「父と僕の終わらない歌」
2025年・日本 93分
製作:日活=ソニー・ピクチャーズ=ROBOT、他
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
監督:小泉徳宏
原案:サイモン・マクダーモット
脚本:三嶋龍朗、小泉徳宏
撮影:柳田裕男
音楽:横山克
エグゼクティブプロデューサー:福家康孝
プロデューサー:渡久地翔、佐原沙知、巣立恭平、小柳智則
2016年にイギリスで1本の動画をきっかけに、80歳にしてCDデビューを果たした男性の奇跡の実話を元に、舞台を日本に置き換えて映画化したヒューマンドラマ。監督は「ちはやふる」シリーズの小泉徳宏。主演は「こんにちは、母さん」の寺尾聰と「雪の花 -ともに在りて-」の松坂桃李。その他松坂慶子、ディーン・フジオカ、佐藤栞里、三宅裕司、佐藤浩市が共演。
(物語)かつて歌手としてレコードデビューを目指しながらも、息子・雄太(松坂桃李)の為に夢を諦めた間宮哲太(寺尾聰)は、横須賀で楽器店を営みながら、時折地元のステージで歌声を披露し、喝采を浴びていた。ところがある日、哲太はアルツハイマー型認知症と診断されてしまう。徐々に記憶を失って行く父を繋ぎ止めたのは、彼を信じて支え続けた息子雄太と、強く優しい母・律子(松坂慶子)、固い絆で結ばれた仲間たち、そして父が愛した音楽だった…。
“実話に基づいた物語”とテロップで出るが、日本ではなくイギリスの話だった。
アルツハイマー型認知症で、息子の事さえ忘れてしまうような人物が、息子と歌を一緒に歌う時間だけは生き生きとしていて、その様子が動画サイトでバズって、とうとう80歳にしてCDデビューを果たした…という夢のような話が、実話だというから驚く。
確かに、アルツハイマーの進行を遅らせるには、好きな趣味に没頭させるのが効果的、という話は聞いた事がある。
これを日本で映画化したのが本作だが、ビートルズを生んだイギリスならさもありなんと思えるが、日本ではどうかな、と観る前は危ぶんだが、かつて「タイヨウのうた」という、主人公の少女が難病を患いながらも音楽を愛し、最後に彼女の歌がラジオでヒットする、という、本作とも似た要素を持つ作品でデビューした小泉徳宏監督らしく、爽やかな感動作になっていたのはさすがである。
(以下ネタバレあり)
舞台を横須賀にしたのがいい。道路沿いにヤシの並木があったり、哲太は年代物のアメ車を乗り回していたり、ジャズが流れていたりでアメリカ西海岸を思わせるような雰囲気が画面に漂っている。
哲太のキャラも陽気で、雄太の友人の結婚式では、派手な演出で歌を歌い、場を盛り上げて行く。さすが「ルビーの指環」を自作自演で大ヒットさせた寺尾聰だけあって、歌い方も堂に入っている。
哲太の歌う歌はジャズナンバーあり、プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」あり、カンツォーネの「ボラーレ」ありと懐かしい洋楽のオンパレードで、これも作品のムードに合っている。
哲太はかつてミュージシャンを目指していたが、事情があって断念した経緯がある。その事情と言うのが、レコーディングの日と雄太の出産が重なった為だという。
事情が事情だし、再チャレンジしようと思えば出来ない事はないだろうが、ドタキャンでレコード会社を怒らせたのかも知れない。あるいは雄太の子育てを最優先したとも考えられる。
楽器店を経営する傍ら、時折地元のステージや福祉施設の慰問で自慢の喉を披露している。歌う事が何より好きなのだろう。
だが時々、家に帰る道が分からなくなったり、約束を忘れたりと、認知症的症状が現れ、病院で診断の結果、アルツハイマー型認知症と判明する。
小泉監督らしいのは、診断結果を聞いても、哲太も妻の律子も悲嘆に暮れたりせず、明るく陽気に振舞っている点だ。
難病にも関わらず、元気に明るく生きている少女を描いた「タイヨウのうた」を思い出す。悲しい中でも明るさを失わない演出は小泉監督の特性なのだろう。
だが哲太の病状は進み、アイロンをかけている事を忘れてボヤ騒ぎを起こしたり、家を出て徘徊したり、免許証を返納した事を忘れて車を運転しようとしたり、突然怒り出したりと、まさに認知症あるあるの症状が現れて来て、さすがに律子も雄太も手に負えなくなる。
以前にも書いたが、私の父母も共に認知症になって、介護に大変な苦労をした。だから他人事とは思えない。哲太の姿と私の父の姿が重なって、何度も泣けた。
だが雄太が気晴らしにと哲太を車に乗せ、カセットで父の愛した音楽をかけると、哲太は陽気に歌い出す。英語の歌詞もメロディもしっかり覚えている。雄太も一緒に歌い出す。
アルツハイマー症は、最近の事は忘れても、古い昔の事は覚えている事が多い。哲太も自然と古い歌が口から出て来るのだろう。
雄太は哲太の歌う姿をスマホで撮影し、SNSに上げると、これが評判になり、再生回数がグングン増える。街を車で走っていても、手を振ったり、スマホで撮影する人がいたり、哲太はすっかり人気者だ。アルツハイマー型認知症なのに、陽気に明るく歌う哲太の姿は、認知症の家族を持つ人たちにも励みになっているようだ。
だが好事魔多し。雄太がイラストレーターとして広告業に関わっている事が“自分の父を利用してステマをやっている”と誤解され、SNSで炎上して、家にも中傷のビラが貼られたりと、さんざんな目に遭う。雄太は落ち込む。
その上哲太の症状はさらに進み、遂には息子・雄太の顔も忘れてしまう。雄太は深く失望する。
だがある日、物置で何かを探していた哲太が、昔オーディション用に録音したテープを見つける。それを見た雄太は、父の叶わなかった夢を実現させてやりたいと決意する。
SNSで哲太が歌う様子を見たレコード会社も乗り気になり、その前段として雄太は哲太のライブ・コンサートを企画し、その様子をライブ配信するべく、父の夢の実現に向かって走り出す。
…という流れで、そのコンサートがドラマのクライマックスとなる。
ちょっとしたトラブルもあったりしながらも、無事コンサートが始まるが、哲太が途中で歌詞を忘れたのか、歌えなくなってしまったりと、ハラハラするシーンがある。
その時、雄太が舞台に上がり、一緒に歌おうと父を促し、二人のハーモニーでコンサートが続く。ここはなかなか盛り上がる。また歌を通して父と子の心が通い合った事を示す名シーンでもある。
特にいいのが、「Smile」を歌うシーン。チャップリンが作曲し、後で歌詞が付いて、ナット・キング・コールが歌って大ヒットした名曲である。これはエンドロールのバックでも登場する。
“笑顔でいよう、心が痛くても 笑顔でいよう、心が傷ついたとしても” という「Smile」の歌詞は、まさに本作のテーマと一致する。
家族が認知症や病気で暗くなりがちでも、明るく笑顔でいれば、きっと乗り越えられる…。この映画は、観る人にそう訴えかけているのである。
ただちょっと引っかかった点。雄太が実はゲイだったとか、ステマだとSNSで炎上したりのシーンは、あまりテーマと関わって来ず、不要ではないかと思えた。哲太が成人式に行くとダダをこね、会場入りが遅れるドタバタ・シーンもあまり笑えない。
それとラストも、哲太が歌手デビュー出来たのか曖昧なままで終わっているのも気になる。どうせなら原作通りにそこまでやって欲しかった。まあイギリスでは可能でも、日本で実現出来るかは難しいという事もあるのかも知れないが。
そういった、いくつか気になる点があって、秀作とまでは言えないが、家族が認知症で悩んでいる人には少し元気になれる、心温まる良作にはなっている。
出演者ではやはり寺尾聰が素晴らしい。アルツハイマー型認知症患者でありながら英語の歌を歌って聴衆を魅了する老人という難しい役を見事に演じ切っている。彼以外にこの役を演じられる俳優はちょっと思いつかない。そして明るく包容力のある妻を演じた松坂慶子がまたいい。このお二人を本年度の助演賞に一押ししたい。
(採点=★★★★)
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コメント
私の認知症の映画と言えば「博士の愛した数式」です。
透明感のある深津絵里さんも素敵です。
投稿: | 2025年6月 5日 (木) 23:15
早くに高い所にいった妻の事もあり
医療関係の作品は避けていました。
ある御縁でムビチケ頂き一応鑑賞。
歌が主なので明るい演出に一安心。
湘南在住の30年位前、渋谷での
寺尾聰さんライブ参加を思い出し
懐かしさも少々感涙。恐らく今後も
医療関係のは観られませんが、他の
ジャンルで妻写真と劇場鑑賞します。
※重いコメントで失礼しました…。
投稿: ぱたた | 2025年6月 9日 (月) 13:35
◆---さん (お名前教えてくださいね)
「博士の愛した数式」は私も大好きな作品で、こちら↓でも批評書いているので覗いてください。
http://otanocinema.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_78bc.html
そう言えばあの作品も寺尾聰が主演でしたね。監督も同姓別人の小泉尭史監督でした。
ただ80分しか記憶が持たないだけで、「認知症」じゃないと思いますが。
◆ぱたたさん
認知症がテーマですけれど、明るくて笑える所も多くて、かつ最後は泣ける、いい作品でした。
奥様を亡くされてお辛いでしょうけれど、病気を扱っても、心が温まるいい作品は観た方がいいと思いますよ。またそんな素敵な作品があれば採り上げて行きますので、これからもよろしく。
投稿: Kei(管理人 ) | 2025年6月 9日 (月) 16:40