「スーパーマン」 (2025)
2025年・アメリカ 129分
製作:DC Studios
配給:ワーナー・ブラザース映画
原題:Superman
監督:ジェームズ・ガン
キャラクター創造:ジェリー・シーゲル、ジョー・シャスター
脚本:ジェームズ・ガン
撮影:ヘンリー・ブラハム
音楽:ジョン・マーフィ、デヴィッド・フレミング
製作:ピーター・サフラン、ジェームズ・ガン
製作総指揮:ニコラス・コルダ、シャンタル・ノン・ボ、ラース・P・ウィンザー
幾度も映画化されてきたアメコミヒーローの原点「スーパーマン」の新たな映画化作品。脚本・監督は「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」のジェームズ・ガン。主演のスーパーマン役は「Pearl パール」のデヴィッド・コレンスウェット。共演は「アマチュア」のレイチェル・ブロズナハン、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のニコラス・ホルト。
(物語)大手新聞社“デイリー・プラネット”の新聞記者クラーク・ケント(デイビッド・コレンスウェット)。彼の正体は、人々を守り正義の為に闘うヒーロー、スーパーマンだった。超人的な力で人々を救うスーパーマンは、誰からも愛される存在だった。しかし、時に国境をも越えて行われるヒーロー活動は、次第に問題視されるようになる。恋人でありスーパーマンの正体を知るロイス・レイン(レイチェル・ブロズナハン)からも、その活動の是非を問われたスーパーマンは、「人々を救う」という使命に対して心が揺らぎはじめる。一方、スーパーマンを地球の脅威とみなす天才科学者で大富豪のレックス・ルーサー(ニコラス・ホルト)は、世界を巻き込む巨大な計画を密かに進行していた…。
“スーパーマン”といえば、アメコミヒーローの原点にして頂点とも言うべき存在である。映画としては1978年に公開された初めての映画版、リチャード・ドナー監督、クリストファー・リーヴ主演の「スーパーマン」(以下78年版と呼ぶ)が有名である。その前年にジョージ・ルーカスが創造した「スター・ウォーズ」が大ヒットし、同じ頃スティーヴン・スピルバーグ監督の「未知との遭遇」も評判を呼んで、予算をかけたSF映画を作る機運が盛り上がる中での登場である。これが大ヒットして、以後DCコミックやマーベル・コミックのSFヒーロー・アクションものが続々登場する、その発火点となった事でも知られる。ジョン・ウィリアムス作曲のテーマ曲も素晴らしい出来。
以後「スーパーマン」シリーズが次々と作られる事となるが、やはり出来がいいのは78年版と、その続編「スーパーマンⅡ・冒険篇」(リチャード・レスター監督)の2作だろう。以後作られる作品は、どれも個人的にはイマイチだし、ヘンリー・カヴィルがスーパーマンを演じた「マン・オブ・スティール」(2013)はコスチュームもストーリーも暗いし、その続編「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」(2016)に至ってはなんともトホホな駄作だった。以後スーパーマンは映画に登場していない。
そして本年、9年ぶりにスーパーマンがスクリーンに帰って来る。ファンとしてはまことに喜ばしい限りだ。
脚本・監督のジェームズ・ガンといえば、2010年にスーパー・ヒーローになりたい男が主人公のブラック・コメディ「スーパー!」を監督しており、これはジェームズ・ガンのアメコミ・ヒーロー愛が炸裂する楽しい快作だった。
その後、マーベル・コミックの「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズ3作の脚本・監督を担当し、本格的にアメコミ映画に参入、2018~2019年にはこれもマーベル・コミック「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」、「アベンジャーズ/エンドゲーム」の製作総指揮を務めたり、かと思うとDCコミック「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」 (2021)を監督したりと、マーベルとDCを股にかけて大活躍した。本当にこの人、アメコミ大好き人間なのだな。
という訳で、2022年にはとうとうDCコミックを製作する“DCスタジオ”の共同会長兼CEOに就任する事となった。そして新たに開始する“DCユニバース”の第1作が本作というわけである。これは期待したくなる。
(以下ネタバレあり)
冒頭、意表を突くのは、なんとスーパーマンが敵に破れて地表に激突するシーン。顏は傷だらけで動く事も出来ない様子。それまでの経緯は字幕で簡単に説明するのみ。
これまでの「スーパーマン」作品は、それぞれシリーズ1作目の1978年版、2013年「マン・オブ・スティール」、いずれもカル=エルがクリプトン星から地球にやって来て、ケント夫妻に育てられ、デイリー・プラネット社に入り、スーパーマンとして活躍を始めるまで(いわゆる序章)を結構時間をかけて描いていた。
なのでスーパーマンの活躍を描く本編は、やや駆け足気味の描き方だった気がする。
「スーパーマン」のファンなら、その序章部分のエピソードなんかとっくに知ってるから、ジェームズ・ガンがそれらを省略したのも、ファンとしては納得出来るし、本編のストーリーも盛りだくさん、かつ目まぐるしく展開するので、端折れる所は端折るという製作方針は間違ってはいない(ただ、敵との最初のバトル部分さえもすっ飛ばすとはねぇ)。
逆に言えば、初めて「スーパーマン」映画を観る観客には不親切かも知れない。特にカル=エルの両親が映像で登場するシーンは、過去作を観ていないと意味不明だろう。
さて、そんなスーパーマンを助けて活躍するのが、やはりスーパー能力を持っている犬のクリプト。モデルはガン監督の愛犬らしい。このクリプトが可愛いし、スーパーマンにじゃれつくが、怪力なのでスーパーマンが痛がるシーンは笑わせてくれる。
そのクリプトがスーパーマンを引きずって到着する南極の要塞は、スーパーマンが近づくとクリスタル状のタワーがニョキニョキと生えて来る。これは78年版の要塞とそっくり。
(ただ、78年版では北極だったはずだが?)
またスーパーマンのコスチュームも、78年版の明るい青に赤いパンツが復活しているのが何より嬉しい。「マン・オブ・スティール」ではどす黒いブルーに赤パンツがなくてガッカリしていただけに(下参照)。

やっぱりスーパーマンのコスチュームはこうでなければ。ジェームズ・ガン、おそらく78年版の熱烈なファンで、オマージュを捧げているに違いない。他にも、後述するが78年版オマージュが満載だ。
さて、冒頭でスーパーマンをボコボコにした相手は、宿敵レックス・ルーサーの配下の“ウルトラマン”!これには大笑いした。
ルーサーはKAIJU(怪獣)まで繰り出してくるし、ジェームズ・ガンは日本特撮オタクでもあるようだ。親近感が湧くではないか。
ウルトラマンはその後もスーパーマンを苦しめる。スーパーマンよりも強いようだ。
しかしちょっと疑問なのは、スーパーマンはクリプトン星人ゆえに地球上最強であるはずで、なのに何故ウルトラマンには歯が立たないのか?
また、ルーサーがウルトラマンたち配下を連れて南極の要塞にやって来た時、スーパーマンでしか開かないはずの要塞の扉が簡単に開いてしまう。これも謎だ。
終盤まで観れば、その答が示される。なるほど、そう来たか。
もう一つ、本作の大きなテーマは、“正義とは何なのか”である。
スーパーマンは、アメリカの同盟国であるボラビアという国が、隣国ジャルハンプールを侵攻した時、その侵攻を阻止した。ジャルハンプールは小さな国で民衆も貧しい。
その人たちを救う事は、スーパーマンにとっての正義であり、それを微塵も疑っていない。
スーパーマンの恋人でその正体も知っているデイリー・プラネット記者、ロイス・レイン(この設定も意表を突く)はスーパーマンにインタビューするのだが、「(ジャルハンプールを助けた事に対し)アメリカ大統領の許可は取ったのか」とか、「他国の紛争に介入してはいけない」と語りスーパーマンを困惑させる。
思えば、“アメリカの正義”を代表して来たのがスーパーマンである。「困っている人がいれば助ける」のが正しい道とスーパーマンも、視聴者、観客もそう思って来た。それは“アメリカの正義”とも連動して来た。十数年前まではアメリカは、「世界の警察」として他国の紛争に介入して来た。9.11の後はブッシュ大統領はイラクに侵攻し、フセイン大統領を捕まえた。
だがその結果、助けたはずのイラクは却って混迷を極め、イスラム国(IS)の台頭を許した。
もはやアメリカは世界の警察でもなく、“アメリカの正義”も失われた。自国第一主義のトランプが大統領になってからはますますその風潮が強まっている。
だから、ロイスだけでなく世間もアメリカ政府も、他国の紛争に介入するスーパーマンを苦々しく思っている。自分にとっての正義とは何なのか。スーパーマンは苦悩する。
実は前述したガン監督の「スーパー!」の中でも、主人公はヒーローになったつもりで悪い奴をボコボコにするが、あえてそれを凄惨かつ残虐に描く事で、”それは正義ではなく、自分勝手なただの暴力だ”、と厳しく批判していた。
“正義とは何か”というテーマは、ガン監督作品においては初期から一貫しているようだ。
また、「スーパーマンは他の星からやって来た移民であり、もっと言えば不法移民だ。本当にアメリカの為に働いているのか、疑問だ」という声も上がって来る。
ルーサーはそこを突き、スーパーマンの要塞で見つけたカル=エルの父のメッセージの読取不能部分を修復し、「スーパーマンは地球征服の為にやって来た」というフェイクニュースをSNSで拡散させる。これによってスーパーマンは世間から轟々の非難を浴びる。民衆から石を投げつけられたりもする。
スーパーマンは捕えられ、ルーサーが次元の裂け目に作った“ポケットユニバース”の牢獄に入れられる。さらに、子供を人質に取られた超能力者・メタモルフォがルーサーの命令でクリプトナイトを作り出し、スーパーマンは動けなくなってしまう。
世間からも敵視され、捕まえられ、脱出不能の牢獄に入れられ、さらに無力化されてしまう。…スーパーマンをここまで徹底的にどん底に叩きこんだ作品は前例がない。絶体絶命だ。
だが幸いな事に、スーパーマンには“ジャスティス・ギャング”なる味方がいた。グリーン・ランタン、ホークガール、ミスター・テリフィックらで、ロイス・レインの依頼で、特にミスター・テリフィック(エディ・ガテギ)が大活躍し、スーパーマンはポケットユニバースから救出される。
“ジャスティス・リーグ”ではなく“ジャスティス・ギャング”という名称も笑える。
救出されたスーパーマンはカンザスの養父母ケント夫妻の元でしばらく静養する。ここで養父ジョナサン(プルイット・テイラー・ヴィンス)が語りかける言葉によって、スーパーマンはやっと、自分が何をなすべきかを自覚する。ここはちょっと胸を打たれた。
短い出番だが、ジョナサン・ケントを演じたプルイット・テイラー・ヴィンス、味わい深い好演である。
ちょっと面白いのが、デイリー・プラネット社のジミー・オルセン(スカイラー・ギソンド)の活躍である。ルーサーの元恋人のイヴが、どうやらジミーに惚れてるようで、ジミーはイヴから情報を得て、前述のポケットユニバースの場所をロイスに伝えたり、さらにはルーサーに当たり散らされた事でキレたイヴが、ルーサーの陰謀を示す決定的証拠が写った写真をジミーに送って来たり。これが後の形勢逆転に繋がる事となる。
過去のスーパーマン作品では冴えない役柄だったジミーが、本作では意外な活躍を見せる。本作での一番の功労者とも言える。これもいかにもガン監督らしい。
スーパーマン不在の間を狙って、ボラビアの独裁者・グルコス大統領は再び隣国ジャルハンプールへの侵攻を開始する。小さな子供がスーパーマンのマークを描いた旗を立てて、「助けに来てよ、スーパーマン」と叫んでいる。それを知ったスーパーマンは駆け付けようとするが、ルーサーはメトロポリスに次元の裂け目を作りだし、街を破壊して行く。どっちを助けるべきか、スーパーマンは悩む。さらに、あのウルトラマンが再度スーパーマンに闘いを挑んで来る。
(以下重要ネタバレあり。未見の方は読まないように)
ウルトラマンとの対決で、知恵を絞って勝利したスーパーマンがウルトラマンの仮面をはぎ取ると、その素顔はスーパーマンと同じ顔だった。まるで“ドッペルゲンガー”みたいだ。
実はルーサーがスーパーマンの毛髪からDNAを採取し、スーパーマンのクローンを造り出した、というわけだ。
それで前述の疑問、スーパーマンと互角に闘える戦闘能力も、スーパーマンの要塞の扉を簡単に開けた謎も氷解した。扉はスーパーマンのDNAを感知して開くわけだから。
それは判ったが、いくらクローンだと言っても、スーパーマンの鋼のボディや目の熱光線といった、地球にない特殊能力まで数本の毛髪DNAからコピー出来るのか、疑問である。
まあコミックだし、そこは大目に見ておこう。
一方、ボラビアに再侵攻されたジャルハンプールには、ジャスティス・ギャングの3人が駆け付け、彼らの力でボラビア軍を撃退する。
やはりスーパーマン一人では無理だ。頼れる仲間がいるからこそ、手強い敵に勝てるのだ。
「スーパーマン」という一人称タイトルの作品に、複数の仲間が登場する事に違和感を抱く観客もいるだろうが、これも複数ヒーロー軍団が活躍するアメコミ作品ばかり作って来たジェームズ・ガンらしいと言えるだろう。
ジミーがイヴから受け取った写真から、ルーサーがボラビアのグルコス大統領と裏取引をして、兵器製造で大儲けを企んでいた事が暴露される。これがテレビニュースで伝えられると、世間は一転、ルーサーとグルコス大統領を非難し始める。大衆なんていいかげんなものだ、というガン監督らしい皮肉である。
そういうわけで、スーパーマンとその仲間は見事ルーサーとの闘いで勝利を収めるのだが、よく考えれば、“一時はどん底にまで堕ちた主人公が、仲間の協力を得て徐々に這い上がり、最後に大逆転勝利する”という、まさにエンタティンメントの王道パターンになっていた事に気が付く。
そして強い国(ボラビア)が軍事力で弱い国を蹴散らす辺りは、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区攻撃や、ロシアによるウクライナ侵攻を思わせたり、スーパーマンを移民だと言って排斥しようとする所も、トランプ大統領の移民政策への皮肉が込められているようで、ガン監督、世界情勢やトランプ大統領の政策に対する批判的なメッセージを本作に持ち込んでいるように見える。SNSによる大衆扇動も、現代らしいテーマである。
アメリカ保守派には気に入らない映画だろうが、臆せずに反権力メッセージを持ち込んで、かつ王道エンタティンメントとしても見事な作品に仕上げたジェームズ・ガンの戦略を、私は高く評価したい。
スーパーマンを演じたデヴィッド・コレンスウェット、ヒーローらしい、いい顔をしている。ちょっと78年版のクリストファー・リーヴと雰囲気が似ている。ロイス・レイン役のレイチェル・ブロズナハンも78年版のマーゴット・キダーによく似ている。
78年版へのオマージュも、前述したもの以外でも、デイリー・プラネット社の入口が回転ドアだったり(今時あるはずがない(笑))、次元の裂け目が広がって地面が割れて行くシーンは、78年版にもルーサーのミサイル攻撃で地面が裂けて行くシーンがあった。
イヴについては、78年版でもやはりルーサーの一味だったイヴ(ヴァレリー・ペリン)が裏切ってスーパーマンを助けている。
そしてエンドロール。透過光のようなクレジットが飛んで行く所も、まさに78年版とそっくり。
何より、ジョン・ウィリアムズが作曲した「スーパーマンのテーマ」が編曲し直して何度も登場する。
78年版を知っているファンにとっては懐かしさで胸一杯になる。ジェームズ・ガン、本当に78年版スーパーマンの大ファンなのだな。
細かい所でツッ込みたい所もあるが、ここまで楽しいスーパーマン映画を作ってくれたら文句はない。ラストの、スーパードッグ・クリプトの飼い主登場にも笑った。
新しいDCユニヴァースの第1回作品としては大成功と言える。この調子で、次もスーパーマンのさらなる活躍を期待したい。
(採点=★★★★☆)
(付記)
上記でスーパーマンは2016年の「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」以後登場していないと書いたが、2017年の「ジャスティス・リーグ」にも登場していたのを思いだした。
ただこの作品では、スーパーマンは冒頭から死んでいて、主に活躍するのはバットマンやワンダー・ウーマンたち。スーパーマンはやっと最後に復活して大暴れする、それだけだ。
そもそも、ポスター(右)のどこにも、スーパーマンはいないし、ポスター下に並んだヒーロー名の中にも名前はない。失礼な話だ。
個人的にはこの作品は、スーパーマン映画とは認めたくない。
ともあれ、一応訂正しておきます。
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コメント
これは面白かったです。
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のジェームズ・ガン監督なので素直に楽しめます。
怪獣好きだそうで巨大怪獣を出したりあの手この手で楽しませてくれます。
お話も演出もうまいものです。
スーパーマンとロイス・レインは新人が演じますが、どちらもイイ感じ。
悪役レックス・ルーサーを演じるニコラス・ホルトがいつもながらうまい。
スーパーマンを最後まで苦しめる悪人を魅力的に演じています。
シリアスなテーマもあり、侵略にさらされる国はパレスチナがモデル。
ハリウッド映画でイスラエル批判とは大胆ですね。
投稿: きさ | 2025年8月 7日 (木) 21:15
◆きささん
お久しぶりですね。
近年の「スーパーマン」シリーズが、つまらない作品ばかりでがっかりしてたので、安心して楽しめました。シリーズ中ベスト3位に入れたいですね。
ニコラス・ホルト、今年配信で観た「陪審員2番」では良心と自己保身の間で悩み心が揺れ動く陪審員役を絶妙に演じていました。役柄の広さには感心しますね。
ところで新しいブログはまだ立ち上げないのですか。心待ちにしているのですがね。作ったら知らせてくださいね。
投稿: Kei(管理人 ) | 2025年8月 7日 (木) 22:32
陪審員2番私も見ました。さすがはイーストウッド。
ニコラス・ホルト、普通の役もうまい。
ブログは諦めつつあります。
投稿: きさ | 2025年8月 8日 (金) 21:40