

投稿: きさ | 2025年3月 3日 (月) 15:10

 まずは、ティモシー・シャラメの歌とギターにびっくり。相当努力したんでしょうが、才能もあるんでしょうね。ディランの歌はベスト盤程度しか知らないですが、楽しく聴けました。2時間半があっという間に過ぎる。私も今のところ今年のナンバーワンです。

投稿: 自称歴史家 | 2025年3月 3日 (月) 18:30

◆きささん
きささんは洋画ベストワンですか。私も暫定ベストワンです。でも「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」もベストワン候補だし、どっちにするか迷ってます。


◆自称歴史家さん
みなさん評価が高いですね。ディラン・ファンとしてはいい気分です。
でも昨日発表されたアカデミー賞で、8部門にノミネートされてたのになんと一つも獲れませんでしたね。残念。シャラメの主演男優賞は期待してたんですけどね。まあまだ若いし、今後に期待しましょう。

投稿: Kei(管理人 ) | 2025年3月 4日 (火) 14:09

 個人的には、デューン第3作で主演男優賞をとってもらいたいと思います。

投稿: 自称歴史家 | 2025年3月 4日 (火) 21:22

ティモシー・シャラメの演技、「エルヴィス」のオースティン・バトラーを彷彿とさせる憑依的演技でした。すごい。
ジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロもすごく澄んだ歌声で驚きました。
あの時代をうまく描いたとても素敵な映画でしたね。

投稿: 周太 | 2025年3月 7日 (金) 20:01

◆周太さん
お久しぶりです。
'60年代の時代の空気感がよく出ていましたね。
音楽伝記映画は、「ボヘミアン・ラプソディ」「リスペクト」「エルヴィス」そして本作と、主演俳優のなりきりぶりが強烈な作品が続いていますね。そしてどれも大成功作です。さて、次はどんな音楽伝記映画が登場するか、楽しみですね。

投稿: Kei(管理人 ) | 2025年3月 8日 (土) 11:49

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「野生の島のロズ」 | トップページ | 「ニッケル・ボーイズ」 (VOD) »