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2025年3月15日 (土)

「ニッケル・ボーイズ」 (VOD)

Nickelboys 2024年・アメリカ   140分
製作:オライオン・ピクチャーズ=プランB・エンタティンメント=M.G.M
配信:Amazon Prime Video
原題:Nickel Boys
監督:ラメル・ロス
原作:コルソン・ホワイトヘッド
脚本:ラメル・ロス、ジョスリン・バーンズ
撮影:ジョモ・フレイ
音楽:アレックス・ソマーズ、スコット・アラリオ
製作総指揮:ブラッド・ピット、ギャビー・シェパード、エミリー・ウルフ、ケネス・ユー、チャドウィック・プリチャード

1960年代アメリカに実在した少年院を舞台に、黒人の少年が体験した過酷な状況を描く社会派ヒューマン・ドラマ。監督はこれまで主にドキュメンタリーを手がけてきたラメル・ロス。出演は「ボクらを見る目」のイーサン・ヘリス、「ザ・ウェイバック」のブランドン・ウィルソン、「別れる前にしておくべき10のこと」のハミッシュ・リンクレイター、「グラディエーターII 英雄を呼ぶ声」のフレッド・ヘッキンジャーなど。第97回アカデミー賞で作品賞、脚色賞にノミネートされた。2025年2月27日よりAmazon Prime Videoで配信。

(物語)1960年代のフロリダ州タラハシー。真面目で成績優秀なアフリカ系アメリカ人の少年エルウッド・カーティス(イーサン・ヘリス)は、ある時、ヒッチハイクで乗せてもらった車が盗難車だったことから、運転手の共犯として警察に逮捕され、有罪判決を受けてしまう。未成年のエルウッドは更生施設「ニッケル・アカデミー」に送られ、そこでターナー(ブランドン・ウィルソン)という少年と出会う。ニッケル・アカデミーでは黒人の少年たちに対する信じがたい暴力や虐待、運営者たちの腐敗が横行しており、そのなかで生き抜くためにも、エルウッドはターナーと友情を育んで行く…。

2024年度の米アカデミー賞の作品賞にノミネートされ、製作にブラッド・ピット率いるプランBが参加しているので、ちょっと気になっていた。ただ日本では劇場公開されず、アマプラの配信のみとなった。そんなわけで仕方なくアマプラ配信で鑑賞。

(以下ネタバレあり)

主人公エルウッドは真面目で、学校の成績も優秀。それで学費免除の技術学校に進む事を先生から勧められる。

ある時、学校に行く為に道路を歩いていて、通りがかりの車にヒッチハイクで乗せてもらう。一見親切そうな男だったが、途中で警察に呼び止められ、その車が盗難車であった事から、エルウッドは男の共犯者として逮捕されてしまう。

普通なら運転していた男の証言などで、無実と判り釈放されるだろうが、エルウッドが黒人だった事が災難だった。彼は裁判にかけられ、有罪判決を受けるが、未成年だったので更生施設「ニッケル・アカデミー」に送られる事となる。

1960年当時は、アメリカ南部諸州に「ジム・クロウ法」という、人種差別的内容を含む州法が存在しており、黒人には人権が認められていないに等しかった。
冒頭近く、テレビで、キング牧師の演説の映像が流れていて、黒人差別撤廃の公民権運動が盛んになって来た時代である事が示される。しかし南部ではまだまだ黒人差別は根強く存在していた。

そんな状況だから、ニッケル・アカデミー内でも黒人は歴然と差別され、白人とは別の建物に送られるのだ。

映画はこうして、ニッケル・アカデミーで暮らす事となったエルウッドの生活と、アカデミー内で公然と行われる黒人差別、暴行虐待、運営者たちの腐敗ぶりを冷徹に見つめて行く。


撮影手法で面白いのは、冒頭からずっとエルウッドの一人称で物語が進む。カメラはずっとエルウッドの目線のみ。エルウッド本人の姿は鏡や反射物に一瞬映る時以外、まったく画面に出て来ない。なんと祖母が彼をハグしようとする時も、カメラが祖母の肩に寄って行くのだ。徹底している。

こういう手法の映画は前例がある。1947年のアメリカ映画「湖中の女」(ロバート・モンゴメリー監督)だ。レイモンド・チャンドラー原作のフィリップ・マーロウものだ。
そちらは最初から最後まで全編一人称だったが、本作は途中から別の人物の目線に変わる。いずれにしても大胆な手法である。

これは、黒人であるゆえ、差別と虐待に晒される主人公の悲惨な運命を、観客にも疑似体験してもらいたい、という監督の狙いがあるのだろう。

ニッケル・アカデミーに送られるシーンで、シドニー・ポワチエ主演の「手錠のまゝの脱獄」(1958・スタンリー・クレイマー監督)の冒頭シーンがかなり長く登場する。囚人護送車に乗せられた黒人のポワチエが、反抗的に歌を歌うシーンで、護送される黒人という共通項から、彼が以前に観たであろうこの映画を思い出したという事なのだろう。映画同様に、脱出し逃げ出したいという願望も込められている気がする。

食事の時、エルウッドの前にターナーという少年が近づき、気さくに話しかけて来る。それを周囲の少年たちがからかう。
こここでカメラ目線がチェンジする。前記食事シーンがもう一度、今度はターナーの目線で繰り返され、ここでやっとエルウッドの顔がはっきりと見える。
以後はターナー目線とエルウッド目線が交互に登場する事となる。

二人のキャラクターの違いも対照的だ。ターナーが優しそうな表情で、エルウッドにここで生きる上でのアドバイスを与えたりする。一方でエルウッドは寡黙だが、ジェーン・オースティンの「プライドと偏見」を愛読するような知的な一面も見せる。監督の演技指導もあるのだろうが、特にエルウッド役のイーサン・ヘリスの自然な演技が見事。

中盤からは、数年後のエルウッドの姿も登場する。そこでは彼の姿はいつも背中だけで顔は見えない。どうやら結婚しているようで、しかも会社を起業する話も出て来る。話から'70年代後期と思われるが、別のシーンではパソコンが登場するので、'2000年代にも時代が飛んだりする。これらが、ニッケル・アカデミーでの暮らしぶりと交互に登場するのでちょっとややこしい。しかも何故エルウッドの顔を見せないのか
また時々、公民権運動や月面着陸のアポロ計画などのニュース映像や、当時の時代風俗などもインサートされる。さらに、モノクロ映像で目を瞑った数人の黒人の顔のアップが出て来たるするので(ラストに至って、それが何かが判明するのだが)、観ている方は混乱して来る。

ターナーは、この学校では何人かの黒人生徒が行方不明になっており、恐らく殺されているだろうとエルウッドに告げる(実際、未来のエルウッドがパソコンの検索で、ニッケル・アカデミーの敷地から無数の黒人少年の惨殺死体が発見されたニュースを見つけている)。

ここにいては、いずれ殺されるかも知れない。そう考えたターナーはある日、エルウッドを誘って自転車による脱出を図る。
だが、追って来たアカデミーの人間によって二人は追い詰められ、ライフル銃が発射され、一人が倒れる。撃たれたのはどっちか。

(ここから重要なネタバレがあるので隠します。観た方のみ以下を反転ドラッグしてください)

次のシーンで、エルウッドの祖母の元に一人の男が現れ、祖母は「生きていたのね」と喜び、男をハグする。これで我々はエルウッドは無事逃げおおせたのだホッとする。

その後、当時の新聞記事がアップになり、それには「ハリエット・ジョンソン(80歳)、孫のエルウッドに先立たれる」と書かれていた。
ハリエットとはエルウッドの祖母である。ええっ、エルウッドは死んだのか。それなら'70年代以降に平穏に暮らしているエルウッドの姿は何だったのか、と疑問が沸く。

次に“エルウッド・カーティス”名義の運転免許証のアップが登場するが、そこに載っている写真はなんとターナーである。さらに2003年発行の免許証写真は、あの後ろ姿のエルウッドと同じ髪型だ。
つまり、エルウッドは死んだが、ターナーは逃げ延び、エルウッドの祖母の家を訪れた、というわけだ。ターナーはニッケル校にいた当時、彼の祖母と会っている。

ターナーの名前のままでは、脱出逃亡犯としてこの先も追われる事になる。エルウッドはニッケル校の惨殺被害者の一人として、行方不明扱いになっている。それで彼の祖母の了解を得て名前を借り、エルウッド・カーティスとして生きる事にしたのである。

'70年代以降のエルウッドの映像が、いつも後ろ姿だけだったのは、その真相を観客に隠すためである。ロス監督、なかなかの策士である。
(↑ネタバレここまで)

ラストで、ニッケル校の夥しい数の黒人虐待、拷問、惨殺、死体隠蔽の事件発覚、地中からの遺体発見のおぞましいニュース映像が流れる。
シートで覆われた無数の死体発見写真は、あの連合赤軍粛清リンチ殺人の映像を思い出し、ゾッとさせられた。
前述の、モノクロの粗い映像による黒人少年たちの顔のアップは、その死体写真だった事がここで判る。

本作の原作は、ピューリッツァー賞を受賞したコルソン・ホワイトヘッドが、実際にあったフロリダ州北部で起きた「アーサー・G・ドジャー少年院事件」をモデルに書き上げた小説で、学校名も登場人物も架空だが、描かれる黒人少年惨殺埋葬の顛末はほぼ同少年院の事件そのままであるし、一部はその事件のニュース写真なども使われている。まさに衝撃的な事件である。


観終わっても、深く考えさせられた。'60年代まで、根強い黒人差別があった事は映画や歴史教科書で知っていたが、こんな事まで実際にあったとは。アメリカの暗部と言えよう。

これを映画化した製作者たちの意欲も大いに買いたい。製作に加わったプランB・エンタティンメントは過去にも「それでも夜は明ける」「ムーンライト」などの黒人問題を扱った映画を製作しており、本作もその流れにある作品である。ブラッド・ピットえらい。

一人称映像や、過去、未来を行き交う時制の交錯、さまざまな映像コラージュなど、テクニックを凝らした映像には否定的な意見もあるが、観終わって振り返ってみればやはり心に深く染みた。ラメル・ロス監督の、事件に対する怒り、黒人差別の歴史への怒りを込めた情念がほとばしった故の映像と考えれば十分納得出来る。アカデミー賞で作品賞、脚色賞にノミネートされたのも納得である。受賞出来なかったのは惜しい。

観るべき値打ちのある秀作と評価したい。配信のみなのが残念だが、観る機会があれば是非。  (採点=★★★★

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